お隣さんの朝
まさかの朝だけで一話分になってしまいました。
今回は香織の家の様子を少し乗せたかったので。
では、よろしくお願いいたします!
“早起きは三文の得”ということわざがある。
これは、自分にとって実に複雑な言葉だ。
おいそれと素直に受け入れ難くも、だからと言ってただ反論のみに移ることも難しい。
学生として考えると、実に迷惑甚だしいことわざである場合が多い。
早起きという苦行にに対したったの三文っぽっちりでは割りに合わない。せめて三百文は欲しい所だ。
しかし同時に、ある一面においては早起きは自分にとって大切な習慣であったりする。
例えば自分の趣味、“空”の場合に置いては。
午前5時40分。
俺は目の前に広がる海を見つめながら小さな息を漏らした。春の明け方はまだ十分冷たく、息は白い湯気となって立ち上る。
やや強めにこめかみ付近をトントンと叩いて眠気を紛らし、改めて今自分がいる場所を確認する。
海岸前にある公園。
屋根付きのベンチの側に俺は立っていた。目の前には三脚に乗せてあるカメラ。古い安物だが、一応デジタル一眼レフだ。
その先に広がる地平線は空と海をくっきりと一つの線で分けている。
薄暗い海とは対照的に、空は先程の暗さから幾分か明るみを増しており、寒々しい上空に浮かんだ雲には薄紫色の色が染まり始めていた。
「……よし」
地平線が赤く染まりだす。日の出だ。俺は三脚の前まで歩いていって覗き込むと誰に言う訳でも無く静かに頷いた。
今日は日曜日。
早起きも早起き、普通の学生ならばまず布団の中にいるだろう。
明け方の空を撮りたい。そして勿論直接目に焼き付けたい。
それがこんな時間に俺がここにいる理由だった。
海の真ん前に位置する公園から明け方を、薄ら明るい空に浮かぶ星を、日の出を写真に収める。それ以上に自分の目で空を捉える。
一秒一秒変わるその空を、まるで生き物を観察するかのようにじっくりと。
他人からしてみれば何か得する訳でも無く、何が面白いのか分からないと思うこんな事。
しかし趣味の一つなのだ。
だからこれに関しては早起きも辞さなかった。
起きられる時は明け方前に家を出てとにかくずっと空を眺めていたい。写真はついで、と言っても良い。
明け方の空とじっくり向かい合える。
三文の得がこれに当たるならば、十二分にお釣りがくると思う。
尤も、いくら早起きをしても帰ったらそのまま寝てしまうので本来の意味での三文の得には全く当てはまらないだろうが。
振動音で俺はゆっくりと視線を空から芝生に落とした。
時刻は7時10分、登り始めた太陽が燦々と輝いている。
暫く空を眺めているうちにもうこんなに時間が経ってしまっていたのか。そう思いつつ、ポケットから振動を続ける携帯電話を取り出した。
『穂坂香織』
画面には香織の名前。
この時間帯と今日の曜日を考えると、一体何の用件なのかは……大体想像がつく。
「はい、もしもし」
「………としや?」
「当たり前だ」
この声、まだ寝ぼけているようだ。平日はいつも面倒な程早いくせに日曜日は何故早起きが出来ないのか。
そんな考えを巡らせていると電話越しから一言。
「……8時半」
「………」
「おこして……」
案の定の用件だった。
電話しているならそのまま起きれば良いのに、何故俺伝いなのか。
「あのなぁ、今日は学校は無いだろ。新聞部の仕事も効率良くいって昨日で終わったんだから別に……」
「8時半ね……」
「いや、だから今日は」
会話が成立する前に通話は切れてしまった。
起こされるのはいつも俺の方だが、休日の何でも無い日の場合時折逆転現象が見られる場合がある。
何故か香織が起こせと聞かない時があるのだ。
以前理由を聞いたのだがよく理解は出来なかった。
曰く『いつめ私だけが起こすなんて不公平じゃない』とか何とか。不公平も何も起きられないから仕方ないと反論したのだが、聞き入れては貰えなかった。
「……はぁ」
本当は帰って二度寝したかったのにな。
早起きの後の二度寝は何よりの至福だと言うのに、まぁこの場合彼女を無視すると後々大変なのは言うまでも無い。
仕方ないな。
俺は深々とため息をつくと、一つ伸びをしてゆっくりと歩き始めた。
・・・・・
家に戻ると少し冷えた体を温める為にシャワーを浴びる事にした。
44度、熱いシャワーを頭から被り先程から込み上げてきていた眠気を一気に振り払う。
髪と体を洗い終えた後、ついでに風呂場の壁を少し掃除しておいた。
着替えてまだ濡れた髪にタオルを乗せたままリビングに、すっかり覚めた目で時計を確認するとまだ8時前だった。確か香織は8時半に起こしてと宣っていたからまだ時間はあるな。
うーむ、二度寝をすれば次に起きるのはお昼頃。まぁ100%寝坊する事はまず間違いない。そうなると例のごとく隣の奴が怒るだろうし色々と大変だ。適当に朝御飯でも食べて時間を潰す事にしよう。
食パンを一つ、ケチャップとツナ、チーズを乗せるとオーブンに放り込んでピザトーストに。
香ばしいチーズの香りに食欲をそそられたが、それでも朝から二枚は食べれる気がしない。一枚で十分だろう。
『……続いてのニュースです。昨夜未明、○○県の○○市のパチンコ屋に侵入し、現金20万円を強奪した事件の犯人が……』
テーブルに着くとトースト片手にリモコンを取ってテレビを付ける。最近起きた強盗事件のニュースだ。どうやら犯人が逮捕されたらしい。
(20万で逮捕ね……どう考えても割りに合わないよな)
特に注意を傾ける訳でも無く、ただぼんやりとアナウンサーの声をBGMにトーストを口に運んでいった。
*
香織の家は俺の家の隣に、正確に言えば真後ろにある。距離にして数メートル、家と家の間だけならば徒歩数秒あれば事足りると言っても良い。
そんな、文字通り“お隣さん”だったうちと香織の家は同い年の子供も居るという事で、親父達と香織のご両親はすぐに意気投合、両家は家族ぐるみでの付き合いになったらしい。
香織と初めて会ったのは……かなり小さかった為か覚えていない。母曰く、俺が3歳の時に初めて顔を合わせたそうだ。
記憶が浮かんでくるのは幼稚園に入ってからだ。当然家も隣だから通う場所も同じだった。幼稚園、小学校、中等部、そして高等部。
気が付けばもう隣にいていつも一緒、それが当たり前のように今日まで過ごしてきた。それが彼女との関係だ。全く持って単純、その一言に尽きるしかない。
『はい、穂坂です』
「ふじ……あ、いえ。俊也です」
香織の家の前まで来た俺はインターホンを押す。と、すぐに女性の声が返ってきたので名乗るとドアはすぐに開いた。
「あら、トシ君。おはよう〜」
「おはようございます、おばさん」
顔を出したのはサファイア色の髪をした綺麗な女性。
にこやかに微笑みながら俺の前までやって来る。
「あらあら、“おばさん”なんて酷いわ。
これでもまだ若いつもりなんだけど」
「あ、すみません。
えっと香織のお母さん」
「そんな遠慮しなくても。“お母様”って呼んでくれても良いのよ?将来は私達の息子になってくれるから、ね♪」
「いや、それはちょっと……」
頬に手を当てて悪戯っぽく微笑むこの女性。彼女こそ香織の母親、穂坂 夕凪さんである。
高校生の子供がいるので年齢的には少なくとも30代後半以上はあるはずなのだが、とてもそうは見えない程若々しい。
容姿は香織をそのまま大人にした感じ、ただ雰囲気や大人より幼く、性格を天然にしたところだ。
余談だが俺がこの家の義息になる予定は全く無い。
「さ、入って。
香織はまだ部屋で寝てるけれど」
「お邪魔します」夕凪さんはニコニコと玄関に招き入れてくれる。
俺は軽く会釈をして家の中に入っていった。
この家と俺の家は造りが同じ姉妹物件である。自宅と同じような既視感に見舞われそうなものだが、家具や配置、色合いが違うだけで全く別世界になってしまう。
明るく暖かい雰囲気の玄関や開いたドアから見える暖色系が基調となった綺麗なリビング、いつも通りの彼女の家を見て、ふとそんな当たり前の事を考えながら俺は奥の階段を登っていく。
「明日から授業かぁ……」
2階に上がると同時に目に飛び込んで来たカレンダーを見て俺は思わずため息を洩らしてしまう。
明日は月曜日、ついに授業解禁の全くもってありがた迷惑な日なのである。学生としては非常に憂鬱だ。
「香織、起きてるかー?」
2階の一番奥にある扉の前まで来た俺はコンコンとノックして声をかける。
………返事は無い。
「おーい」
二度目。やはり返事は無い。
仕方ない、入って直接起こしてやるか。
俺はノブに手をかけて扉を開けた。
香織の部屋は一見すると女の子らしい部屋だ。
薄桃色の壁紙に可愛らしいキャラクターのカレンダー、ベッドの周りには幾らかぬいぐるみもある。
机の上には綺麗に整頓された教科書や参考書、文庫本など、本題には様々な本が綺麗に並べられている。流石成績優秀者、毎日勉強しているのだろう。
しかし、彼女の部屋の場合押し入れの中や机に隠れるように並んだ本題の下の部分を見れば考えを改めてさせられる事になる。
まぁそれは追々説明する時がくるだろう、今はこのベッドに寝ている奴を起こさなくては。
「おい、8時半だぞ。起きろ」
「んっ……」
ピンク色の羽毛布団に気持ち良さそうにくるまった幼馴染みの肩を掴んで揺らす。しかし彼女は微かに吐息を溢しただけで
「起きろー」
「んんっ……」
今度は頭をペシペシと軽く小突く。が、微かに反応するもすぐにすやすやと寝息に戻ってしまう。
起こせと無理矢理頼みつけ俺に二度寝の機会を与えなかったというのに、何故こいつはこんなに気持ち良さそうに二度寝をしているのか。考えたら何だか腹が立ってきた。
「………」
「……ふ、ふにゃ」
おもむろに寝ている彼女の頬を摘まむと横に引っ張る。柔らかい感触と同時に彼女の口から何とも間抜けな声が溢れた。けれど、まだ起きない。しぶとい奴だ。
「としや〜……」
「?」
不意に名前を呼ばれたのでハッとするが、寝ている香織を見てすぐに安堵する。
「……寝言か」
一体どんな夢を見ているのやら。
「お昼買ってきて……」
「………」
「……10秒以内ね、ほら急いで」
夢の中の俺、もっと反抗しろよ。
と思っても、やっぱり起きる気配は無い。
となると、これが一番手っ取り早い方法か。
俺はコホンと一つ咳払いをして寝ている彼女の方に顔を向ける。そしてゆっくりと口を開く。
「あー、これは大スクープだ。早くしないと委員会に抜かれるぞ」
「え、スクープ!?」
我ながらなんて酷い棒読みだろうか。
しかし、すかさずガバッと起き上がり反応する香織。キョロキョロと慌てて辺りを見回して、すぐにこちらに気付いたようだ。
「あ、あれ、俊也?」
「おはよう。もう時間だぞ」
「あ、おはよう。
何だ、夢かぁ……」
良かった良かったとでも言うように安堵しながら目を擦る香織。
「俊也がパンを買いに行ったっきり帰ってこなくて……それで、殺人事件に巻き込まれ見つかった夢を見たの……怖かった」
あの後死んだのかよ俺は。というか、買いに行かせたのはお前だ。
「じゃあきっと犯人はお前だな」
「違うわよ。
私はスクープの匂いに気付いていち早く取材を開始したんだから」
その前にまず心配をしろ。せめて悲しむくらいしてくれ。
「取り敢えず、さっさと起きろよ」
「ん……」
促すと香織は羽毛布団からゆっくりと出てきた。
髪の色と合った藍色のパジャマを着ている。
パジャマ姿の為か彼女の体のラインがいつもよりはっきりと目に付いたが、それを悟られまいと窓の外に視線を反らして続ける。
「で?」
「“で”って?」
「だから、今日は何の予定があるんだ?」
何か予定があるからこんな時間に起こさせたのだろうと、誰もが思う当然の疑問を口にしたつもりなのだが。顔を戻すと彼女は小首を傾げてみせていた。
「何も無いわよ?」
「………」
「だって、昨日で部活の用意も終わったじゃない」
「そりゃ知ってるけど……」
「強いて言えば、今日は俊也が起こす番って思ったから、かな?」
……つまる所、単なる気まぐれという事か。いや、何となくそうではないかという気もしていたのだが。こういう時の予想はやたら当たるのはどうしてだろう。
(ま、良っか……)
取り敢えず彼女を起こすという役目は終えた訳だ。何も予定が無いのならば今から二度寝でもさせて貰おう。
そう思って取り敢えず部屋を後にしようと思ったら……
「じゃあ、今から予定を考えよっ」
「は?」
「無難なところでショッピングね。駅前か、それか隣町でも良いけど……
あ、俊也は荷物持ちよろしくね」
パジャマ姿のまま勝手に話を進め出す香織。もう一々ツッコむのも面倒になったので、あれやこれやと宣う彼女を残して一人部屋を出ていく事にした。
階段を下りリビングに戻ると、キッチンから夕凪さんが顔を覗かせてくる。
「トシ君、香織は起きたかしら?」
「えぇ、まぁ……」
一応起こした事は起こした。何だか勝手に話を進めているようだが、それは知ったこっちゃない。
「ごめんなさいね、いつもあの娘が迷惑をかけて」
「まあ、慣れてますから」
「ふふ、幼稚園の頃からトシ君はあの娘に引っ張り回されてたものね」
俺の言葉に彼女はクスクスと子供のように口元を緩めながらこちらにやって来る。エプロンを身に付けた彼女の手にはプレートとお皿が。
「はい、どうぞ。せっかくだから朝御飯、食べていって?」
「あ、ではお言葉に甘えて」
テーブルに置かれたお皿を見て俺は少し間を置いて席に座った。せっかく作って頂いたのだから遠慮するのは失礼だ。
「それと香織の分も置いておくから、あの娘が降りてきたら伝えておいてね?
私はこれから用事があるから」
夕凪さんはもう一つのプレートをテーブルに置いてエプロンを外してみせた。
休日だから仕事は無い筈だが、日頃から忙しい彼女には色々と付き合いがあるのだろう。
「はい、分かりました」
「よし」
返事を聞いた彼女は満足気に頷くと、ソファーに置いてあった鞄を手に取り……
「じゃあ、後はよろしくね〜」
ヒラヒラと手を振ってそくさくとリビングを後にしてしまった。
いくら長い付き合いとはいえ、こうも簡単に家を任せてしまって良いものだろうか。
(ま、香織も居るし問題無いか……)
もうそろそろ降りてくる頃だろうがシャワーや着替えもあるだろうから、こちらは一足先にご飯を頂く事にしよう。
「?」
と、不意に前方からコロコロと何かを回転させるような音がした。
顔を上げるとそこには大きなプラスチックのゲージ。木屑が床に敷かれ巣箱や給水器、かじり木、トイレやエサ入れ等が設置してあり、透明の回し車には愛らしい小動物の姿があった。
穂坂家のリビングにお住まいのゴールデンハムスター、ユメだ。
その愛らしすぎる形容は香織とのやり取りで疲れた心を見事に癒してくれる。
「よぉ、ユメ。おはよう」
コロコロ。
ユメは言葉に返事をするかのように回し車を右に少しだけ回転させる。
「元気にしてたか?
っても、一昨日に会ったばかりだな」
コロコロ。
また右に回転させる。ちょこちょこと動く前足がまた可愛い。
ユメを眺めながら一緒に朝御飯でも食べようか。そう思って再び朝御飯に目を向ける。
「じゃあ、頂きます」
コロコロ。
手を合わせた瞬間、今度は左に回し車が回された。
どうやら先に食べるのはダメらしい。
ご主人様を待っていろという事か。
「分かった、まだ食べないよ」
コロコロコロコロ。
先程より機嫌良く右に回転する回し車。
「………」
ユメがそのまま回し車で運動する姿を眺めつつ、俺はぼんやりと香織を待つのであった。
次回は新聞部のライバルキャラが登場します。
色んな意味で厄介なキャラクターです(笑)
???
「当然ですわ!
私達が非公式の新聞部などに負ける筈ございませんもの!」
俊也
「気持ちは分かるがフライングはするなよ」
???
「ふふ、私に恐れをなしているのが手にとるように分かりましてよ藤咲俊也!」
俊也
「はいはい………」
次回もよろしくお願いいたします!