屋上って何か素敵な響き
風が頬を撫でる感覚、耳をかすめるのは風が運んでくる音、降り注ぐ光を一身に浴びながら。目を開ければ永遠にも広がる、高く高くいくら手を伸ばしても指先にすら触れる事のない。
空を感じる事が出来る。少しでも近く、少しでも多く、少しでも長く。
1秒と同じ表情を見せない彼が、まるで自分だけに向けられているようで。
屋上。
その場所に心が惹かれるのは、その場所に足が運んでしまうのは、多分それが理由の大半を占めているのだと思う。……なんて、随分痛々しい感慨にふけってモノを言ってみたが、実際は部活とかサボるのに実に最適な場所というものあったりする。
因みに、屋上といえばよく漫画やゲーム、取り分けラブコメや恋愛シミュレーションゲームで取り上げられるスポットでもあるが、俺はそういった事は全く意識していない。当然である、俺にとっての屋上は空の為のもの。自分と空とを繋ぐ場所であり、それ以上でもそれ以下でも………
うん、そういう妄想や下心は中学時代で卒業したんだ。現実の厳しさを十二分に思い知ったから。屋上に居ても、別に何の青春フラグも立ちやしないのだ。
「ん……」
微睡みが心地良い。瞼に当たる光が温かく、風の音は優しく感触は柔らかい。身体は少しだけ重くてダルいが、別段気にならない……というか寧ろ良い。寝転がるにはちょうど良い身体の感覚、よく軽い風邪になった時に感じる感覚に似てるような気もする。
閉じていた目をゆっくりと開けていくと。そこにはいっぱいに広がる青空……では無くて、黒い髪を揺らす女の子の顔が───あれ?
「おはようございます、藤咲くん」
「っ!? 」
驚きのあまり、何故か横に一回転寝返り。慌てていたので肘をぶつけた、一瞬痺れて痛い。
「し、東雲先輩!? 」
しかしそうなるのも当然だ。寝転がっていて目を開けたらいきなり東雲先輩みたいな美少女がいたら嬉し、じゃなかった生徒会長がいるのだから誰だってビックリするだろう。
「おはようございます、よく眠れましたか? 」
「お、おはようございます!今日も良い天気ですね!」
「ふふっ、そうですね。もう2時ですけど」
口元に手を当ててクスリと微笑む東雲先輩は、零れ落ちる日の光も相まって最早神々しさすら感じる程に美しい。
てか、これって結果的に東雲先輩に起こされた訳だよな。全校の野郎共が咽び泣く程羨ましがるシチュエーション……あぁ、屋上に来て良かった。
(どうせだったら頬を突っついてくれるとより実感的な……」
「え? 」
「あ、いえいえ!何でもないです、ホント」
下心は口をついて出やすいのか俺は。周りにもよく言われるが、もっと気を付けないといけないか。
「ところで……藤咲くんはどうして屋上で寝ていたんですか?」
「? 」
「急に起こしてしまって、もしお昼寝していたなら申し訳ないなって」
そりゃまぁ、聞かれるわな。 土曜日は午前授業なのでもうとっくに放課後。何となく部活をサボっているとは言い辛いが、だからと言って内心で語っていた事をいざ口に出すのは相当痛々しい。
「あー、まぁ何というか。ここで横になると、その……空が」
「より近くに感じる? 」
「えっ」
……当たり。
「そうですけど……どうして? 」
「ふふっ、何となくです」
「何となく……」
何となく、か。それは何だかとても気の合いそうな感じではないか、良い感触というか。
「えーと、そういう先輩はどうしてここに」
「少し仕事が一段落ついたので、ちょっと休憩に空を見ようかなって」
「なるほど、それは良いですね」
自然と顔が綻ぶのを感じる。やはり自分の趣味、というか見方を共有出来る事というのは嬉しい事だとつくづく思う。まぁ、ここで変に熱くなったり語りだしたりして歯止めをきかせられなくなったりするような愚かな真似はしないだけの良識はある。そうして失敗してきた過去もないわけでは……うん。
「やっぱり良いですね、屋上って。本当に空が近くなったみたいで」
「えぇ、そりゃもう」
「クスッ」
やや大袈裟に首を縦に振って、もう一度空を見上げる。自分の今の気持ちを表しているかのように、今日は晴れ晴れとした蒼が突き抜けるように天高く広がっている。漂う雲はふわふわと大変気持ち良さそうである。
「そういえば、前々から気になってたんですけど」
「はい? 」
「この学校って毎日屋上開放してますけど、珍しいですよね。他の学校とかって立ち入り禁止とかになってる事も多いかなって」
「あぁ、なるほど」
先輩は納得したようにニコリと微笑むと、どこか懐かしむような表情になった。
「私がこの学校に来た年に、ちょうど屋上が開けられるようになったんですよ」
「そうなんですか? 」
「はい、もう4年前くらいかな。当時の生徒会長さんが教職員や上の方々に掛け合って、屋上が使えるようになったんだそうです」
4年前、というと俺はまだ小学生だな。だから東雲先輩が中学一年の……彼女も中等部の最初からここの生徒だったのか。今まではあまり話す機会も無かったが、とまぁそれはさておき。
「あの、その時の生徒会長って……」
「はい、氷室先輩でした」
「………」
……そういえば、俺が入学して部活に入れられた時にも聞いた事がある。その生徒会長の噂を。
氷室悠妃。
新聞部の元部長であり、恐らく歴代でも屈指の黄金時代を築き上げた人物である。数多くの大会やコンクールでも大きな成績を残し、そのお陰で今でも部の存在が公認されているとまで囁かれている程の恩恵をもたらしてくれた人物だ。俺は彼女について、部長としての一面しか実際見ていないのだが。その前には生徒会も兼任していたことは話として聞いている。
「驚きました」
「? 」
「まさか、あの氷室先輩がそんな事をしていたなんて」
生徒会長であった事は知っていたには知っていた。が、詳しい活動や功績はそういえば知らなかったなぁ。
「ふふっ、明条では伝説の生徒会長さんですから」
「そ、そこまでですか? 」
「はい、生徒会では本当に色々と高名な方ですよ。私も当時から凄く憧れてました」
そうなのか。俺はただ圧倒的な存在というイメージが強かったのみだ。
「氷室先輩は一年生ながら明条学園の生徒会長を任されて、異例の四期連続で務めたんだそうです」
「一年生から……」
「学園内でも様々な催しを企画、宣伝されたそうで。その多くが今も色々な形で健在、今のクリスマスパーティーも元は先輩が一人で提案したんですよ」
初耳な事ばかりだ。まさかクリスマスパーティーの企画まで氷室先輩立案だったなんて。
「色々と学園における問題も解決したりしていて。例えば生徒による遅刻が多いと問題になった時は、いきなり無遅刻強化週間と名付けてその一週間は誰も遅刻をさせないルールを作って、ホントに実現させてしまったとか」
「そりゃ……凄いな」
「その後も遅刻はこれまでよりずっと減ったらしくて」
企画自体は無茶苦茶だが、返ってあの人らしい。
「屋上も、今までは立ち入り禁止だったんですが。先輩が『青春に屋上は付き物だろうっ』って学園側に掛け合って」
「あ、ははは……」
「事故の危険性を無くす為に、柵や校舎周りの堀や段差の修繕工事まで手配したんです。万が一柵が壊れても、絶対落下しないように細かく設計し直せって」
本当に無茶苦茶だ。
この口振りならまだまだ多くの逸話がありそうだが。しかし何だか驚くよりも納得してしまうのは、あの人の良くも悪くもスペックの高さを見せ付けられていたからかも知れない。
「やっぱり、何というか予想の斜め上を行く人ですね」
「そうですね、ホントに」
卒業しても尚、影響を与え続けているのか。どこか可笑しくて二人して笑う。
「けれど、氷室先輩の後に続く生徒会長が変にプレッシャーや劣等感を感じてしまうらしくて」
「あー、なるほど」
誰だって他人と比較されて落とされるのは嫌に決まっている。事実、今の生徒会長であってもそれは同じな気がする。
「けど、東雲先輩だったら負けず劣らず良い生徒会長になれると思いますよ」
「私、ですか? 」
小首を傾げる先輩。長らく生徒会に居たのだから、てっきり生徒会長にもなる考えも持っていると思ったのだが。
「はい、先輩なら人望だって人気だって凄いですし。きっと学園の事を、生徒の目線で考えてくれそうっていうか。あ、でも、流されそうとかそんな悪い意味じゃなくて周りを見てくれるとか、そういう良い意味で」
今の会長みたいじゃなくて。
そう付け加えると、何を思ったのか東雲先輩はクスクスと可笑しそうに笑みをこぼした。可愛い、じゃなくてどうかしたのかな?
「藤咲くん、可愛いですね」
「えぇ? 」
「何だか必死で、まるで怒られる前の子供みたい」
これは……誉められている、のか?取り敢えず恥ずかしい事には変わりない。
「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです♪」
「い、いや……決してお世辞なんかじゃ」
「ふふっ」
って、これじゃあ余計にそれっぽいじゃないか。
けど、本当に東雲先輩が生徒会長になったら……それはこれまで以上に素晴らしい学園になるのは間違いないと思う。氷室先輩とはまた違うが、カリスマ性が彼女にあるのは、周りの生徒達を見ていてもよく分かる。
「あ、そうだ」
「? 」
などとポーッと考えていたら、不意に先輩は何かを思い付いたようにポンと手を打った。よくよく考えれば、目の前にいらっしゃるのはこの学園の生徒会副会長、謂わばナンバーツーである。何だろうと内心少し身構えると、
「私も、寝転がってみようかな……」
「えっ」
飛び出したのはこんな言葉だった。言わずもがな、ビックリである。
「藤咲くんが見ていた景色を、私も見たいなって思いまして」
「いや、でもこんな場所に寝転がったら制服汚れちゃうんじゃ──」
「平気ですよ、そういうコト気になりませんから♪」
意外に茶目っ気のある可愛らしい部分が見れてしまった。という訳で、いやどんな訳だよと突っ込まれたら言い返せないが、俺はもう一度屋上の真ん中に寝転がった。そのすぐ隣でコテンと横にならせられる東雲先輩。何故かお互いの距離が必要以上に近くなって──
「っ」
ふわりと甘い香りに気持ちがくすぐられて。ドキリと、つい目線をそっと横に向けると、先輩が本当にすぐ側に。
……分かってはいたけど、東雲先輩って本当に綺麗な人だよなぁ。こうして間近で目にすると余計に強くそう感じてしまう。そんな風に、途端に意識して止まなくなる。
「? 」
「あ、すみませんっ」
不意に目が合ったので慌てて逸らした。顔が熱くなるのをひしひしと感じつつも、視線を真上に持っていく。
突き抜けるように広がる蒼に気持ちを落ち着かせ、柔らかに吹き抜ける風が熱を冷ましてくれた……気がする。
「……大きい」
「えっ」
「本当に大きいですよね、空」
「………」
先輩は横になったまま、同じように空を見上げて柔らかく口元を緩めてみせた。それは、思わず見惚れてしまうような美しい表情で……
「藤咲くんがここで寝そべっていた理由、よく分かります」
「先輩……」
「ここの屋上から見ると、空が高いくて……綺麗」
まさしく。
秋晴れの空はどこまでも高く広く感じるが、ここの屋上でもまた不思議な程に空が高く感じられるんだ。先輩も同じように感じてくれたのが、無性に嬉しかったりして。普段香織とかに言ってもさっぱり分かってくれないから尚更。
それから暫くの間。
俺は東雲先輩と隣合うようにそっと寝そべって、ずっと空を眺めていた。端から見たらどんな風に思われるのか、少なくとも男子に見られた袋叩きにされるかもしれない─彼女の人気の凄まじさは周りの話を聞きかじりで理解してるつもりだ─ないし、それに近い待遇が待っているかも知れない。
けれど、こうやって誰かと並んで空を眺めるというのも悪くないなと。そう感じるのは相手が東雲先輩だからだろうか。
頬を撫でる風はいつも以上に柔らかかった。
「ありがとうございました、藤咲くん」
「へ? 」
「こんな素敵な景色を見たら、疲れも吹き飛んじゃいますね♪」
生徒会の仕事の疲れだろうか。あの生徒会長の元で働くこと─実質生徒会の仕事のほとんどが東雲先輩の処理する所となる現状らしいことも聞いていたり─もそうだとは思う。
こちらとしても、その笑顔を見れただけで疲れなんて一瞬で吹っ飛ぶといったものである。……こちらは別に疲れらしい疲れも無いのだが。
「今日は藤咲くんにお会い出来て良かったです」
少しはにかんだような(気がする、いや気がしたい)笑顔を向けてくれる先輩。
そこだけリピートしたら確実に勘違いしてしまうだろう、普通の男子だったら。が、自分のように身の程を弁えていればそんな事も──
「東雲先輩、」
スッと、彼女の人差し指が口元に添えられるようにして言葉を遮られる。
「名前で……」
「え? 」
「呼んで下さい。もし差し支え無ければ、これからは、ね? 」
突然のその申し出には一体どんな意味が込められているのか。考えるだけならどんな事でも─的外れな勘違いすらも─頭には浮かんできてしまいそうになるが……いや、問題はそんな所じゃないよな。
先輩の優しさに富んだ表情を見ていれば、それが純粋に人と人との関係として、良好なコミュニケーションを作ろうとしてくれているのだと分かる。だからその好意は甘んじて受けるべきなのだ。
「あ、明日菜、先輩? 」
「はい」
とはいえ、いきなり名前で呼ばせて頂くのは少し恥ずかしくて、妙に途切れたり疑問形になってしまったり。
それでも、満足気に両手を胸の前で併せてみせる明日菜先輩。
その表情にどこか既視感のようなものを覚えたのは一瞬で、しかし何だかいやにはっきり脳裏に映ったような──
「では、そろそろ生徒会の仕事に戻りますね」
「は、はい。お疲れ様でした……じゃないか、お疲れ様です」
「クスッ。
俊也くんも部活、頑張って下さいね」
風に黒髪とスカートを靡かせて校舎に戻っていく明日菜先輩の後ろ姿を見送って暫く、ぼんやりと考え込む。今の妙な既視感のような、モヤモヤと霧がかったように朧気なそれを払おうと──
「やっぱりここに居た!」
バタンっ。情緒もへったくれもあったもんじゃない扉の音に意識が引っ張り戻された。
振り返ると、こちらに向かってくる香織の姿が。
「部活っ、もうとっくに始まってるんだけど」
「あー、うん。そうでした」
「はぁ……」
「相変わらずだね」と呆れたようにため息をつく幼馴染み。確かに相変わらずなので返す言葉も無い。
「そういえば、ここに来る途中東雲先輩に会ったんだけど」
「あぁ」
「もしかして……」
そう言いながら、ジトッとした目付きで顔を覗き込んでくる。心なしか視線が痛い。
「また先輩と“二人きり”で会ってたんだ……屋上で」
「逢い引きしてた、みたいに言うなって。偶々さっき会ってだな」
「前も“偶々”だったよねー確か」
そう言われても本当に偶々なのだから仕方がない。
「前にも言ったけど。先輩、俺と同じで空を見るのが好きだって、ほら」
「ふぅん」
「だから屋上でも会いやすいんじゃないかな」
「……別に俊也が誰と会いたいかとかはどうでもいい、けど」
ムッとしたような顔をしないで欲しい。
……というか、何故言い訳みたいになってるんだろうか。
「そんなにやけた顔とかしてたら、東雲先輩の方が危険だよ」
「んな顔してねーよっ」
「してるし!
……なーんか今も嬉しそう」
ジト目の変わらぬ幼馴染み。まだ何か言いたい事があるようだが、しかし嬉しそうというのは……
「そりゃ同じ趣味の話が出来たら嬉しいというか。ほら、香織たちじゃ相手にしてくれないし」
「そんなこと……」
「屋上で寝転がって空を眺めるとか──」
「そんな事したら制服汚れるじゃん」
「……ほれ見ろ」
えらい違いである。もう何年も空の良さを語って聞かせているというのに、全く進展していないとは。
「東雲先輩も大変だよね、生徒会の仕事に俊也みたいなひねくれ者にまで相手にしなくちゃならないんだもん」
「ねぇ、なんか俺がスゲー面倒な奴みたいな言い方それ。先輩無理矢理付き合わせてるみたいな──」
「先輩優しいから……」
「おーい」
断じてそんな事はない……というのはこちらの勝手な考えだとは思うけど。空を眺める明日菜先輩の表情、本当に空が好きなのだと感じる気持ちに間違いはない。
気になるのは先輩の──
「って、そんなことより。部活始まってるんだからとっとと行くよ! 」
「あ、おいっ。引っ張るなってば」
「いいからっ」
バタンっ。
もう少し居たい気持ちは届くことなく、扉は閉められてしまうのだった。
屋上。
時には予想もしないような出来事をも運んできてくれるらしい。
もしかしたら。とうに諦めていた青春の欠片も、まだ隅っこに落としてくれているのかもしれない……
無論、何事においても過度な期待は禁物であるが。
久々に東雲先輩を登場させることが出来まして……大したオチも考え付かず普通の話になってしまいましたが
そろそろ本編のストーリーに合流しようかなと思います。これからもよろしくお願いいたします!!




