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考えてみれば、争いも少なく平和な時代と場所に生まれ、親の庇護下で育った平凡な女子高校生に出来ることなんて限られている。
それはこの世界でも同じだ。
いや。もしかしたら今まで当たり前だと思っていた常識も知識も使えない分、状況は悪いのかもしれない。
なにしろ柚莉は現在進行形で、役に立つどころか足手まとい真っ最中なのだから。
少し離れた場所にいるトゥーレアスの後ろ姿を、柚莉は食い入るように見つめていた。
何が起こったのか、目の前で繰り広げられた光景が信じられなくて動けない。というか、腰が抜けて座り込みそこから動けないのだが。
「大丈夫か?」
振り向いたトゥーレアスに、柚莉はかろうじて頷いて返した。
辺りに散乱するものを直視したくなくてトゥーレアスだけを意識的に見ているのだが、さすがに無理があるようだ。トゥーレアスにぶった切られたモノが視界の端に入る。
ところどころ焦げ目のついた黒い毛皮を纏った大きな獣のなれの果て。
「熊、だった」
「ベアーだ」
「だから熊でしょう?」
「違う。ベアーだ」
ここにきて言葉が通じないとかどういうことだと柚莉は首を傾げた。
今まで不都合なく通じていたと思っていた日本語だが、どうやら違うらしい。それをトゥーレアスに告げると、少し考えた後答えをくれる。
「ああ、こちらの言葉がわかるようそれも召喚陣に組み込んだな」
トゥーレアスと会話が成り立っているのは、召喚陣に組み込まれていた自動翻訳機能のおかげだったということだ。
言われれば当然だ。ここで日本語が問題なく通じている方がおかしい。
「ユーリの言葉はちゃんとこちらの言葉に聞こえている。逆にこちらの言葉はユーリの世界の言葉に聞こえているだろう? ただ……ユーリの名前は珍しいし少し発音しにくい。そういったことが多少あるかもしれないな」
固有名詞が翻訳されないということだろうか。その判別がよくわからない。
しかし気になることができたおかげで目の前の惨状にばかり気を取られなくてすんだ。
辺りに充満する生臭い血の臭いに頭がくらくらする。
トゥーレアスは小型のナイフを手に、殺したばかりのベアーなるものに向き合っていた。
熊にしか見えない獣に襲われそうになったのは柚莉だった。
ひとりだったら間違いなく殺されていた。
わざわざ異世界から召喚までして得た柚莉を失うわけにはいかなかったのだとは思うが、助けられたのは事実である。
「助けてくれてありがとう」
お礼を言うと、一瞬トゥーレアスの手が止まった。
もしかしてお礼を言われるとは思ってもみなかったのか。
「いや……」
柚莉の耳に小さくそれだけが届いた。
トゥーレアスはベアーの肉をひと固まり手にすると、残りの部位を魔法の炎で消し炭に変えた。死骸をそのまま放置するのは良くないのだろう。
血の臭いとは違う焦げた臭いが辺りに充満する。
「立てるか?」
「うん……多分なんとか」
柚莉は足に力が入るか確認しながらゆっくりと立ち上がった。立てたことに安堵の息を吐く。これ以上の足手まといは絶対に避けたい。
しかし体力も気力もそろそろ限界だ。
ちらりと視線を向けると、トゥーレアスは肉片を布に包んでいる。
目の前の人物はそんなに悪い人ではないのかもしれない、と柚莉は思い始めていた。
今後どんな扱いになるのか不安だらけだが、今のところ非道な真似はされていない。柚莉を懐柔しようとしている可能性も全くないとは言い切れないが、全て疑ってしまうことが正しいとも思えなくなっている。
ベアーとの遭遇現場から離れて、多少ふらつきながらもなんとかトゥーレアスの後を追う。小屋からはかなり歩いたと思うが、周りの景色はほとんど変わらないように見えた。
体力の無さを痛感する一日だ。帰宅部に逞しさを求めてはいけないというのに。
「今日はここで休む」
少し拓けた場所に着くとトゥーレアスがそう宣言した。そこはまだまだ森の中である。つまりここで野宿をするということだろうと柚莉は頷いて同意する。
キャンプといったアウトドアとは無縁の柚莉は、ここでも役に立ちそうもない。
柚莉は邪魔にならないようトゥーレアスから離れすぎない場所の木の根元に崩れるように腰を下ろした。
幸いなことに気候は暑くもなく寒くもない。季節で言えば秋とか春のようだ。野外だが一晩くらいどうにか耐えられるだろう。
木の幹に寄りかかり少しだけのつもりで目を閉じていたらいつの間にか眠っていたらしい。軽く肩を揺さぶられて柚莉は目を開けた。
「夕食だ」
目の前に固そうなパンと、串に刺された状態で焼かれた肉が差し出される。
「ご、ごめんなさい。私……」
いつの間にか焼き上がっている肉を見て、手伝いすらしなかったことに慌てて謝る。
「構わない。いいから食べろ。俺は先にすませた」
「うん。ありがとう」
柚莉は素直に食べ物を受け取った。お腹は空いている。空いているが。
「あの」
「なんだ」
「喉、乾いて。何か飲み物あるならもらえる?」
さすがに喉が乾いて仕方がない。いくらなんでも水くらいは持っているだろうとトゥーレアスに言うと、彼はするりと視線をそらした。