小道の角を曲がった先
「ふっふっふ」
「のっけから不気味な声を出すなよ」
「んなぁっ! 」
思わず仰け反る香織。勢いそのままに、こちらにグッと詰め寄ってくる。ふわりと香る柑橘系の……いや近いからさ。
「不気味って、失礼なこと言わないでよっ」
「いや誰がどう見ても……なぁ?」
後ろで文庫本片手に欠伸を噛み殺していた向井後輩を振り返る。
「えぇ、学園の正門でいきなり笑い出したらそりゃ気味悪いっしょ」
「そこだけ切り取ったら私変態みたいじゃん! 」
「え? 」
「違ったの?って顔しないっ!違うからっ‼︎ 」
先程まで猫の飼い主探しの為、学内を手分けして回っていた新聞部。今は学校の正門前に集合していた。まだまだ暑い、太陽は頭上に燦々と輝いていやがる。こんな猛暑日はクーラーの効いた部屋にこもるのを区の条例にすべきだよね。
「最近は特に暑いから……香織、少し横になってみたらどうかしら」
「かすみん!それフォローになってないよっ⁉︎ 」
「具合が悪いなら、まずは保健室の方が」
「ユウちゃんまで⁉︎ 」
この炎天下だというのにえらく騒がしい部長さん。こいつの途方もないエネルギーは一体どこから生まれてくるんだ、Nジャ○ーキャンセラーでも搭載してるの?レール砲の火力とルプスの出力の高さよ。
「そうじゃなくて、ようやく私達も力を手に入れた……って事だよ‼︎ 」
「どういう事だよ」
「もうっ、何で分かんないかな」
焦ったそうに地団駄を踏むような仕草をしてから、一旦深呼吸。落ち着いてから「ふふん」と不敵な笑みを浮かべてみせる。ホント忙しないヤツだ。
「あの、生徒会の東雲先輩を味方に付けたんだよっ!これはもうっ、私達新聞部は安泰も同然でしょ!」
「いやいやいや」
「じゃあ学校を掌握? 」
一気に酷くなったしそもそもそういう問題ですらない。
「先輩は、今回の依頼に協力してくれるだけであって。別に肩入れしてくれてる訳じゃないからな」
「なぬっ! 」
「大体生徒会の代表って、あの会長だからな」
「むぅ」
グルグル眼鏡が特徴的な、何世代前だよってくらいの生徒会長。目立つといえば目立つのだが、明日菜先輩は生徒の間でも別格だからなぁ。
と、噂をすれば。先輩が少し申し訳無さそうな顔で香織の前までやって来る。
「すみません、皆さんの活動にお邪魔してしまって」
「そんな、大感謝ですよ!東雲先輩に協力して頂けるなんて、百人力です!」
顔を輝かせる香織に大袈裟だと苦笑する明日菜先輩。
でもまぁ、俺も同意見だ。流れとはいえ依頼に付き合わせてしまって、むしろ申し訳ないのはこちらだ。
「最近、新聞部の方はどうですか? 」さ
「もちろんバッチリ……って言いたいんですけど、中々難しくて、あはは……」
「香織ちゃんが部長なら、きっと素敵な部活になると思いますよ」
何か取り引き先との会話みたいだな。……おかしいな?なんで働いてもいないのにそんなこと思っちゃうのん?労働したくないという抵抗意識の表れか!
「いやー、そんな……でも、念願だった新入部員が1人入ってくれたんです! 」
「いや、見学っすけど」
「そこは頷いてよ⁉︎話進まないじゃんっ」
安定の向井。ツッコむ香織を見つめて、どこか安堵するように優しく微笑む先輩。穏やかな構図だ。
「ごめんなさいね、生徒会としてもそんな無理難題を突きつけるのは本意じゃないはずなんです」
「え? 」
「皆さんと争おうという気は無いのですが……会長も結構頑固な方なので」
「あ、いえ……そんな、東雲先輩が謝るようなことでは!わ、私達にも非があるわけですし ……」
慌てて首を振る香織。おお、あの香織が反省しているだと?これはとてつもない進歩ではないか、時の流れも捨てたものではないなぁ。
「……なんか失礼なこと考えてない? 」
「別に何も」
何で分かるんだよ。でも、クスリと微笑む明日菜先輩を見てると、そんなやり取りも悪くないかなとは思う訳で」
「あなた、わざとやってるとしてもひどく気持ちが悪いから止めた方が良いと思うわ」
「………」
……へこむわぁ。
「彼、どうしたの? 」
「醜悪で見るに堪えない己の感情を吐露して快感を得ているのよ」
「へぇ」
そんな欲求ないからさ。あと火渡も興味ないならいらんこと聞かなくてもいいからね?
霞に根も葉もないレッテルを貼られたところでお時間そろそろ良い頃合い。談笑もそこそこに、一同は正門前から学外へと移動し始めた。
学園前を象徴する並木坂を下り、朝通ってきた通学路を戻ってゆく。
「ところで、私たちどこへ向かってるの? 」
「ん、知らん」
「………」
素直に答えただけなのに、火渡からは呆れたような視線を受ける。いやいや、俺もこれから何をするのかさっぱり分からんのだが。取り敢えず、東雲先輩についていこう。
「公民館、ですか? 」
「はい」
という訳で歩くこと15分、俺たちは小さな公民館へやって来た。ショッピングモールなどがある発展エリアとは逆方向で、閑散とした住宅街にひっそりと建っている。建物を囲むように広場があり、こじんまりとした駐車場が隣接している。
「わっ、懐かしー!ここ、昔お祭りとか来たよね俊也! 」
「ん、あぁ……そうだったな」
確かに。昔、何度か来たことがある。小学生の頃だ、夏になるとここでは小さながお祭りが開かれていた。親や香織の家族に連れられて遊びに来ていたのだ。
……ふむ、今見ると控えめな広場だが、あの当時はかなり広く見えたものだ。ボンボンの灯に屋台がずらりと立ち並び、おっさん達の明るい掛け声が響き渡る。私服の子供達がわらわらと駆け回り、親達は遠目にそれを眺めながら、公民館の前で杯を交わしながら笑い合う。慎ましくも賑やかで、活気のある縁日だった記憶がある。
小学生高学年になると、足を運ばなくなってしまったが。当時の香織はまぁやんちゃというかおてんばだったから、引っ張り回された記憶は鮮明である。……今もそう変わらないケドネ。
あの建物はもっと古めかしかった覚えがあるが、改装したのだろうか、柱や壁は真新しく綺麗だ。時の流れを感じさせる。もういつの間にか7年近く経っていたのか。
「何でまた公民館に? 」
「生徒会は地域との交流を大切にしていて。よく話し合い等で、この公民館を利用させて頂いてるんですよ」
要するに、地域交流の拠点という訳だ。町長や地域の活動に力を入れている人々との面会の場でもあるのだ。
「それで、東雲はここで何をしようと? 」
粋先輩は建物をしげしげと眺めながら小さく首を傾げてみせた。
「予めご連絡を差し上げて、地域に詳しい方に来て頂いているんです。その方に色々とお話を聞ければ、皆さんの助けになるかと思って」
「なるほど、外を一軒一軒回ってみるのは確かに効率は悪いよな」
「はい、まずは大枠からです」
クスッと笑みを零す明日菜先輩。可愛らしい態度にも関わらず、先を見据えた手回しの速さ。伊達にあの生徒会長を支えているわけではないのだ……
明日菜先輩を筆頭に、一同は公民館の方へと歩いてゆく。が、俺はというと懐かしさから館の外装をぼんやりと眺めていた。
「おぉ!凄いよ俊也!流石、生徒会長だよ!」
「いや、副会長なんだけどな。会長はあのメガネの人だろ」
「知ってるってば!これは、えっと、言葉の綾だって」
どんな綾だよ。会長は会長としてすら認識されていないのか……
「ま、そんなことはともかく。部長は全面的にあの人を見習った方が良いですね。特に日頃の行いとか」
「んなっ、どういう意味よ!」
「結構まんまの意味というか、普段から計画的な行動を──」
「ぬぐぐぅっ」
向井の指摘に拳を握りしめて唸る香織。言葉に詰まるあたり、自覚はあるらしい。……自覚するだけじゃ治らないのかぁ。
「俊也!あの後輩やっぱ可愛くないよっ」
「今更何を言ってんだお前は」
「生意気だしっ、言うことキツイしっ」
「いや、深く同意を覚えるよ」
「なぬっ⁉︎ 」
ちょうど俺も同じこと思ってたし。
「この裏切り者!貴様さては東軍につく気だなっ!」
「お前はどこの徳川と戦ってるんだよ」
「うーっ‼︎ 」
こちらを睨みつけ、威嚇じみて唸る幼馴染。犬かお前は。
「……そりゃ、先輩には敵わないわよ」
かと思うと、不機嫌そうにそう口にして俯いてしまう。……おいおい。
「いや、敵う敵わないじゃなくてだな」
「……言われなくても分かってるもん」
「だから、もっと考えてから行動する癖を」
「はいはい、悪かったですね。どうせあたしはダメですよっ、バカ」
……ふいっと顔を背けると、そのまま霞や明日菜先輩の方へ走っていってしまう。すっかり拗ねてしまったようだ。
「……大変っすねぇ」
「事の発端がよく言うよ」
「いえいえ、微笑ましい事で」
そう言い残して、コツコツと向井も建物へ近づいてゆく。
と、後ろから制服の裾が引っ張られた。振り向くまでもない、もう慣れた。
「今のは貴方が悪いわね」
「………」
ぽつりとそう言い残して、火渡もフードを靡かせ公民館の中へと消えてゆく。自然と漏れていたため息の後、足をおもむろに踏みだした。
「どーせ俺が悪いですよ……」
「あら、明日菜ちゃん」
「裕子さん。本日はありがとうございます」
会議室、だろうか。四角い長テーブルの置かれた部屋に辿り着いた。迎え入れてくれたのは、人が好さそうな50代くらいの女性だった。ニコニコと相好を崩して、まだしっかりと黒い髪を優しく揺らしている。
「こちらが、お話した新聞部の皆さんです」
「まぁまぁ、ようこそ来てくださいました」
若いころはさぞかしモテたのではないか、そう思わせる綺麗な女性だ。
「この方は鳥町裕子さん。この地域会の役員をされている方です」
「は、初めまして。新聞部部長の、穂坂香織です! 」
柔かな笑顔を浮かべながら、ゆったりと手を差し出してくる。代表として、香織がたどたどしく握手を返した。
「例えば、地域交流企画の際に話を聞いて下さったり、助言を頂いたりしているんです」
「あらあらそんな……少しでも子供たちのお役に立てればと。それだけですから」
役員の方ならば地域の事情にも詳しいだろうし、学園と関わりが深いのならば尚のこと話を聞いて貰いやすい。これも先輩の人柄や人望が築いてきた繋がりなのだ。今一度、先輩には感謝しなくては。
それにしても、明日菜先輩や愛華のような柔らかく親しみやすい雰囲気だ。良い人である。確信。
「っても、今の生徒会長がパイプ役だと裏がありそうですね」
「……その程度で済めば良いのだけれど」
後ろでは辛口二人が物騒な事を囁いているが聞かなかったことにしよう。
それよりも本題だ。俺たちが明日菜先輩の厚意でここにやって来た理由がある。
裕子さんは俺たちをゆっくりと見渡した後、頬に手を当てて口を開いた。
「それで、皆さんのお話というのは」
「はい、実は……」
✳︎
「ここ……かな? 」
「多分」
公民館から二つ先の十字路を左に、住宅街の裏路地に。昼下がりの閑散とした小道を進んでゆくと、小さな公園に突き当たる。遊具はジャングルジムとブランコのみ、こじんまりとした砂場が目印の公園だ。今時、こんな小さなスペースで遊ぶ子供がいるのだろうか……そんな公園の手前を右に、裏路地よりは開けた通りに出た。
その一角にひっそりと佇む建物に、俺たちは目を向ける。『たばこ』と赤いパネルがどこか懐かしい気持ちを呼び起こす。
「うわぁ、懐かしい!駄菓子屋だよ!」
「最近だと、あまり見かけないものね」
裕子さんから話を聞いて、やって来たのは小さな駄菓子屋だった。昔からずっとあるお店だそうで、彼女も子供の頃のからお世話になっていたのだとか。店主さんがお一人で経営しているらしいのだが、「ペットでもいたら」と最近呟いているらしいのである。まさしく渡りに船、願ってもない偶然だ。
「駄菓子……みつあんず」
「あぁ、アレ美味いよな。上手く食べないと手がべとべとになっちゃうけど」
駄菓子と聞いて最初にみつあんずが出てくるあたり、流石火渡である。……何が?
「ふふ、凍らせて食べても美味しいですよね」
「あ、はいはい!あたしもやりました、ちっちゃな頃! 」
みつあんずを凍らせて食べる明日菜先輩を想像してみる……ヤバい可愛いどうしよう病院へ行こう。
「凍らせるといやあんず棒っすよね」
「あー、あったあった。凍らせすぎると上手く食べられないんだよな」
向井と粋先輩まで乗ってくる。皆あんず好きね。うぐいすあんずってのも何かあったよねそう言えば。
「あら、凍らせるならこの雑草が最初でしょう」
「ちょっと?人のこと勝手にコールドスリープさせるの止めましょうね? 」
「意識があるまま凍ってゆくなんて、夢があるじゃない」
「それ凍死だからな」
夢を見れるの、それ?
「まぁまぁ、霞の気持ちも汲んでやってくれ。俊也くんを凍らせて独り占───痛だだだだ⁉︎ 」
「ごめんなさい、足が滑ったわ」
「思い切り踏んでるけども! 」
「貴方の足がたばこの消し忘れと間違えたのよ」
「似てないぞ」
「迷惑になるところとか、そっくりじゃない? 」
「……言葉の暴力だ」
さて、談笑もそこらへんにして、俺たちは建物の入り口へと歩いてゆく。
正面に立つと、一層懐かしさが湧き上がってきた。
入り口前にひっそりと置いてあるアイスクリームボックス。幅は1メートルくらい、高さはお腹の辺りか。中を除けば、バニラバーやチョコバーといったシンプルなアイス、スイカの形を模したアイスやカップのアイスなど色々あるが、チョイスはどれも昔のものだ。
引き戸の奥、薄暗い店内には中心を囲むようにお菓子の棚が並んでいた。二段構成で、昔懐かしい駄菓子があちらこちらに顔を覗かせている。水鉄砲や縄跳び、お面やメンコまでおもちゃもワクワクと輝いて見える。
………小さな頃、初めて遊園地へ来たワクワクがまた戻ってきたような感覚だ。
「凄い、水あめだよ水あめ!」
「こうやって、ビンに入ってる水あめを見ると壮観ですね」
水あめのビンに飛びつく香織と微笑ましそうに同意してくれる明日菜先輩。まるでお淑やかな姉とやんちゃな妹だ。
「……人参」
「おぉ、懐かしい!あの甘い粒が好きでなぁ」
かの有名な人参の駄菓子に目を輝かせる火渡。粋先輩も懐かしむようにオレンジ色のビニールをしげしげと眺めている。まぁ美味いからなアレ。
「これは……ラムネの王様クッ○ーラムネ。リスとウサギが目印で、かの魚グッピーから──」
「おいその辺にしておけ権利の云々的にアレだから、てかラムネの史上はクッ○ー一択だ異論反論抗議その他一切認めない」
ホントクッ○ーラムネ好きすぎてヤバい。何がヤバいってもうアレだからヤバい。人生の半分を捧げても良いレベル、それは言い過ぎた。しかしあのリスとウサギはいつ名前が付くんだろう……
「俊也!俊也!まけ○グミだよ、まけ○グミ! 」
「はいはいもういいからさ、駄菓子談義は」
「むぅ……あたしの時だけ扱い悪いし」
そんなことはない。
ひとしきり駄菓子でテンションが上がった所で、明日菜先輩が店内の奥へ思慮深く足を踏み出した。
「すみません……いらっしゃいますか? 」
暫く待つも返事はない……いや、奥から物音が聞こえた。更に待つと、引き戸がゆっくりと開かれた。
「おやおやぁ……まぁまぁ」
顔を出したのはお婆さんだ。幾重にも刻まれたシワのかよった顔と白髪からして、年齢は70代くらいだろうか。にこやかに目を細めて、嬉しそうに口元を緩めてくれた。
「お菓子を買いに来てくれたのかい?こんな所にまで、わざわざありがとうねぇ」
裕子さんの紹介だからだろう、このお婆さんも非常に優しそうな方だ。お一人で経営なさっているという話を聞いているが、このご時世だと中々厳しそうだ。
「突然すみません。私達、明条学園の生徒のものです」
「そうかい、明条の学生さんなんだね」
「はい。少しお伺いしたいことがありまして、お邪魔させて頂きました。今、お時間よろしいですか? 」
明日菜先輩は丁寧に、ゆっくりと言葉を紡いでゆく。
「えぇ、こんな老体で良ければ。お話をお聞きしましょうか」
買い物に来た訳ではないのに、お婆さんは嫌な顔ひとつせず、頷いてくれた。
それだけでなく、店の奥へ招き入れてくれる。青畳が敷き詰められ、囲炉裏を中心に囲んだ居間だ。……しかし囲炉裏とは、まるで祖父の家に来たみたいだな。
厚意に甘えて、俺たちは囲炉裏を囲むように座布団に腰を降ろした。
「あの、私達明条学園の新聞部の者です」
「新聞部……今はそんな倶楽部もあるんだねぇ」
「はい。私、穂坂香織って言います」
自己紹介をしてから香織は本題に入ろうとしたのだが、お婆さんがそう言えばと手を打って立ち上がった。そうして、店内にあった冷蔵ケースから水色のビンを取り出してきた。
「この暑さだと皆も大変だろう……ラムネだけど、良かったらどうぞ」
そう、昔懐かしいラムネだ。今やお祭りの屋台くらいでしか飲む機会も無くなってしまった。……きょとんと見つめる俺たちが可笑しかったのか、お婆さんはコロコロと笑ってみせた。
「心配しなくても良いのよ。お金なんてとりはしないから」
「い、いえ!そんな、売り物ですし」
「まぁまぁ遠慮しないで」
そう言って水滴で水々しく潤ったビン入りラムネを差し出してくる。気持ちは大変嬉しいのだが、仮にも売り物だから気が引けてしまう。「お金払います!」と財布を取り出そうとした香織だが、やんわりとその手を止められた。
「売れないでずっと残ってるよりは、人に飲んで貰った方がこの子達も幸せだからねぇ」
無下にしてはならないお気持ちだ。ありがたく頂くことにする。
フタの突起でビー玉を下に押し込むと、ポンっと軽快な音が響き渡る。それを皆がやるものだから、あちこちからリズム良く鳴り続けた。
まだひんやりと冷たいビンを手に、口元から透明の美しい液体を流し込む。ビリっと舌が痺れる感覚に透き通るような甘さが覆い被さる。喉を突き抜ける炭酸の辛さは夏の到来を本格的に感じさせてくれた。
「くーっ!やっぱコレだね!」
「コレ?」
「何のCMっすかそれは」
「うん、ラムネは夏の代名詞だよな」
「えぇ、そうですね」
口々に言葉に、窓際の風鈴が嬉しそうに鳴って同意していた。
「……っ」
くいっと、服の裾が引っ張られる。恐らくいっぺんに飲み過ぎたのだろう、或いは炭酸が強かったのか、霞がキュッと目を閉じて耐えていた。
「ラムネ飲むの初めてか? 」
「……そういう訳ではないのだけれど」
「まぁ、炭酸強めだからな」
わさびの時もそうだったが、辛い、というよりツンと滲みるものが苦手なのかもしれない。……いや、弱点を知ってどうしようという訳ではないのだが。逆に返り討ちにあいそうだし。
ラムネをご馳走になりひと涼み。微かに揺れる鈴の音を耳にして、夏風の心地よさに身をまかせる。捨て猫の話に移ったのは、すっかりお邪魔してしまってから30分も後のことだった。
学園の敷地で猫が捨てられているのを見つけたこと、新聞部として何とか飼い主を探してあげたいこと、しかし現状、学校では上手く見つけられていないこと。だから、学外でも飼い主を探しているという旨を伝えた。
お婆さんは静かにその話を聞いてくれていて、香織や明日菜先輩が話を終えた後優しく頷いてみせた。
「そうだねぇ……こんな家で良ければ、歓迎するよ」
「本当ですか! 」
「あぁ、今度連れておいで」
快く、飼い主になっても良いと言ってくれたのだ。これには、香織や明日菜先輩、何より火渡が大きく安堵していた。優しそうな方だし、これならあの猫も安心して暮らすことが出来るだろう。
「……その子も、もう一人ぼっちになってしまったんだねぇ」
ただ、その寂しそうな声色だけは引っかかるように耳に残った。
家にあげてもらって、ラムネをご馳走になって、お願いまで聞いて頂けたのだ。これ以上長居してしまったら迷惑をかける。ということで、俺たちはお暇することにした。
とはいえ、このまま帰るというのも何だか躊躇われる。それは香織も同じだったようだ。
「皆、せっかくだからお菓子買っていこうよ! 」
香織の提案に異論は無く、皆は小さなピンク色のカゴをもって、思い思いの駄菓子のコーナーへと足を運ぶことになった。
「おやおや、そんな気なんて遣わなくても平気だよ」
「いえ!あたしお菓子大好きなので! 」
申し訳なさそうに言うお婆さんだったが、すでに両手いっぱいのお菓子を抱えた香織の姿を見て、「そうかいそうかい」と嬉しそうに微笑んでいた。
「……人参」
「せっかくだから、この黄色い方を選ぶぜ」
火渡と粋先輩は早速尖った袋を2、3個カゴへと放り込んでいたし、
「この水あめでディ○ンターの彫刻を作って置くとかどうすかね」
「色はどうするのかしら」
「黒蜜混ぜたりとか」
物騒なことを口にしてるコンビもいるし、
「あ、このしゅわしゅわする粉!これを炭酸に入れちゃうとぶわーって噴水みたいになっちゃうんですよ!」
「まぁ、そうなんですか」
思い切りアホな発言をする幼馴染に先輩が耳を傾けてあげていたり。
いつの間にか付いていた柔らかな電球もあって、比較的賑やかな店内となっていた。お婆さんは何も言わず、ニコニコとそれを眺めていた。
「皆ありがとうねぇ、最後にいい思い出になったよ」
だから、帰り際のその言葉も何となく予想出来ていた。
来たときは電気もついていなかったし、まるっきり人気もなかった。お店を象徴していたであろう看板は脇の路地に立てかけられている。
多分、この店を近々閉めてしまうのだろう、と。
「え、最後って……」
香織は予想していなかったのか、驚いたように聞き返す。
「もう、長くやって来たけれど……この辺が潮時なんだよ。お父さんもいってしまったし、あたしもそろそろのんびりしたいからねぇ」
お婆さんはそう言って冗談めかしく笑った。
「お店、閉めちゃうん……ですか? 」
「来週いっぱいでねぇ。でも、最後にこうやって昔みたいに学生さんが来てくれて……この店も幸せだったろうさ」
「………」
悲しそうに尋ねる火渡。他の皆も何とも言えずに言葉を探していたが、お婆さんは笑顔を崩さずに手を振って見送ってくれた。
「……何とか、ならないかな」
その帰り道、案の定香織が口にした。
「何か、とは? 」
「だからっ、お店を……何とか続けられないかなって、」
向井は肩を竦めてため息をつくと、足を止めて真面目な面持ちを向けた。
「それは、俺たちが関与すべき問題ですか? 」
「……そうだけど、でも、」
「部長の言いたいことも分かります。けど、自らの意思で閉めようとしているようだし、変に横槍を入れるのは……返って迷惑かもしれないですよ」
その通りだ。香織の言い分も確かに分かる。あんな光景を見せられては、閉めるというのを止めたくもなる。でも、あのお婆さんの事情を俺たちは何一つ知らないのだ。彼女が決めたことに口出しは出来ない。
「香織……今の気持ちは大切にすべきだわ。それは貴女の良いところだから」
「かすみん……」
「でも、どんな物にもいつかは終わりが来るの。それを止めることは必ずしも幸せとは限らないと思う」
霞は優しく香織に両手を重ねてみせた。それはきっと、彼女だけでなく、恐らく皆が感じていることなんだ。……香織だってきっと分かっているのだ、だからおずおずとだがゆっくりと頷いてみせた。
「でも……」
不意に、今度は火渡が小さくもはっきりと呟いた。再び皆の足が止まる。
「このまま終わっちゃうのも……悲しいと思う」
それもまた、本心なのだ。どうしようも、やはり何とかならないかと。
その時、今度は明日菜先輩が、頬に手を当てて口を開いた。
「もし終わってしまうのを止められなくても……最後に思い出を作るくらい、出来れば良いのですが」
「え? 」
明日菜先輩の言葉の意味がよく分からなかった。思わず顔を上げた香織も、黙って成り行きを見守っていた粋先輩も首を傾げている。
……思い出、と先輩は言った。最後に思い出を作る、それは良い思い出という意味、有終の美の意だ。この場合における良い思い出とは──
「お客さんを……集める? 」
明日菜先輩はニッコリと微笑んでみせた。
そうか、そういうことか……それなら──
「それだよっ‼︎ 」
香織の声がこだまする。
ほほ条件反射のようにこの話に飛びついていた。
「最後の日に、いっぱいお客さんが来てくれたら!きっと、それは幸せだと思う。
だから、私達から今日のお礼ってことで!お店に足を運んで貰えるように宣伝しよっ!」
両手でガッツポーズを作って目を輝かせる幼馴染。何でお前が嬉しそうなんだ、と聞くのも野暮なんだろうな。
「えぇ、そうね」
「あぁ、それなら最高の締め括りになるな」
「ま、終わり良ければ全て良しとも言いますからね」
「もちろん、生徒会もご協力しますね」
皆の表情にも明るさが戻った。まだ出来ることがある、それは部全体の活力としても作用しているようだ。
しかし、流石明日菜先輩だ。問題の認識と対応力、そして咄嗟の機転。つい今、ヒントを与えてくれた。彼女の言葉が無かったら思い付いたかも怪しい。改めて、先輩の凄さに感心していると、裾を引っ張られる感覚が。
「どした? 」
振り返ると、火渡が怪訝な表情でこちらを見つめていた。
「……新聞部なのに、どうしてここまでするの? 」
「まぁ……」
やる気全開で燃えている香織に目を向けて、小さくため息をついてみせた。
「度がつくお節介ってのが、新聞部の部長さんなんだよ」
また依頼?というか問題がシフトしてしまいました。一応予定通りなので、次回で終了します。
駄菓子はウサギとリスのラムネが大好きです。あとはみつあんずですね。
では、次回もよろしくお願いします!




