そして少年は階段を下がる
偶然とはかくも恐ろしい。
甘い声色で微笑む後輩を前に、俺はため息をついた。
つい15分前のことである。
「せーっんぱい! 」
「? 」
購買から部室に戻ろうと廊下を歩いていたところ、いきなり呼び止められた。
振り返ろうとしたのを思い留める。いや待て、これは俺の知らない声だ。ということは俺を呼んだ訳ではなく近くにいた他の先輩を呼んだと見て間違いない、止めとけ、振り返った時に全く違ったら恥ずかしいだろ。
というかもう考えるのメンドーなのでとっとと部室に戻ろう。歩く速度を上げようとしたら、くいっと引っ張られた。
「ちょっ、無視するなんてひどくないですかぁー」
……俺のようだ。
恐る恐る振り返ると、ひらりと揺れる黒髪が目に入る。肩に触れるくらいに伸びた黒髪は窓から射し込む日の光に柔らかく煌めいて。その白く綺麗な右手がしっかりと俺の制服の裾を掴んでいた。
端麗でいかにも女の子らしい可愛らしさの中にあどけなさも残す顔立ち。少しばかり頬を膨らませる仕草はかなりわざとらしい。
やはりわざとらしく上目遣いにされた青い瞳はキラキラと俺の視線へと向けられている。
おいおい。なんて偶然だよ。なんとそいつは、そいつは……………
全く見覚えがなかった。
「……誰? 」
こういう時、素直な言葉が出てくるところは俺の長所だと思っている。相手はあからさまに訝しげな表情になったが。
「重ね重ね失礼ですよねー、せんぱいって」
「いやいや」
え、ホントに見覚えないんだけど。なんなのこの娘。なんでこんなに近い距離感なの。新手の詐欺かなんかですか。可愛い女の子使ってキャッチとかタチ悪いからやめなさい、一瞬釣られてもいいかと思っちゃったぞ。
「せんぱいが私のこと探してたんじゃないんですかぁ? 」
「俺が? 」
知らない、こんなてへぺろきゃるるん系の女の子なんて俺は知らない。
頬に人差し指を当てて小首を傾げる女の子、これはもう悪徳商法ですわ。こんなあざとい仕草を堂々と出来るのは境界線の向こう側の人間だけだ。
こういう手合いにはなるべく関わらずに立ち去るのが吉。手頃な所で話を打ち切り──
「そう聞きましたよ、藤咲せんぱいっ」
「……なん、だと? 」
既に名前が割れている?
いよいよ逃げ場が無くなっていることを意識させてきやがる。恐るべしキャッチ系女子、つーかそのひらがなを強調するような「せんぱい」呼び止めろ。距離感近すぎるから。
「で、ご用があるならおうかがいしますよ」
「てか、なんで名前知ってんの」
「え」
途端に目の前の女の子はきょとんとした表情になった。かと思うと、頬をほんのり染めて両手を当てる。
え、何これ。え、知らないよこれ。何その仕草?いやいや、え?
「それは……」
「なんでしょうか」
思わず敬語になってしまった。が、次の瞬間──
「東堂先輩のお友達だからに決まってるじゃないですかー! 」
距離感は境界線の彼方へと飛んでいった。
恥ずかしそうに身を抱いてみせる女の子。
まぁ妥当なオチか、はは。
「お前も進一のおっかけ連中の一人なのか……」
「ちょっ、そんな人達と一緒にしないでくださいっ。私の東堂先輩への想いは正式で真剣なものです! 」
「はぁ」
要するに同類である。
つーかどんだけモテてんだ奴は。
……いや、待てよ?俺は改めて目の前の女の子に目を向ける。
胸元にピンク色のリボンがついた、半袖の制服。明条の代名詞とも言える赤いラインの入ったスカートは短めで白い太ももがすらりと伸びている。白いシャツからは薄っすらと……いや違う違うそこじゃないっ。
彼女の黒髪。セミロングくらいか、若干茶味がかっているがそれは自然色っぽい。瞳は青く澄んでいる。
この特徴、つい昨日聞いたような……それに俺が探していたとする主張。以上を鑑みるに……
「お前、古湊か……? 」
「そうですけど……え、ホントに分からなかったんですか? 」
「………」
「中等科三年、古湊まつりですよ」
何たる数奇か。
古湊茉莉。依頼目標の当人である。
計算されつくしただろう角度に小首を傾げる目標と、いきなり遭遇した。仕事運あるのかもな、俺。
……マジかよ。予想してたより数倍めんどそうな奴じゃねーか」
「……丸聞こえなんですけど、それどういう意味ですかぁ」
ぷくぅ。思わず擬音が聞こえてきそうなほどあからさまに頬を膨らませる古湊。
第一印象は『なにこれぇ』。次いで第二印象『なぁにこれぇ』。以上。
まぁしかしアレだ。別に俺が直接関わる訳ではない。竹長が彼女にハンカチを返せばそれで良し。尚且つ一目惚れしてしまったというので仲を取り持つまではいかなくてもお近づきになれれば………あれ?
「ちょい待てよ」
「はい? 」
「俺のことなんで知ってたんだっけ」
「だからー、東堂先輩のお友達だからです。東堂先輩だけを見ていたいのに時々視界に入って邪魔──あ、いえ、お顔を見たことありますし」
聞いてはならないような言動はひとまずスルーで。そんなことよりも、だ。
「……お前進一のこと好きなの? 」
「えぇー、何で分かっちゃったんです?もしかして顔に出てましたぁ? 」
「…………」
照れたような仕草を振る舞う古湊。とんでもなく今更だが、当人は全く気にした素振りがない。
最近の女の子って照れさえも作れるんですか、怖いんですけど。
「でも、この話は内緒にして下さいね」
偶然とは恐ろしいもので。俺は今、一人の悩める青年の淡い恋が散るであろう未来を叩きつけられたのである。
「という訳で。古湊本人に遭遇しました」
「「………」」
とある空き教室。机を並べ集まった粋先輩と向井に早速報告である。二人は表情は険しさを増していた。
「東堂くんか……」
重い溜息を粋先輩。今彼の頭の中では様々な可能性の数字がせめぎ合い、無念な結果を弾き出していることだろう。
「まさか、進一のおっかけ連中だとは思わなくて」
本人は否定していたが、似たようなもんなのでまとめておく。
「まぁ、ある意味現実的っすね。彼には気の毒ですけど」
向井も珍しく神妙な顔つきでパソコンに向かっていた。何だかんだ言っても、彼なりに竹長のことを心配して──
「なろっ、回線無言でら遮断しやがった!散々迷惑かけておいて、A2Uのヤツ! 」
「取り敢えずその戦争は終戦だ。さっさと閉じなさい」
「へーい」
思い切りネトゲーをしていた。油断も隙もあったもんじゃない。
「けど、彼女は東堂先輩を好きなんでしょ?竹長にどう伝えるつもりですか? 」
「どうって……そのまま伝えるしかないだろ」
10分後。どんよりと重い空気に押し潰されそうになりながら、体育座りをする竹長が完成した。
「……そうですか、東堂先輩のことが」
声にはすでに諦めが。
「まぁまぁ。確かにそうみたいだが、でもそれは今の事だ。これからどうなるかは分からないだろ? 」
粋先輩はすかさずフォローに回る。確かに、別に進一のおっかけなだけで付き合っている訳ではないからな。
「いえ、良いんです」
「え? 」
「東堂先輩がお相手なら納得ですよ。彼女のような清楚で可憐な方ならお似合いだと思います」
今の所、古湊にその要素は皆無だと感じるのだが。
「それに、あの東堂先輩なら諦めもつきます……」
「「………」」
とはいえ。やはり相手が悪すぎるのか。
何とも言えずに粋先輩と顔を見合わせる。
「ホントにそれで諦めきれんのかよ」
「え? 」
不意に向井が立ち上がった。
「お前は好きだったんだろ?経緯なんて関係ない、好きって気持ちが強かった。何とかしたかった。だからここに来たんだろ? 」
「それは……」
「こんな簡単に諦めてるようじゃ、どうせ次も同じだぞ」
厳しい言葉だ。世の中にはどうしようもない事なんて沢山ある。諦めなければならない事だって数知れない。
それでも、彼は厳しい口調を変えない。
「お前は相手を恐れてるんじゃない。本気でぶつかることを恐れてんだよ」
「……っ⁉︎ 」
「本気でぶつかることをしないやつが、悟ったように諦めたりしてんじゃねぇ。どうしようもなくても、本気で向き合ってるやつに失礼だ」
多分。それは誰でも感じることで、誰もが葛藤することなのだ。
「だから、結果なんて構やしねぇ。本気でぶつかってみろ。大切なのは、どれだけ本気になれたかっつー経験なんだからな」
「向井くん……」
竹長の瞳に光が宿る。かつてない、力強さに満ち満ちた光が。そして立ち上がる。「僕、行ってくるよ」向井に背を向けたまま、空き教室を後にしようとドアに手をかける。
向井はフッと微笑すると──
「だから帰って来いよ、この戦争に。A2U」
PCスタンドマイクをコツンと叩いていた。
向井の頭を叩くのと、竹長を引っ張り戻すのはほぼ同時だった。
……哀れ竹長。Skypeの通話と同時進行で説得されるとは。
「えー、ではこれより。竹長くんのハンカチ返却及び古湊女史へのお近づき大作戦を成功させよう超会議を始めたいと思います」
俺は黒板に思いついた文字を連ねてゆく。所謂書記兼司会進行役という奴だ。粋先輩、向井、竹長の三人は黒板に向かい合うように席に着いている。
「まず、前提として。竹長が一目惚れした古湊女史ですが、東堂進一を好きという事実があるっぽいです」
竹長、古湊、東堂と人物関係図を簡単に矢印で繋げていくっぽい。メンドーなので色チョークは使わないっぽい。この表現最近の流行っぽい。夕立強いっぽい、次のイベントでもよろしくっぽい。何の話だ。
「えーしかしながら、竹長はここで諦めないということで」
コツンとチョークを黒板に叩きつける。ここからがスタートである。
「ここから彼がどう行動していくかが重要になります。これがこの超会議の議題です。では、皆さん思ったことをバンバン発言して下さい」
はい!早速手が上がる。粋先輩だ。
「まずは上手く話をすることだな。キョドったらオロオロしないで、顔を見て話をすること」
「なるほど。対話の基本ですね。竹長くんは特に女の子相手だと上がりやすいからそれを何とかしないと」
女の子との対話経験。
続いて向井から手が上がる。
「プライム小清水さんからの質問っす。『次のイベントはバケツ200で足りるか否か』」
「慢心、ダメ、絶対」
更に竹長からも手が。
「パニックの時に落ち着く方法が知りたいです」
「『俺が知りたいよ』──おい著者のセリフだろこれは」
粋先輩の発言。
「他人の女の子へのアプローチの様子を見て勉強するというのも手段じゃないかな」
「確かに。実践は理論あってのものだねですからね」
他人のコミュニケーションから学ぶ。
最早手も上げずに取り出した紙を手に立ち上がる向井。
「ジーノ来栖さんからの質問す。『友達に勧められた某カードアニメを見たと嘘をついてます。会話についていく為にはどうすればいいですか?』」
「取り敢えず1話と最終話見て、『アキ○ッキー流石だわー』って連呼しとけ」
こうして、竹長応援の為の超会議は溌剌な意見があちらこちらで飛び交い火花を散らす侃々諤々を極めた。20分程で終了した。
「つまるところ、竹長くんが即急に必要なのはこの2点だな」
・女の子との対話経験
・他人のコミュニケーションから学ぶ
粋先輩がまとまたこの2点が、作戦成功に必須なスキルである。
「しかし女の子って、僕女の子の友達いないんですけど……」
「そこは心配いらない」
向井が軽く手を振ってみせる。
「竹長の為に、学園にいる様々なタイプの女子へのコネクションにこの度成功した」
「ホントに⁉︎ 」
「あぁ。つー訳で、人脈を敢えてフル活用して変わった女子を5人ほど集めてみよう」
何故〝敢えて〟なのかは全く謎だが、向井は携帯を素早く打って頷いてみた。
5分と経たず、向井の準備は終わったらしい。空き教室のドアの前に立ち、俺たちの方へと視線を送る。
「揃ったらしいので紹介しよう」
ガラリ。ドアが開かれる。
「左から、冴島五世デッキ開発中さん(17)、クルーテオ前島黒魔術師さん(14)、匿名希望割り切り募集中さん(37)、パズ○ラにハマり過ぎて半別居中さん(31)、私、今なら1億円送金の準備出来てますさん(45)」
「…………」
「皆さんご足労ありがとうございます。では、今から約40分間、彼女達と竹長くんによるドキドキ座談会タイムになります。どうぞ心ゆくまで楽しんで下さい」
「え、ちょっ、え──」
……そういやお昼まだ食ってないなぁ。
「先輩、学食でも行きますか」
「そうだな、ちょっと遅いけどお昼にしよう。向井も一緒に行こう」
「イイっすね、A定食まだあると良いけど」
教室を出た俺と粋先輩に続いて向井も外に出てくる。
ドアを閉めると同時に、音にすらならない悲鳴が聞こえたような気がしたがきっと空耳だろう。見てない、俺は何も見ていない。
■
「翼……あるなら欲しいな、どこまでも飛んでいける白い翼」
「………」
帰って来ると竹長は詩人と化していた。取り敢えず、これで普通の女の子との会話のハードルは物凄く下がっただろう。細かいことは全て置いておく。
「じゃあ、次は他人から女の子へのアプローチ方を学ぶことにしよう」
「はい、よろしくお願いします! 」
1分足らずで竹長謎の復活。
「……てか、他人ても俺たちしかいないですよね」
「「………」」
作戦は着実に階段を下りながら第二フェイズへと移行するのであった。




