漆黒の軍団
一人の兵士が剣を振り下ろした。
手に伝わる嫌な感触と、耳に聞こえる悲鳴で、気が狂いそうになる。
目の前のゴブリンは命を終え、肉の塊となって崩れ落ちた。
脂汗が止めどなく流れる。鎧の中は蒸し暑く、まるで火で焙られているかのようだ。
辺りに漂っていた血の匂いが濃くなった気がして、吐き気がこみ上げる。
それを気合で押さえ込み、再び切れ味の落ちた剣を握り締めた。
周りを見れば皆鬼のような形相で斬り合っている。
ある兵士が、ゴブリンを斬り殺した。
その兵士は、オーガに斬り殺された。
そのオーガは……
延々と繰り返すその様子を、他人事のように見ていた兵士は、耐えがたき激痛と共に意識が途絶え、地面に倒れた。
カノンカは『剣星』“ガンゼオラ・バグナックス”と、『賢者』“メイレイ・ヒュエリエ”と共に、魔王軍の兵を蹂躙していた。
蹂躙といっても、数だけで言えば精々一か二が彼女の倒した数で、残りの九、八がメイレイ、ガンゼオラが倒した数である。
二人はまるで、誰もいないかのように、ゆっくりと歩くその足を止めることはない。
ゴブリンがガンゼオラに殴りかかると、彼の右腕がぶれて、次の瞬間ゴブリンの頭と胴体が切り離される。
眼にもとまらぬ早業。
それを見た兵士は皆、味方である彼に恐怖する。
その技術もさることながら、彼が味方から恐怖される理由は他にあった。
穏やかな笑顔なのだ。
まるで孫と世間話でもするかのような笑顔。そんな顔をしながら当然のように命を奪っていく。
普通であればその姿に恐怖し、立ち尽くしたり、逃げ回ったりするのだが、魔王軍の兵士は魔物の血が暴走していて、恐怖を感じることはない。
ガンゼオラがゴブリンを切りつけた時、隙を狙ってオーガが両手剣を振り上げる。
だがその剣は振り下ろされることなく、そのまま腕から離れて地面に刺さった。
ガンゼオラは持っていた剣を放り投げ、地面に刺さった両手剣を片手でつかみ取る。
彼が使っていた剣は、唯の鉄で出来た両刃の剣である。
業物、伝説級の刀剣の類を使わないことに、疑問を感じる兵士もいるが、それらの剣は、強大な数人の為に抜く物であって、万を超える大軍相手に振り回す物ではない。
直ぐに血で錆びつき、使い物にならなくなるだろう。
だから彼は、何体か敵を倒すと、敵の持っているまだ使えそうな剣をつかみ取る。
腰に差してある愛刀は、魔王の為に取っておかなければならない。
剣は五本も取り換えただろうか。
敵の兵士は依然、ガンゼオラに向かって唯愚直に武器を振り上げ、殺されに向かっていく。
人外と名高いS級冒険者といえど、中身は人間。
命あるものを殺す度に心が痛む。
(人ならば笑みで逃げてくれるのだがな……)
朗らかな顔をしていたガンゼオラも、次第に顔から余裕がなくなっていった。
それでも敵兵は、斬っても斬っても湧いて出てくる。
まるで巣の近くに落ちた飴に群がる蟻の大群。
それを斬り伏せる度に、ガンゼオラの心に新たな傷が出来る。
必死に剣を振うガンゼオラに声がかかった。
「貴方だけ活躍してずるいじゃない」
それはメイレイの物。
声音は決して戦場で出すようなものでは無い。
彼女の態度はいつも飄々としている。
今も苦痛に顔を歪ませる剣星とは打って変わって、その顔は涼やかな笑顔だ。
それは力による自信からなのか、それとも何か考えあっての事なのか。
メイレイは踊るように手を前にかざすと、魔法の詠唱を唱え始めた。
「火の聖霊よ。哀れな魂に慈悲の炎を。せめてその姿も残らぬように……第三節詠唱魔法『火炎薔薇』!」
詠唱が終わると、三人の前方で、赤い赤い薔薇の蕾が芽吹いた。
それは浄化の炎で作られた造花。
触れるだけでその体は燃え上がり、醜い姿を消し去っていく。
消した命を養分に、蕾だったものが少しづつ花開き、やがて満開となった。
完全に花開いた薔薇は暫くすると、一枚一枚花弁が散るように、風にまかれて消えていく。
そこには死体など残らず、あるのは少しの焦げた臭いだけ。
黒い絨毯にぽっかりと空いた茶色い穴は、直ぐに黒で塗り潰される。
うんざり、といったように、メイレイは大きなため息をつくと、次の魔法を唱え始めた。
カノンカは前に立つ二人の後ろで、懸命に剣を振っていた。
彼女の魔法剣は刃こぼれを知らない。
刀身からにじみ出た魔力は、刀身の表面を覆って血をはじく。
その癖に鎧の上から両断できる程の切れ味を有するのだ。
正に大軍向けの武器といえるだろう。
それを使い熟す彼女もまた、大軍向けの兵士である。
残念な点は、まだ技術が成熟していないところだろうか。
それは彼女自身もよくわかっていた。
故に彼女は、剣星と賢者の動きをよく観察し真似る。
剣星の剣捌き、体捌き。
賢者の魔力操作、威力調節。
それら全てが、彼女の地力を上げていく。
今はまだ必死に戦う雛鳥。
だがその伸びしろに、ガンゼオラ、メイレイは笑みを向けた。
突如、正面から強い殺気を感じ、三人は足を止めた。
姿は見えない。相変わらずゴブリンとオーガしか見えていない。
少ししてその異変は起きた。
空間に現れた真っ黒い穴。
そこから一人の男が顔を見せる。
「これはこれは、剣星様に賢者様ではありませんか」
軽く茶化すような口調と態度。
そのふざけた態度とは裏腹に、強者であるとはっきりわかる程の魔力が溢れ出ている。
恐らく彼が使っているであろうその魔法は『空間通門』といわれるものだ。
これは空間移動とは違い、自身以外のものを運ぶことが出来る。
それが意味するものは、即ち……
空間に更に二つの黒い穴が現れた。
男は口元を歪ませ、前に歩み出す。
貴族のような衣服を身に着け、金色の長い髪は一つに束ねてある。
整った顔立ちに……大きな蝙蝠の羽根。
彼こそは、噂に名高き吸血鬼。
知能、魔力、身体能力、全てが人間を上回る闇の支配者。
吸血鬼が高笑いしながら羽根を大きく広げると、黒い空間から奴等が姿を現す。
黒い素体に光る腹部。人間の倍近くもある巨大な体。
ネイノート達が以前戦った魔鉱石の魔法人形だ。
突如現れた漆黒の軍団は、意気揚々と剣を振っていた王国兵を一蹴する。
辺りの王国兵は悲鳴を上げ、男はその様子を楽しそうに眺めていた。




