進軍
兵士は長い螺旋階段を上っていた。
王国周辺は年中を通して快適な気候であったが、今は汗を流す程に蒸し暑い。
額から流れる汗を腕で拭いながら、一番上を目指す。
最上階は小さな部屋があり、一つの戸が備え付けてある。
その先は見晴らし台となっていて、王国周辺をぐるりと一望できるようになっていた。
「よう、交代の時間だ。異常は無いか?」
「あぁ……静かなもんだ」
短い挨拶をかわし、見張りの仕事を引き継ぐ。
引継ぎといっても特に何かをするわけではない。東西南北異常なし、と業務報告するだけだ。
「西、南、北、異常なし」
「東は?依然動きは無しか?」
「無しだ。もう三日だろ?準備する時間が出来るのはこちらも嬉しいことなんだが……どうにも気味が悪いな」
兵士は目を凝らし東の森を見る。
緑の茂る森と草原の中間に、真っ黒い塊が見えた。
魔族の軍だ。
三日前、魔王の娘と名乗る者から通告があり、ほぼ同時に森から現れた魔王軍。
直ぐに攻め込んでくるかと思いきや、もう三日も森の入口で屯するだけだ。
王国軍は、その空いた期間を使い、戦争の準備を急いで進めている。眼下では喧噪と共に忙しなく兵達が動いていた。
その様子を見て、見張り兵も気が逸る。
だが、監視の目を強化し、敵の動向を一早く捉え、即座に軍の指揮官に伝える。
それが見張りの塔に通う彼らの使命であり、今の王国では一番大事な仕事ともいえるだろう。
暫く二人で黒い軍団を眺めていると、望遠鏡を持っている兵士がぼやく。
「このまま帰ってくれりゃあありがたいんだけどな」
それは誰もが願っていることだろう。準備が無駄になる、だなんていう輩はいる筈が無い。
「まったくだ……おい、本当に魔族と手を組んで戦うのか?」
「どうやら本当のようだぞ。王国兵の混乱を防ぐために、魔物の姿にはならないらしいがな……鎧も王国兵と同じものを使うそうだ」
「そいつぁありがたいね。魔物の敵味方なんて区別がつかん」
味方と思っていた魔物に噛みつかれる、なんて、絶対にごめんだ。
二人の兵士は揃って森の入口を凝視する。
魔王軍は日に日にその数を増やしていた。
最初はほんの少しの黒い点だったが、今では平原を大きく占拠している。
黒い塊が蠢く様子は、見ているだけで気持ち悪くなる景色だった。
「まるでパンに群がるカビだな」
違いない、と二人で笑い合う。
緊張感が無いと思われるかもしれないが、彼等だけではない。
王国に住む者皆が、恐怖を誤魔化す為に冗談を言って笑い合う。
いずれ来るその時の為に、緊張と恐怖に固まる体を少しでも解し、動くようにしなければならない。
これから起きる戦いは、多くの命を落とす戦い。
それは誰もが分っていた。
異常な事態であろうとも、空は何時もと変わらず青く澄み切っている。
雲一つない空を兵士が仰いでいると、望遠鏡を覗きながら別の兵士が呟いた。
「……おい……」
あまりにも小さいその声は、風の音にかき消されてしまいそうだ。
だが彼の精神は異常な高鳴りを見せていく。
「おい!あれ……あれはなんだ!?」
咄嗟に空から視線を外し、指さす兵士の先を見やる。
それは森の奥からやってきた。
肉眼でも容易に確認できるその姿は、目測だが、王国の城壁よりも巨大に見える。
巨大な……巨大な人型の魔物。
その数は一つだが、存在感は他の魔物を凌駕する。
「ま……まさか……『巨人族』か?」
「冗談だろ……?巨人族は争いを好まないと聞くぞ。なぜ自ら戦争を起こすような真似を……」
火竜やクリスタルウルフと同様、巨人族もまた物語によく名を連ねる魔物だ。
大体は荒れ狂う火竜から、人々を庇い戦う立場に描かれる。それ故に巨人族を好む者は多い。
だが兵士達は実物を見て、その矛先が自身らに向いていることに気付き縮み上がる。
言葉無くした兵士は、はっと我に返ると望遠鏡を引っ手繰る。
「報告だ!……?どうした!?早くいけ!」
呆然と立ち尽くす兵士の体を押すと、彼はそのまま尻もちをついた。
「何してるんだ!早くしろ!」
叱責の声も届いていない。
尻もちをついた兵士は、悲鳴を上げながら逃げるように階段を下りて行った。
望遠鏡を掴む兵士は一人になると、突然恐怖に支配される。
覗くのが怖い。
それでも見張り役の使命は全うしなければならない。
拡大された巨人の顔はまるで悪鬼羅刹のごとく。
絵本に描かれる優しい顔は何処にあるのか。
下あごから牙が突き出ていて、分厚い瞼で目がおおわれている。
人を丸のみにしてしまう、と言われても今なら納得するだろう。
更に身に着ける真っ黒な鎧が、威圧感を増幅させていた。
巨人はその大きな足で、直ぐに平原に駐在する軍と合流をする。
黒い塊が蠢き、巨人の足が落ちる所だけ避けて、踏み荒らされ少し茶色がかった緑の円が出来た。
あの巨体で一体どこに待機するのか……そう思った兵士は、次の瞬間目を疑うこととなる。
巨人の足は止まることなく、合流した後もそのまま平原を歩き出したのだ。
「おい……おい、おい!待て待て待て!」
兵士は望遠鏡を脇に投げ捨てると、落ちるように階段を駆け下りる。
見張りの塔に人がいなくなるが、この現状においてそんなことは関係ない。
ついに魔王軍の侵攻が始まった。




