アンドロイド・オリジン7・西暦2035年
/"システムモード復元
/"目的の失敗により、アプリケーションの再生を終了します。
意識の回復を確認した。
ばらばらになった世界を、ジグゾーパズルを組み立てる様に繋げた感覚がした。
違う、意識は初めから失っていなかった。
私は周りを見渡す。
薄汚れた下水道の入口が、そこにあった。
溝の臭い、と湿った空気。地を這う鼠と目が会った気がした。
そして博士が目の前に立っていて、カードフォンを構えていた。
「何が起こったかわからないお前に説明をしてやろう。お前は自身の失敗に耐えられなくなり、脳がショートしかけた。しかし、それを回避するために、今幻覚を見ている」
私は自分の頭部を叩いた。
意識を失う前の映像が視野にこびりついていた。
吐き気が胃からせり上がって来たが、今回は耐えなかった。吐瀉物が下水に流れた。
荒い呼吸を整えた後、私はかろうじで口を開いた。
「嘘を付かないでください……」
「頭を叩いて直すなど、何の科学的根拠もないオカルトだ。私の娘ならそんな恥知らずな動作は今後一切止めろ」
私は頭を横に振る。
状況から察すると下水道の入口で博士が私にインストールしたアプリケーションは、事のシミュレーションを脳内に流すと言うものだったのだろう。
「何故こんなことをしたんです?そもそもシミュレーションとして、あの時点でスティッキーボムを使うのはありえない」
「近年ヴィジランテが増えているが、本来自警団など警察がしっかりしていれば要らないものなのだ。しかしながら、政治家及び警察組織の内部腐敗により治安の悪化は留まることを知らなかった。だから自警団も認めるという風潮にあるのだが、やはり素人では責任能力に疑問が残る。そう考えた」
「誰がですか?」
「私だ」
私は空笑いをした。最高のジョークだ。
「そんな世の中のためになることを考える性格ですかあなたは」
私の言葉を無視し博士は続ける。
「統計を取った所、数いる有名なヴィジランテの中で、特に問題解決力が高い者にはある共通点があった。自身の失敗により一度家族や一般人を死なせているという共通点だ。これらの理由から、優秀なヴィジランテを生み出すには失敗をさせて成長させればいいということだ。そこで折れてやめるのなら、そこまでの奴と言うことになるし、選別もできて一石二鳥だ。無論実際にそんなことをやるわけにはいかないので、せめてアンドロイドに脳に直接体験させることで優秀なヴィジランテを作り上げるという計画だ。お前が見たシミュレーションは必ず失敗するように作られていたというわけだ」
「……そうですか」
私は知りたいことは知ったので、保育園の侵入に向かう。
まだ少し精神的ダメージは残っていたが。
「所で」時間がないというのに博士はまだ話を続けるつもりのようだ「もし今までの世界が、お前の脳に直接見せている映像だとしたらどうする?べべが幻だったら?」
「……皆好きですね胡蝶の夢、好きですよ胡蝶の夢」
私は首だけで振り向いた。
「そんな二千年以上前からある疑問なんて、とうに答えは出しています。皆だってそうですよ。
『だからなんだ』皆そう思っていますよ。私は機械ですし幻覚だろうとそれが事実と同等に受け止めます。ベベが幻覚なら、その幻覚を愛します。ですからもし今見たシミュレーションで、べべが死んでいたら、どうにかしてセーフティを外す方法を見つけ、博士の顔面の骨が折れるくらいには殴ります」
「……」
「かといって保育園の子供や大人が死んだことにもふがいなさと同時に怒りを感じているので、いつかどうにかしてセーフティを外す方法を見つけ、博士の顔面の骨が折れる程度には殴ります。では」
私は返事も待たずに、地下道の奥へ向かって行った。
◇ ◇ ◇
シミュレーションとは違い、犯人たちの制圧はスムーズに行うことが出来た。
下水道にも虫を配置したが、ヴィジランテが迷い込んでくることはなかった。
計画通りに、人質部屋を制圧し、特殊部隊が到着するまで持ちこたえ窓から脱出する。
無論人質の被害は出さなかった。
どうせすぐ警察関係者を買収して釈放されると思ったので、大物の息子とやらには下痢と嘔吐をし続ける感覚が止まらないコンピュータウイルスを強制インストールさせた。彼の父の財力であればすぐに直せるだろう。また同じようなことをやった時のために、発信器付きの虫を体内に埋め込んでおく。
脱出後、私は着替えたのち、驚いた顔をしたアビーに頼んで、寮まで送ってもらった。
夜はすっかり更け、寮の皆は寝静まっていた。門限があるので、今回はペナルティを課せられるだろう。
「遅かったじゃない、どうしたのって……本当にどうしたの?!」
遅くなるとあらかじめ連絡していたのだが、べべはまだ起きていたらしい。
寝間着でパソコンに向かっていて、眼鏡をかけていた。
どうやら私は思った以上に衰弱しきった顔をしていたようで、ベベが本気で心配をしてきた。
「……ベベ」
「何?ちょっと今日調べてきたことの報告会とかしたかったけど無理そうね?」
「ええ、明日でお願いします。それと」
「うん」
「抱きしめていいですか」
ベベは首を傾げた。
「別に好きなだけすればいいと思うけど」
ベベは両手を広げた。
私はベベの言葉に甘え、その体に倒れこんだ。
首と首が交差する。べべが頭を撫でてきた。
「何かあったか聞いていい?」
「いいえ。言えません」
「そっか」
「そう諦めの速いのも寂しいです」
「面倒くさい!」
「冗談ですよ」
疲労によりこのまま二人で一つに溶けてしまいそうだ。しかし私の鼓動の方が速いという大きな違いがあるので交わらない、などと意味の分からないことを考る。どうやら本当に疲れているようだ。
彼女の手が私の背中に移り、リズム良く叩く。
「本当に私だって気になるわよ。心配だし」
「はい」
「でも言えないんでしょ」
「はい」
「じゃああまり聞かない、私だって秘密ぐらいいっぱいあるからね」
「はい。ありがとうございます」
どこか遠くから、犬の遠吠えが聞こえた。
こうして私はヴィジランテとしての本格的な一日を終えたのであった。
◇ ◇ ◇
翌日。
溶ける様に永遠に眠り続けたい気分ではあったが、朝日はそれを許してくれなかった。
義務教育は終えたものの、勉学と言う権利を放棄するには未熟すぎるので、今日も学校に通う。
ベベとは休憩時間に、話し合うことにした。
「一昨日調べた限りでは、秘密の抜け穴等は見つからなかったけど、今度は寮事態についても調べてみたの。何でも10年前に、アンドロイドの人権にかかわることについて、学生運動があって、寮で立てこもり事件があった見たい」
「それはそれは」
何だかきな臭い話になってきた。
「それで、一応テレビ局に送られてきた動画のことも調べた方がいいと思うの。一昨日は政治的理由に関係ないから無視したけど」
「例えばどういった関係が考えられます?」
「例えば……」ベベは顎に手をやり考え始めた「例えば、当時の暗号化された機密文書が隠されていて、それを探すために本から下着まで取り換えているとか?」
「下着に隠された暗号って何です?」
「縫い目を使った暗号みたいな?」
自信がないのか、すべての言葉が疑問形だった。
「ちょっと苦しいですね。よりよい物に取り換える意味が分かりません」
ちょっとどころかかなり苦しい。
そもそも教科書も下着もメグの持ち物なのだし、10年前の量の事件と関係があるはずはない。
「ん~。思いついたときは『これだ!』って電波感じたんだけどねえ」
「しかし一応放送された犯行予告の動画は手配しておきましょう。念のためですしね」
「それはそうと、ラナは昨日は買い物に行っただけ?」
「いえ、昨日は……」
私は教室の隅で話している、アビーとメグに視線を注いだ。
私の視線に気づいたアビーが『別にべべだけなら話していい』といったジェスチャーをしていた。
メグはアビーの挙動にインテロゲーションマークを頭上に浮かべる。
私は咳払いをして息を顰める。
「実ははアビーはチャイナタウンで売春をやってるみたいで」
ベベは目を見開き、漏れそうになった声を慌ててふさいだ。
辺りを見回した後、ベベも咳払いをして息を顰めた。
「……本当に?」
「本当に」
「別に彼女お金に困っているわけじゃないでしょうに……」
「そうですね。自家用車も持っているみたいですし」
「何て車?」
「プジョー・403 」
「ああ、うん……」
「それでですね、仮説を立てたんですが、まず犯人はアビーの仕事を始める時間帯に学生証を偽物と交換する。
そしてその学生所で寮の部屋に侵入し、ストーカー行為を済ます。
そしてアビーが仕事を終える前に、学生証を戻す。
これで部屋への安定した侵入は可能でしょうね。宿自体は、かなり古い建物だったのでセキュリティは薄いように見えました。アビーが犯人でしたらそういうことをする必要はないでしょうが」
「そりゃあアビーは悪いことは絶対しない、って性格ではないけど、善悪の線引きはできる子だし、友達を売ったりするようなことはしないわよ」
「売春をしているという事実があってもですか?」
「ええ」
「そうですか」
まあ私はアビーとは昨日始めて離したのだから、私の知らないところもたくさんあるのだろうし、今はベベとメグの意見を信じよう。
ベベが時間を気にし始めた。そろそろ休憩時間が終わるころだ。
「鍵は何とかできても、廊下の監視カメラはどうするの?」
「そのあたりはハッキングによる映像の差し替えで何とかなるでしょう。カードキーを偽装するよりかは数百倍は簡単です」
「そっか、そうなるとアビーにも話を聞いてみたいところだけど」
「そうですね」私はメグとアビーに手招きをした。
それに気が付いた二人が寄ってくる。
アビーと目が会うと下手なウインクをしてきた。昨日のお返しだろうか。
私は無視をして、メグに向かって言った。
「少しお話いいですか?一昨日の件なんですけど」
「……あ、ああ」メグは言うのを少し迷ったそぶりをした「そのことならもういいの」
メグの口から出た言葉に、私とベベの顔が固まった。アビーはそんな私達を不思議そうに見ている。
「その」ベベは手を組む「もういいとは?」
「本当にごめんなさい……でもよくなったの……本当にごめんなさい」
心底申し訳なさそうな顔をしてメグは謝っている。
「理由を聞いても構いませんか?」
「ごめんなさい……話せない……」
「そうですか……」私は椅子にもたれかかった「でしたら深くは聞きません。その『よくなった』というのが本当に事が改善されたのであると願っていますよ」
言ってから皮肉っぽい言い方になってしまっただろうかと不安になったが、メグは下を向いているので表情は読めなかった。
そこで事業の始まりを知らせる鐘の音が鳴った。
「じゃあこれで……」とメグたちは席に帰っていった。アビーと「何かあったなら相談に乗るが」「ううん……大丈夫」とか話していた。
授業が始まったが、べべが声を潜めて離しかけてくる。
「ちょとこれで終わるつもり?」
「そうですね。誰の言葉か忘れましたが『探偵において最も重要な能力は依頼を見つける力だ』というものがあります」
「要するに営業は大切ってことね」
「そうです。依頼がなければ探偵は動けません。しかし」
教師の視線がこちらに向けられたので、更に声を顰めた。
「私達のやってることはごっこ遊びみたいなものです」
「つまり、続けるの?」
「しかし、好奇心で先走って依頼人を傷つけては世話がありません」
「つまり止めるのね」
私は咳払いをした。
「続けます」
「本当に?本当にいいの?」
「よくはありません。しかし続けます」
「そりゃあ私も続けたいけど、大丈夫かしら?」
「ええ、大丈夫です」
私はメグの方向を向いた。彼女は私に気が付くと、慌てて目をそらした。
この事件はほおっておくと、大事になる気がする。だから私は調査を続けることにした。
そんな予感を裏付けるように、調査を打ち切るように言われた二日後、メグが寮から姿を消した。
失踪したのだ。