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09 ご近所さんとバレンタインデー

 2月14日。

 聖なる愛の日、バレンタインデー。

 毎年カップルの間を奇声を上げて通過しぶち切ってやりたいと思っていたその日も今年ばかりは勝手が違った。

 だってそう、今年は!

 俺にも彼女という素晴らしい存在ができたからだ。神様ありがとうカナエの次に愛してる!


「あ、コウスケさん。これあげます」

「え」


 高鳴る胸を抑えられずに意気揚々と家を出たところで、それをぶち破るように近所の春樹が俺を呼び止めた。

 差し出す手にはラッピングされた箱……って、……え?


 おい。

 おい待て。

 いつも可愛くないことばっかり言って俺の繊細なハートをえぐるこいつの態度に常々「もう少し可愛くなれよ」とは思ってた。思ってたよ?

 でもこういうフラグはいらないぞ神様……!?


「何を考えているのかは大体分かりますし僕にとっても不本意です」


 むっつりとした表情で春樹は冷めた視線を突き刺してくる。

 だが今回ばかりは俺だって負けていられない。


「いや、だってよ、この中身は何だよ?」

「……チョコですね」

「ほらぁ!?」


 疑う余地なくね、マジ俺今ピンチじゃね?

 そもそもこんなところを見られたらカナエになんて誤解されるかたまったもんじゃねぇ!


「じゃ、俺は急ぐから」

「待ってください」

「ぐえっ。マフラーを引っ張るな、首が絞まるわ!」

「物理的に当たり前です」

「だからやるなと言っとんじゃ!」


 ああやっぱり可愛くない。

 たとえこの日にチョコを持っていようがこいつはちっとも可愛くない!

 というかこの日にチョコを持ってくるだなんてむしろ悪意しか感じないぞこら。


 だけどそんな俺を一瞥し、春樹は小さくため息をついた。


「……あのですね。一応でいいので持っておいてください。僕が作りましたし味は保証します。ただ、いいですか、できるだけ最後まで食べないでください。今日が終わったら捨てても構いません。どうするかはコウスケさんの自由です。貰ったからにはコウスケさんのものですし、僕には何ら他意はないのでその辺はよく覚えておいでください」

「お、おう……?」


 訳の分からないことをまくしたてられ、俺は勢いでその箱を受け取った。

 よく見たらこいつの耳や鼻は少しばかり赤くなっていて、寒がりなくせに俺が出てくるのを待っていたんだと分かったからなおさらだ。

 受け取ったのを確認した春樹は困ったような複雑そうな笑顔で「それではご武運を」とこれまた意味の分からない言葉を残し――後からやってきた弟の大樹と学校に行ってしまった。

 一人残された俺は箱を鞄に押し込みつつ、冷たい風に身をすくめる。

 意味が分からないが、……何だか出鼻を挫かれたが、まあ、いい。

 とにかく今は戦場という名の学校に行くのみだ。





 学校に着いて俺はしっかりと息を吸い込んだ。さあ、戦の始まりだ。

 ……俺の近くで靴箱にチョコが入っていたなどと抜かしている輩がいる。当然俺のところにはない。

 だがそれでも俺は嫉妬なんて醜い感情は持ち合わせていない。今の俺にはそんなこと些細な問題だ。

 いや、そりゃ、たくさん貰える奴はマジで爆発しろと思うけどな。ちくしょう自慢してんじゃねぇぞ世の中顔じゃねぇよハートなんだよバカヤロウ。


「あ、カナエ!」


 遅れてやって来た――俺より遅いのは珍しいけど俺がちょっと浮かれて早く来すぎたのかもしれない――愛しの彼女に笑顔を向ける。

 速まる鼓動を止められない。いや止まったら死ぬけどさ。でもこの場でチョコを貰えたらそれも本望かもしれない。ハハハ落ち着け俺、浮かれすぎだ。


 と。


「コウ、スケ」


 予想外に顔を引きつらせたカナエはマフラーをぐいと上まで引き上げ、それから慌ただしく俺の横を通り抜けていった。

 「ごめんね、ほら、遅刻しちゃうよ」などと言いながら俺を見ずにクラスの方に駆けていく。


「……え?」


 2月14日。バレンタインデー。

 彼女に、逃げられました。



「何でだああああ!?」

「コウスケうるせー。落ち着け、どうどう」

「うっせバカワシギ! お前に俺の気持ちが分かるか!? バレンタインに彼女に避けられ続けてるこの俺の気持ちが!?」

「とうとう愛想尽かされたんじゃん?」

「死ねよ今すぐ」


 不吉なことをさらりとした梅酒も真っ青な勢いで言ってんじゃねぇ。

 マジで。苦しみながらのたうち回れ。


 だけど本当に意味が分からない。

 カナエはクラスにいても顔を合わせてくれない。話しかけようとしても用ができたとか言ってすぐに離れていく。

 昼休みだって会話なんて全然なくて……。

 いつもなら「一緒に帰ろ」と誘ってくれるのにそんなのも全然なく、て。


(あ、やばい)


 気づいた感情に俺は思わず机に突っ伏した。

 チョコが貰えないっていうのもそうだけど、それだけじゃなくて。

 カナエに避けられてる、カナエと話せない、そんな事実が……寂しくて、つまらなくて、仕方ないだなんて。

 すっげー今さらだけど気づいてしまった。


「カナエ!」


 そそくさと帰ろうとしていたカナエを見つけ、慌てて追いかける。いくつか椅子にぶつかったりしたし派手に物音を立てて、その慌てぶりといったら情けないほど。だけどなりふりなんぞ構ってられるか!

 川岸が後ろでニヤニヤしている気配がしたがそれは明日ぶん殴っておくから覚悟しとけよこのやろう。


「カナエ! 待てって!」

「コウスケ……っ」

「なんだよ、なぁ? もしかして怒ってる? 俺悪いことしたか?」


 校門を抜けた辺りで追いついた俺に、カナエが観念したように足を止める。だけど俺の顔を見てくれない。

 ……何だよ。俺の隣に嬉しそうにいてくれる、いつも俺の話を聞いて笑ってくれる、そんな普段のカナエとのギャップがまた悔しい。


「……あ、あのね、コウスケ、違うの」

「え?」


 手提げの鞄を胸に抱えたまま、カナエはうつむいてそんな声を絞り出す。

 辛抱強く待っていると冷たい風が頬をびしばしと叩いてきて思わず首をすくめた。

 カナエなんてスカートで、白い足がすごく寒そうだ。

 大丈夫だろうか。せめてどこか暖かいところに移動してやった方がいいんじゃ……。


「コウスケ、ごめんね、私……」


 泣きそうな顔で、カナエは唇を震わせた。ああ、その唇もいつもより赤みが少ない。やっぱり寒いんじゃ、


「チョコ……できなくて……っ」

「――は?」

「あのね、チョコ、失敗したの! 本当は練習してちゃんとしたのできてたんだけど、でもそれ、間違って弟に食べられちゃって。作り直そうとしたんだけど失敗するし、時間ないし、全然できなくて、それで」


 拙い言葉を必死に絞り出し、カナエはまたうつむいた。

 ちらほらと降り始めた雪が震えるカナエの肩を濡らす。


「コウスケ、楽しみにしてたのに。なのに私……」

「……」


 正直に、言おう。

 確かに俺は今日という日を楽しみにしていた。すごくすごく楽しみにしていた。ここ数日は浮かれっぱなしだったからカナエもそのことに気づいてたんだろう。そりゃよっぽど鈍い奴じゃない限り気づく。

 だけどそれがカナエを追いつめていたなんて俺は全然思わなかったし、追いつめるつもりもなかったし、何より今、そんなことでここまで悩んでいるカナエが何だかすごく好きだなって思ってしまった。

 それだけでがっかりなんて吹き飛んでしまった。


 とはいえ、俺が「気にしてない」なんて言ったところで効果は薄いんだろうな。あまり信憑性ねぇし。仕方ないだろ、男なら期待しちまうのは仕方ないだろ。


 ふと、俺は春樹にもらったチョコを思い出す。


(そういや、逆チョコとかって)


 あまり興味はなかったが一応俺の耳にもそういう話は入ってくる。

 日本じゃ女から男にチョコを渡すのが定番だが、なんでも、今は男から女に渡すのも流行っているとか何とか。まあ要は愛を確かめ合えればいいんだろうし、その辺は俺もよくわからないから「そうなんだ」程度に思っていた。ただまあ、俺はやっぱり貰うのに憧れてたから意識したことはなかったけど。

 でも、もし、俺が逆チョコをカナエに渡せば。

 俺がカナエを好きだって気持ちは伝わるし、「お返しに期待してるな」なんて冗談めかして言えばカナエも救われるんじゃないだろうか。


「……カナエ」

「……コウスケ……?」

「あの、あのなっ」


 キンキンに冷えた空気を吸い込み、その冷たさに硬直する。

 ……何だこれ。すっげ緊張する。超緊張する。

 チョコを渡すだけだろ、可能なら告白も一緒にすればいい、ただそれだけだろ。

 ああもう、何だこのこみ上げてくる恥ずかしさ。

 女子ってすげぇな、毎年こんなイベントを決死の思いでがんばってるなんて。


「……あの、さ」


 少し、考えて。

 俺は鞄に突っ込んだ手を引っこ抜き、代わりにカナエの手を繋いだ。

 俺よりずいぶん小さくて柔らかい手。


「この先にパフェあるだろ」

「え?」

「カナエ、前食いたいって言ってたじゃんか。チョコのパフェがすっげーうまいって。今から食いに行こうぜ、俺がおごるから」

「で、でもコウスケっ」

「俺からのバレンタインってことで、……ダメか?」


 今すぐにでも逸らしたい顔を意地で固定したままカナエの目を見つめると、呆けたような顔をして俺を見上げていたカナエの頬に赤みが増してくる。

 それからカナエは眩しい笑顔で俺の腕に飛びついた。


「コウスケ!」

「んぁ?」

「大好きっ!」

「……おう」


 ……ほんと、女子ってすげぇ。



***



「ノロけるのはいいんですがもう少し表情を引き締めてくれませんか」

「うるせーな。どんな顔しようが俺の自由だろ」

「はぁ……」

「ま、お前には感謝してるけどよ。お前のチョコのおかげで機転が利いたようなもんだし」


 未だに片付けていないコタツで余韻に浸っていた俺からの報告に、春樹はみかんをつまみながら耳を傾けていた。

 いつもなら余計な茶々を入れてくるんだが、今日ばかりは一応最後まで聞いてくれたらしい。

 結局反応はあれだけど。可愛くないけど。

 こいつ、年下という特権のもとの可愛さをどこに置いてきたんだ。めちゃくちゃ不思議だ。


「でも使わなかったんですね。その方がコウスケさんらしいですし、むしろ良かったと思いますけど」

「あぁ、まあ……だってやっぱり他人が作ったやつよりは、なぁ?」


 パフェだって俺が作ったわけじゃねぇし、そもそもそんなことを言い出したらカカオから作れとかそんな壮大な話になるのかもしれねぇけど。

 何も考えないで俺が受け取ったチョコと、俺が意識して買ったパフェとじゃ、やっぱり何かが違う気がした。

 本当に何となくだけど、しょうもないこだわりかもしれないけど。

 でも、それはそれで良かったんじゃないかと思ったりもする。

 春樹の「俺らしい」ってのは良くも悪くもその通りなんだろうなっていうか。


「てか何だ、お前もしかして予想してた?」

「はぁ、まぁ、色々ありまして」

「ふぅん? ……で、結局……お前から貰ったチョコはどうすりゃいいわけ?」

「え」


 みかんを一つ食べ終えた春樹は目を丸くした。

 それから疲れたような顔でため息をつく。


「……あげたものですし、どう処分してもらっても構いません。とりあえず返却だけは却下でお願いします」

「……いや、だってよ」

「僕、甘いものそんなに食べられないんですよ」

「大樹にやるとか」

「あいつには別口でもう与えてます。食べすぎになっても困りますし」


 再びみかんをむき始めた春樹はこの話は終わりだとばかりにその作業に熱中し始める。

 俺は呆然とコタツの温もりを感じながらその事実を認識し始めていた。

 こいつが甘いものをあまり食べないのは本当のことだ。昔からそうだったしそれは俺も知っている。

 そして弟の大樹がチョコを食べてるってのも多分本当だろう。こいつがわざわざ俺にだけ作るってのも変な話だし、大樹は逆に甘いもの好きだし、それにこいつら自身も実際誰かから貰ってるのかもしれない。

 だからこいつの言い分は正当で、そしてかなり遠回しで間接的とはいえこいつに助けてもらった俺としてはこれ以上無茶を口にするのも気が引けるわけで。

 そしてそして、今日、俺とカナエは確かに二人の気持ちを確かめ合った。

 だけどそれはカナエの不慮の事故により、俺がカナエにチョコレートパフェを奢るという形で。


 つまり。


 俺が今年ゲットしたチョコは野郎からの1つだけ。


「あのですね。僕も人助けとはいえコウスケさんにあげたことは不本意なんですよ」

「分かってるよ……」


 察したらしい春樹の台詞に愚痴を言う気力もない。

 ああちくしょう、恨むぞ神様!!!

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