臆病者の弓使い
ネイノートの鼻に嗅ぎ慣れた臭いが付いた。
血の匂いだ。微かだが悲鳴のようなものも聞こえる。
狸の肉を焼いていたため、気づくのが遅れてしまった。
彼は弓を持ち本気で駆ける。
その速さは兎を追うときの比ではない。
草木にも当たらず、ほぼ無音で駆け抜ける。
前方から人影が現れた。
その数は三つ。
レシュノアとルルムス、それに監視する者が一人。
冷静とは程遠い状況の彼らを見るに、何か異常が起こったに違いない。
聞きたいことばかりだが、この先にその異常がありカノンカがいる可能性が高いだろう。
そう思ったネイノートは力の限り叫ぶ。
「このまま先に行け!小屋があるからその中に隠れていろ!」
聞こえたのか聞こえてないのかわからないが、反応しない三人とすれ違う。
相当恐怖を感じているのだろう。
ネイノートは急いで三人が来た方へ向かった。
匂いが濃くなるのを感じ、ネイノートは木の上に上る。
木を伝ってさらに近づくとカノンカを発見した。
周りには沢山の白い狼。
彼女の目線の先には大きな赤い狼が一匹。
アイツが親玉だろうか。そう思いながら弓に矢を番える。
するとカノンカの背後で狼が動き出した。
彼女は気づいていないのか反応しない。
ネイノートは狼に狙いを定めると、矢を放った。
高速で飛行する矢は、飛び上がった狼の心臓を一発で射抜く。
力なくした狼の体は勢いで吹き飛び、隣の木に叩きつけられた。
「カノンカ!何をしている!」
ネイノートの言葉が聞こえたのか、カノンカが武器を持ち直しこちらを見た。
「白い狼は任せろ!」
そう叫びながら再び矢を番え放つ。
これだけ的があればどう撃っても当たる。
彼にとって白い狼はそのくらいの敵だった。
「ギャゥン!」
「ギャァン!」
矢一つ放てば狼が一匹死んでいく。
撃ち漏らすつもりはない。だが彼は、一度でこれだけの数の獲物を相手にしたことは無かった。
強敵など出会ったことはないし、何時もの狩りであってもニ、三本もあれば事足りる。
矢の数は二十本。
白い狼の数と同じくらいだ。
(全て捌けるか?)
ネイノートの額を冷や汗が伝う。
カノンカは背後から狼の声を聞いた。
音の方を見れば矢の刺さった狼が横たわっている。
少年の声が響く。
不意の事で彼女には何を言ってるかわからない。
でも味方がいることが嬉しかったのだろう。
落としかけの武器を握り、声の方を向く。
彼は場所が知れてしまうというのに大きな声で叫んだ。
レシュノアら三人は力の限り走った。
途中で何かとすれ違った気がするが分からない。何かを叫んでいた気がするが覚えていない。
真っすぐ、唯只管真っすぐ。
息が切れ、体力が限界に近づく頃、彼らは眼前に小屋が立っていることに気が付いた。
「助かった!!」
こんな身体状態で襲われてはどうしようもない。
そう思ったレシュノアは、急ぎ小屋の前で叫ぶ。
「おい!あけろ!」
焦りと恐怖から高圧的な態度になってしまった。いや、彼はもとからこうだったか。
言葉をとっかえひっかえ何度か叫ぶ彼に、ルルムスが声をかけた。
「さっきの子が言ってた小屋じゃない?」
そういえばそんなことがあった気もする、と、レシュノアは思い出す。
彼は一呼吸して気持ちを落ち着け、戸を開けた。
中は意外と快適そうに見える。
数は少ないが椅子に机、寝台もあった。
中央の炉には火が付いていて、何かの肉が香ばしい匂いを漂わせている。
狸か何かの肉だろうか。
夕食もまだであり、精神的に追い込まれていたレシュノアは、迷いもせず肉を掴み取った。
「ちょっと!勝手に食べたら……」
彼はルルムスに止められたが、思いのほか肉が美味しくて手が止まらない。
彼女は何度もレシュノアを止めたが、ヤーチェに果物を手渡され共に食い物へ齧りつくことになった。
暫くして時が経ち、肉と果物を食べ終えた彼らは、外に注意を払いながら何が起きたか整理する。
とはいってもあのような魔物がなぜこんな浅い所にいるのか、いくら悩んでも答えは出ない。
ホワイトウルフの群れと戦闘になった。
最初は順調だったはずだ。
レシュノアは剣技、ルルムスは攻撃魔法、ヤーチェは短剣でどんどん倒していく。
しかし思ったよりもホワイトウルフの数が多く、予定よりも時間がかかってしまった。
やがて水汲みから戻ったルモウドと共に、一気に殲滅しようと前に出たのだ。
その結果があれだ。
レシュノアたちは誘い込まれるように赤い狼の前に飛び出す。
驚く間もなくルモウドは噛み殺されてしまった。
レシュノアは咄嗟に腰につけた銃に手を伸ばし……
火が弾ける音だけが流れる中、ふとレシュノアが呟く。
「あいつも試験、受けてたよな……?」
彼の視線は火を見つめている。
あいつとは先ほどすれ違った少年の事だろう。
「確か……ネイノートっていってたきがするよ」
そう、確かそんな名前だ。
人心地ついて漸く思い出す。
態度がなっていない無礼な平民だった。
レシュノアの中でふつふつと熱いものが湧き上がる。
自分が不便な思いをしている間に、こんなに快適な生活をしていたのか。
自分が干し肉をかじっている間に、こんなにうまい肉を食べていたのか。
(平民の癖に……!)
やり場のない怒りをぶつけられる物を探すべく、血走った眼であたりを見渡す。
すると見慣れない物が目に入った。
それは三角形の小さな石だ。
「これは……鏃……か?」
貴族の英才教育が無かったら分からなかっただろう。
うろ覚えの知識では、一昔前の狙撃武器、矢の先端に付ける物のはずだ。
ならばあいつは弓を使うのだろうか。
鏃が置いてある隣には、戦利品なのか動物の毛皮や羽が置いてある。
しかしよく見れば、魔物の角や牙といったものは見当たらない。
レシュノアの口から笑いが零れる。
「ふ……ふははは!時代遅れの弓使いか!どうせこの六日間も此処に籠っていたに違いあるまい!野生動物だけを狩る臆病者の弓使いか!はははは!」
全て彼の憶測でしかないが、怒りと疲れで参っていたレシュノアはネイノートを侮辱することで、精神の安定を図る。
どうせ本人はいないのだと散々に扱き下ろす。もしいても文句は言わせない。
(私は貴族なのだ!)
今の彼に感謝の気持ちはなく、あるのは貴族の驕りと身勝手な怒りのみ。
レシュノアの性格をよく知るルルムスは、何時もの事だと半分は聞いていない。
だが、彼の口をついて出たこの言葉は、後に大きな禍根を残すこととなる。
監視する者は全て見ていた。