ツケって一度は言ってみたい
金曜日。
または高等部進級2日目。
初日同様、本日も授業は一切無くクラスのHRとオリエンテーションだけという学生にとっては嬉しい日程となっている。
そして、昨日同様幼馴染みに叩き起こされ─強制起床時間こそは違えど─引きずられるように学校に連れて来られた俺は、現在教室で退屈この上無い午前のHRを受けているのである。
HRの内容はどうでも良い担任の前置き、高等部としての生徒の自覚云々、教科書やその他道具販売の件、新生活への言葉等々、実に昨日のHRとほぼ変わらぬものだ。
違うのは後で体育館で行われるオリエンテーションの事前注意くらいか。
そして今はHR最後のイベント『自己紹介タイム』が執り行われている。
「えー、では次の方」
「はい。
僕の名前は斎藤……」
教壇に立つ担任と思わしき男性が片手に持った名簿から指名して、呼ばれた生徒は立ち上がり簡単な自己紹介を行っていた。
が、申し訳無いことに俺は周りのクラスメートの紹介をほとんど右から左に聞き流していた。
正直先程から眠くて仕方がないのだ。流石に自分の番が来る前に寝るのは進行に支障をきたすだろうと憚られたので我慢している。
故にクラスメートの名前どころか顔すらもろくに見ていない。
申し訳無い、原因は全て後ろの女にあるのだ。恨むなら奴を恨んでくれ。
まぁ尤も、自分のような平凡な人間がどうしていようと周りは気にも止めないとは思うが。
「えー、次は桜さん」
「はい」
眠気は一瞬で覚めた。
「中等部から進級しました、桜愛華です。
趣味は絵を見る事や描くことです。
中等部から美術部に入っています。
皆さん、一年間このクラスでよろしくお願いしますね」
最後はニッコリの天使の微笑み、まさしく完璧な挨拶だ。
おおっとばかりに男子達の色めき立つ声が聞こえる。恐らく中等部からの奴らは勿論、高等部から編入してきた奴らもレースに加わったようだ。野郎共の熱い眼差しが窓際の彼女の席に注がれているのをひしひしと感じた。
またライバル達が増えたのか。道は更に険しくなりそうだな。
「では次の方、佐々木さん」
「はーい」
眠気は一瞬で戻ってきた。
再びクラスメートの自己紹介は右から左へと流れていく。
俺はぼんやりと窓の外へと視線を向けた。外に広がる澄み渡る青は退屈な心を癒してくれる、ような気がする。
「次、東堂君」
「はい」
む、進一の番か。
なるほど、クラスの女子達が途端に色めき立っている様子が手に取るように分かる。
「東堂進一です。
中等部から上がってきました。剣道部に所属してます。これからよろしく」
爽やかな挨拶だ。
これで第一印象も完璧、今日彼を初めて見る編入生の女子達にも人気が一気に広がる事であろう。本人に自覚は無いのだろうから、ある意味気の毒だな。
「ふわぁ……」
進一の挨拶が済んで、また新しくクラスの自己紹介を子守唄代わりに聞き流していた俺は小さく欠伸を噛み殺そうと……
「次、藤咲君」
「ふぁい?」
いきなり担任に指名されて間抜けな声を上げてしまった。
自己紹介の順番がここまで来ていたのか、気付かなかったな。取り敢えずテキトーに済ませて、さっさと寝よう。
「藤咲俊也です。よろしくお願いします」
自己紹介終わり。
軽く会釈をしてそくさくと席に着き直す。
やや呆気にとられたような周りの様子は少々気になるが─他の生徒がしっかり自己紹介している中、たったの二言で済ませたからだろう─、仕方あるまい、眠いのだ。
(ちょっと俊也!
もっとちゃんと挨拶しなさいよっ)
すかさず後ろから囁き声で注意が飛ぶ。
お前は俺の母親か。
「えー、では次は穂坂さん」
担任は後ろの席の香織を指名した。彼女はまだ何か言いたげな視線を向けてきたが、呼ばれた手前もたもたとしている訳にもいかない。
「はい!」
後ろの香織が元気良く立ち上がったの見て、俺は前に向き直る。
「初めまして、穂坂香織です!」
彼女の姿に周りの見知らぬ周りの男子達は目の色を変えていた。
綺麗なサファイア色の髪、可愛らしい容姿、明るい性格。香織も清楚でおしとやかな愛華とは違うタイプだが人気が出る美少女だろう。
まぁ正直、俺はどうでも良いのだが。
「中等部からの進級です。
新聞部に入部してます。
毎月第一と第三月曜日に新聞を出しているので、見て頂けると嬉しいです♪」
さて、寝るか。
「これからよろしくお願いします………って、ちょっと俊也!何で寝始めるのよ!!」
「………」
こ、こいつ……
静まり返った教室で一体何を言い出すつもりだ。
机に突っ伏して寝た振りを続けるも、次々と俺に対する視線が集まってくるのが肌ですら感じられる。それがどのような類いのものかまでは分からないが、注目されているのは確かなようで。
顔を上げずともかなりの居心地の悪さを感じるのは気のせいでは無い、な。
「え、えー、穂坂さん?」
「あ、すみません!」
担任と思わしき声が遠慮がちにすると、慌てたような香織の声と共に席に着く音がした。
助かった、名も知らぬ担任の先生よ。今度名前を覚えます。
「では、次は牧原君」
「へーい」
その後、自己紹介は続いていったが、俺が寝た振りを止める事は無かった。
「ったく……あいつは」
「あっはっは、穂坂らしいな」
HRが終わり半ば逃げるようにして教室を出た俺は一緒について来た進一と校舎の廊下を歩いていた。
先程のHRの一件で何となく教室に居づらくなり、休み時間を使って抜け出した
「はぁ……高校生活2日目にして既に教室に居づらいとは」
「今更何言ってんだ。穂坂とお前が夫婦同然なのは周知じゃねーか」
「頼むからその表現は止めてくれ。
大体、学年の編入生だって少なくないんだぞ」
そう言う紛らわしい言い回しが誤解を生むのだ。
編入生だって少なくないってのに。
それに俺と香織が幼馴染みだという事実は中等部の人間だって知らない奴は幾らでも居る筈だ。
同学年全員と友達という訳じゃ無い。ましてこれ程大きな学校なら尚更だ。
「またまた、お前らいつも一緒じゃないか。
いやはや、それを羨ましがっている哀れな男子がこの学園に何十人居ることか」
「誤解も良いところだな。
ただの腐れ縁だよ、腐れ縁」
本当にれっきとした腐れ縁、それ以上でも以下でも無い。替われるものならば是非にでもそうしてやりたい。俺だって他人事という目線で見る事が出来る立場に一度で良いから着いてみたい。
しかし、大袈裟な表現というものは冗談でも止めて欲しいものだ。噂にでもなったらどんな目に遭うか分かったものでは無い。
人から人へと伝播する噂は本当に恐ろしい。伝言ゲーム等が典型的な例だ。尾ひれえひれが付くのは当たり前、最終的にどんな話になるかは広めた者にすら想像の付かないモノになっていたりする。
「ま、冗談だ」
「はぁ……」
やはり、からかわれただけのようだ。
進一の含んだような笑みが気になったが、俺は言葉を返す気にもなれず足を進める事にした。
「集会までまだ時間もあるし、購買でも行くか?」
「そうだな」
特に行く宛も無く廊下を歩いていたが、時間が潰せる無難な場所に向かう事にした。
ちょうど小腹も空いてきた所だ。
校舎を出てすぐ近くの敷地内に設置されたホール状の建物に向かった。高等部用の学食である。
この場所の説明は、またいずれという事で。
入口のドアから入ると、中にある数多くのテーブルと席を抜けて、ホール内の一角にある売店へと足を進める。ここが学食内にある購買部だ。
「おやぁ、誰かと思えば藤咲じゃないか」
高等部の前まで来ると、一人の女性が番台から顔を覗かせてきた。彼女はこちらに気付くとニヤリと笑みを作ってみせた。
「休み前以来、久しぶりだね」
緋色の長い髪を後ろで結っており、凛とした顔付きで綺麗という言葉がピタリと当てはまる容姿の女性だ。
「で、ご注文は?」
「あぁ。おばさん、焼きそばパンをひ……」
突如、俺は後頭部に強い打撃を受けて思わずよろめいてしまった。
一瞬目の奥に星が散ったような錯覚に苛まれつつ、軽く頭を振って視界を戻す。
痛む頭に構わず顔を上げると、番台からは先程の容姿が嘘のように鬼のような形相をした女性が右手で拳を作りながらこちらを見下ろしているではないか。
「おいガキ、今何て言った?もう一度言ってみな」
「………訂正します。
お姉さん、焼きそばパンを一つ売って頂けないでしょうか?」
「よろしい」
この物騒極まり無い女性は購買部のおば、お姉さん。
名前を高円寺藍
年齢不詳─聞いたら生きては帰れない─、エプロン越しだが胸は大きく細身でモデル並のプロポーション、ご覧の通り戦闘力も並々以上に高い。
生徒達からの色んな意味で人望も厚い女性だ。
「こんにちは、高円寺さん」
「あら、東堂君。
まだこのバカに愛想を尽かしてないんだね」
「ま、何だかんだの付き合いですから」
未だに続く痛みに頭を擦っていると、隣の進一が一歩前に出て軽く会釈すると藍さんは腕を組んだままそう返してみせた。
彼女と俺達との関係は一重に説明するのは難しい。
簡単に言えば、入学したての俺達が色々とお世話になり、以後も何やかんやで付き合いがある人だ。
「あ、藍さん。
後麦茶のペットボトル一つ」
「合わせて250円ね」
「ツケといてくれ」
サッと手を挙げて印象が悪くないように爽やかにそう言ってみせたが、次の瞬間胸ぐらを掴まれて瞬く間に宙吊りにされてしまった。
つーか、高校生の男子を片手で持ち上げるとかどんだけだ。
「ああん?」
「すみません、払います。払わせて頂きます」
軽いジョークだというのに。まぁ向こうもそれは分かっているとは思うが、それでも痛い目をみたくないのですぐに訂正した。
この人は怒らせると本当にヤバいのだ。
・・・・・
「じゃあ、俺達はこれで」
「失礼します」
「はいはい、気ぃ付けなよ」
学食の片隅で適当に時間を潰した俺達は徐々に人が増えてきて仕事をする藍さんに挨拶をして購買を後にした。
校舎へと戻り自分達のクラス、一年C組の教室へと向かう。
正直、あまり戻りたい気はしないのだが。
「さて、この後は体育館だな」
廊下を歩きながら進一がこちらに顔を向けてそう言ってきた。
この後、体育館で高等部一年生に対する生徒会運営のオリエンテーションが開かれる。
といっても、生徒会による挨拶や学園の様々な説明等の小さな集会なので、はっきり言って新入生用の催しである。つまり元々在校生だった者にとっては退屈極まり無い時間になるのだ。
言うまでも無い事だが、その数十分間を起きているつもり等毛頭無い。
寝て過ごす、それに限る。
何と自堕落な決意を固めつつ、俺は内心で肯定するように数回頷いてみせた。
自覚があるだけマシなのか、或いはもう手遅れなのか。
どちらでも良いか、ともかく今は教室に戻ろう。
「う、うぅ……」
「「?」」
教室を目指し、ちょうど階段の前の角を曲がった時だった。
一本の手が足元に伸びてきた。一本の手が、こちらの行く手を阻むように伸びてきた。
血と泥がこびりついたその指先は、切り傷がやたらと目立つ腕は、ふるふると力無く震えている。
「う、うぅ……」
その腕の先。
見れば廊下に腹這いになって倒れている学ラン姿の男子生徒の姿があるではないか。
着ている学ラン背中だけでもはボロボロ、切り裂かれた跡や砂ぼこりがあちこちに目立っている。
一体何なんだコレは。
何故この男は倒れているのか。何故服がボロボロなのか。何故こんなに傷だらけなのか。
事件か事故か。
この状況からして前者の可能性が極めて高いと見た。
高校生活2日目にして大事件発生である。
こういう時は香織の出番だな。スクープを前にして目を輝かせる様子が目に浮かぶ。
「腹……」
「「?」」
と、呻いていたボロボロの男が何かを呟いた。僅かにだがそれを聞いた俺と進一は顔を見合せる。
目撃者である俺達に何かを伝えたいのか、ダイニングメッセージだろうか。
俺達はそっと屈んで男の側まで寄ってみる。
すると再び……
「腹、減ったのぅ……」
唸るように低く、しかし消え入りそうな声がそう呟かれると同時に、伸ばされていた手がパタリと落ちた。
取り敢えず合掌。
チーン、なんまいだぶ
倒れていた男は一体。
そして放課後の新聞部はどうなる。
次回はこの話になります。
今回出てきた藍さんはまた詳しく説明する時があると思うので、またいずれ。
では、次回もよろしくお願いします!