05 ご近所さんと黒いもの
まあ、誰にだって苦手なものはあるわけで。
「……おい春樹、何突っ立ってんだ?」
俺に対して妙に可愛げのないご近所さん、日向春樹に背後から声をかける。
今日は休日。
俺としては母親に頼まれた心底どうでもいい買い物を早く済ませてゲームでもしていたいところだ。
だからさっさと行きたいわけだが……その往来にぼんやりと知り合いが立っていれば、無視をするのもいささか気が引けるってもので。
俺だって気を遣うわけですよ。ええ、俺なりに気を配っているわけですよ。
「あ、コウスケさん。ご機嫌麗しゅう」
「どうしたお前!?」
いやいや漫画以外で初めて聞いたよそんな挨拶!
お前そんなキャラじゃなかったろ!
春樹はやけにしっかりしているけど、何だかんだいって中学生。
俺より年下だし、しかも男子だし、……要するに色々と今の挨拶はおかしい。
分かりきったことだけどおかしい。
だけど春樹は曖昧に笑うだけで訂正する気はないようだった。
……いや、まあ、別にいいけどよ。
「とりあえずどうしたんだよ。帰るのか?」
「いえ、買い物に行く途中です」
「なんだ、俺と一緒じゃねぇか」
「それは奇遇ですね。せっかくですし一緒に行きませんか?」
「……」
――てっきり「うわぁ被った」とでも言われると思っていた俺は目を丸くして春樹を見つめる。
別に一緒に行くのが嫌なわけじゃない。
けど。
「……何かあるだろ、なあ」
「何でですか、ひどい言い草ですね」
「だってお前が俺に素直とか……」
ジト目で見られても、日頃の行いというものが俺を疑心暗鬼にさせるんだ。それが嫌なら普段から俺に優しくしろ、慕え、敬え。
まあそれは冗談だとしても、さっきの挨拶といい、ちょっと芝居がかった言い回しといい何か引っかかる。
「別に何も――」
春樹が少しムッとした様子で口を開いた瞬間、
カァー カァー
間の抜けたカラスの鳴き声。飛び回っているのかバサバサと少し激しい羽音。
「……」
「……」
春樹が小さく舌打ちをした。舌打ちしやがった。
普段大人しそうな顔しといて怖いなこいつ!
「あるじゃねぇか思い切り!」
「い、いいじゃないですか! 一緒に行ってくれるくらいいいじゃないですかっ!」
「いやいいけどさ! だったら最初からそう素直に頼めよ!」
「名前も言いたくなかったんですっ」
「お前男だろうが!?」
「男女差別するんですかっ」
「そういうわけじゃねぇけど……ああもう面倒くさいな!」
言い合っていたら通りかかったおばちゃんがチラッと俺たちを見て無言で去っていった。無言だけどどちらかというと俺を責めるような目だった気がする。
そりゃそうだろう、中学生と高校生が怒鳴り合っていたら、そりゃ……俺の方がパッと見は悪者だ。
春樹は見た目、大人しくて真面目そうだしな。
ていうか実際に中身もそうで近所の評判も圧倒的にこいつの方がいいわけだしな! 悔しくねぇし、別にどうでもいいし!
ともかく、春樹はカラスが苦手だったりする。
その苦手なものが狭い道路を闊歩していたから先に進むのをためらっていたらしい。
そこに俺が通りかかって今に至る、と。
はあ、と思い切りため息を一つ。
まあ、別に一緒に通るくらいは問題ない。何かが減るわけでもねぇし、ゲームをしたい俺としてはさっさと行きたいし。
「あーもう、行くぞ」
言い合いを切り上げてさくさくと歩き出す。
すると春樹が少し慌てた様子でついてきた。
もちろん俺をカラス側にするのを忘れない。
……どこからどう見ても盾扱いされてるぞ、俺。
色々と頭の中で考えながらちらりと横に並ぶ春樹を見やる。
いつにも増して真剣な様子でカラスから目を離さないよう睨んでいた。
少しでも変な動きを見せたら容赦しないぞとでも言いたげにカラスの動向を見ている。
ハタから見たら変な奴だと思う、ていうか変だろ。
とりあえず春樹の頭の中はこの黒い生物のことで一杯のようだ。
俺なんてもはや眼中にないといっても過言じゃない。
……むくり、と。
意地悪をしてやりたい気持ちが俺の中で膨らんだ。
年下のくせにいつも言い負かしてくるこいつに少しくらい仕返しをしてやってもいいんじゃないか、それくらい俺にだって許されるんじゃねぇか。
そもそも一緒に行くとは言ったけど、逆に言えば一緒に行くとしか言っていないわけで、つまりどう行こうと俺の勝手なわけで。
「えい」
「ひぁ!?」
腕をつかんで引っ張ると、油断していた春樹は踏ん張ることもできずいともあっさりカラス側へ。
あまりにも予想外だったらしく春樹にしては珍しい悲鳴を上げ、その悲鳴の大きさにカラスが驚いたのかバサバサと何羽か飛び去り、その羽音にまたビビッたらしく春樹が再び「うわああ!?」と叫んだ。
「ぶはっ。すっげぇ悲鳴、ビビりすぎだろ」
「……」
「春樹?」
俺はとっさに身構える。
こいつのことだ、怒涛の反撃が来てもおかしくない。
さあ、どう来る。
嫌味のジャブか、過去の恥ずかしい何かを引っ張ってくるか?
何が来ても構えておけばある程度はダメージが軽減するはずだ。
俺は負けるもんかと強く心を奮い立たせ――
「こっ……」
「ん?」
キッ、と春樹が顔を上げて俺を睨んだ。
「コウスケさんの……バカぁ……っ!」
――普段ぐいぐいと言葉の弾丸で俺の心をえぐる春樹が、まさかの「バカ」。
陳腐で幼稚な「バカ」と、たった一言。
それしか言う余裕がないらしく、さすがに涙は出ていないがいつ泣いてもおかしくないんじゃないかというほどに顔が歪められている。
しかもちょっとプルプル震えているような。
周りのいくつもの視線が俺に突き刺さる。
どこからどう見ても年下を泣かせた高校生の図、だ。
しかも事実がそう間違っていないことが俺に重く圧し掛かる。
……やっべ。
もしかしてやりすぎたんじゃね、俺?
「あ……あー、春樹?」
「うるさいです」
「いや、その、悪かったっていうか」
「うるさいですいやですしりませんコウスケさんなんて塵になってください」
「悪かったって!」
拗ねてる。こいつ超拗ねてる!
その証拠にただの罵倒というより、棒読みでしかも早口だった。
無表情で淡々と返されるとちょっと怖い。
「いや、うん、お前があれ苦手なの知ってたのにひどいことした。反省してる。……その、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないです僕がハゲたらコウスケさんのせいです」
「お前の早口怖ぇよ! てかお前がハゲても俺のせいじゃねぇし!」
言い返しながらも申し訳なさが込み上げてくる。
気丈に振る舞っているが、実際大丈夫じゃないのかもしれない。
まだ少しプルプルしてる気がするし。ていうか顔色悪いし。
「あー……ほら、とりあえず行こうぜ。まだ怖いなら手繋いでやってもいいぞ? ……い゛っ、痛い、痛いですいだだだだお前おかしい! 何で両手で握んの! 握り潰す気か! そもそもそれじゃ歩きにくいだろうが!」
「駄目です離したら死にます嫌です」
「落ち着け、春樹落ち着け! お前自分で何言ってるか分かってないだろ!」
「死ぬ……」
「おおおい!? 生きろよ! こんなことで死んだら未練ありすぎて成仏もできねぇよ!」
――その後、正気に戻った春樹にネチネチ責められるわ、この噂がどこから広まったのかカナエに「春樹くんと手を繋いでたって……浮気……!?」と勘繰られるわで俺はいらない苦労を背負った。
買い物が遅くなったせいで母親には怒られるし、ゲームをする時間もなくなったし。
春樹の弟である大樹が「春兄いじめんなよー!」とか何とか言いながら家に殴りこみにきて、この二人のことを気に入っている俺の両親が何事かと問い詰めてきやがったし。
ああもう、
「踏んだり蹴ったりじゃねぇか……」
「自業自得です」
……うるせえよ。