嚆矢濫觴
「よっ、とっと。ほっ! 」
ひらり、ひらり。
目の前で揺れる短い赤の布地。
もう少し、もう少しでその奥までが見えてしまいそうな際どい揺れ。だが決して、視線がその奥にたどり着く事はない。危なげな揺れにも布地は、その夢と希望を前に鉄壁として立ち塞がる。
だがそれが良い。届きそうで届かない、得られそうで得られない。目前、後一歩という意識が先にあるエデンへの想像を喚起させて止まない。無限の想像の余地を与えてくれるのだ。
チラリズムの浪漫である。
「……視線を感じるなぁ」
ピタリと止まった赤い布地に両手が添えられる。そしてジト目が二つ、こちらをしっかりと捉えていた。
「あのなぁ……」
俺はわざとらしくため息をつくと、歩道の赤いタイルで立ち止まる幼馴染みの女の子の表情を窺う。
色つきタイルだけに足を着地させて、まるで小学生ねような遊びをしていた彼女の。幼さを含んだ表情を。
「そんな短いスカートで跳ねたりしたら、そりゃ目につくだろ」
「気になるんだ? 」
「………」
気にならない訳がないではないか、男としては。況して香織のとなれば下着は勿論、スラリとのびる太ももな素足も……コホン。
「なに、そんなに俺に見て欲しい訳? 」
「そう、かも」
「なっ」
「なーんて言ったらどうする? 」
何とも返答に詰まる。
「ふふ、冗談だよ」
「でしょうね」
「ていうか、今日のはちょっと……やっぱりアレかな」
気にするようにスカートを押さえる両手に力がこもる。
おいおい何だその物言いは。まるで今まで以上に恥ずかしくて見られたくない、とでも言いたげな。
……ヤバい、俄然気になってきた。俺の予想(希望?)ではやはり縞柄だったんだが……だとすると大人っぽいやつか、例えばレース柄とか……ふむ、それはそれで中々」
「聞こえてるけど」
「聞き流せ」
「えぇー……」
俺の口チャックは本格的に修理直した方が良いかもしれない。
「で、見えた? 」
「見たい」
「いやいや、答えになってないし、直球すぎるし」
「……見えそうで見えなかった、誠に遺憾ながら」
「チラリズム? 」
「無論、それはそれで良いんだけどな。そこに無限の想像の余地が生まれる。飽くなき探求心へと俺達を駆り立ててくれる」
「語り始めた……」
「人間の行動意欲の原理として重要なファクターだし、今後もっと真剣に研究されるべきだと思うんだよな。然るべき機関とかで」
「色々考えてるねぇ」
「考えることを止めること、それは即ち生きることを止めるに等しいからな」
「俊也の場合は“エッチな考えを”だけどね」
男なんて大体皆そんなもんだろう。
そんなものついでにちょっとだけ。
ちょっとだけ大人っぽい白レースの下着の香織(無論スカートからちらりと見えてしまったというシチュエーション)を妄想として繰り広げてみたり……もう止めよう、これは色々と反応に困る。
「……ふぅ」
まったく、朝っぱらから幼馴染みと何て会話をしているんだろうか。いや、楽しいは楽しいのだが、個人的な意味で。
しかし今日はそうも言ってられない。何故ならば今日、土曜日は剣道部の大切な大会の日だからだ。
「あ、体育館見えてきたよ」
「もう着いたのか」
時刻は8時35分。
俺と香織は、本日行われる剣道部の県大会の会場へと足を運んでいる最中だった。その道中、チラリズムの浪慢を思い起こさせるような幼馴染みの行為があったりする訳だが。
とにもかくにも、目的地である総合体育館が見えてきた。見れば入口前広場には、道具を持った剣道部と思わしき生徒達が、高校ごとにグループとなり集結し始めていた。それぞれの想いを胸にこの大会に足を運んでいるのだろう、各々思うところは違えどその瞳が強い輝きに満ちて見えるのは同じである。
「………」
ふと隣の幼馴染みに目をやる。
彼女の瞳もまた、キラキラと輝いている……ように見えた。
「………」
ふと窓ガラスに映った自分に目をやる。
彼の瞳には……輝きなど微塵も見受けられなかった。
やはりここにいる連中やこの幼馴染みとは、住む世界が違うタイプの人間であるらしい自虐的な再確認をしつつも。俺達はようやく数ある剣道部グループの中の一つ、明条学園剣道部の集まりに到着した。
「由美ー! 」
「香織! 」
まず佐賀良由美へと駆け寄る香織。由美もすぐに振り返り、二人は両手を取り合って向かい合った。
周りの部員達も俺達に気付いたのか続々と……おい、男子部員(ヤロー共)何故香織の方しか見ていないんだ。いや、まぁ気持ちは分かるけどね。
「あ、香織だ。おはよー」
「おはよー穂坂」
女子部員の方々も香織の方しか見てないし。
……空が青いなぁ。
「穂坂!
来てくれたのか! 」
「あ、田中くん」
突然、さッと香織の側に出てきた田中康太。嬉しそうな笑顔を隠すことなくその距離を縮めて─ちょっと近すぎやしないか─、二人は何やら楽しそうに会話を始める。
別にそんな事は気にならないが……いや、気になる事が一つあった。
「………なぁ、進一は? 」
「ん、あぁ」
パッと見回した感じ、東堂進一の姿が見当たらなかったのだ。普段ならば誰よりも早くに来てアップを始めているような奴なんだが。
近くにいた男子部員Aに訊ねると、彼は軽く肩を竦めて
「東堂なら、少し遅れるって連絡あってさ」
「へぇ」
「珍しいよな。大会が始まるまでには来るだろうけど」
全く、こんな時にアイツが遅刻とは珍しいにも程がある。
普段だったら考えられないが……となれば、考えられるのは例の話になる訳だが。まぁ、俺がここで深く考えても仕方ないか。集合時間に遅れるというだけで、流石に大会開始時刻に遅れるという事は考えられない。
そうこうするうちに、会場の入場時間が来てしまったので各校の選手達は続々と体育館へと入っていった。無論、明条学園も例外ではなく俺と香織を残して体育館へ。
選手のみの入場という事なので俺達は暫し広場で待つことに。個人的にはちょっと早く来すぎたような気もするが、まぁ単に部員達に会う為に早く来た訳ではないからな。
「うーむ、そろそろ来るかな? 」
「さぁな」
辺りをキョロキョロと見回す香織。しかしその視線の先にはただ広場の紅茶色のタイルが広がっている。後は体育館を取り囲む木々くらいか。
「案外寝坊してたりしてな、慌てて今起きてたり」
「あら、誰が慌ててるのかしら? 」
「だから、霞が……」
おや?
「っ!? 」
振り返るとそこにはジトーっとした目でこちらを睨む成條霞が!!
いつの間に後ろにいやがったんだコイツはっ。
「あ、おはよーかすみん! 」
「えぇ、おはよう香織」
全くもって普段通りに挨拶をする香織を見るや否や、途端に優しげな笑顔に切り替わる霞さん。それが俺に向けられた事は一度も無い、念のため。
「音も無く人の背後に立つのは止めてもらえますか」
「私はまだ見習いに戻される前、マスターランク能力なの」
「どこのアサシン教団の話だよ」
俺はどちらかと言えば2の方が好きだが。
「つーか、霞だけか?」
「不満? 」
「いやそうじゃ無くて、霞は学校からだろ。先輩達は一緒じゃ無かったのかって話」
「来てるわよ」
「へ? 」
またか。
振り返るといつの間にか、島幸太郎先輩と折濱粋先輩が後ろから歩いてきているではないか。
「や、おはよう皆」
「久しぶりだね」
「あ、島先輩!粋先輩!おはようございます!」
例のごとく、当たり前のように元気いっぱいの笑顔で挨拶をする幼馴染み。
最近流行ってるのだろうか。いきなり後ろから現れる登場の仕方が。
「俊也君もおはよう。久しぶりだね」
「おはようございます島先輩、っていうか昨日も会ってますよね」
「うん、確かに。でも、何だか久しぶりって感じがするんだよね。」
「は、はは……ですね」
それは色々とアレだな、現実的な話では無くなるというか、話題を反らした方が良さそうだな。
すぐに隣の粋先輩へ視線を移す。
「粋先輩、おはようございます」
「あぁ、おはよう。まだ朝だと肌寒いな」
「ですね」
暦の上では夏なんだが。
等と凡人的な思考を働かせていると、不意に粋先輩の視線に気付く。
「それにしても……羨ましい状況だな、俊也君は」
「はい? 」
「朝から両手に華、ってね」
………両手に華?
両手に……言われてみれば右には霞が、左には香織がいるのだが。
「粋、その表現は不適切よ。この男が華を持てる人間に値するなんて、過大評価も良いところ」
「おい」
「枯れた雑草は汚れた雨露すら避けるから」
「言いたい放題だな、お前は」
すかさず右から相変わらずの毒舌がスライディングしてきたが。
「はは、相変わらず、か。けど今日も俊也君に会ってからは元気に……」
「何か言った? 」
「いやいや……なんでも」
軽口を交わし合う霞と粋先輩。そのやり取りだけでもやっぱり幼馴染みなんだなと改めて思う。
「ま、アレだね。幼馴染みとしてお礼を言おうかな、俊也君」
「え、俺ですか? 」
肩を竦めつつ粋先輩は近づいてくると、苦笑混じりにそっと耳元に口を。
「霞は朝が弱いから、こんな時間はローテンションが多いんだけど」
「えっと」
「君に会えると、元気になれるみたいなんだよね」
「それは……ストレス発散的な意味かと」
「うーん、ある意味それも正しいかも。けど、やっぱり幼馴染みから言わせて貰えば……」
ひょいひょい。
服の裾を引っ張られる感覚に話は途切れた。目線をズラすと勿論、引っ張ってる本人がジト目をこちらに向けていて。
「……ところで、部活の皆はどこ? 」
「いや、もう入場したけど」
「だったら行きましょう、試合前の話を聞きに」
「あ、おいっ霞、まだ早い──」
裾を掴まれたまま、無理矢理引っ張られるように体育館へと向かわされる事に。何かやけに行動的じゃないかコイツ。
「ほら、早く歩いて」
確かに、試合前の部長へのインタビューは俺達の役割があり、予定では開会式前の数分間。まだまだ時間がある筈だが。
(……ま、いいか)
ちゃっちゃと終わらせても良いだろう。
ぼんやりと空を見上げながら、ちょっと毒舌な女の子に引っ張られていった。
「ふーむ……」
逃げられちゃった、か。もう少し霞の反応を見たかったんだけどな。
珍しい幼馴染みの反応に口元を緩めつつ、俺は残った島先輩と香織ちゃんに目を向ける。
「うーん……」
「香織ちゃん? 」
「何か、違和感? 」
そう言って可愛らしく小首を傾げる香織ちゃん。その視線の先には霞に連行される俊也君の姿が。
「どうかしたの? 」
「あ、いえ。別に大したことじゃないんですけど、ね」
戸惑ったような苦笑を見せつつ、宛も無く空を見上げる彼女は、やや間を置いてこちらに不思議そうな表情を向けてきた。
「何だか、かすみんと俊也の会話を見てて……何かいつもと違うなーって」
「えっと、違うって? 」
「うーん……上手く言葉に出来ないなぁ」
「ふむ」
言葉に出来ない違和感か。もやもやしてる、とかそういうやきもちの類いじゃ無さそうだけど……
「ま、いっか。
大したことじゃ無いと思うし」
「そう? 」
「はい。それより、私も皆の応援と記事を頑張らないと、です!優勝インタビューものにしなくっちゃ! 」
その通りだ。部活としての仕事に、明条の学生としての応援。俺もしっかりとサポート出来るように頑張らないとな。
「じゃ、俺はちょっと飲み物買って来くるよ。取材に行って貰った二人を労ってやらないとね」
「あ、それなら私が……」
こういうのは先輩の役目だから。
取り出した財布を開く香織ちゃんを制する為、そう口にしようとした時。
「あ……」
ひらり。
彼女の白皮の財布から一枚の紙のようなものが風に乗せられふわりと地面に着地する。
……いや、これは写真だ。二人の男の子に挟まれ笑う女の子が映った写真。
一目で分かった。髪は今よりずっと長いけど、真ん中の青い髪の女の子は香織ちゃんだ。本当に嬉しそうな、写真を見たこちらまで楽しくなってしまいそうな笑顔で笑っている……十歳くらいだろうか。
右にいる、ちょっと眠そうな男の子は誰だろう。何だか今にもあくびをしそうでダルそうな雰囲気、どことなく俊也君にも似ているけれど……香織ちゃんよりもずっと長身で、中学生、いや高校生にも見えるな。
……それから、左にいる男の子も見た事がない。香織ちゃんと同じく楽しそうにピースして移る赤い髪の整った顔立ちの男の子だ。これは香織ちゃんと同じくらいの年齢か。
よくよく見れば、真ん中の香織ちゃんは左側の男の子の方に寄っているような……
「わわっ、えっと! 」
「あ、」
慌てた様子で落ちた写真を拾い上げる香織ちゃん。そのまま財布の中へと、手早くしっかりしまいこんでしまった。
「私が、飲み物買って来ますから。先輩達は先にロビーに行ってて下さいね」
「あ、香織ちゃん」
「大丈夫です、体育館内はまだですけど、ロビーはOKですから! 」
島先輩が呼び止めるのも聞かずに、広場の向こうへさっさと走っていってしまった。無理矢理取り繕った感がはっきりと感じられる笑顔を向けてから。
「……見ちゃまずかった、かな」
「ん、何か言った粋君? 」
「いや、何でも」
島先輩は気付いていないのか、或いは敢えて気付いていない振りをしているのか。いつも通りの笑顔を、こちらに向けて。
「じゃ、飲み物は香織ちゃんに任せて。僕達も俊也君達のところに行こうか」
「ですね」
何気なく空を見上げれば雲一つ無い青空が彼方から彼方まで広がっている。
本日もまた晴天なり。
*
はい、変わりました。お待ちかねの主人公視点だ。
……え、待ってない?さっさと変われ?嫌だなぁ、そんなキツイ冗談を……え、主人公でも無い?
あー、うん。分かってますよホントは。ちょっと言ってみただけです、はい。単なるモブAの視点として見て下さいお願いします」
「さっきから何を一人で呟いてるの?頭が湧いてるのかしら」
「気にするな」
さて、隣の席に座る毒舌っ娘から容赦の無い言葉が飛んできたが、それはまぁ良い。
通常スポーツ漫画やアニメとかで、試合描写を適当に進めるような真似をすれば当然ながらバッシングされるであろう。だが俺は違うのでぱぱっと進めさせて貰おう。
結論から言わせて貰えば、大会一日目の団体戦、明条は男女共四回戦で敗退となった。ベスト16という言い方の方が良いだろうか。
団体戦は言うまでも無く、チーム力がものを言う競技である。確かに男子には東堂進一というずば抜けた選手がいる訳だが、結局一個人の力が強くてもどうにもならないのが現実だ。
明条男子には確かに強い、田中や他の先輩達も間違いなく強い。
強いのだが、やはり大会上位に食い込んでくる連中には惜しくも及ばない。奴らから見れば、明条男子は進一のワンマンチームと称されてしまうのも無理はない話だった。
四回戦にトーナメント右下の第4シード校とぶつかり、先鋒の進一は圧勝したが後が続かず敗退となったのだ。それでも、明条男子にとっては高等部の歴代でもかなり優秀な成績らしく、皆はそれなりに満足そうだった。
それは女子も同様で、歴代でもかなり優秀な成績であったようだ。男子と違うのは、女子はチーム力でベスト8─女子は人数の関係で男子より一回りトーナメントが小さい為─を勝ち取ったという事。それぞれが飛び抜けた実力は持っていないものの、様々な思案や作戦を駆使し、何と8シードの一角を大接戦の末に破るという番狂わせを起こしてみせたのだ。
大将戦での由美の試合は会場の注目するところともなる程だった。香織は緊張のあまり手を握ってきて─由美が相手に押されているときは握り潰されるかと思った─勝ちが決まった瞬間は抱きついてくる程。押し付けられた柔らかい胸の感触はしばらく忘れられそうに無い。
勿論男子の応援も、香織は頑張っていた。田中が二回戦の中堅で実力が上の相手に競り勝つ事が出来たのは彼女の応援のお蔭だと嬉しそうにそっと打ち明けてきた。
恋する乙女かお前はっ、とツッコミたくなるのを何とか堪えた。
ともあれ。明条の団体戦は終了し、男女共々結果を残せた一日目であったと言えるであろう。
そして今はというと、試合結果の集計や写真などの仕事に走る香織達を待ちつつ、霞と席に座り大会を眺めているという訳である。
「惜しかったね、女子の最後の試合! 」
「うん、佐賀良さん悔しそうだったね……」
因みに。俺の前には雨宮と愛華も座っていた。朝早くから会場まで応援に来てくれたのだ。香織達と一緒に励んでいたな。
「ところでさ、雨宮は何故スケッチブックを?」
「皆が頑張ってる姿を絵にしておきたくて」
「へぇ……」
ちょうど区切りがついたのか、楽しそうな笑顔でスケッチブックを差し出してくる。幾つかラフを描いているみたいで、試しに適当なページを開いてみる。
「……凄いな」
「そうかな?ささっと描いただけなんだけど」
「いや……上手いよマジで」
ぱらぱら。自然とページがめくれる。
鉛筆のみの下書き─というのだろうか─でも引き込まれるような迫力があって、竹刀を構えた選手達の絵が今にも動き出しそうだ。めくる度、竹刀をぶつけ合う緊迫感のある場面や勝って抱き合う選手達の喜ぶ様、どれもこれも単に描いたとでは片付けられないものだと、素人目にもすぐに分かった。
(……才能ってやつか)
ありがとう、とスケッチブックをそっと返す。すると隣の愛華も微笑みかけてきてくれた。
「つぐみちゃんの絵、凄いよね。まるで生きてるみたいな感じがして」
「あぁ、うん。それは分かる気がする」
「そ、そんな。二人とも大袈裟だよ」
慌てたようにスケッチブックをしまう雨宮。なるほど彼女の実力を改めて思い知らされた。
因みに愛華の微笑みにもまたヒーリング能力の高さを改めて見せつけられた。これで明日も頑張れる。
「驚きね、あなたに頑張るなんて語彙が存在したなんて」
「心を読むなよ……」
団体決勝戦まで20分間の休憩時間が取られた。特にすることも無くじっと座っているのもあれなので、香織達もまだ仕事のようなので暇人な俺はロビーをぶらぶらすることに。
「ロビー、もうあまり人も居ないんだね」
「あぁ、帰っちゃったんだろうな。明日も試合はあるし」
否しかし。
一人寂しくなどでは決して無い。隣にはクラスはおろか、学年でも三本指に入るであろう屈指の美少女、桜愛華がいるのである。少し気分転換に飲み物でも買いに行こうかな、とついてきてくれた。
俺達はさして他愛の無い会話で盛り上がりながら自動販売機のあるコーナーへと歩いて行く。よし、ここは然り気無く奢る流れに持っていくしかないか。「あれ? 」
そんな無粋な考えを巡らしていると、不意に隣から愛華の声が上がるのを耳にした。
彼女の視線の先を辿ると俺も思わず微かな声を洩らしてしまう。ロビーの隅っこにあるソファー、そこに腰掛ける進一の姿を見つけたからである。
「おい、進一」
「ん、あぁ……トシか」
「何やってるんだよ、こんなトコで。皆もう帰ったんじゃ」
言い終わる前に彼は軽く首を振る。その疲れたような顔色は試合のものでは無いようだ、どちらかと言えば普段日頃から俺が言われる“疲れたように見える”に近いものを感じるような。
……自虐って耐性が出来れば何とも無いと思ってたけど、やっぱり堪えるなぁ。
「ちょっと、人探しをな。結局見つからなかったけど」
「人探しって、それって……」
もしかしたら……いや、間違いないと見て良いだろうな。
いつの間にか俺の方に差し出されてたものを見て確信する。
「これ……」
「昨日、ご両親に頂いたんだ。無理言って、な」
それは写真だった。
多分、西宮秀の……家族の写真。真ん中に笑顔で映る小学生くらいの男の子、その両側には優しそうな女性と厳格そうな男性。三人、仲睦まじそうに並んだ写真が。
「ご両親……来てくれた、のか? 」
「………」
疲れた表情を変えようともせず小さく首を横に振る進一。来てくれなかった、ようだ。
もう一度写真に目を向ける……が、このご両親の姿は見かけていないな、少なくとも俺は。
「やっぱり……まだ」
「え? 」
「いや、何でもねぇよ」
ぎぎっと。長椅子のパイプが軋む不協和音が、やけに大きな響いた。
「さて、と。決勝戦、見届けてくるかな」
「……」
背を向けてゆっくりと歩いてゆく今の彼は、言い様が無くアンバランスで不安定で、普段からは想像も出来ないと皆は口を揃えるだろう。
けど、そんな事は当たり前だ。どんな人間だって殴られれば血が出るし、悪口を言われれば心だって傷付く。想像出来ないんじゃない、想像したくないだけ。あまりに身勝手で自己満足な押し付け、課される方の苦労など微塵も考えない。
(自分の事を棚に上げて、よくもまぁ……)
俺だってその他大勢の一人の癖に。そんな風に考えてしまうのはよっぽどひねくれている。去ってゆく背中を眺めながらやり場の無い苦笑で誤魔化す。
こんな時、何か声をかけてやるべきなのだろうが………いや、これは何度も自答しているな。結論も出ている、これも結局は自己満足に過ぎない。
「………えっと」
「あ、桜さん」
「ご、ごめんね、席を外そうかと思ったんだけど……タイミングが無くて」
俺とした事が、愛華の存在を忘れるなんて。しかし聞いたのならば、当然今の会話に疑問が出てくるところか。正直どうすれば良いか……
「………」
「桜さん? 」
「あ、ううん。何でも無いよ。それより、飲み物いこっか。香織ちゃん達の分もね」
察してくれたのだろうか、愛華はちょっと無理の見える笑顔でそっと歩き出す。
一旦出口を振り返っただけで、その後を追ってゆくのだった。
*
「んーっ!
今日は疲れたー! 」
「お疲れさん」
結局、俺達が会場から出たのは茜色に空がすっかり染め上げられた頃だった。
激戦だった団体の決勝戦─進一のライバルである科瀬率いるチームが優勝した─を見届けて結果を記した後、体育館前の広場で霞や先輩達と別れて、今に至るのである。いやはや、何とも長い一日だったな。
「むぅ……何だか労いの気持ちが少ないぞ」
「はいはい。よく頑張ったな、よしよし」
「わわっ、然り気無く頭撫でられた!? 」
「然り気無いか? 」
何というか撫で心地が良い彼女の頭だったが、素早く避けられた。もう少し撫でていたかった……なんて思ってないからな全然。
「嫌がられると結構ショックだな」
「別に、な、撫でられるのが嫌な訳じゃないけど……」
「? 」
「……会場でちょっと汗かいちゃったし、シャワー浴びてないから」
言ってすぐ不安そうに自分の頭に触れる香織。心配しなくても、彼女の残り香は柑橘系の……言ったらセクハラになりそうだな、今更だけど。
「それより、さ。何だか今日は疲れちゃったから、ストレス発散したい」
「疲れたんならゆっくり休めよ」
「あのゲームやろ、あの天空城で撃ちまくるゲーム」
「あれ神経使うから逆にストレス溜まるぞ」
「このまま俊也の家に雪崩れこむプランだね、ついでにご飯も」
「何て頭の悪いプランだよ」
「いーのっ」
茜色の夕焼けは不安な気持ちを煽ることもある。ふと進一の姿が頭に過ったが、すぐにそれを振り払う。
蓋し、本日はまだまだ疲れそうである。
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
季節ももう10月ですね。
大分肌寒い時期となってまりました。季節の変わり目、風邪を引きやすい時期でもあります故、皆様もどうかお身体に気を付けて下さいね。
さて、残すところ数話となったこの長編ですが、剣道描写はほとんどありませんでした。というか皆無でしたね。人間関係と回想が主軸な長編なので、スポーツ系でも無いので、大目に見て下さると助かります
毎回やたらと無駄なやり取りが多くてテンポが悪くなると分かりつつも、やらずにはいられないグダグタな小説ではありますが……どうかこれからもお付き合い頂けると嬉しいです。
では、次回もよろしくお願いいたします!




