ムトの森
風の翼は今、貿易都市スウェルマーニの南にある森に来ていた。
ネイノート、カノンカ、ロンダニア、ウィンの三名一羽だ。クロツチは今回も来ていない。
この森は『ムトの森』と呼ばれ、名前の通り『ムト』が多く生息する。
ムトとは四足で頭には大きな角が生えおり、長い体毛のおかげで寒さにも強く、草食なため草木が生えるいたるところに生息する生き物だ。
その肉は柔らかくて癖もなく食べやすいので、王国では比較的メジャーな食材となっている。
事の始まりは、ネイノートが大通りを歩いているときだった。
「おう!坊主!久しぶりだな」
声の主は、ネイノートが王国入りした日、ムト肉の串焼きを売ってくれた出店の店主だった。
冒険者になって以来、ネイノートは弓を隠さずに持ち歩くことにしていて、周囲はそれを見て驚いた。
当然店主もそれを見て驚く。
しかし、直ぐに最初出会った時のように接してくれたので、ネイノートも好感を持つようになる。
あの後もネイノートは、何度かこの店に足を運びムト肉の串焼きを買っていた。
前に買ったのは火竜討伐隊護衛任務の前だろうか。
出店の前まで歩み寄る。
食欲を掻き立てる匂いはしているが、それはムト肉ではなく植物の蕾のようだ。
熱した鉄板の上でころころと転がる小さなそれを見て、ネイノートの眉間にしわが寄る。
その様子を見た店主はバツが悪そうに笑った。
「こいつぁ『ザグ種』っつうんだ。実は今、ムト肉をきらしててよ」
ムト肉は高級店から大衆食堂まで、幅広く使われている食材だ。
この店主がそんな食材を仕入れ忘れる筈がない。
「何かあったのか?」
「王国で使われるムト肉ってのはスウェルマーニの南にある森で取れるんだがな……なんでもその森からムトが姿を消しちまったらしいんだ」
その森こそ『ムトの森』と呼ばれている。
ネイノートは好物になったムト肉の串焼きの味を思い出しながら、店主に提案した。
「俺が狩って来てやろうか?」
ネイノートは森の狩人だ。
今は王国に住んでいるが、狩りの腕には自信がある。
また、新しくパーティーメンバーに入ったロンダニアの弓矢の練習にもなるだろう、という考えもあった。
「お……おう、そいつは嬉しいんだがよ」
年端も行かない少年と思ったのだろう。店主は言い淀む。
自分の事を何も話していないと気付いたネイノートは、自身が冒険者ギルドに身を寄せる者であると伝えた。
「なるほどなぁ、そうかもしれないとは思っとったが……お前さん噂の“臆病者”だな?」
店主はにやりと笑いながらそんなことを言った。
冒険者からの噂なのか、商人からの噂なのか定かではないが、その声音に嫌悪感は抱かない。
むしろ同じパーティーに『賢者様』ことカノンカと、『平民の味方』ことロンダニアがいることで、信用してくれたようだ。
頼むよ、といわれ『ザグ種炒め』を渡されたネイノートは、それをつまみながら太陽と月の遊び場に戻った。
このとき、彼の好物にザグ種炒めが追加されたのは言うまでもない。
ムトの森に入るとネイノートとウィンはいつものように狩りを始める。
ウィンは索敵魔法を展開し、ネイノートは耳と鼻で周囲を探る。
しかし彼らの捜査網でもムトらしき動物は引っかからなかった。
「本当にいないな……」
ウィンは空に舞い上がり、上空からも様子を見てみたが、それらしい影は見当たらない。
まだまだ表層だからだろうか。
彼らが少し奥に進むと、ウィンの索敵魔法に何かが引っかかった。
そこにいたのは『ゴブリン』だ。
子供と同じくらいの体躯に、オークと同じく布一枚または丸裸の服装。顔の醜さもオークに負けず劣らず……の筈なのだが、そこにいたゴブリンは少し変わっていた。
身に着けているものは、立派とは言えないがちゃんとした鎧であり、更には群れを成していたのだが、その行動は恐ろしく統制が取れている。
「ゴブリンか?珍しくはないが……どうしたものか」
ロンダニアはネイノートの視線を追うとゴブリンを確認する。
「五匹いるが、倒せるか?」
「鎧は着ているが余裕だろう。F級でも十分勝てる相手だ」
言うや否な彼は弓を構えると、群れの一番後ろを歩くゴブリンに狙いを定めた。
一呼吸置き、一射。
木々の間を縫い飛ぶ矢はゴブリンの胸に突き刺さ……らない。
群れのリーダーだろうか。
五匹の中で一番重装備のゴブリンが、最後尾のゴブリンを庇うように前に出た。
身に着けているその鎧は思ったよりも頑丈で、飛来する矢を弾く。
「おいおい!ゴブリンがあんなことするなんて聞いたことないぞ!?」
ロンダニアは驚きながらも二射目を射る。
が、一射目に警戒を強めたゴブリンの群れは、忙しなく走り出していた。
勿論矢は空を切る。
弓矢で動く標的を狙う場合、大事なのは洞察力と想像力だ。
動きの癖や、筋肉の動きを感知し、その先を予想して射らなければならない。
銃ほどの速度が出れば必要ないかもしれないが、矢の場合は非常に大事になる。
この予想が外れれば、当たり前だが矢は的を外すことになるのだ。
ロンダニアの洞察力と想像力は、ゴブリンのスピードに対応できていなかった。
固定観念というのもあるだろう。
これまでのゴブリンとは明らかに動きが違く、その差が激しいために行動を読むことが出来なかった。
「恐らく何本撃っても無意味だ……しかし、なぜ奴らは攻めてこないんだ?」
五本目の矢を番えていたロンダニアは、悔しそうに俯く。
その間もゴブリンは、止まらないように木々の間を走っているが、その場から走り去ることはしない。
「言われてみれば妙ね。ゴブリンなんて馬鹿の一つ覚えみたいに、突っかかってくるしか能がないのに……」
カノンカの情報によりネイノートの中で導き出される可能性は二つ。
相手が逃げるのを待っているか、援軍が来るのを待っているか。
前者なら然程問題はない。
こちらの都合が悪くなったら逃げればいい。
だが後者はかなり危険だ。
相手の実力は未知数であり、いくらゴブリンとはいえ数が集まればどうなるか分からない。
ホワイトウルフに囲まれた時を思い出したのか、ネイノートとカノンカが顔を顰めた。
「……今は関わるのを止めよう。とりあえずスウェルマーニまで戻るぞ」
暫し考えたネイノートは、森の探索を取り止め帰還することを選んだ。
何とも言えぬ違和感を感じた二人も頷き、彼の後に続き帰路についた。




