赤狼との戦い1
カノンカとブラッドウルフの力は拮抗していた。
共に致命傷は与えられず。
技術ではカノンカが、身体能力ではブラッドウルフがそれぞれを圧倒している。
しかし、ホワイトウルフがまだ周囲にいるこの状況下で、カノンカが全く周りに気を使わなくていい、というわけがない。
ネイノートの狙撃で数を減らしてはいるが、ホワイトウルフはまだ十近く残っていた。
その中でブラッドウルフと互角に戦う彼女には、流石と言わざるを得ない。
ブラッドウルフは鋭い爪でカノンカに飛びかかる。
剣でそれを受け流した彼女が、次いで剣を切り返すころには、ブラッドウルフはとうに間合いから抜け出てしまう。
仮に剣撃が当たったとしても、強靭な体毛がダメージを軽減する。
先程からこれの繰り返し。
理不尽なことに、ブラッドウルフの攻撃をカノンカが受ければ一溜りもないだろう。
ここにきてカノンカは銃を持ってきていないことに歯噛みした。
双方決定打がないまま、攻防は続く。
流れが変わったのはそれから数合打ち合ってからだ。
ブラッドウルフの着地点を狙って、ネイノートの矢が飛来した。
前足の付け根を狙ったそれは、刺されば確実に足を奪えた位置だったが、強靭な体毛ではじかれる。
無駄かとも思えた行動たがそんなことはなく、ネイノートの狙撃を受け体勢を崩したブラッドウルフは、カノンカの剣をまともに浴び傷を負った。
目に見えるほどの大きな傷ではあるが、まだ致命傷には程遠い。
気付けばあたりはホワイトウルフの亡骸で埋め尽くされていた。
ブラッドウルフは、配下が倒された恨みか、自分に危害を与えた怒りか、矢が飛んで来た方を鋭く睨む。
ネイノートも負けじと、空になった矢筒を握り締め睨み返した。
弓を扱うに至って、気を付けなければならないことの一つに、矢の数に制限があることが挙げられる。
この点は銃でも同じなのだが、矢が無くなってしまっては戦闘継続ができない。
もし戦闘継続を無理に行うのであれば、新しく矢を調達するか、使い終わった矢を回収するしかない。
ネイノートは、ホワイトウルフに刺さった矢を回収するべく、木から飛び降りた。
ブラッドウルフに細心の注意を払いながら、一番近いホワイトウルフの死体に近づく。
ふと……少年はカノンカを見た。
狙撃から彼女の斬撃を受けたブラッドウルフは、警戒して近寄らない。
カノンカも赤い狼に集中している。
そんな彼女の背後から、白い狼が現れるのを彼は見た。
増援なのか、最初から隠れていたのかは分からない。
その存在に気付いたネイノートが叫ぶよりも早く、ホワイトウルフはカノンカに飛びかかった。
ブラッドウルフを睨みつけていた彼女だが、背後から迫る気配に気づき、咄嗟に身体を反転させる。
眼前に迫ったホワイトウルフは、彼女の剣で袈裟に切られ地面に転がった。
ネイノートは一安心したが、赤き狼がその隙を見逃す筈がない。
剣を振って体勢が崩れたカノンカ目掛けて、ブラッドウルフが駆ける。
赤き狼は爪ではなく、鋭い牙で一気に勝負を決める心算だ。
カノンカはブラッドウルフを目視はしている。
しかし体が追い付かない。
ブラッドウルフがカノンカに飛びかかり、体に深々と牙が……
ネイノートは寸での処で体を滑り込ませると弓を前に突き出した。
ブラッドウルフの鋭い爪が木製の弓をいとも簡単に切り裂く。
続く鋭い牙がネイノートの肩に突き刺さった。
視界が霞む程の激痛。
体から力が抜け、思うように動かない。
「ぐぁあああ!!!」
ネイノートは抑えきれず声を上げた。
ブラッドウルフの牙は右の肩に深々と刺さり、多量の血が流れでる。
「ネイノート君!」
カノンカは叫びながら剣をふるうが、ネイノートに気が向いてキレがない。
ブラッドウルフは肩から牙を抜き、その剣をひらりとよけた。
ネイノートの肩の傷は致命的だった。
弓も壊れて戦闘できない、どころではなく今すぐ治療しないと命に関わるだろう。
彼は意識をなくしかけているし、カノンカは半分パニックになっている。
その様子をブラッドウルフが悦に浸ったように眺めていた。
カノンカは胸元にしまっていた小さな小瓶を取り出す。
森の表層といえど、甘く見ることなく用意していた治癒の魔法薬だ。
今の彼女にブラッドウルフを気にかける余裕はない。
大急ぎでネイノートの傷口へ魔法薬を振りかける。
その様子を嘲笑しながら見ていた赤き狼は悠然と歩を進めた。
(残すは牙を亡くしたメスを狩るのみ)
虎落笛のような音を鳴らし風が吹いた。
その風は自然では考えられないような動きを取り、カノンカとネイノートを中心に竜巻のように渦を巻く。
勢いはどんどん増し、ブラッドウルフが飛びかかるのを躊躇う程に強くなる。
一瞬風が止むと、木々の間から一羽の鳥が姿を現した。
その鳥は『ウィンドバード』。
ネイノートの仲間のウィンだった。
ウィンドバードという魔物は、冒険者の中でも比較的有名な部類に入る。
その理由は希少性にあった。
汎用性の高い風魔法の中でも、ウィンドバードが得意とするのが感知魔法である。
風の流れを感知し、敵が近寄る前にその場から飛びたってしまうのだ。
唯出会えないだけで、強いわけではない。
戦えば駆け出しの冒険者でも十分勝てるだろう。
その弱さのせいか、ウィンドバードは臆病なだけだ、という冒険者もいる。
カノンカはネイノートを抱き抱えながら、眼前に舞い降りた鳥を見つめた。
「クゥゥウウ!」
ウィンは鳴きながらブラッドウルフを睨みつける。
その光景にカノンカもブラッドウルフも度肝を抜かれた。
少なくともカノンカが冒険者になってからこれまで、ウィンドバードがこのような行動をしたという話も、格上を怯ませるほどの力を持っているという話も聞いたことがない。
それは敵対するブラッドウルフも同様だった。
ブラッドウルフは、かつて見た事のないウィンドバードに警戒を強め、唸り声をあげる。
ウィンは家族を傷つけられた怒りと共に風を纏う。
ウィンも赤い狼が自身より強いことは知っていた。
本能が逃げろと叫ぶのが聞こえる。痛く辛い思いも御免だ。
しかし、だからといってこのまま逃げられるほどネイノートの存在は軽くない。
唯一の家族なのだ、命を賭しても守る。
そう決意しウィンは一際大きく鳴いた。