囚われし心
弓を構えるネイノートの体は震えていた。
先の一射は幸運による一射だった。
もし失敗したら……それを思い出すだけで、矢を引く彼の手が震える。
ネイノートは黒い剣を持っているタイロンが、態々近くのオーガ兵から剣を取り上げるのが見えた。
それを見た時、反射で体が動く。
即座にサラシャ、クラストと、タイロンの直線上に三本の矢を放った。
その一射は、彼が初めて標的を目視せずに撃った一射であり、三つの幸運のおかげでサラシャの命を救う。
一つ目の幸運は、刀身の腹がこちらを向いていたこと。
二つ目の幸運は、矢の速度と剣の速度が噛み合ったこと。
最後の幸運が、三本の矢の一本が剣にあたったこと。
どれか一つでも起きていなければ、今頃投擲された剣はサラシャの体に突き刺さり、彼女は魔王軍のど真ん中で地に落ちることになっていただろう。
ネイノートは頭を振ると、狙うことを止め、魔王軍に向けて矢を放つ。
その結果を見ることは無く、大きく深呼吸をすると改めて矢を番えた。
再び狙撃を始めたネイノートの隣で、ロンダニアは周囲の兵士に向け号令を飛ばす。
「弓兵団は空を飛ぶ魔物を狙え!落ちる矢の位置に気を付けろ!魔法使い達は城壁に近い敵を!門が開くまで死守せよ!」
皆が応と答え、指示の通りに行動を始めた。
その統制のとれた動きは、その場限りの物とは思えない。
城壁は傷を増やしていくが、魔法人形、城壁を狙う魔物、共に着実に数を減らしている。
ネイノートが最後の火竜の矢を打ち放つころ、クリスタルウルフもまた、最後の魔法人形を切り裂いた。
「よし!ロンダニア!号令だ!」
ネイノートの叫びに続けて、ロンダニアが下に向かって叫ぶ。
「ゴーレム全滅を確認!直ちに全軍突撃せよ!」
その言葉が言い終わる前に、門を閉じていた落とし戸が上がっていく。
門の前で集まる兵士に向け、ギルドマスター“グランド”の声が響いた。
「戦士達よ!友は約束を守ってくれた!ならば我らの成すことは唯一つ!声をあげよ!剣を振れ!銃を打ち鳴らせ!これが最後の戦いである!」
遂に落とし戸が全て開き、兵士が駆け出した。
もはやこの戦争の終結無くして、ここに戻ることはない。
戦場へ向けて王国軍の塊が雪崩込む。
クラストはサラシャを乗せ、城壁を目指して走り出す。
だが、魔王軍もそこまで彼を自由に動かしてはくれなかった。
黒い影が彼の進行を妨げる。
「む?……“ユオネシオ”か」
現れたのは、空間通門の魔法を使って援軍を召喚していた吸血鬼。
彼は笑いを漏らし口を開く。
「フフッ、お久しぶりです。クラスト、サラシャ様」
魔法人形を全滅させられたというのに、その声に慌てた様子は窺えず、むしろ喜んでいるようにも感じる。
飄々とした態度に腹を立てたサラシャが叫んだ。
「貴方程頭の良い人がいて、なぜこんなことになったのです!」
先の会議の後、サラシャはクラストより彼らの役目を全て聞いていた。
ならば彼と火竜も、戦争は望んでいなかった筈だ。
ユオネシオはサラシャの問にゆっくりと返事を返す。
「何故?むしろ聞きたいのは私の方ですよ。何故貴女達はそちらにいるのです?」
その言葉にサラシャとクラストは顔を顰めた。
周囲の兵士はサラシャとクラストを無視して、城壁から飛び出してきた兵士目掛けて走っていく。
ぽっかりと空いた円の中心で、吸血鬼は両腕を上げ空を仰いだ。
「魔王様は勇者に打たれました。それは致し方ないことでしょう。魔王様の理想の為には必要だったことです」
降りしきる雨が彼の顔を伝い、まるで涙のように見える。
悲しみを込めた言葉。
だが突如、彼の声音が変わった。
「ですが何故、我々もそれに従わねばならないのです。何故魔王様を亡き者にした者と、仲良くしなければならないのですか?」
「それが……父の悲願だったからです」
人間とまた仲良く暮らせる世の中に。
それが魔王である父が願った世界。
素晴らしい世界だ。
違う種族が共に手を取り、助け合いながら暮らしていける。
夢物語という者も多くいた。しかし……
サラシャは臆面もせず胸を張る。
彼女のその言動を見て、吸血鬼は様子を更に一変させた。
「ハハ……ハハハハハ!悲願ですか!貴女の父を殺した奴等と?仲良く手を繋いで?ハハハ!お目出たい頭でいらっしゃる!」
「不敬が過ぎるぞ!ユオネシオ!!」
明らかに蔑む発言をするユオネシオを、クラストが窘める。
今にも噛みつかんとする仕草も意に介さず彼は続けた。
「魔王様は無抵抗のうちに殺されました!悲しかったでしょう!遣る瀬無かったでしょう!ならば、我々は教えてあげねばなりません。愚かな人間どもに、己が起こした愚行を!戦う戦士を殺し、無抵抗な民を殺し、最後は愚かな王を、魔王様の墓前で頭を下げさせながら、腸を引きずり出す!それこそが!我々魔族が取る、魔王様への追悼になるのではありませんか!?」
ユオネシオの眼は血走り、口端が吊り上がる。
その姿は、狂喜に染まった笑みを浮かべる吸血鬼だ。
喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。
目まぐるしく変わる感情は、傍から見ても情緒不安定と分かる。
魔王に仕えていた……四本指だった時の彼は、こんな人物だっただろうか?
そこでサラシャとクラストは一つの結論に思い至る。
「貴方……まさか……」
サラシャは悲しむ目でユオネシオを見る。
クラストの眼も何処か憐れみを抱えていた。
「えぇ、魔物の血にこの身を委ねました。魔王様が死んだ時にね。なんか……抵抗するのも馬鹿らしくなっちゃいましてね……」
ユネシオは大げさな身振り手振りで乱れた身嗜みを整える。
そこにはかつての、四本指に選ばれた吸血鬼の面影があった。
「まぁ、邪魔者は全力で排除するまでです。タイロン様の目的のためにも、貴女達にはここで死んでもらいます」
言い終えるや否や、彼は自身の手首を長い爪で切り裂いた。
鮮血が零れ地面に黒いしみを作っていく。
するとその血は驚く速度で凝固し、赤褐色の剣となった。
それを手に持ち、吸血鬼は高笑いを上げる。




