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戻ってきたトゥーレアスに今後のことについて話し合いたいと申し出れば、とても驚いたような顔をされた。
それから向き合うように座らされているのだが、ふたりの間に漂う空気はお世辞にも和やかとは言い難い。
「……で?」
不機嫌さを隠そうともしない低めの声が柚莉の耳に入る。
どう見てもトゥーレアスの機嫌はさっきから下降の一途を辿っている。不機嫌そうな顔はだいぶ見慣れてきたが、ひしひしと伝わってくる不穏な空気が居心地悪い。
「言いたいことがあるなら早くしろ」
柚莉がためらってると、話の先を促される。
(なんでこんなに不機嫌なのよ……)
威圧感たっぷりのトゥーレアスを前に、意気込んでいたはずの柚莉は考えていたことのひとつも言い出せずにいた。
「今後について、だったか」
その言葉に柚莉は俯いたまま首を小さく縦に振る。
「何が不満だ?」
「……」
口を開くことなくそろそろと顔を上げると、柚莉を見つめる青い瞳とばっちり目が合う。
(ひーっ! 睨まてるぅ!)
動揺のあまり速攻で顔を背けた柚莉は悪くないはずだ。
「あ、あの」
冷や汗をかきながらも何か言わなければと焦る柚莉は余計に挙動不審に陥る。
「……生きていれば、どういう状態でも構わない」
「ふへ?」
脈略もなく、しかもとてつもなく不穏な言葉が聞こえた気がして、柚莉は聞き間違いかと自分の耳を疑った。
しかし聞き間違いではないとすぐに悟った。トゥーレアスの次の言葉によって。
「極端に言えば生かして側に置いておけばいい。ユーリはわかっているのか?」
「……え?」
「俺は最初に言ったはずだ。ユーリは魔石代わりだと」
「魔女、だということ?」
「そうだ。ユーリは魔石とは比べ物にならないくらい多くの魔力を持っている。そして魔石が使い捨てに近いのに対し、ユーリは休めば魔力も回復する。生かしておけばいくらでも利用できる」
「利用……」
「魔女の存在が他に知られるとどうなると思う?」
さすがにそこまで言われれば柚莉にもわかる。
魔女を手に入れたいと思う人間が出てくるということだ。魔石代わりの便利な『モノ』として。
ザッと血の気が引く。
柚莉が理解したことを確認して、トゥーレアスは口を開いた。
「食事や休養は与えているし拘束もしていない。もう一度聞くが、何が不満だ?」
トゥーレアスの突き放したような言葉に柚莉は愕然とした。そして、そもそもの前提が間違っていたことを悟った。
柚莉とトゥーレアスは対等なんかじゃない。
言葉をなくした柚莉にトゥーレアスは続ける。
「言っておくが、逃げ出そうなどと考えるなよ。お前みたいな育ちの良さそうな何も知らない子どもが、ひとりで生きていけるほど世の中甘くない。魔女だとバレれば余計に、な」
トゥーレアスからのありがたい忠告により意気消沈した柚莉は、反論することもなくそのままその場で夜を明かした。
もぞりと体を動かせば、見覚えのない布が自分の上から音もたてずに滑り落ちる。
「……あれ? 朝?」
うっすらと開いた目に入ってくる光は、直射でない分穏やかなものである。上空や辺りにひしめく木々や葉が、眩しいはずの日差しを遮っているのだろう。
考え込んでいたはずが、いつの間に寝入ってしまったのか。
柚莉は落胆の気持ちを隠せずにため息をこぼした。
確かに体はへとへとで休息を求めていた。しかし気分は最悪で、心穏やかに眠れる状態ではなかったと言っていい。
寝たふりをして次の対策を立てようといろいろと考えていたのだが、どうやら途中で睡魔に負けてしまったようだ。
「起きたか」
のろのろと上半身を起こすと、背後から声をかけられてびくりと肩を揺らす。
「あ……お、おはよう」
「ああ。よく眠れたか?」
気まずい思いをしている柚莉とは違い、トゥーレアスは何事もなかったかのように話しかけてくる。
柚莉は小さく頷き返し、ゆっくりと座り直した。たったそれだけの動作で体全体に鈍い痛みが走る。
草が生えていたとはいえ地面の上に直接寝ていたせいだろう。歩き通しで酷使した足もすでに筋肉痛だ。
「あの、これ……」
体にかけられていたと思われる布を柚莉はそっと持ち上げた。少し厚手のしっかりとした生地で、着ている服とは作りが違う。
トゥーレアスはちらりとそれに視線を向けた。
「ああ。そのマントはユーリ用だ。着ていろ。朝は冷える」
「…………ありがとう」
言われれば若干肌寒さを自覚する。柚莉は遠慮なくマントを身にまとった。
寝ている間、柚莉は着の身着のままでいたにもかかわらず特に寒いとは感じなかった。もしかしてトゥーレアスがマントを布団がわりにかけてくれていたのか。
(冷たいんだか、優しいんだか)
昨夜の発言はどうかと思うが、一応はこのまま同行者として扱ってくれるようである。
しかし。トゥーレアスの態度はどうもおかしい。
気のせいかもしれないが、柚莉の扱いに戸惑っているように見えた。
柚莉を喚んだのはトゥーレアスで、喚ばれた理由も聞いた。その理由を疑う訳ではないが、召喚自体オリジナルだと言っていたし、かなりの準備と労力を必要としたはずである。
それなのにどうして。
なにより追い立てられるように移動する必要があるのだろうか。最初から誰にも見つからない場所に召喚なり転移なりしておけばよかったはずだ。
(何か隠してる?)
柚莉はトゥーレアスをちらりと横目で見る。彼が全てを話してくれているとは思っていない。信用していないのはお互い様なのだから。