窓の外が夏休み
夏休み。
文字通り夏に始まる長期休暇である。さて、休暇という単語を辞書で引いてみよう。
休暇……会社・官庁・学校などで認められた、休日以外の休み。
長期に渡る休日以外の休み、と置き換えられる。では休みとは一体何だろうか。
休み……
1 休むこと。休息。
2 休む時間・日・期間。
3 欠勤・欠席すること。
4 寝ること。就寝。
5 蚕が、脱皮前しばらくの間、桑の葉を食べずに静止すること。眠り。
要するダラダラゴロゴロすることですねわかります。休息の捉え方は千差万別、十人十色だろうが、概ね日頃の職務や学務から解放された状態を維持することで間違いはないはずだ。蚕も食べるの止めてダラダラしてるくらいだからね?つまり、長期休暇はその状態を言わば合法的に長期に渡って維持するべき期間なのである。それは概念的には、サラリーマンにも学生にも与えられる。期間の長さは差し置いて。
しかし待たれよ学生諸君。立ち止まり考え直せリーマン諸君。考えてみてほしい、夏休みに課題を平然と提示する学校、会社引いては社会は果たして我々に休みを与えていると言えるのだろうか。ここは高校生らしく学生の立場で考えてみよう。
結論から言って、学生にとって夏休みとは休みではない。単に学校という組織がお休みになる恩恵に授かろうとする駒同然の存在、それが学生である。よくリーマンは社会の駒だと言われるが、ともすれば我々学生は社会の駒予備軍だ。社会の駒になるべく、社会の理不尽さや矛盾を身を持って体感するように学校で教育される。その一環として、夏休みの宿題がある。長く魅力的な長期休暇を手にいれたくば、苦しく重い課題をこなせと言うのである。一見、それは理に適っているように感じる。だが落ち着いて考えてみて欲しい、長期休暇を手に入れる対価として課題があるのだと仮定すると、それを休暇中に行えというのは些かおかしい。いや、かなりおかしい。対価というのはそれを享受する為に行なわるもの、あるいはそれを享受したから行なわれるものであるはずだ。ならば、課題は夏休みに入る前に行なわせるか、終わった後に行なわせるかどちらかにすべきである。先払いか後払いが、基本的には対価として位置付けるには相応しい。確かに分割払い、ローン組み立ても支払い方法の一つであるが、夏休みを初めて実感的に享受する初等科教育からそんな支払い方法を提案することは果たして正しいのか。否、絶対に間違っている。そんな癖を幼い頃からつけてしまえば、社会に出てもその癖を引きずることは請け合いだ。そんなことは教育機関も重々承知のはずである。ならば、何故長期休暇という報酬の対価を、その報酬を享受させることを否定するかのように課題を押し付けるのか。
答えは至って明確、夏休みは学生にとっての報酬ではないからだ。夏休みとは学校の為のものであり、学校が次のフェイズに移行する準備期間、また教職員が次のカリキュラムに移行する為の準備期間なのである。我々学生はそれをあたかも日頃学業に励む自分達のの為に用意された報酬のように享受しようとしているが、勘違いしてはいけない。学生にとって学業とは義務であり、そこに追加報酬などは皆無なのである。報酬とは学業によって得られる知識や概念であり、それこそが恩恵なのである。決して休息などではない。
故に、学校の為の準備期間に甘んじて休みを取ろうとする我々には課題が与えられる。「勘違いするな、お前達は飽くまで学生なのだ」と訴えかけられているのだ。
ここに、社会に対する我々が理不尽だと考える事象を解消に至らしめる答えがある。夏休みとは、我々がいついかなる時にでも常に学業という鎖に縛られた学生であると意識し直す期間であり、根本的な問題として学生は休みを求められてなどいない。
これが社会の駒予備軍に課せられた宿命なのである。
だが、これに我々は断固反対すべきだ。確かに世の中は不平等のピラミッドだ。人権に対する権利が等しく平等であるという夢物語がこの世の中で保証されているとは思っていない。だが、時間という概念が誰にもほぼ等しく与えられているのだとしたら、我々学生にも同じ程度に純粋な休暇というものを訴える権利はあるはずである。教育機関のお偉方が人類平等思想を推奨しているのだから(甚だ疑問ではあるが)それは通り得ると言えるのではないか。
今こそ立ち上がるべき時だ。ここで燻っていては何も始まらない!
まず、即急にこれまで扱ってきた7月21日から始まる一カ月半を『夏季休業に伴う学生の履修補助期間』と名称を変更させるべきだ。それが出来ないならば俺たち学生を課題から解放して今までの時間を全て純粋な休暇として還元しろ!数学の課題を出すな!勉強したくない学校行きたくない!ダラダラしたい!」
「ほとんど個人的な文句と願望じゃない……」
悲痛な叫びは部室の窓から外へと羽ばたくまでもなく、撃墜されて地面に砕け散った。あぁ、無情なり我が15年の人生は。
「はぁ……」
成條霞からの呆れにも似た視線を感じながら、俺はやるせなく机に突っ伏した。夏なのにまだひんやりとした無機質な木の冷たさが心地よい。今なら俺は筆箱になっても良い。やっぱ嘘、やだ。
「っても、まぁ言わんとしてる事は分かりますけどね。課題が出れば出るほど何の為の休みかって」
「それだっ、寧ろそれに尽きると言って過言でないレベルまできて──」
隣で文庫本から目を覗かせた後輩、もとい向井聖麻がぼんやりとそう呟く。スバリな一言に思わず立ち上がってこの憤りに渦巻く胸中を──真向かいからの冷ややかな瞳がそれを許してはくれなかった。いやー、夏なのに相変わらずクールですね霞さん。
「……本当に、口を開けばろくでもない結論ばかり。凄いわね、この暑さでも頭がやられていないなんて」
「まー、防熱加工は万全だからな。熱暴走の心配もいらない超便利な優れもの」
「……皮肉にも対応して貰えると助かるのだけれど」
7月20日。水曜日。本日も晴天ナリ。
さて、放課後の部室は可もなく不可もないようなのんびりした雰囲気に包まれていた。
それは、現状部室にいるのが三人だけという事実からくるものかも分からなかった。中央の長テーブルに自分と向かい合う位置に座り、ティーカップの紅茶を時折口にしては文庫本のページをめくるか霞。
この時間帯になっても日はまだしっかりと顔を出しているのだから、夏の日の長さを改めて実感せずにはいられない。そして言わずもがな、20日の放課後と言えば夏休み初日とも言って良い。ついに待ち望んだサマータイムに足を踏み入れるワクワクな放課後でもある。やっぱり何事も始まる直前までが一番楽しいよね。
だというのに……
「数学の課題これでもかってくらい出しやがって。何が「これで夏休み中にしっかり復習しとけ」だよ、全然休ませる気ないだろ」
「あら、こうでもしないと数学学年最下位の誰かさんは留年してしまうかもしれないじゃない」
「おい勝手に最下位にするな、下から5番目だ」
「そこのこだわりあるんすね……」
心底呆れたような声色で文庫本をひょいとテーブルに投げ出して椅子ごとこちらへと寄ってくる。
「けど、つーことは学年で五本の指に入る猛者ってことですね先輩。チャンピオン抜いて四天王入りっすよ」
「まあな、俺クラスともなるとチャンピオンロード程度のトレーナー共とは格が違うんだよ。PP減らしまくるゴースト並みの力は確定しているッ」
「ちゃっかり三番目なんすね……」
一位のやつはドラゴン使いか。あの種族値の暴力並みに数学に反抗したに違いない、見習うべき屈強なる精神……見習うべきか?
「開き直ってるにしても、およそ危機感が全く足りていないわね」
「モットーは『前向きに諦めろ』だからな」
「その方向が全て後ろ向きから始まってる辺り……流石だわ」
夏休みといえど、相変わらずのやり取りが一段落着こうとしたその時、ガラッと勢いの良い音が後ろから聞こえた。……帰ってきたか。
「おっ、皆ちゃんと揃ってるね! 」
その勢いに乗っかってきたか、立て続けに明るい声が室内に響き渡る。我らが部長、穂坂香織の帰還である。さながら凱旋の戦士のごとく誇らしげな表情が俺たちに向けられる。
「ふっふ、朗報だよ!私達新聞部の夏休みの活動の許可を勝ち取ったり!」
Vサインの幼馴染。
「いやな、そもそもの話からして、活動が認められるか否かということを聞きにいかなくてはならないこの状況自体がおかしいんだが」
そんな彼女の隣から、呆れたように頭を掻きながら入ってきたのは粋先輩だ。
つまりどういう事だってばよという方の為に説明するならば、新聞部は明日から始まる夏休みに部としての活動を行って差し支えないかを生徒会に申し出ていたのである。香織と粋先輩が代表としてあの会長相手に話をつけに行ったわけだ、結論からして活動の許可を貰ったは貰ったらしいのだが。
「まー、活動許可を直接貰うって状況自体が極めて例外的ですよね。普通のクラブは発足した時点で活動を許可されているもんなのに」
「あー、そりゃあれだ。どっかの誰かさんがここの会長に喧嘩売ったりしたからだな」
「け、喧嘩なんて売ってないよ!あれは理不尽な決定に対する抗議であって──」
「それを一般には喧嘩を売ると言うんだけどな」
「ぬぐぐっ……」
何も言い返せないのか悔しそうに胸の前で拳を震わせ、地団駄を踏みかねない勢いの香織。そこに続け様に疲れ果てたようなため息がなだれ込んでくる。主は意外や意外、粋先輩だった。
「いや……実際香織ちゃんはもう少し先や周りを見た方が良いと思うぞ」
「え? 」
「ひょっとして……またこいつ何かやらかしました? 」
もしかしてまた売り言葉に買い言葉、とんでもない無理難題を喧嘩番長なみに堂々と買って出てしまったのではあるまいな。……ホント、この部活無くなっちゃうよ?サボりとダラけに最適なマイプレイスがッ‼︎
「いや、結果的には何とも無かったんだが……」
「結果的は……」
もう過程があったと言っているのと同じじゃないですか。ちょっと?香織さん?
「まぁ、活動の為の諸注意を会長が言う度に噛み付いては──」
「か、噛み付いてなんていませんよ!」
「まるで敢えて相手の火に油を注ぐような手並みで、当然会長もあんな性格だから『ならばこちらにも考えがある』なんて度々口にするんだが──」
「手並みって、変な言い方しないで下さいってば! 」
「まぁ香織ちゃんも望むところだスタンスを目に見えてとってる──だけじゃなくて口にしようとするもんだから……止めるのに必死でな」
「ちょっと先輩⁉︎わざとですかっ、わざとなんですか⁉︎ 」
深々とつかれたため息は何よりもその大変さを物語っていた。普段のあの分け隔てなく優しい先輩からここまでの本音を叩き出すとは恐るべし香織の猪突猛進振り、もとい破天荒振り。そりゃ疲れるわな……多分俺が一番共感できるだろうというとても悲しい自負すらあるまでだ。
「先輩、お疲れ様です」
「俊也君も、大変だったんだな……困った時は相談に乗るぞ」
「ちょっ、そこ二人!変な意気投合しない! 」
「あ、俺ももっと報道の自由を認めるべきという訴えについて相談が──」
「向井くんも便乗しないっ、それは自由じゃなくてゴシップでしょ! 」
妙なノリにも香織に対する苦労という共通意識はすんなり乗り越えて入ってきた。これが青春で培われた友情という何物にも代え難い宝物……違うな、うん。
「この馬鹿な男子達は放っておくとして──」
「「………」」
絶対零度より来れりその視線。霞に鋭く一瞥されて思わず押し黙る俺と先輩。……先輩若干冷や汗出てません?対して後輩はどこ吹く風というように受け流しているが。
「夏休みの日程を決めるのでしょう? 」
「そうそう!流石かすみん! 」
「香織の件は毎回誰かが付き添いについてあげるということで一旦置いておくとして」
「それフォローになってないよ⁉︎ 」
確かに。ただ霞の意見には皆がほぼ賛成であったのは言うまでもないだろう。
「と、とにかく!これから夏休みの予定を立てるから、皆で会議をします。ほら集まって集まって!」
そんなんでも我らが部長さんなわけです。辛うじて威厳を保とうと咳払いを一つ、手招きをして一同をテーブルに集めた。
代々、夏休みの新聞部の活動は8月に刊行する新聞の企画や準備で基本的に平日は活動、休日は活動無しというスケジュールになっていた。以降はお盆休みから新学期まで活動は少なくなっている。が、今回は少し状況が違う。
「そうなんだよっ、この夏休み中にあと二人は部員を増やさないとならないの! 」
「……中々無茶な条件っすよね」
部員の定数条件。つい先日、生徒会からその条件を突きつけられてしまったのだ。新学期が始まるまでに最低でもあと三人を集めろと、それが生徒会長が提示した条件だった。
「でも、夏休み前に向井くんが入部してくれたんだもん!これは幸先の良いスタートだよ」
「いやまだ入部したわけじゃないんで」
「なっ、こっちもとんだ捻くれ者だ……」
果たしてどこまでが真意なのかはわからないが、しかし取り敢えずは一人部員(仮)は確保出来ているので残り二人というのは概ね間違いない。実はもう一つ条件があったのだが、それは今は置いておくとして。
前置きもそこそこに、8月の新聞を刊行するまでの活動とそれ以降の活動に分けて話し合いをしていくのが本日の予定である。
「では、夏休みの部活の日程について決めて──」
ガラっ。さも乱暴に開け放たれたのか、大きな扉の音が香織の言葉を遮った。目に飛び込んできたのは、艶やかな黒髪、スラリと細身で足の長いプロポーション……そして何より、ギラリと鋭い眼光──
「邪魔をするぞっ! 」
「「「…………」」」
暗殺を目論むスナイパーライフルのごとく、こちらを捉えていた椎名小夜子の眼光であった。多分ここ最近で最も出会したくない人物ベスト5には入るであろう、ア○街で言ったらコレクションより後に紹介されるレベルでの上位警戒だ。
「え、あの先輩一体何の」
「エマージェンシーコールだ。夏季休業中の我々ホームの活動及び組織への警戒レベルについて至急相談せねばならない。メンバー全員の召集だ」
「いやメンバーって」
返しの言葉も待たずに椎名先輩は俺の腕を掴み引き立たせた。メンバーというより最早容疑者扱いに等しい。
同好会の人数三人しかいないんじゃ……いやそもそも、俺は新聞部での活動に参加している訳であって。途中で投げ出すなんてそんな不真面目なこと、する訳がナイジャナイカ。皆何とか言ってやってく──
「なっ」
誰一人としてこちらを見てはいなかった。こ、この……明らかに自分に火の粉が飛んでこないようにしてやがるッ。
いやまだだ!香織が、香織ならば止めてくれるに違いない!部長としてそんな好き勝手はさせないと威厳のある一言を──
「どーぞ。好きに持ってって下さい」
「お前なぁッ」
「べーっ」
さっきの仕返しのつもりなのか、軽く舌を出したかと思うと顔を背けてしまう。
「すまんな、なるべく早急に方針を打ち出し、俊也を君達の元に返すことを約束しよう。しばし辛抱願う」
「あーいえいえ、ごゆっくり」
「残念だけれど、この際居ても居なくても体勢に影響は無いと割り切りましょう」
何それ泣ける。ヒロインなのにファンは愚か公式からすらいらない子扱いされる並みに……いや、そっちのが辛いな。
扉からぐいぐいと引きずられ、廊下を情けなく移動させられる。泣ける。
「連中が妙な動きを水面下で進めているとの情報もある。この休業内に我々としてもそれなりの牽制をしておかねばならないことは明白な事実。しかし功を急ぎ過ぎるとかえってホームを苦しめることになるのもまた明白。今回から特に動きを慎重に、且つ迅速にしなければならないのだ。ゾディアックが狡猾に忍び寄るならば、我々はそれを真っ向から返り討ちに出来る力を確保する為にまず当面は───」
「………」
夏休み。それは文字通り、夏季から始まる長期休暇のことである。しかしそれは学生にとって行為の主体に置かれた休暇ではなく、学校が休暇に入るおこぼれに預かる副産物に他ならない。学生諸君、今一度考え直そう。我々にとっての、我々の為に与えられるべき、学生としての権利を主張しようではないか。
学生が安心して過ごせる、日頃の勉学の報酬として授与される、学校の束縛から解放さるるべき…………俺がダラダラできる夏休みを、勉学も何もしないで惰眠を貪れる夏休みを、クーラーの効いた部屋でゴロゴロゲームをし続けられる夏休みを、31日まで何も気にせず過ごせる夏休みを!
全ての学生という学生の為に、今創造しなければ───
「お、藤咲じゃないか!後で購買の在庫整理手伝ってってよ。この間ツケてやったんだから、お礼してくつもりで」
「…………」
………お休み、来ないかな。
休みたい 入道雲は 遥か空




