その想いに応えるとすれば
「そっか、それで優理ちゃんはずっとお世話をしていたんだね」
「……そんな大袈裟な話じゃないけどね」
平和だ。なんと言うのだろう、甘くて柔らかくてふわふわした感じ……わたあめの中にいるような気分だ。うん、わたあめの布団に包まっているような」
「ふふ……詩人みたいだよ、俊也くん」
「え」
嘘……だろ?
いつの間にか口から声が洩れていた……だと?全部聞かれていた?えーと、えーと?嘘だぁ。
「え?え、俊也くん?どうしたの?」
「……うん、なんでもない」
顔を両手にうずめて崩れ落ちる。愛華の心配そうな声は嬉しいが、今はただ辛いだけである。恥ずかしい……頭から布団を被りたいくらい恥ずかしい。何がわたあめ布団だバーカバーカ!
とまぁ。
早速出落ち感が否めないが、俺と火渡は校舎一階のとある部屋に足を運んでいた。その名も天使の休息所、ではなく美術室だ。ちょうど絵の進行を休憩して、紅茶を淹れるところだったらしい。立ち寄った俺たちを招き入れてくれたのだ。
かくして、麗らかな陽射しの暖かさと、絵の具の独特の匂い、加えて美術室の醸し出す優しさを感じながら、小さな小さなお茶会が催された。
「……ふぅ」
あの火渡でさえも心底落ち着いたように、愛華の淹れた紅茶に身を委ねている。これも彼女の無意識になせる空間演出なんだろう。俺なんて言うまでもない、だからあんなポテムチックなことを口走っちゃうんだあーあ、記憶消したい。
「でも……そっか。それで今は飼い主を探しているんだね」
ゆっくりと、丁寧に言葉を紡ぐ愛華にこくりと頷いてから、優雅な手つきでティーカップを啜る火渡。
結果的には小さなお茶会に招かれている最中だが、決して仕事を忘れていた訳ではない。噂のこと。依頼のこと。捨て猫のこと。つい先程まで現状知りうることを話していた。いついかなる時でも仕事の事を忘れない、社会に飼い慣らされる準備バッチリである。
「桜さんは猫、好き? 」
「うん、好きだよ。特に猫は動物の中でもかなり好きかな」
声や仕草はさることながら。
素っ気なかったり、つれない態度が寧ろ可愛いんだそうだ。そう言って微笑む愛華が一番可愛いと思います。おっと危ない、いつものパターンだとここで口が滑るんだよな。ちゃんと学習してる、人間って凄いね☆
「何かペットとか飼ってたっけ」
「ううん、お父さんが動物ダメだから。ちっちゃな頃は飼いたいって駄々こねては怒られちゃってたよ」
「あー、そっか」
少し恥ずかしそうに笑う愛華。
しかしそうか、家がダメだというならば飼い主になってもらうのは難しいだろう。ご両親にご挨拶にでも行かない限り……何それお付き合いの報告ですかマジですかそうですか羨まし過ぎるぞパラレルワールドの俺。
「ほぅ……」
「あなためっちゃまったりしてますね」
「……美味しい」
え?あれ?スルー?
夏の陽気、というのは酷く不釣り合いな表現だが、美術室の雰囲気はそれを演出している。紅茶を愉しむ火渡は大変穏やかな心持ちなのだろう、先程から俺のことはもう視界にすら入っていないようだ。……いや、はなっからアウトオブ眼中か。死語だヤバイ精神年齢バレる。
「そういや、今日部活は無いの? 」
今更ながら、室内には俺たち3人しかいない。静かなこの空間には窓から流れ込んでくる木々のざわめきと仄かに残る、絵の具の香。キャンパスの独特な匂いもそれに混ざる、それが不思議と落ち着きを感じさせているのである。極めつけは天使の、じゃなく愛華の醸し出す柔らかい雰囲気。
優雅に筆を走らせていたから、活動しているものだとばかり思っていたが。
「ううん、これから部活なの。今日は午後3時からだよ」
「あ、なるほど……今は」
「もうちょっとかな」
午後2時48分。そろそろ部員の皆さんも集まってくる頃合いだ、流石に部外者の俺たちが居座っているのはよろしくないだろう。さてと、腕時計を確認する素振りを一つ。不自然にならないように、おもむろに席から立ち上がった。
それにしても、部が始まる前から活動しているなんて部員の鏡、もとい女神。普段から愛華は部以外でもよく活動してるよなぁ、よく雨宮も一緒に──
「今日は雨宮は一緒じゃないのか? 」
「あ、つぐみちゃんね。今日はお家のお手伝いが忙しいんだって。今日、というか昨日もかな? 」
「家の手伝い……」
あぁ、そう言えば。雨宮の実家は確か昔良く行っていたあの神社だと言っていたな。手伝いということは何か特別な行事とかがあるのだろう。巫女とか巫女さんとか巫女様とか俺たちの正義魔女っ娘巫女ちゃん☆とか……良い病院紹介して誰か。
「近くに高度な精神科医はないわね」
「こんな時だけエスパー能力発揮せんでいいからな」
呆れたような火渡の目が。どうやらまだ俺を認識はしてくれているみたいだ。
「俊也くん? 」
「──え、あ、あーっと。神社って、お祭りがあるんだよな確か」
話逸らすの下手すぎ。
「そうだね。もうすぐ大きなお祭りがあるって……8月の中頃だよ」
優しく受け入れてくれる愛華は天使なのか女神なのかどっちもなのか。
「お祭り? 」
「うん。毎年夏になるとね、向こうの神社でお祭りがあるんだよ。屋台とかいっぱい出ててとっても賑やかなんだ」
「」
「優理ちゃんは、お祭り好き? 」
「ないこともない。でも……お祭りとかもう随分行ってないかも」
あまり周りに関心がないっぽい火渡だが、縁日とかには興味があるのかないのか。まぁ日本に生まれた以上、夏祭りへの情熱は誰しも心の奥底に秘めているのだろう。それがジャパニーズソウル。
部員と思わしき生徒たちが少しずつ顔を見せ始めたので、俺たちはお暇をすることにした。
是非。また今度、遊びに来てね。
愛華はそう言って、火渡に弛やかな笑みを送ってくれた。ゆったりとしてした和やかな雰囲気にあてられたのか火渡は上機嫌に頷いただ。二人の相性は結構良いのかもしれない……まぁ、愛華はどんな相手とも仲良くなれる類稀な才能の持ち主でもあるんだが。俺なんかの相手までしてくれるのだから。
「外に出るの? 」
「中庭を横切った方が早いからな」
ようやく高等科校舎を出ると、中庭からの熱気がねっとりと顔にはりつくようにして向かい入れてくれた。……これだから夏ってヤツは。
「暑いわね……」
「夏真っ只中にフード付きの長袖着てりゃ、そりゃそうだろ」
「フードがないと落ち着かないの」
「と言ってもね」
こう暑くてはなるべく外にいたくはない、まして火渡は長袖にフードという重装備である。早いとこ涼しい場所へ連れて行ってやる必要がある。
とはいえ、暑さ故に早く動くこともまた苦である。いや最早動きたくない。ねっとりとした暑さは思考のネガティヴ化まで引き起こす。
「…………」
「おい、大丈夫か火渡。意識ははっきりしてるか?……おい? 」
「…………」
「待て寝るなっ、もうちょっとだ!もう少しで着くからっ」
返事がない。くそっ、こんな所で終わらせてたまるかよっ。
表情はうかがえないが、その瞳には力が宿っていないに違いないのだ。まだ一回しか素顔見たことないけどネ。
「……くぅ」
「まだ意識はあるみたいだな、待ってろ山小屋についたら熱いコーヒーと毛布が待ってるからな! 」
「コーヒー……」
うだるような真夏だからこそ、ギリギリ雪山ごっこをして脳内だけでも寒さを取り入れる試みを………どっから見てもただのアホだった。
てかあまり遊んでると本当にこいつが暑さにやられてしまう。半ば無理矢理手を引いて、炎天下の中庭を抜けていった。
「……涼しい」
校舎に入った途端、心地よい清涼感が俺たちを出迎える。ぐったりとしていた火渡も生き返ったようにその空気を楽しんでいる。
「エアコンってホントに文明の英知だよな。労働意欲を上げて社会に飼い殺すように仕向けるとか最早凶器レベル」
「外に出たくなくなるからむしろ意欲は下がるんじゃない」
「……人類堕落計画の立役者だな」
「何それ? 」
「世の中皆堕落すれば、格差のない平和な世の中がやってくる」
「ひどい考え」
くすりと火渡が口元を緩めた。
我らが英知の結晶エアコンの素晴らしさについて議論を交わしながら、校舎の上階を目指し螺旋状の階段を上っていく。
どーでもいいけど、螺旋階段って下からスカート覗けてしまうのが怖い反面ワクワクしちゃうよね」
「ツッコむ所? 」
「冗談だから携帯をしまってくれ」
お手軽に通報なんかしちゃダメだぞ☆
生徒会室の前の廊下は静かだった。窓から射し込む強い光だけが床に反射して輝いている。周りの空き教室は人気がない、のは分かるのだが、生徒会室の方からも物音がしない。……居ないのだろうか、椎名先輩は居るといっていたが。取り敢えずノックだけでもしてみよう。
扉の前に立つ。よくよく考えると、単なる一般生徒である俺がこんな気軽に訪ねても良いのだろうか。居たとしてもアポ取ってないし。あの生徒会長がいたらちょっと厄介だなぁ。
少しだけ躊躇してから、扉を軽くノックした。会長には、テキトーな言い訳をその場で考えよう。
「はい」
「あ、えっと……」
奥から声が返ってきた。明日菜先輩の声だ。
「えーと? 」
いざ用事を口にしようとして、困った。……なんて言えば良いんだ?
隣の火渡─いつの間にかフードを脱いでいるあたり、マナーはしっかりしているようだ─を見てみるが、彼女は彼女で怪訝な顔付きのままこちらを見返してくる。
さてどうしようかと思っていたら、扉がゆっくりと開いた。
「やっぱり俊也くん、ですね」
ひょこっと顔を覗かせたのは他でもない、副会長の明日菜先輩だ。そう言ってから、どこか楽しそうな微笑みをこちらに向けてくれた。……何だろう、凄く綺麗で可愛くて、って違う違う。
「あ、ども……明日菜先輩」
「………」
思わず二の句に詰まりそうになりながらも、慌てて頭をさげる。そっと横を見ると、火渡は特に感慨もなさそうに軽く会釈をしていた。
先輩は俺たちを交互に見て、少し不思議そうな顔をしたが、何か事情があると察してくれたのか「どうぞ」と招き入れてくれた。何だろう、ただの生徒会室なのに先輩に招き入れられると先輩の部屋に足を踏み入れるみたいでドキドキするな」
「は? 」
「気にせずスルーしてくれ」
火渡からは呆れたような視線を向けられてしまう。やだ、先輩には聞かれていないかしら。
「今日は、生徒会の方いないんですか? 」
「はい、生徒会も夏休みです」
室内には明日菜先輩以外の姿は見受けられなかった。夏休みだし、生徒会だってそう多く仕事はないはずだ。だとすれば何故先輩はいるのだろう。
そんな問いを察してくれたのか、先輩は辺りを見回した後、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ここは静かで日当たりも良いですから、意外と落ち着ける場所なんですよ」
「確かに」
「だから、図書館よりもゆっくり出来たりするんです」
……そうか。夏季休業中に図書館や公民館で勉強する学生と同様に、この生徒会室を利用して自主学習をされていたのだ。この校舎は特定のクラスわけではないから、基本的に静かだしな。
「ってことは、邪魔しちゃいました? 」
「いえ、丁度キリ良く終わったので。大丈夫です」
先輩は柔らかく微笑んで両手を胸の前で合わせてみせた。そうしてテーブルの一角に手を向けて、「どうぞ」と俺たちにも席を勧めてくれた。
「それに、何も勉強の為ばかりにいるわけじゃないですよ。こうして相談に来る生徒さんもいらっしゃいますから」
「あ、なるほど」
おっしゃる通り。先輩はマグカップを3つ用意すると、冷たいカフェオレを淹れてくれた。俺と火渡は一口飲んで冷たさとほんのりした甘さに気持ちを落ち着ける。先のうんざりする暑さが嘘のように、この部屋の心地よい空気に一息ついた。
「それで、どうしたんですか? 」
「そうですね……」
何から話したものか。色々と順序を組み立てようとして、隣の少女のことを紹介するのを忘れていたことに気付いた。
「俺、というよりも彼女が主な相談役なんですが……」
「? 」
ひとまず火渡に簡単な自己紹介をして貰ってから、なるべく簡潔に順を追って説明していくことにする。
中等部の噂のこと。その正体が実は捨て猫だったこと。その猫の世話をしてあげていたこの少女のこと。そして何より、新しい飼い主をなんとか見つけてあげたいと探していること。
「ただ、中々飼い主が見つからないのが現状で」
「……そうですか、そんな事が」
こんな言い方は良くないが、ペットが無責任に捨てられる問題はあちこちで数え切れないだろう。この地域だけでもいくらあるのか想像もつかない。
先輩は心を痛めたように、辛そうな顔を見せた。が、それも一瞬のことでおもむろに立ち上がると火渡の前まで来る。
「お世話、していてくれたんですよね」
「? 」
首を傾げようとする彼女に、先輩は慈愛に満ちたような表情を向ける。そうして、ゆっくりとした手つきで頭に手を乗せた。
「……」
驚いたような息遣いがわずかに漏れたが、優しい手つきで火渡の綺麗な黒髪を撫でてみせた。やだ羨ましい!……どっちが?
「偉いですね、優理ちゃん」
火渡はみるみる頬を赤らめると慌てて離れてフードを被り直してしまう。そのまま何故か俺の後ろに隠れて……え?なんで?
先輩は暫くきょとんとしていたが、やがて「あらあら」と可笑しそうに微笑んで再び席に腰を落ち着けた。おかしい、最近女の子同士のやり取りに全て薔薇を添えてみそうになる。やだどうしようちょっと俺変だ──元々変だったよ!
「あ、えーと、それで新しい飼い主なんですけど……先輩は何かご存知ないかと思いまして」
「ふむ……」
危うく個人的な脱線をしそうになる所だった、いやー怖い怖い。
先輩は、人差し指を当てて天井を見つめるように暫く考えていたが──
「学校内、というのは少し難しいかもしれませんね。夏休みです関心も集まりにくいですし、生徒の一存だけでは中々決められることでも無いですから」
「………」
やはり、そうなのだろう。学校のいくつかに貼り紙をしているが、夏休みに学校に来ているのは中三、高三の受験生か部活動の生徒。受験生はこの忙しい時期だ、見向きもしない生徒がほとんど。いたとしても、今すぐになんて、しかも子供の権限で決められるはずもない。部活だって夏の大会間近、あまり余裕があるとは言えない。
火渡も落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりフードをとって席に戻る。不安そうな顔付きで言葉を待つ彼女に、「ただ、」と先輩が安心させるように付け加える。
「学外、ということならアテが少しあるかもしれません。生徒会長は地域との交流に力を入れているんですよ」
「え? 」
そう言いながら、テーブルの資料を片付け始める先輩。まさか、直接動いてくれるつもりなのだろうか。しかしそれは──
「先輩、えっと」
「私も協力させて下さい。中等部の噂を把握していなかったのは私達のミスです。それで優理ちゃんや他の生徒さんにご迷惑をおかけしてしまったとも言えますから」
「いや、でも先輩のお時間を無闇に割くわけには」
まだ確固たる宛てがある訳でもない。徒労に終わってしまった場合申し訳が立たないではないか。
「……もしかして、俊也くん私がいると迷惑ですか? 」
「いやいやいや!」
寧ろ嬉しい……というのはストレートに口にするには恥ずかしいが、迷惑だなんてそんな事は全くもって無いわけであってそれは──
「そうじゃなくて、えっと、こちらの勝手な都合なのに、だからつまり……」
「ふふ、冗談です」
クスクスと、可笑しそうに笑みを零される。思わず顔が熱くなる……恥ずかしい。あっさりダウンをとられてしまう。
「弱い」
「放っとけ」
火渡からの起き攻めをなんとか避けつつ……てか何でこんなにテンパってんだ俺は。
「話を戻しますが、生徒会の監督ミスでもありますから、放っておいてはいけない問題だと……個人的に判断したので、出来る限りご協力しますね」
「すみません、手伝って頂けると助かります」
「はい、勿論です」
にっこりと。そんな風に笑顔で言われたら悪いお願い事でも断れなさそうだ。男って皆バカなのよね、いや元よりそんな事言わないけどさ、先輩は。
「ありがとうございます、東雲先輩」
火渡も少しホッとしたように息をついて、丁寧に頭を下げる。そんな彼女の手をとって、明日菜先輩は今一度笑いかける。
「優理ちゃんが守ろうとした命、大事にしないといけないって、私も思います。だから、ね? 」
「……先輩」
「それに、いきなり一人ぼっちにされたら、やっぱり寂しいですから……どんな立場でも」
火渡も、その言葉を噛みしめるように頷いてみせた。
明日菜先輩が手伝ってくれるというので、ひとまずその旨を香織に伝えておかなくてはならない。まだ飼い主が見つかったという連絡もない。
全員で学外に出るのか、分担して飼い主を探すのか。部長の意を仰がなくてはならない。
「………」
コール音を耳にしながら考える。
飼い主に捨てられてしまう、それは一体どんな気持ちなんだろう。猫でも人間でも、どんな生き物にも等しく同じ傷を残すのだろうか。その傷を知ってしまった時、知らなかった者はどうすればいい。首を突っ込むのは迷惑で、見なかった振りをするのが正解なのか。
火渡に向けていた先輩の笑顔、それが何故か少し───
『──、俊也‼︎ 』
「え? 」
いつの間にか聞こえてきた幼馴染の声に、慌てて携帯を落としそうになってしまった。




