一期一会
「んーっ、終わっちゃったか……」
「うん、本当に熱い二日間だったね」
あかね色に染まる空。
第何回から忘れたが、剣道県大会の会場から俺達が出てきた時にはすっかり日も沈み行く夕暮れ時だった。
両手で伸びをしてみせる香織ではないが、俺も結構疲れたのは事実だ。何だか異様に。
「でも、惜しかったな……東堂君、あと少しだったのに」
粋先輩の言葉に、新聞部のメンバーは同じように悔しそうな表情で―霞は相変わらず無表情だったが―俯いてしまう。
調子が悪く思わぬ苦戦を強いられていた進一だったが、後半からは怒濤の快進撃を見せ付け一気に決勝戦まで駒を進める結果となった。これには周りは唖然、ここを好機と意気込んでいた他校のシード達は再び肩を落とす結果となったのである。まぁ、去年だって決勝戦に出ているのだし、快進撃というよりは元の調子に戻ったという方が正しい気もするが。
決勝戦は例年通り、前回覇者の科瀬と進一の組み合わせ。進一にとっては絶対に負けられないリベンジマッチとなったのだが……軍配は科瀬に上がった。進一が調子を取り戻したてというのもあったが、相手の実力はその何倍も上回っていたのだと改めて実感させられたのだった。悔しいと語る進一ではあったが、それよりも満足した表情が印象的であった。次は絶対に負けないとその瞳には力強い光が宿っていたのだった。
きっと、西宮さん達のおかげだ。彼等の間に、新しい道が見えてきたのだと。
「うー、悔しい!今からあの科瀬って男子にリベンジのリベンジを──」
「まぁまぁ、香織ちゃん」
「だって、東堂君と優勝トロフィーのツーショットを一面にする予定だったのに」
まぁ、本人以上にこの幼馴染みがめちゃくちゃ悔しがっている訳だが。それを宥める愛華はずっと自分達に付き添ってくれていた。
「でも、東堂君とても満足気だったよね。何だか羨ましかったな、そういうの」
愛華の隣で、同じく2日とも応援に駆け付けてくれた雨宮が思い出すように微笑んだ。それを聞いた香織は「確かにそうかも」と不思議そうな表情で小首を傾げる。しかしまた悔しがってうーうーと犬のように唸り始めた。
かと思えば……
「そういえば、俊也君はどこに行ってたんだい?昼休みが終わっても暫く姿が見えなかったけど」
「えっ」
「あっ、そうだよ!
起こさないでわたしの事も放置してたしっ」
島先輩の一言に今度はこちらへ矛先が。思い出したのか頬を膨らませて不満の色を露にする。忙しない奴だ。
「お前は粋先輩に運んで貰ったんだし良いだろ、女子達が羨ましがることこの上ない」
「そういう問題じゃっ──あ、先輩にはご迷惑おかけしまして、すみません」
「いやいや」
軽く肩を竦めて応える先輩は格好いいが。その横からスッと出てきた霞は意味ありげに微笑していて。
「あら、香織は俊也にお姫様抱っこしてもらいたかったのかしら? 」
「えっ、ち、違うよっ。そんな訳微塵も──」
「つーか、俺じゃ重くて運べねーだろ」
「んなっ!?お、重いって言った!?今重いって!! 」
「あ、いや、単に自分に力が無いって意味」
「これでも、影でちゃんとコントロールして──、あ」
全く余計な一言に関しては霞に勝る者は無いのではないか……てか、香織はコントロール中なのか。意外や意外。
ギャアギャアと騒ぎ立てる俺達は他校にとっては迷惑になるかもしれない、そんな事を考えていたら……
「……俊也さん! 」
「ん? 」
後ろからはっきりと聞こえてきた声に足を止めた。
「あれ、愛奈ちゃん? 」
愛奈ちゃんだ。急いでこちらに駆け寄ってくる。
「あ、香織さん。それに皆さん、こんばんは」
「うん、こんばんは。
東堂君惜しかったね、とっても!」
「ふふ、でも兄さんは満足そうでしたけれど」
ひょこっと顔を出した香織に、それから周りの皆にも挨拶を。そして彼女の瞳はこちらに向けられた。
「えっと、愛奈ちゃん?どうかした? 」
「はい……まだ、ちゃんとお礼を言っていなくて」
「お礼? 」
俺が首を傾げるのと彼女が頭を下げるのはほぼ同時だった。驚きのあまり思わず一歩後ずさってしまう。
「本当に……本当にありがとうございました」
「え、ちょっ」
「兄さんが、本当の兄さんが、帰ってきてくれたみたいで……ようやく、私」
ま、愛奈ちゃん!?
と思わず声を上げてしまいそうになるのも当然、目の前でいきなり涙ぐまれたらそれは焦る。
「私一人じゃ、きっとどうにもならなくて……だから」
「いや、あの」
「俊也さんが居て下さって本当に……」
参った、非常に。
これではまるで俺が彼女を泣かせてしまっているみたいではないか。気のせいか周りの視線が痛いような……
「えっと、愛奈ちゃん!こっちに! 」
「え、あ……」
いくらなんでもここでは場が悪い。ていうか隣から嫌というくらいの視線を感じるので一旦退避。愛奈ちゃんの華奢な腕を引いて体育館の入口付近まで戻る。
「と、俊也さん? 」
一応皆からは見えなくなる場所まで連れてきてしまった訳で。さて、どうしたものか。
「えー、っと。愛奈ちゃん、取り敢えず落ち着いて、ね」
「あ、すみません……いきなりこんな」
ハッとしたように赤くなると、慌てて涙を拭って再び顔を上げる。
「でも、どうしてもお礼を言いたくて……」
「そんな、別に俺は」
お礼なんて俺は言って貰う事は何もしていないのに。けれど、彼女の言葉には何か言い様のないしかしはっきりてした強さを感じた。
「本当に、本当にありがとうございました。兄さんを助けてくれて」
「……愛奈ちゃん」
「兄さんを、取り戻してくれて……」
そう言って、また涙ぐむ彼女。それだけ兄を、進一のことを想っているのだと分かる、その姿を。
思わず小さくため息をつく。結局自分には何も出来なかったと思っていたが、いや実際出来ていないだろう。それでも、彼女の力になれたのだと言って貰えたような気がして、少し安心した。
「愛奈ちゃん、これ」
「え? 」
「取り敢えず、涙を拭いて」
ここで紳士のたしなみお約束のハンカチであれば格好がついたのかも知れないが。残念ながらポケットティッシュ。紳士力は皆無らしい。
「このまま兄貴の元に返したら、『俺の妹に何をした!!』なんて怒鳴り込みをくらいそうだから」
「ふふ、俊也さんったら……」
「いやいや、ホントに」
ようやく笑ってくれた。やはり愛奈ちゃんには笑顔が一番よく似合っている。
彼女はわざわざもう一度頭を下げてお礼を述べたあと、「また家に来てくださいね、是非ご馳走しますから」と笑顔で体育館へ─きっと兄の元へ─戻っていった。
「ふぅ……」
安堵からか或いは、そっと吐き出した息に肩も思わず下がる。茜色が滲んでゆく空を見上げてから、再び皆の元へ。
「あ、戻ってきた」
「あら、お早いことね」
すぐに香織と霞の瞳がこちらを捉えた。……霞さんの口調に何か刺を感じるのは、いやいつもの事か。
「しかし、俊也くんもやるなぁ。まさか女の子とあんなドラマチックな場面になるなんて」
「い、いやっ、まさか」
どんなドラマですかそれは。
「ドラマチック、ですか? 」
「そ、雨宮さんもドラマとかでよく見ない?恋愛ドラマとかで、ほら」
「粋君、それはちょっと古いんじゃ……」
「え、そうですかね?島先輩は最近見たりしません? 」
「んー、80年代のトレンディドラマって感じ?先輩意外に古いですね」
「うわっ、香織ちゃんまでひどいな」
困ったことに粋先輩の言葉を皮切りに勝手に話を広げていってしまうので、こちらの話は通じそうにない。
と、不意に肩を小さく叩かれる。
「藤咲くん、だいじょうぶ? 」
「え? 」
ドラマ談義で盛り上がる方々では無く、いつの間にか俺の隣にいた愛華がそう尋ねてきた。
「いや、大丈夫だけど……どうしたの? 」
「あ、ううん。えっと、何となく……」
顔に出ていたのだろうか。いや、覚えそのものもないのだが──
「それは心配にもなるわね、貴方がまさかあんな事になっていたなんて、想像も出来ないもの」
「あ、霞ちゃん──」
「広場の入口まで探しにいったら、ね」
まさか、まさか見られていた……のか。あんな情けない姿を、よりにもよってこの二人に。
頭を抱えなかっただけまだ精神力がある方だろう。普通ならば膝を着いて項垂れるくらいはしそうである。
「俊也にしてもヘタレ極まりない光景だったわね、端から見れば」
「……否定出来ねぇ」
ヘタレ極まりとは、もうどうしようも無いのではないか。霞の容赦ない言葉に、永久ネガティブループに陥りそうになった時。
「そんな事ない……情けないなんて、そんな事絶対ないよ」
と思ったのだが、愛華は大きく首を振ってみせた。いつに無く、真剣なその様子に気圧されてか思わず口をつぐむ。
「事情は全く分からないけど……でも、藤咲は本当に一生懸命だったこと、私には分かるよ」
「桜さん……」
「誰かの為にあんなに一生懸命になれるなんて、凄い………藤咲くん、とってもかっこいいと思う」
そう言って最後に微笑む彼女。
暫し返す言葉が見付からず、その優しげな笑顔に小さく頷き返すにとどまる。
「霞ちゃんだって、口ではそう言ってても、本当はそう思ってるんだよ……ね? 」
「残念ながら、それは無いわ」
顔を背ける霞だったが、すぐにこちらを向き直って。
「けれど、まぁ……貴方にしては頑張っていた方なんじゃないかしら」
「もう、素直じゃないなぁ」
どうしたものか。まさかそんな言葉をかけられるとは思ってもみなかったから……
「三人とも!なにしてんの、もう行くよー!」
我に返ったのは、向こうから聞こえてきた香織の声だった。無駄に元気な……そう言えば、歩みを進める時も止める時も、いつもこの声に──
「香織は元気が有り余ってるみたいね」
「そうだね、今日も私達の何倍も走り回ってたのに」
「行きましょうか」
霞と愛華は大きく手を振る女の子を見て苦笑するとゆっくりと歩き始める。
「ほら、俊也君も。行こっ」
「あ、あぁ。うん」
……ん?愛華の言葉に何か違和感を感じたが、まぁいいか。
すっかり静まり返った体育館を。もう一度振り返って、しかし考える事をまとめる前に、俺も前に歩き始めた。
*
意外だったのは、まだ今日が終わらない内に東堂進一に出くわした事である。正確に言えばアイツが追ってきた、というのが正しい。
「あれ、東堂くん? 」
皆と別れて、香織と二人あーだこーだと下らない言い争いを繰り広げていた時だ。
「悪いな、せっかくの二人きりの所邪魔して」
「ううん、全然!寧ろナイスタイミングだよ! 」
「というと? 」
「俊也のやつ、わたしの言う事ちっとも頷いてくれないんだもん」
本人目の前にして言う話でも無いと思うが。
進一も「相変わらずだな」と呆れたように首を振っているではないか。
「んで、どうしたんだよ。大会終わったばっかで疲れてんじゃ」
「あぁ、まぁ」
そこで思い出したように香織が手を打つ。
「あ、そうだ!
東堂君、惜しかったね……でも、凄く格好良かったよ!」
「あぁ、応援ありがとう。俺だけじゃなくて剣道部一同な」
「どういたしまして♪」
この笑顔を見るあたり、もう悔しさは大分抑えられてきたみたいだ。ったく、進一以上に悔しがってたからな香織は。
「で、悪いんだけどさ。トシを借りてってもいいか? 」
「え、俺? 」
「俊也を? 」
いきなりのご指名に俺と香織は思わず顔を見合せる。
が、ふっと彼女は小さく息をつくと意味ありげに口元を緩めてみせた。
「そっか、なら仕方ない。東堂君の独占インタビューは、俊也に任せます」
「へ? 」
「よしっ、行ってこい! 」
ドンッとやや強めに肩を叩かれた。よろめいてつんのめる、はからずも前に出てしまった。
すかさずビシッと敬礼のようなポーズをとってみせる幼馴染み。
「ではでは、わたしは先に帰りますので」
「あ、待てって。家まで──」
「へーきへーき!まだ明るいじゃん、心配性だなぁ俊也は」
軽くガッツポーズをとってみせると、くるりと背を向けて今度こそ本当に帰っていった。
まぁ、確かにまだ夕方だし、大丈夫か。
「あー、悪い。冗談のつもりだったけど、割りとマジで邪魔したっぽいな」
「? 」
「いや、分からないなら良いんだけど」
困ったように頬を掻く進一。
「でも、穂坂ってホントに良い娘だよな」
「ん、そか? 」
「というか、お前が一番よく分かってるだろ」
去ってゆく香織の後ろ姿を眺めて呟く進一。いきなり何を言い出すかとのかと思えば……
「あの笑顔を見りゃ、どんだけでも元気も出るってもんだろ」
「……どーかな」
何となく、香織の表情を思い浮かべる。喜んだとき、はしゃいだとき、スクープを見つけたとき……
「って、康太もいつも言ってるぜ」
「ん、あぁ……そういや、田中残念だったな。後少しで8強だったのに」
「だな、確かに今日はキレが良かっただけに惜しかったな」
田中もまた、健闘するも後一歩が届かなかった一人だ。本人が目指していたベスト8では無く、16という結果に終わったのだった。だが、これは本人にしても部にしてもかなり良い結果だったのだが。
「けどまぁ、本人が満足そうだったし良かったんじゃねーか? 」
「穂坂とデート出来なかったのは非常に残念がってたけどな」
「あぁ、それね……」
「ま、俺としてもそれは安心したんだけどな」
「何で? 」
「何でって……そりゃアレだ、色々な人間関係的な意味、かな?」
どういう意味だろうか。
それも気にはなったのだが、それよりももっと気にすべき問題が──
「というかさ、何でお前ここに……」
「あぁ、そうだった。悪い悪い」
進一は軽く手を顔の前で立てたが、すぐに顔を上げた
「急な話なんだけど、ちょっと付き合ってくれないか」
「は? 」
頼む。それは、いつになく真剣な顔付きそのものだった。
*
「ここは……」
「あぁ、そうだよ」
進一に連れて来られたのは、見覚えのある場所だった。ずらりと並んだ石柱には月の光が当たり反射していた。
墓地。お寺の裏手にある静まり返った場所、その中の一つの墓石の前に俺達は立っていた。
「秀の眠ってる場所だ……」
言われるまでも無い、あの場所だった。
コイツと初めて会った場所で、コイツが初めて胸のうちを明かした場所。
「ここで、ちゃんと言っとくべきだと思ってな」
進一はこちらに向き直ると、突然深々と頭を下げたのだ。
「ありがとう」
「なっ」
「本当に……ありがとう」
目を丸くする。
「俺には礼を言うしか出来ないけど、だからせめてこの場所で」
「ちょっと待てって、俺は──」
「分かってる。分かってるけど……お前がいなかったら、きっと俺はもう立ち直れなかったかも知れないから」
愛奈ちゃんから何か聞いたのかも知れない。だとしたら、それは大きな思い違いではないだろうか。
「だから、ありがとう」
「………」
俺は何をした訳でも無いのに。
どうしたものか。頬を掻くものの、上手い言葉が見付からない。
暫く、進一は黙ったまま『西宮秀』と彫られた墓石を見つめていた。
「これで二回目かな、秀の事でお前に助けられたのはさ」
「あん? 」
「三年前か、冬にここでお前と殴りあったろ。あん時が一回目だ」
「語弊があるな、殴りあったんじゃなくて殴られたんだよ無抵抗の俺が」
「そうした方が何か青春っぽいだろ」
「ぽくなくて良いんだよ、んなもん」
違いない。そう笑って、夜空を見上げる進一。別にそれに倣った訳じゃないが、俺も何とはなしに夜空に目を向ける。そういえば……あの時もこんなそらだったっけ。
はらり。頬に冷たい感触が落ちる。瞬きをしてみれば、星も見えない一面に広がった暗幕から白い粒が降り注いできていた。
「だから、もう俺に関わるな」
たった今、自身の過去について吐き出した東堂進一は、苦虫を噛み潰したような表情でゆっくりと俯いた。
「ったく……」
幾分かの間を置いて、沈黙を破ったのはため息だった。付き合ってられないという意志表示として肩を竦めて、頭を掻く。
「つまる話、お前はそれが理由でずっと塞ぎ込んでた」
「…………」
「ずっと逃げてきたって訳だ」
「なん……だと? 」
ギロリ。態度が気に食わなかったのか、射抜くような視線がこちらに飛んできたが気にせず続ける。
「だってそうだろ?いつまでもうじうじ引きずって、おんなじ所に留まって」
「……」
「前に進もうとしてねーんだから」
敢えて言葉に慎重にはならなかった。どうせもう、奴は胸のうちを吐き出してきている。
「自分のせい、自分のせい、そればっかりだもんなさっきから聞いてりゃ」
「………」
「ただの思い上がりだよ、それ。次は世界の全ては自分のせいってか」
もう一度ため息を、きつく握りしめられた拳は見なかったことにする。
「あー、好き勝手言わせて貰ってるついでで悪いけど。塞ぎ込んでるつもりかもしれねーけど、もしかしたらお前はそれを他人に見せつけることで同情を──」
ガツンっ!!
視界が真っ白になる、途端に頬に強烈な痛みが走った。意識が飛ぶんじゃないかと奥歯を噛み締めたら、次の瞬間背中にとんでもない衝撃。胃がせりあがるかと思った。
いい気味だ、自虐的にそう心の中で呟く。お前にはそんな格好がお似合いだと、自分の心からも蔑まれている気すらした。
「お前に……お前に、俺の何が分かる!! 」
案の定、右手の拳を振り上げている進一の姿があった。大きく見開かれた瞳はしっかりと俺を捉えている。今までに無い、生きた表情がそこにはあった。
「勝手な事ぬかしてんじゃねぇ!! 」
「………」
「」
ひりひりと頬の痛みが悪化していっている。吹き飛ばされた衝撃で近くの柱に背中を思い切りぶつけたらしい。
取り敢えず口元の血を拭って立ち上がる。
「……さぁな」
「………」
「そうやって口に出さねーと……誰にも分からねぇんじゃねぇの? 」
ハッとしたように、目の前の男は拳を緩めた。
「悪かったよ……あること無いこと好き勝手言って」
「……」
「こんな性格なもんでね、生憎こんな酷いやり方しか思い付かなくて」
あぁくそっ。肩も痛めたのか、本当にやり方間違ったかな。この性格が恨めしい。
「けどさ、それってお前だけの問題なのか」
「……え? 」
「もし、お前が殻に閉じりゃ閉じる程、それ以上に苦しむ人がいたら……」
振り返ると、こちらに向かって駆け寄ってくる少女の姿があった。
「それでもお前は黙ったままでいるのかよ」
目には涙をいっぱい浮かべて、黒髪をたなびかせて。
東堂愛奈は勢いそのままに、進一に思い切り抱きついた。思わずよろめいてしまっても、しっかりと彼女を抱き止める。
「兄さん!! 」
「ま、愛奈……」
愛奈ちゃんは未だに止めどなく溢れる涙のままに、彼の胸に顔をうずめる。進一は戸惑いつつも、だがしっかりとその華奢な肩に手を回した。
「……俺には経験無いから、どうこう偉そうな事言えねーけど」
「お前……」
「でも、何となく分かるから。だから……今は」
愛奈ちゃんの話を聞いてやれ。そんな言葉は、二人の姿を見ていたら野暮だとはっきり分かった。
「兄さん……
ごめんなさい……兄さん」
「愛奈……」
「私、私……どうすればいいのか分からなくて……!! 」
悲鳴に近い愛奈ちゃんの訴えが、静まり返ったこの場に響き渡る。
「兄さんの気持ち……私全然分からなくて……何も言ってくれないから、私……!! 」
「愛奈……俺は」
「ごめんなさい……私が悪いんです……私が、ダメだから」
ハッとしたように進一は妹を抱きしめる力を強めたようだった。
「愛奈……!! 」
「え……」
「違う、愛奈は悪くない……悪いのは、本当に悪いのは……」
「兄さん……兄さん!! 」
「ごめん……ごめんな、愛奈。俺……俺は!! 」
ひらり。星一つ無い夜空から白い粒が手のひらに落ちた。冷たい感触は一瞬ののちに消えてしまう。
「………雪、か」
夜風にいやに染みる頬。その痛みを感じると、背中のズキズキとした痛みもすかさず思い出した。ため息は白い吐息となって頭上に消える。
ふと振り返ると、まばらに舞い散る雪の中で、強く抱き合うたった二人きりの兄妹の姿があった。静まり返った墓地の真ん中で、それはどこか奇妙な光景で……しかしとても眩しい光景だった。
暫く二人の姿を眺めていたが……
「はぁ……」
呆れたようにため息をつく。腫れてきた頬に手を当てると、踵を返して、その場を後にした。
「そういやあの後……香織に滅茶苦茶怒られたっけか」
「何の話だ、トシ? 」
「あぁ、いや。別に」
怪訝そうな顔でこちらを見つめる“今の”進一に、軽く肩を竦めてみせた。
進一は考えるように腕を組む。
「よく考えたら……俺達の関係、全部ここから始まったんだよな」
「何だよいきなり」
「いや、ちょっと昔の事思い出しててな」
それは俺も同じだ。柄にもなく、感慨にふけることも最近は多くなった気がする。
「愛奈のことも、ありがとうな。あん時も、今回も」
「だから止せって」
つい先程まで曇りで星も見えなかったのに……ちらほらと、小さな光が出始めている。明日は晴れるかもな。
「もう良いから帰るぞ。家で愛奈ちゃんも待ってるだろ」
「あぁ……そうだな。けど、その前に……」
差し出された右手。言葉は無く、ただ目の前に差し出されたその手。握手をしろとのことらしい。
だから強く叩いてやった。乾いた音が寺院に響く。
「痛っ……ったく、またかお前は」
「握手にゃ慣れてないもんで」
「だろうな」
声を上げて笑う進一。つられて思わず笑ってしまう。そのまま、俺達は意味も無く笑い続けた。
そうだった。俺達はこれで良かったんだ。
変に気なんて遣わなくても良かった。変に関係を見つめ直す必要なんて無かった。ただ顔を付き合わせて、笑いあってればそれで良かったんだ。
「……なぁ、俊也って呼んでもいいか? 」
「え? 」
「……変わらないとならねーからな、俺も」
三年前。
東堂進一と初めて握手をした時もそうだった。明条学園の昇降口で、本当の進一にようやく出会った。進一に殴られた夜から、1週間くらい経った日だった。
「だから……まずは、その、名前から」
まだ、どこかぶっきらぼうさが残る右手。その手を、こっちもまたぶっきらぼうに叩いた。
そして、やはり笑ったんだ。ただ、意味も無く。どうしてか、笑い続けた。
あの日、あの時から……俺達は色んな時間を積み重ねて。色んな思い出を積み重ねて。
だから今もこうして……俺達は笑えている。
進一編、これで終幕となります。長いお話にお付き合い頂き、誠にありがとうございました!
最後は何だか分かりにくい展開にしてしまい、申し訳ございません。時間軸も飛び飛びで、イメージしていた文章を再現出来たかと言えば微妙な所かもしれません。
とにもかくにも、進一と俊也の過去は何とか書けたのでひとまずこれにて完結という事にさせて頂きます。すみません
今後、まだ長編を書く予定はあるので。展開や終わり方が上手くいくように、今回の反省点を参考に頑張っていきたいと思います。
次回から暫く小話を書いていく予定です。よろしくお願いいたします!




