その夏の落とし物
「一夏の淡い想い。心の熱は夏の暑さのせいじゃない。ざわめく気持ちは波のように絶え間なく変化しては心の中に打ち付けて──打ち付けて、アレだ……まさにthe青春だな」
「いや上手くまとまらないなら始めから言わなくていいですから」
何故か凝った前口上を口にしつつ(因みにテイク2だったりする)、何度も頷きながら訳の分からないことを宣う粋先輩。隣で一応ツッコミをいれつつ、俺は目の前で座る少年に再び目を向ける。
不安そうな顔をこちらにじっと向けているのは竹長という男子生徒。特徴といえば明るめの茶髪、大人しそうな顔立ちに細身の体つき。まだ話して間もないが、話し方などからも何と無く温和な性格っぽい。因みに学年は一つ下の中等部三年、向井と同学年になる。
「つまり、物陰からコソコソと覗き見ていたストーキング紛いの歪んだ恋心を更生させて、まともな恋愛へ発展させてやるってのが俺たちの仕事というわけっすね」
「歪んでんのはお前の心だからな」
その向井はと言えば、相変わらずのひねくれっぷりを発揮して竹長君を恐縮させまくっていた。とてもではないが、同学年とは思えない態度の違いであるが。
今はそんな事よりも考えをまとめる為に、一旦状況を振り返ろうと思う。そもそも今はどういう事態なのか。
目の前に座るこの少年。彼が新聞部にまでわざわざ足を運んでくれた所から話は始まった。
「ハンカチ? 」
「えっと……あの、はい」
夏休みとはいえ、学校に通わないかと言えばそうでもない。部活というものは、そういう縛りがネックであると言っても良い。
そんな訳で、部室でダラダラと過ごしているところに、控えめなノックがあった。取材だったか何だか、ちょうど出払っていた香織と霞が帰って来たのだろうか。それならばそもそもノックをすることが妙だとやや慎重にドアを開けると、そこには全く見知らぬ少年が立っていた。恐る恐るといった様子でこちらに視線をくれては、すぐ逸らしてしまう。あからさまに挙動不審な、ともあれわざわざこんな辺境の地まで足を運んでくれたのだ。無下にする訳にもいくまい。
そいつは竹長とおずおず名乗った。中等科三年だという。
部室に招き入れて話を聞いてみると、唐突に竹長はハンカチを取り出したのだ。
可愛らしいピンク色の、花柄模様が特徴的なハンカチーフ。どう見ても女物だ。
「落とし物か? 」
「ひょっとしてうちの誰かの落とし物かな」
新聞部の落とし物?
女物であるから、香織か霞のどちらかのものだろうか。いやそれは……
案の定、竹長はブンブンと首を振って違うという意を示した。
「だよなぁ、あいつら二人がこんなファンシーなの持ってる想像が出来ない」
「「まぁ確かに……」」
意見の一致である。
「と、すると……他の生徒の落とし物か? 」
「いえ、はい……あの、同じ学校で、その」
スッと立ち上がった向井は竹長の顔を覗き込むようにして尋ねる。同学年とはとても思えない態度の差である。
「簡潔に、はっきりと」
「は、はいぃ!」
新聞部第二のサド枠の名は伊達ではない。オドオドとした態度に目が据わり、低く淡々とした口調で迫る向井。まぁ、萎縮するわな。
「まぁまぁ、そう怖がらせてやるなよ。取り敢えず学校の人の落とし物なんだな? 」
「い、いえ……落とし物というわけではな、なくて」
新聞部第二の良心の名も伊達ではない。相手を落ち着かせる能力は粋先輩の得意技だ。刑事とか向いてるかもな。
「えっと、だから……」
「要点だけでいいよ、細かい話はそれから」
「はい……」
誰のハンカチなのか。落とし物でなく何なのか。その点だけ口にしろと助け船を出してやる。
竹長はそれでも考えあぐねるように暫く間を置いていたが、何とかまとめたようだ。
「は、ハンカチを返したいんです……‼︎ 」
精一杯、気力を使い果たさんばかりにそう叫び切った。
道中割愛。つまりアレだ、この竹長少年は同学年の女の子からハンカチを借りていたらしい。夏休み前に、転んで怪我をしたそうで、その時居合わせた女の子に応急手当てをしてもらったのだとか。そこで、彼はその娘に一目惚れをしてしまったそうな。
という訳で冒頭に無理矢理持ってくる。
「い、いえ!恋愛とか告白とかそういうのではなくて!ただハンカチを返したいだけで」
「けど、名前も学年も分からないと」
「はい……」
情報はそのハンカチだけらしい。そして返す機を逃し、今日までずっと持ってしまっていた訳だ。
「友達とかに聞いてみたのか? 」
「いや……あの、何かこんな話できなくて」
「……まぁ、そっか」
恥ずかしいのだろう。
つまり自分ではどうしようもなくなって、よりによってこんな辺境の地にまでやって来たというのか。
「まー、要件は理解したけど」
イマイチ釈然としない表情で向井は椅子に腰を下ろした。腕を組んで、片眉を吊り上げながら少年の方を見つめる。
「何だって新聞部に?」
それだ。相談に来るにしても何故ここなんだ。
「話を、聞いて。同じクラスの女の子がキーホルダー見つけてくれて、力になってくれたって」
「あぁ……あの娘か」
向井が仲間になるきっかけとも言えなくもない出来事がこの前あった時の落とし物をした女の子がいたそうな昔々の話であった、言ってて自分でも訳分からなくなってきたのでテキトーに。
「ま、せっかく訪ねてきてくれたんだし。俺達で良ければ力になろう」
流石部の良心、粋先輩。
「まぁやることないし暇だしネタになりそうなら力になろう」
流石部の問題児、向井後輩。
俺も別に反対とかは無いし、持ち主探しの依頼を受けることは問題ない。暇だったし。
「とはいえ……香織たち、いないからなぁ」
俺は改めて室内を見回した。男子四人の姿以外は見られない。
香織も霞も、女性部員がいないのである。何かしらの何だかよく分からない取材へ出て行ったきり帰って来ていない。という訳で今は男子三人のみ。
「あいつら待った方が良いですかね」
「うーん、持ち主を探すのは人数多い方が良いかもだけど。いつ帰って来るかわからないからなぁ」
そもそもどこに行ったのかも知らないのである。
「夏休み中。人そんなにいるかもアレですし、パッパと動いた方が良いかもですね」
「あー、そっか」
「だな。この問題は俺たち三人で解決しちまおう」
人間誰しも、悩める青春の壁にぶちあたることがある。越えられそうになかったり、触れることが恐ろしかったり、気を抜くと背を向けてしまいたくなるような。そんな壁に絶讃向き合っている青少年を、少しでも手伝ってやることは、そんなに悪いことではないはずだ。
✳︎
一目惚れをした女の子。文字通り一目見ただけなので、竹長からの情報はどれも曖昧なものだった。
綺麗な黒髪。可愛らしい笑顔。青い瞳。桜色の唇。透き通るような声。
彼の脳裏に焼き付いているのは、特定が難しい思い出のようなものばかりだ。名前は愚か、学年すら分からないのだ。せめての救いは彼女の私物があること。
「うーん、見たことないなぁ」
「ごめんなさい、記憶にないわ」
ハンカチといっても、市販のものだ。そうそう簡単に持ち主が割り出せるはずもない。竹長の目撃談─多少美化されているかもしれない─との合わせ技で、少しでも覚えがないか聴き込みを続けていく。
「急いでいるんです、すみません」
「申し訳ないですが、今から塾で」
こういう時は根気と潔さが大切だ。話を聞いてくれる人もいれば、聞いてくれない人もいる。人それぞれ事情が違う。特に情報の少ない人探しの場面は、なるべく多くの人間に話を聞く必要がある。相手にされなければ無理に食い下がらずに、次の人間を探せば良い。
竹長が中等科の人間ということと、出会ったのがやはり中等科ということで校舎の目星はつけた。
夏休み中とはいえ、中等科には人は割と通ってきていた。というのも、中等科は夏期講習期間であるからだ。
参加すると内申にプラスの考査を加えるというおまけがあるので参加する人間はいるのである。しかも中学三年ともなれば、受験を控える身だ。内部受験にも外部受験にも、楽をしたいなら高い内申をとりたいのは言うまでもない。
取り敢えず、三人がバラけて聴き込みを開始して。有力な手がかりが得られたのは、動き出してから大体30分程度経ったくらいだった。
「あ、それもしかしてマツリちゃんのかも」
「マツリちゃん? 」
「はい、使ってるの見たことあるかもです。私と同じクラスなんですけど」
学年が一つ下の女の子。三階で尋ね回っていた俺だったが、ようやくそれらしい情報を引き出すことに成功した。
目標もどうやら中等科三年の女の子らしい、やたらこの学年には縁があるな。
「その娘、学校来てる? 」
「来てますよ。というか、さっき職員室に向かっていましたね」
「職員室か。呼び出しとか? 」
「えぇ、服装のことで生活指導とかなんとか」
生活指導ときた。
「……問題児? 」
「いや、不良とか全然ないですよ?まぁただ今時系というか、ちょっとチャラチャラしてる印象はあるかもですけど」
どうやら。俺の中にあったイメージとは正反対の人物らしい。
清楚で可憐でおしとやか。竹長の話ではそんなイメージの女の子が浮かんでいたが………
取り敢えず名前だけを聞いておくことにする。
「もし良かったら呼んできましょうか? 」
「いや、大丈夫。ちょっと訳ありでね」
これは竹長の言っていた人物ではないような気がする。そろそろ頃合いだし、一旦戻って報告と確認をしよう。
「時間とらせて悪い、話ありがとう」
「いえ、東堂先輩のご友人の頼みとあらば!例え火の中水の中です!」
「………」
ここにも進一ファンクラブの人間が………顔割れてんのか。怖ぇ。
「古湊茉莉。三年A組出席番号8。部活は未所属」
「流石だな。生きる明条生徒図鑑改訂版」
「人を使い道のない辞書みたいに言わないでくれます?」
カタカタと叩いていたキーボードから手を放し煙たそうに顔の前で振る向井。
「フツーに学園のサーバーに浸入して個人情報抜き取っただけっすよ」
「それ犯罪だからな向井」
「冗談はさておき。学園名簿からの情報だとこれくらいしか分からないですね」
向井はパソコンを折りたたむと肩を竦める。いかんせんここにいる誰も〝彼女〟の顔を知らないのだ。
「どう?名前聞いたことない? 」
「いや……スミマセン。分からないです」
「ま、そうだよな」
さてはて。俺の手がかりが、果たして竹長を助けてくれた人物とイコールなのか。やはり本人を引き合わせなくては……
「ん?先輩、これ」
向井が何かに気付いたように声をあげる。その手には例のピンク色のハンカチだ。その端っこに彼の視線は
「イニシャル、縫い付けてありますよ」
「「え」」
M.K
小さな刺繍で、そう縫ってあった。
何たる失態か。この程度のものを見落としていたとは。決して自分が優れた人間だとは思っていないが……しかし。
「M.Kか……古湊茉莉。一致するな」
「まー、他にもいっぱいいますけどね。可能性は高いんじゃないスか」
「古湊さん……」
軽く落ち込む自分に構わず、三人はハンカチの刺繍を見て頷き合っている。人のミスを全く責めることのない、なんて良い部活でしょう……単純に俺のこと気にしてないだけだよね、うん。
「まだ確実性はないけど、取り敢えずこの線で追ってみようか」
「は、はい!よろしくお願いします」
先程よりも勢い良く頭を下げる竹長。心なしか元気に見えるのは状況が少し進展したからか。
しかしもう夕方。職員室に呼ばれたという古湊も残っているかは分からない。明日、またこの部室に来るように言って、今日のところは竹長を帰した。それまでに、古湊茉莉という人物をもう少し調べる必要があるだろう。
「そういや、香織たちにこの件話します? 」
「……いや、これは俺たちだけの秘密にしといてやろう。男同士の約束ってことでさ」
「そうですね」
人の恋路をペラペラ喋るというのもあまりいただけない。やや不安ではあるが、この三人でも何とか──
「ついでにこの件赤裸々に記事にすりゃ仕事も出来て一石二鳥すね」
「………」
〝大分〟不安だが。何とかなる……のか?




