ほどほどに……
DVD鑑賞。
それは恐らく、最も幅広い時間の使い方の代表格である。種類、分野、内容、時間、場所、人数。ありとあらゆる方向性に柔軟に形を変えて対応し、且つ多種多様な目的に沿った効果をもたらしてくれる。単なる暇つぶし、勉強の息抜き、話題への便乗、論文の研究対象、好みの俳優・監督、気分転換、現実逃避、デートの雰囲気作り、リア充爆発しろ。実に様々である。一人でも良し、大人数でも良し、二人きりでも良し。かなりお手軽な趣味の一つとしても機能するバリアブルなピースである。
7月23日。
夏休みもまだ始まったばかり、気持ち的には初日に等しい。というか初日だと思いたい、でなければ長期休暇なんてあっという間に終わってしまう。少なくとも始まって5日は初日だ、25までは何とか初日。だからまだ夏休みは始まってほんのちょっとしか経っていない課題諸々は明日以降からにしよう。
というわけで。そんな休み初日の夕方、かく言う自分もDVD鑑賞─まぁ休日と言えばこれに時間を費やす人も少なくないだろう─に時間を費やすことになった。なったのだが……
「よしっ、準備万端!かかって来いっ! 」
「じゃねーよ」
ぱこっ。丸まったノートからは小気味の良い音がした。頭を叩かれた香織は恨めしそうな上目づかいでこちらを睨みつけてくるが、その前に自分の姿を鏡にでも写して見てみると良い。余りにも間抜けな姿がお前を出迎えてくれるだろう。
「お前絶対アホだろ」
「なんでよぅ…」
我が家のリビング。液晶テレビの前では、毛布に包まった香織の姿があった。いや、そんな可愛らしい表現ではかなり説明不足だな。
夏真っ盛りというこの時期にも関わらず、毛布を四重にまで重ねてかまくらのように包まり、両手にはどこから調達したのか数珠が一つ二つ……三つ握られ、ネックレス風の十字架が更に二つ、手元からぶらさがっている。極め付けは一番上に重ねられた深緑の毛布にありとあらゆる文字が書かれたお札がこれでもかというくらい貼り付けられていた。その様は最早妖怪である。
「取り敢えずそっから出ろな」
「だ、ダメだよ!これはあたしの最後の砦なのっ」
「部屋を寒くし過ぎなんだよ、風邪引くわっ」
「だったら、俊也にも毛布にいれてあげるから! 」
「良いからそれを脱げっ!」
「やーっ‼︎ 」
リビングで。不気味な完全武装に身を包んだアホを引っ張りだそうとしているこの状況。一体全体、何だってこんな馬鹿らしいことになっているのか………それは今日の午前中にまで遡る。
「うっ、暑い……」
「エアコンついてないし当然だろ」
部室はまだ蒸し暑かった。どうやら俺たちが一番乗りらしく、電気も付いていないので外にも増して暑く感じられた。時計を見ればまだ10時ちょっと過ぎ。これからもっと暑くなってくるな。
日本の夏特有の蒸し暑さに文句をブツブツと口にしながらリモコンのスイッチを押す。設定温度はまぁ家庭推奨の27度……にするのは室内が快適な温度になってからだな、うん。快適な環境でこそ仕事において十分な力を発揮出来るというものだ、決して地球温暖化に協力しているわけではない。
「あー、涼しぃ〜」
「直に当たるな、風邪引くぞ」
風向を固定解除して、部屋の温度を快適にしながら俺たちは部活の準備を始める。ま、準備っても俺は他の部員が来るのを待ちながらダラダラするだけなんだが。
15分くらい経った後に霞が、更にその10分後に粋先輩と向井が部室にやって来た。向井のやつは、仮入部とか何とか言いつつ、今のところ全くバックれる素振りが無かった。結構律儀な性格をしているのかもしれない。
取り敢えず全員が集まり、来月刊行する紙面についての企画を話し合う。話し合いは、まぁ色々な関係の無い方向へ度々脱線しつつもなんとか進んでいった。因みに、8月の頭は夏期講習という忌まわしいイベントの為に四日間だけ生徒達が学校へ戻ってくる、そのタイミングでの新聞だったりするのだ。
「うーん……ここの間はどうしよっかな」
トップや重要な部分ではないが、しかし真っ白にする訳にもいかない。そういった細かい部分だったり、間々の紙面を考えるのは意外と時間をくったりする。出す時期のコンセプトに合わせたり、トップ記事の企画に繋げるようにしたり、使い方は様々だが、それ故の難しさがあったりする。
「あ、無難なところで」
「ストップ!また変なでっち上げとかじゃないよね?」
「失敬な。そういうニーズの高そうなのはトップとかと差し替えますよ」
「さらっと怖いこと言わないっ」
釘を刺されても斜め上の回答でスルリとかわすあたり、流石の対応である。手を挙げた向井は咳払いを一つ、周りにサッと目を配り口を開いた。
「無難なところで、映画とかどっすか」
「……映画? 」
「夏休みってったら映画。映画館に足を運ぶのもそうでしょうが、学生の経済力も限られてますからね。映画のレンタルとかなら沢山するでしょ、きっと」
なるほど、DVD鑑賞か。暇な学生ならば真っ先に思い付きそうな事である。
「そっか、オススメの映画について、だね」
「なるほど。確かに夏休みの学生相手には、学校新聞らしい企画だな」
香織や粋先輩も納得するように頷いている。これは珍しくすんなり通りそうだ、間の記事についてもスムーズに進んで──
「けど、ここでオススメの映画なんて言って二三作品ポンっと載せてもあんま面白くないっすから」
「え?」
「対象を新作から準新作に限定して、内容を鬱系に絞りましょう。題目はそうだな……『見れば明日から人間不信になりそうな作品ベスト30』とか並べて連中を──」
「却下! 」
……通らなかったなぁ。
「まだ最後まで言ってないっすよ」
「言わなくて良いから!そんなの公開したら確実にうちは廃部にされちゃうよっ」
「あー、それも一興」
「な訳ないでしょっ! 」
まぁ、こいつがそんなに真面目な意見を出すとも思って無かったからある意味予想通りだったんだが。しかし不覚にも少し面白そうだと思ってしまったのは内緒。
「そうね、生徒達を術中に陥らせるならもっと直接的な方が良いんじゃないかしら」
「いやでもそれじゃあ新聞の意味が」
「かすみんも恐ろしい事言わないで!うちは健全な新聞部だよ⁉︎ 」
霞の場合口にすると洒落になってないのがまた怖い……あ、睨まれた。
「けど、映画紹介っていう案のところは良かったと思うぞ。それに二三作品とかじゃ無くて、もっと多く紹介するってところも」
「そ、そうですね」
最早うちの軌道修正役すら担っている気がする粋先輩。彼無しでは話がまとまらないかも知れない。
「それに、新作から準新作に絞るというのも。流行を抑えたい生徒達のニーズには応えていると思うんだ」
「まぁ確かに」
「だから、こういうのはどうだろう」
粋先輩が提案したのは今夏オススメの映画紹介。ただ紹介文はインパクト重視のたったの3行、更にいくつかのジャンルに分けてそれぞれトップ5まで順番をこちらで出してしまうというものだった。
皆に異論は無く、この企画はその形で採用。ただジャンルが多ければ多いほど、調査が大変になるので大まかに三つに分別するという方向で話は進んだ。
アクション、コメディ、そしてホラーだ。
「しかし、更に五つに絞るとなるとそれ以上の数を調べないとっすね。借りる量がえらいことになりそうなもんだけど」
「部費の予算になるべく負担をかけないように、100円の日に一気に借りれば大丈夫!ジャンルも三つしかないから、ジャンルごとに分担して──」
テキパキと進んでいく企画。しかし肝心のジャンル割り振りのところで問題が発生したのだ。
「じゃあ誰がどのジャンルをやるかだけど……まずあたしはアク──」
「部長、ホラーとかどっすか? 」
「え゛⁉︎ 」
目に見えて香織が狼狽えた。その瞬間、向井の瞳には彼女は怖いものが滅法苦手であるのだという情報がインプットされたのだろう、立て続けに口を開いてみせる。
「ホラーものに女性の意見って必須だと思うんですよ、だから──」
「そ、そういうことならほら、かすみんもいるし!あたしはどちらかと言うとアクション系の方が好き──じゃなくて、より理解のある見方が出来ると思うよ、うん! 」
「あれ? 」
待ってましたとばかりにニヤリと口元を歪めるドS部員。
「もしかして部長、ホラーとか苦手だったりします?部長ともあろうお方が、実は物凄く怖がりだったり? 」
「あ、はっは!何言って、そんな事全ッ然ないよ! 」
「ほぅ」
「そんな怖いだなんて、小学生じゃあるまいし!映画なんて所詮フィクションなんだし?真に受ける訳ないじゃん 」
虚勢の分かりやすさで言ったら恐らくこいつの右に出るものはほとんどいない。自覚していないもんだから、その質の悪さは尚更だ。霞も呆れたように小さくため息をついている始末。
「だったら、別にホラーでも良いっすよね。所詮フィクションだし、先輩大人だから怖くなんてないみたいですし? 」
「い、いやでも!ほら、アレ、ホラー映画とかあまり見ないから詳しくないし、別に怖くないけど?でもニーズに応えられる作品を探し出せるかって問題もあるし。あたしとしては得意なアクションを──」
「あ、そこはご心配なく。この間偶然新作のホラー映画をいくつか見たんですがね。これがかなり怖い作品がありまして、ちょいとピックアップしといたんで参考に」
手回しが早いというかここまで来ると最早予知能力である。……こいつ、もしかして誰かホラー苦手な奴とかに見せる為にそういう準備をしていたのか。
「だ、だったら向井くんがそのまま担当すれば」
「それじゃあ面白くないじゃないっすかー。普段見てない方の意見を取り入れた方が新聞的にも良いと思いますよ? 」
「ぬぐぐ……」
まるで狩りの標的にされた哀れな鹿だ。瞬く間に逃げ場を奪われていく。
「……それとも、やっぱ怖いすか?怖くないとか虚勢張ってて、結局部長は小学生並みの怖がりというかヘタレ──」
「上等じゃないっ!中途半端なホラーなんて生温いわっ、向井くんも知らないようなこの夏最も怖い作品をまとめて紹介してあげるんだから!」
ダンっとテーブルを叩いて遂に開き直りの境地に達した香織。完全に、後には引けなくなった、勢いだけの虚勢でジャンルの割振りをしていく。霞と粋先輩はアクション、向井にはコメディ、そして香織と何故か俺までホラー係りへと道ずれにされてしまったのだった。
「以上!では早速今日から始めていくようにっ」
「りょーかいでーす」
やたらと楽しそうな向井の呟きを締め括りに、新聞部による企画が開始された。
……という今朝の出来事があって、何やかんやで時間が流れて夕方に。100円キャンペーン中のツ○ヤに赴いて、向井に勧められた作品に加えて目立ったパッケージをカゴに放り込むだけ放り込んで家路に着いた。ホラーコーナーに向かう途中から「やっぱり止めよう」と喚き出した幼馴染を何とか宥めてうちのテレビの前まで連れてきたのだが、いざ鑑賞しようとすると──
「良いから脱げっ」
「やーだっ‼︎ 」
「部屋の温度下げすぎだっ、このままだと風邪引くんだよ俺が」
「だから、俊也も入れてあげるから!」
「そーゆう問題じゃなくてだな」
ただ見るのがそれ程怖いのか、四枚もの厚い毛布に身を包み、数珠やら十字架やらの訳のわからない装飾品をこれでもかというくらい手に持っているのが現状。毛布にお札を貼り付けているという頭の悪い完全武装で鑑賞に臨もうとしているのだ。
が、真夏に毛布に包まる以上部屋の温度はかなり下げないと熱くて耐えられない。と言うわけで今の室温は何と19度。風邪を引かなくても身体に悪い。
「……分かった。じゃあ、俺は後で見ることにしよう」
「えっ」
「ここ寒いから、部屋で宿題でもしれくるよ。テキトーな数見終わったら教えてくれ。そんじゃ」
……仕方ない、早めに課題に向き合うか。もっと現実逃避してたかったのになぁ。
ため息混じり、毛布の塊に背を向けるとそのままリビングを後にしようと──
「ぐぇ」
思い切り首根っこを掴まれ変な声が出てしまう。振り返れば案の定、青ざめた表情の香織がこちらを見ていて。
「い、いやだなー俊也くん。そんな殺生なこと──」
「………」
「わ、分かったよ!エアコン切るから、毛布毛布も片付けるから!だから一緒に見て、ね?ね? 」
「………はぁ」
エアコンを適温にしめから、幼馴染の毛布をひっぺがしたのだった。全く……先が思いやられるなぁ。
■
取り敢えず後悔した。
せっかくだからと自分達で見繕って借りた奴よりも向井から薦められたものを見ようとその中きら二つばかり鑑賞したのだが……あいつ、恐らく知り得る新作の中でも珠玉のものをピックアップしたのだろう、鳥肌が止まらないくらい怖かった。流石に思ったで留めておけるくらいの分別はあるが、いやしかしこれは夜中になるとちょっと……
ごく一般的な耐性を持つ自分がこうなのだから、香織に至っては言うまでもない。最早、こいつは見てもいなかった。1作品目の開始から間も無く怖いシーンが始まった時にはもう目を塞いでおり、クライマックスではガタガタと震えながら毛布ごとこちらにしがみついてきていた。音すらも怖いのだろう、大きな音がする度に身体をびくつかせ、しがみつく両手を離さず、ただひたすら時を耐え忍んでいた。あまりにも哀れな部長の姿………別に抱きつかれて得したとか思ってないから、良い香りがしたとか柔らかかったとかちょっとドキドキしてたとかそんなん全然無いから。ドキドキしてたのホラー要素の所為だから、その勘違いは吊り橋効果っていうんだよ巷では。
「……はぁ」
取り敢えず、二作品を見て小休止。明かりをつける為に立ち上がろうとしてふと思い出す。ずっとしがみついていた香織を見ると、小さな寝息を立てていた。そう、恐らく本能が限界を察知したのか一つ目の映画が終わる前に香織は眠りにおちることを選択していたのだ。……小学生か。
「……どうするかな」
起こしてやるのは簡単だが、しかし後々が大変そうだ。まぁ選択肢はあってないようなものだろう。
ゆっくりと両手を離させ、向きを変えて仰向けに。そのまま抱えるように彼女を持ち上げ……け、結構力使うぞこれ。日頃からトレーニングとかしとけば良かったと嘆きつつ、彼女を二階に運ぶ。途中何度も腕が悲鳴をあげてたが、何とか歯を食いしばって俺の部屋へ。ようやくたどり着いた部屋のベッドへ、そっとその身体を横たわらせた。
「……筋トレしよっかな」
両腕を眺めて力なくそう思いつつも、掛け布団をかけてやってから下へと戻る。何が大変かって、親御さんへの連絡だ。
案の定、夕凪さんのよく分からないのにキラキラとした勢いの質問やアドバイスが連発されて、迎えに来るのを手伝って欲しいとお願いするはずが、何故か最終的に『香織をよろしくね!』という結論で締め括られてしまった。
『あ、それとねトシ君。香織はあれでも照れ屋さんだから最初は電気消してあげてね?あと服を脱がせる時は焦らないでゆっくり──』
携帯の切ボタンを押してそのままソファに放り投げると、同じように俺もソファへダイブする。疲れが一気に押し寄せてきたようで
、このままここで寝てしまおうかと考えていたのだが。
「………」
静かな夜のリビング。嫌でも先程のホラー映画を思い出してしまう。確かあの映画もリビングで色々と怪奇現象が起こった挙句に殺人鬼の──
「っ」
黙っていると色々と思い出してしまいそうだし、本当に何かが起こり始めそうだ。というか、もしこれから数日に渡ってホラー見続けるんだとしたら……毎日こんな思いをしなくちゃならないのか?
冗談ではない。俺はリビングの電気をすぐさま付けて、香織がくるまっていた毛布を被った。彼女の甘い香りがまだ残るのを感じつつ、リモコンを手に取った。
「……腹、括るか」
こうして、徹夜でホラー映画鑑賞会がたった一人で再開されたのだった。結局、全て俺一人で見ざるを得ない事態になっていることに気付いたのは言うまでもない。
DVD鑑賞。暇つぶしには最適だが、限度は大切に。
 




