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すくーぷっ!!  作者: 伽藍云々
1st Semester
46/91

会者有終

 


「だから……」

 

 ゆっくりと、嫌と言う程、自身の言葉を噛み締める。


「だから……お願いします」


 俺は一体何をやっているんだろうか。


 冷静になってみればみる程分かる。今現状、自分が晒しているこの姿に、情けなく惨めに思う気持ちは一切無く、馬鹿らしいという気持ちさえ芽生えてこない。

 ただただ疑問。恐らくかなり滑稽な自分の姿を客観的に考えて、何をしているんだと頭に浮かぶのみである。



 目の前に見えるのはコンクリートの地面、色が分けられたタイル模様の地面だ。

 垂れた髪はその地に着きそうか。もうじき夏だというのにまだまだ冷たいコンクリートの感触を両手の平いっぱいに、僅かな段差の溝が地に着いた両膝に少しの痛みを伴って。


「………」


 暫しの静寂の後、ふと聞こえたのは小さく息をつく音と足音だった。


 


 


 


 


 

 白ノ宮の話によれば、西宮なる夫婦が体育館前から戻ったのはつい先程のこと。何らかの形で事情を知ってしまった彼女は急いでそれを伝えてくれたんだろう。相変わらずの憎まれ口を叩いていていたが、彼女らしくてそれも良い。


 広場を抜けて、東側の入口の方で足はすぐに止まった。入口に佇む一人の女の子を目にしたからだ。


「愛奈ちゃん! 」

「あ、俊也さん……」


 東堂愛奈、進一の妹。

 どうして彼女がこんな所に。確か会場で兄を応援していた筈……いや、そういや今日は見かけていなかったな。昨日は確かに観客席に、進一とも一緒に居たりもしたが……


「あの……私、」

「愛奈ちゃん、なんだってこんな所に──」


 そこから先の言葉が止まってしまう。

 不安そうな彼女の表情のその先に、広場の入り口付近に立つ初老の男性と女性の二人の姿を見つけたからだ。あの二人が西宮夫婦で間違いない、会ったこともないのにそう確信してしまう。


「わ、私……どうすればいいのか、分からなくて」

「愛奈ちゃん……」

「兄さんが……でも、私」


 彼女は混乱しているようであった。西宮夫妻と愛奈ちゃんとの間にどれ程の面識があって、どんな関係を続けてきたのかは知らない。けれど、少なくとも兄の事情は知っている。俺もその場に立ち会ったからそれは間違いない。

 昨日今日と思い詰め、周りにまで露呈してしまう程様子がおかしい進一。そんな兄の姿を、愛奈ちゃんはどんな気持ちで見つめていたのか。彼女に出来る事はなんなのか、きっとずっと考え続けてきた筈である。そしてたった今、西宮夫婦の姿を見つけてしまった。偶然か或いは、しかし少なくとも心構えはしてなかったのは今の彼女の状態から悠に想像出来る。



 そこに俺が来た訳だが、さてどうすればいい。彼女に行けと促せばいいのか、俺が二人の元に行けばいいのか。いや、それで一体どうなる?問題を解決する兆しに果たしてなりうるだろうか。これは、進一の問題なんだ。


「あ……」


 その時だった。夫妻の前に一台のタクシーが停車した。

 そうか、二人が道脇に立っていたのは足を拾う為か。


 という事は、このままだと帰ってしまう……!


「愛奈ちゃん、急いで進一を呼んでくるんだ」

「え……?」

「何とか、あの二人を引き留めておくから。だから急いで!」

「俊也さん……でも、」

「今一番に考えないといけない事は進一(あいつ)の事だ、そんなこと、愛奈ちゃんが一番よく分かってる筈だよ」

「……はい!」


 髪を翻して、愛奈ちゃんは急いで体育館の方へ駆けていく。同時に俺は夫妻の元へ、しかし上手い口実を考えている間もなく、二人はタクシーに乗り込んでいる所だった。


「すみません! 」

「「? 」」


 まったく考えがまとまらないまま、声だけが先に飛び出す。夫婦がゆっくりと振り返り、その黒く澄んだ瞳が俺を捉えた。


 堀の深い顔付き、眉間に深く刻まれた複数の皺がそのいかにも厳しそうな見た目を更に強調している。女性のほうは反対に柔らかい穏やかな顔つき、それでもそのどこか疲れたような表情からは苦労がありありと見て取れる。


「西宮、さん……ですよね? 」

「君は……? 」


 ちょうどタクシーに乗り込んだ所、中途半端な世間話では引き留められそうにない。だからといってテキトーな嘘を考えている余裕が無いのは尚更だ。男性は太い眉を片方釣り上げて、あからさまに怪訝な表情をこちらにぶつけてきた。


「俺は、東堂進一の友人です」

「進一君、の? 」

「藤咲俊也って言います」


 夫妻はゆっくりと顔を見合せた後、タクシーから足を降ろしてくれた。





 



「か、霞ちゃん?」

「桜さん? 」


 どうしよう。このまま香織ちゃんを一人置いていく訳にもいかないけど………

 藤咲くんが行ってしまってから暫く辺りをキョロキョロとしていると、多分体育館の入口の方からやって来た霞ちゃんとばったり会った。

ちょっと早足なのは急ぎの用なのかな。


「貴女どうして……あら、香織。こんなところにいたのね」

「くぅ……」

「まったく、もう少しで試合が始まるのに……香織らしいけど」



 椅子でコテンと可愛らしく横になる香織ちゃんを見て、安堵したように口元を緩める霞ちゃん。そっか、香織ちゃんを探しに来たんだね。


「香織ちゃん、藤咲くんに膝枕でしてもらってぐっすりだったみたい」

「こんな公衆の面前で、あの変態(としや)は相変わらずね」

「霞ちゃんも今度してもらったらどうかな」

「……死んでも嫌」


 ぷいっと顔を背ける霞ちゃんがまた可愛くて困る。何だか、こんな事ばかり言ってたら変な人に思われちゃうかな。


「それで、肝心の変態はどこにいるの? 」

「へ、変態って……」


 何だか藤咲くんが可哀想だけど、霞ちゃんの言葉で私は肝心の現状を思い出す。いけないいけない。

 キョロキョロとさりげなく辺りを見回す彼女に、私は先ほどあった事を伝えた。白ノ宮さんが現れて、その後藤咲くんが走っていってしまった。詳しいことは分からなかったから、見たままのことをそのまま。


「………」

「藤咲くん、先に戻っててって言ってたけど……やっぱり」

「えぇ、そうね。あんな男を野放しにしておいたら、何をしでかすか分からないものね」

「え、えっと……」


 これは、霞ちゃんなりに心配してるっていうことでいいのかな?


 でも、香織ちゃんはどうしよう……気持ち良さそうに眠ってる、本当に可愛らしい寝顔で、すやすやと。



「おーい! 」

「「? 」」


 そんな時、不意に聞こえてきた声に私達は思わず顔を見合せる。振り返ると、こちらに駆け寄ってくる


「霞、良かった香織ちゃん見付けたのか」

「あら、粋」

「あらってお前なぁ……」


 折濱粋先輩。香織ちゃん達の一つ先輩で、新聞部に新しく入った転入生さん。確か、霞ちゃんと幼馴染みなんだよね。


「って、香織ちゃん寝ちゃってるじゃないか」

「ふふ、可愛い寝顔でしょう? 」

「それは分かるが、何故お前が得意気なんだ」


 クスリと口元を緩める霞ちゃんに対して、肩を竦めて苦笑してみせる粋先輩。何だか、幼馴染みのやり取りっていいなぁ。


「ちょうど良かったわ粋、香織を運んであげてくれないかしら」

「運んでって……え、俺がか? 」

「こんなに気持ち良さそうに寝てるのに、起こすのも何だか気の毒でしょう」

「いや、まぁ」

「まだ時間はあるし、それにいつまでもここに寝かせておく訳にもいかないわ」


 ロビーのソファーにでも寝かせてあげて。そう口にする霞ちゃんは、視線を広場の向こう側にやっている。


「……俊也君は? 」

「そう、今からあの雑草の回収にいかなくてはならないの」

「それで、か。なるほどね」


 付近に藤咲くんが居ない事を確認して、先輩はもう一度頷くとゆっくりと椅子で眠る香織ちゃんの方に目を向ける。


「分かった、彼女は俺が運んでおくから。確かにここよりはロビーの方がいいな」

「寝てるからって、変な事はしないように」

「へいへい、ご忠告どうも」


 苦笑しつつ、先輩は香織ちゃんの側へ。


「じゃあ、私達は彼を探しましょう」

「あ、うん」


 霞ちゃんの言葉に頷いて、さっき藤咲くんが走っていった方向へと足を運んでいく。



 あまりに予想外な光景を、私達が目にするまで。暫く広場の隅を歩く事になった。



 



 




 



 


「………」


 もう後戻りはできない。

 客を乗せぬまま曲がり角を左折していくタクシーを見送って、俺は西宮夫婦に改めて目を向ける。


 愛奈ちゃんが後どれくらいで兄貴を連れて来られるか分からないし、テキトーに誤魔化して足止めをするという考えはかなぐり捨てていた。

 本来ならば俺は、夫妻と進一の間にどんなやり取りがあったのかも詳しくは知らない身、部外者だ。二人がどんな思いでここに来てくれたのかも分からないのに、下手に複雑なこの関係に首を突っ込むこと自体間違っているのかも知れない。そう言われてしまえば頷く他にない。


 けれど、もう突っ込んでしまったのだ。香織のことばかり注意してもいられない。

だから、こうなった以上は、もう真っ直ぐぶつかる他はない。俺の目から見え得る限り、誤魔化さずに話を聞いてもらうしかない。


「藤咲くん、といったかな」

「はい」

「進一くん、東堂進一くんの友人……高校のだね」

「そうです」


 西宮夫婦、二人は怪訝な表情で互いに顔を見合せる。それも当然だろう、いきなり顔も知らない男子学生が話があるとタクシーから降ろさせてまで言ってきたのだ。

 西宮さん、父親の方は厳しい表情―顔つきからもともとそういった表情なのかもしれない―のまま俺の方を見据えてくる。


「何か……私達の事を存じているようだったようだが」

「……進一とは、中学の時からの付き合いで。アイツが荒んじゃってた時、知ってるんです」

「………」

「まぁ、そん時はそん時でゴタゴタしちゃって。だから、その……昔の事も色々聞いてます」

「………」


 言葉こそ発しはしなかったものの、西宮さんはやや俯いて納得したかのように小さく頷いていた。以前として厳しい表情は崩さない。


「だから私達の事も知っていたのか」

「はい……勝手にすみません」


 軽く頭を下げる。聞かれないよう、細々と息を吐いてすぐに顔を上げた。緊張はしていない……筈もない、頬がひきつってる気がする。


「それで……私達になにか、用かな? 」

「ご存知ですよね……今日はここで剣道の大会が行われていること」

「……あぁ、勿論」


 どこか寂しげに肯定の言葉をつむぐ彼に、こちらの表情もいっそう硬くなるのを感じる。

 考えようと思えば思うほど、糸と糸が絡まるように頭の中がまとまらなくなっていく。まっすぐぶつかるしかないと思っていたのがまるで嘘のよう、無意識のうちに慎重に迂回をしようとしている。


「進一からお聞きになってるんですよね、今日の大会のことについて」

「………」

「進一から、聞きました」

「………そうか、君は本当に」


 そこで言葉を止めてしまう。その先の言葉を聞き返そうかとも思ったが、つい俺の方から口がうごいてしまった。

 何が言いたいのか、そう彼の目が急かしているように感じるくらいに自分が焦っているのを実感しているのだ。


「……見ていって頂けませんか? 」

「………」

「アイツのことを、アイツが西宮さんをここに呼んだ理由を……」


 言ってしまってから一瞬後悔した。すぐに口はつぐむ。 

 何様だお前は、自分の胸の内からそんな声が聞こえてくるようなきがしたから。当事者でもないくせに、お前にこの夫婦の何が分かるんだと。この人達が抱えてきた思いを部外者のお前は何一つ知らないではないか。


 首を振る。そうじゃない。もう一つ聞こえてくる声につい今までの後悔が一気に消し飛ぶ。

 部外者。そう、確かにその通りだ。西宮夫妻のことだって、その息子のことだって俺は何一つ知らないんだから。だけど、俺には確かに知っている事があるではないか。


「すみません」

  

 頭を下げる。

 

「当事者でも何でもない自分が首を突っ込むのはお門違いだって、百も承知です。

これから言うことはお二人の気持ちも考慮できない、勝手な物言いです」

「………」

「だけど……」


 後戻りはできないといった筈だ。真正面からぶつかるしかないといった筈だ。

 部外者だというならば、今すべきこと、そんなもの最初からはっきりしきっているではないか。

 確かに知っていること、見えてきた限りのことを……ごまかさずに


「アイツは……進一は“今”頑張ってるんです」


 握り締めた拳は腕の上部からくる緊張により強く。


「怪我してもぶっ倒れても、それでも……この大会の為に、今日の為に必死でやってきた」

「………」

「無我夢中に、誰よりも必死になってた。いつもはそんな素振り見せようともしないのに、そんなことにさえ気が回らないくらい」


 この日、この時を待つここ数日間の状況下で、アイツがどのような心境だったのか。直接は分からなくても、想像することは少なからず出来る。


「今日が……西宮さんの息子さんの、命日だって聞いてます」

「………」

「だから──」


 言葉足らずだな。こんな時には己の無神経さを思い切り悔いてしまうから世話がない。


 言い終わらぬうちに、西宮さんは背を向けてしまった。触れられたくない部分に触れられてしまった、それもいきなりでしゃばってきた赤の他人に。怒りを感じていても当然だ。


 思わず息を呑む。

 その瞬間、脳裏に過ったのは愛奈ちゃんのあの悲しそうな表情。立て続けに、一昨日までの進一の姿。足を怪我しても、倒れようとも前に進もうとしていた進一の姿。考えるより前に体が勝手に動いていた。


「お願いします! 」


 ここで、この場所で。アイツに顔を見せてあげて欲しい。アイツの試合を見てあげて欲しい。


 これが、俺の口から確かに出た言葉だというのに、少し遅れて耳から脳へと理解が至る。


「このままじゃ……アイツは、何にも言わずにまた一人で抱え込んで……だから」


 皆も心配している。香織だって、由美だって、剣道部の奴等だって……そして何より愛奈ちゃんが。


「少しでもいい、ほんの少しでも良いから……アイツのあの所に顔を出してやって下さい」

「………」

「お願いします……」


 そう言って思わず閉じてしまった目だったが。

 聞こえてきたのは、罵声でも怒りの声でも無く。


「……顔を、上げなさい」


 ただ、穏やかな声色だった。


「……? 」


 意味もなく、緊張が解けたのか体が一気に重くなるのを感じた。色々と身構えていた分、それは余計に強かった。


 そして今になって、自分の格好に気が付く。

 一体いつから……目線にはすれすれに地面しか映らず、両手は地面にピタリと貼りついていた。あまりに惨めなこの格好は。


 格好悪いな。思わず苦笑してしまう。もっと他にやり方があっただろうに、よりにもよって。いくら切羽詰まっているからと……らしくもないのにも程がある。



 すっかり重くなった体を起こす。いつの間にか西宮さんはこちらに向き直っていた。その表情には先程の硬さが無くなっているように思える。「……ありがとう」


 しかもそれだけでは無く。

 あろうことか、いきなり頭を下げられたのだ。

 訳も分からずただ唖然とする自分に構わず、西宮さんは僅かに視線を上の方に向けてみせた。


「秀も幸せ者だ……まだ、ちゃんと思っていてくれる友人がいるなんて」

「え、」

「進一君といい、君といい、本当に……幸せ者だよ」


 西宮さんがみせてくれたもの、それは笑顔だった。表情はあまり変わらない、小さく口元が緩んだだけ。それでも確かに微笑んでいた。


「なぁ、佳苗」

「……はい、本当に」


 そっと彼の肩に手を置いたのは西宮さんの奥さん。白いハンカチで目元を拭っている。


「そんな、俺は……別に、息子さんとは何も」


 反射的に口を突いて出てきてしまう俺はご両親のように彼の最も近い所にいる訳でも、進一のように生前の彼の事を知っている訳でも無いのだ。部外者が首を突っ込んでいるに過ぎない。

 けれども、西宮さんはゆっくりと首を横に振ってくれる。


「いや、そんな事はない。君を見ていれば私はよく分かる」

「………」

「君は、進一君とは本当の友達だ。進一君が、あの日からずっと変わらずに秀の事を思ってくれているように」


 あの日。

 それは雨の強い日だった。親友と向き合おうと決めたあの日、進一が自分自身と向き合おうと決めたあの日。俺は確かに知っていたのだ。


「だからきっと、秀にとっても本当の友達になってくれる筈だよ」

「………」

「……今からでも」


 自分でも無意識に首を縦に振っていた。何故だろうか、それは多分暫く分からないような気がする。


「ありがとう……君のおかげで、今はっきりと決心がついた」

「決心? 」

「あぁ」


 頷いた彼の表情は先程とは違った意味でしっかりとしたものになっているようだった。彼は一度空を見上げて続ける。


「君の言う通り、今日は……進一君の試合を見に来たんだ」


 もしかしたら、これは俺ではなく別の誰かに語りかけているのかも知れない。


「今の今まで逃げてきた、私達は……進一君には、本当に申し訳ない事をしてきたと思っている」

「………」

「本当は、もっと前から彼の気持ちに応えてあげるべきだったんだ……」


 進一と西宮夫婦。事故の後から今日に至るまで、彼等の間にあったものを詳しくは知らない身だ。多少関わった事はあっても、だ。


「けれど、私達も人の親でね……向き合おうと、そう思い立つまでにもえらく時間かかってしまった」

「………」

「結果……進一君にまで責任を感じさせてしまう事になってしまった。私達のせいだ、彼は何も悪くないのに……」


 西宮さんはずっと分かっていたのだろう。分かっていても、大切な家族を失った気持ちはそんな簡単に片付けられるものでは無い。一番苦しんでいたのは、紛れも無く家族の筈なのだ。


「だから、今回こそは……と、会場までは来たものの。聞こえてきた竹刀の音にどうしても躊躇いが先んじてしまってね。みっともなく妻とも口論してしまって……」

「あなた……」

「全く、これでは進一君に合わせる顔がないな……」


 奥さんと顔を見合せてぎこちなく苦笑してみせる西宮さん。そうして、かるく手を差し出して。


「だから、ここで君に会えて良かった。君の言葉を聞けて良かった」

「それは……」

「しっかりと見届けないといかんな。しっかりと向き合わんと何も始まらない」


 どれくらいの時を苦しんできたのか、想像に難いのは言うまでもない。だからこそ、その言葉には半端ではない強さと決心が必要だという事は自分なりに分かっているつもりだ。


 前に進むということが、どれだけ大変なものなのか。進一の隣でそれを実際に見てきたのだから。



「と、俊也さん! 」

「トシっ! 」


 かかってきた声にハッとする。足音がする方を振り返ると、こちらに駆けてくる二人の見知った顔があった。まぁ、言うまでもない……愛奈ちゃんと進一だ。

 二人は俺の近くまで来て、ようやく気付いて足を止めた。すぐ側にまだ西宮夫婦がいることに。


「あっ、えっと……」


 進一の表情があからさまに強張る。しかし西宮さんは気にせず、一歩足を踏み出した。


「進一君、次の試合、よく見える場所に案内してくれないかな」

「えっ」

「暫く現役から退いていたが、まだアドバイス出来ることはあるかもしれない」


 一瞬呆気に取られたように固まっていた進一は、次の瞬間に肩を震わせて夫妻の顔を交互に見る。


「今日はきっと、秀も見ている、応援している筈だ。だから私達も」

「えぇ、進一君……頑張って」

「お、おじさん……おばさん」


 夫妻は瞳にはしっかりとした光が宿っていて、それが進一の瞳にもまるで移るように宿るのを確かに感じた。


「はいっ!! 」


 その力強い返事と共に。



「と、俊也さん……」

「もう大丈夫だよ、アイツは」

「はい……本当に、その」


 そっと側に来た愛奈ちゃんの目尻にはうっすらと涙が溜まっていて。それは心からの、安堵のものだとその表情がしっかりと物語っていた。


「愛奈ちゃんも一緒に行ってあげないと」

「はい、でもあの、俊也さん……」

「今は、まだ愛奈ちゃんもついててあげないと。すぐ試合も始まるからさ」


 そう言って背中を押してやる。彼女が何を言おうとしていたのか見当がついていたが、そんな言葉は俺なんかには勿体無いのだ。


 ……ちょっと格好付け過ぎたな、今のは。




 


 





 



 


 



 会場に響き渡る竹刀の音と掛け声。沸き上がるなんとも言えない感情を、彼は押さえきれなかった。自然に胸が熱くなる、目元からも感情が零れて止まらない。

 脳裏に止めどなく溢れてくる息子の笑顔。剣道に打ち込み、そしていつも自分達に笑顔を届けてくれた息子の姿。



 今まさに、頑張って戦っている少年達の姿一つ一つが息子と重なって、彼に語りかけてくる。


 ……あぁ、私は何をやっていたんだろうか。


「……母さん」

「はい」


 隣には寄り添い手を握る妻の姿。その手を彼はしっかりと握り返した。


「また、道場を開こう……これからは秀も一緒にいる」

「あなた……」

「三人で、また始めよう」


 踏み出したその一歩は小さくとも、確かに彼は歩き出したのだ。向き合う為の、長い長い道のりを。



 




 





次回、まとめの回です。

大会が終わって、そして最後の俊也と進一の回想。これで完全に長編が終わります。


………はい、今回でラストとか言っておきながら……次回で完全に終わる予定になってしまいました。本当にすみません!!加えて昨年の亀更新、重ね重ね本当に申し訳ございません!

今年度からは自分にムチを打って、他作品も含めて更新速度を上げていきたいと思います。

何卒、よろしくお願いいたします。

本当に申し訳ございません……

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