08 ご近所さんと粉砕系
俺の家の近くには元気な小中学生のガキがいる。
高校生の俺からすれば割合歳は離れているわけだが、そこそこに古い付き合いで、そのため互いにそれほど遠慮らしい遠慮はない。
だからふいに家に遊びに来たり、そのまま入り浸って適当にくつろいで時間を過ごしたり、そういうことは代わり映えのない日常の一ページといっても過言じゃなかった。
だけど、それでも。
俺はおそるおそる開いた漫画の上から目を覗かせる。
真向かいには春樹が座って同じく漫画を開いていた。
その横でゴロゴロと寝そべるように読んでいるのは春樹の弟の大樹だ。
ちなみに春樹が開いているのは新刊で面白かったから読んでみろよと俺が半ば無理矢理押しつけたやつだった。
春樹自身、別に漫画が嫌いじゃないらしくて何度も読みに来ているし、こいつは比較的読むのが早いから大樹より先に貸してやったわけだが――どういうことだろう、先ほどから全然進んでいない。
それどころか伏し目がちな視線は漫画よりもさらに下のテーブルに落ちているようで、軽く眉をひそめ、何かを堪えるような、もしくは思い詰めるような――とりあえずよく分からないが尋常じゃない空気を醸し出していた。
こいつは俺にやたら厳しい態度を取ることが多いが、それにしたってふつうじゃない。
「……おい、春樹?」
声をかけてみるが変化はない。
耳栓でもしてるんじゃないかと疑いたくなるほど不動だ。
「おいってば。何だよ、そんなに面白くなかったか?」
「……うぅん……」
ようやく反応は返ってきたがうめき声にも近いというか、全然、全くもって感情がこもっていないというか、要するに上の空。
一体何をそんなに悩ましげ――ああ一応言っておくとエロイ意味じゃないぞおい――なのか訳が分からない。
「ははん、さては生理だろ」
我ながら面白くもない冗談のなり損ないを口にすれば、そこでようやく春樹は反応し顔を気だるげに上げ。
「……砕ければいいのに……」
ボソリと聞き取れるか否かのギリギリの声量とトーンで吐息と共に呟きを発した。
って待て。待て待て待て。
明らかに人に適した単語じゃないだろ、何だよ「砕ける」って、どこがどう砕ければいいんだよ!
思わずツッコミを言葉にするのも忘れて言いしれぬ恐怖に慄然としていたら、ひょっこりこっちを覗く顔があった。
「コウスケ、何やってんだよ」
幼さと生意気さが相まった子供特有の甲高さ。
「大樹……」
春樹の一個下の弟の名前を呼びながらもどこか少しホッとする。
こんなに小さい子供に安堵するってのは微妙に悔しいが、こいつ自身は無害だし、こいつらブラコンだし、だから今の春樹のこともこいつならきっと何とかなるはずだ、なんてよく分からない根拠が俺の中に芽生えていた。
まあ大樹自身は無害といっても、こいつは余計なトラブルを豪快に引っ張り込んでくることが圧倒的に多いんだが。
「おい、大樹、ちょっと」
「んー? どうしたんだよ、コソコソして」
「春樹、何かあったのか?」
若干声のトーンを落として耳打ちする。
だけど「くすぐったい」と言って大樹は嫌そうに顔をしかめて俺から離れた。
おいこら、悪気はないんだろうがめちゃくちゃ傷つくぞ。
「何かって何だよ?」
「いや、だって不機嫌だろ」
言いながら視線を向けると、大樹もまたつられたように顔を向け。
再び黙した春樹の態度に、ぱちぱちと子供らしい大きな目を瞬かせた。
だけどそれから返ってきた言葉はいやにあっさりとしていて。
「あー。どうせ今日の夕飯何にするか考えてんだろー」
「は?」
「春兄、時々すっげー悩むし。そのとき邪魔されんの嫌みたいだぜ」
カラカラと笑ってそんなことを言う。
……え? それじゃ何か? 俺は夕飯のために砕けんの?
人生すっげー寂しくね、ていうか悲しくね。
「春兄ー。オレ、今日コロッケがいー」
大樹が場違いなほど明るい声をかけると、いまだに考えに耽っていたらしい春樹はハッと顔を上げた。
先ほど俺に向けた気だるさが嘘のように瞳が生き返り(俺にはその価値がないってか!?)きょとんとした面持ちで漫画を閉じる。
「え? コロッケ?」
「おう、テレビでやってんの見たら食べたくなった!」
「コロッケかぁ……」
「へっ? ダメ?」
「うーん、手間かかるけどやれないことは……。……どうしたんですか、コウスケさん」
釈然としなくてしかめっ面で兄弟のやり取りを眺めていた俺に気づいた春樹が、それはそれは不思議そうに小首を傾げ。
「何で砕け散りそうな顔してるんですか?」
「どんな顔だよ!」
だから人体にふさわしくない単語をチョイスすんじゃねえ! 怖いだろうが!