ちまき
五月の朝。まだ暗くて寒い時刻。
寝ぼけ眼を擦りながら、厨房に行くと、母親の文志音が何か作っていた。
歳は三十代。綺麗な顔をしていた。
「何を作っているの、お母さん?」
「うん? あのね、ちまきを作っているの」
「ちまき!! 大好物」
「そう、それは良かった」
志音はくすくすと笑うと、外を見る。
「少しは明るくなってきたかしら?」
「どうしたの、お母さん。心配な顔をして」
「ちまきを届けないといけない人がいるの」
真剣な表情でそう言う志音に、文栄仁は冷たいものを感じる。
まだ十にも満たない子どもで、母親の機微に敏感だった。
「一緒に行く?」
「うん!! 顔を洗ってくる!!」
栄仁は嬉しそうの笑うと、外へ出て行ったのだった。
「ーさて、着いたわね」
志音が向かった先は川だった。
まだ灰色の濃い視界。家の中よりも、涼しかった。
それでも他の人達も、川にやって来ているのだった。
年齢はばらばらで、栄仁みたいに、親子連れの姿もあった。
「何をするの、お母さん?」
「ちまきを川に投げるの」
「え…?」
驚いている栄仁の側で、志音は躊躇なく、ちまきを投げていく。
栄仁は焦って止める。
「も、もったいないよ!! 何で投げるの?」
「ただ投げているだけじゃありません。供養のためです」
「供養!! 誰の?」
志音は手を止めると、腰を屈め、栄仁の肩に手を置く。
「昔々、一生懸命、働いても報われず、川で自殺した人がいたの。その人は皇帝に気に入られていたのだけれど、邪魔する人がいて…。讒言によって、身を投げたの。その人のための供養なのよ。始まりは彼を慕う人達が遺体が食べられないよう、米を詰めた竹筒や、龍が嫌う葉に包んだ米を川に投げたの」
「讒言って、何?」
「他人を陥れる目的で事実をねじ曲げたり、嘘の情報をでっち上げたりして、目上の人に告げることよ」
「それって、最悪だね」
子ども心に顔を顰めると、志音がうなずく。
「栄仁はこうなっては駄目よ。上手く世渡りすること」
「世渡りって?」
「人と人の間を、波風立てずに進んでいくことよ。いいわね?」
「はい、お母さん」
栄仁は答えると、志音からちまきを1つ貰う。
ちまきを右手に持つと、
「安らいでください」
と言い、川へ投げるのだった。
他の皆も少しずつ集まってきて、ちまきをそれぞれ投げる。その後、手を合わせる人や、ぶつぶつ何かを唱える人などがいる。
「行こうか、栄仁」
「うん」
子ども心に衝撃的だったが、人生の勉強の一つとして、心に留めておいたのだった。
しかし人生とは皮肉なもので、大人になった栄仁は、ぼろぼろだった。
理由は皇帝に裏切られたからだった。何度も、
「そんなことは言っていません!!」
と申し上げたのに、聞き流されたからだった。
「あいつ…!!」
ライバルの子波浪のせいだと強く拳を握りしめる。爪をたてているので、血が滲んでくる。
波浪が皇帝に何かを吹き込んだために、違いないと栄仁は固く信じていた。
ー皇帝は私を信じてくださると思ったのに。
一生懸命、尽くしたつもりなのだが、甘かったらしい。
最悪の結末に、自嘲する。
まさかこんなことになるとは思わなかった。
「お母さんに言われたのに」
もう亡くなったが、この人みたいになっては駄目よと言われた人と、同じ結末を選びそうだった。
髪もぽろぽろ、服も避けて、とても皇帝の元で働いていたとは思えないいでたちだった。
「…疲れた」
昔、川に身を投げた人もそう思ったのだろうかと考え、止める。人のせいにするのは良くないし、彼だって非業の死なんかとげたくなかったに違いない。
子ども心に強く残っていたが、まさか自分もかと思わなかった。
栄仁は橋の欄干に肘を乗せ、ぼうっと川を見つめる。
まだ朝早く、志音と来た時みたいに、人はまばらだった。空は月がまだ残っており、薄暗い中、ぼんやりと輝いている。
皆、ちまきを手にしており、供養の時が始まったと知る。
ー俺も死んだ人みたいに、誰か悲しんでくれるだろうか?
馬鹿な考えをして、はっと笑う。その後、大きく息を吐き出す。
川へ飛び込むなら、今だった。
ー川へ身を投じて、どれくらいで逝くのだろうか?
心を決め、欄干に爪をたてると、足をあげようとしたその時。
「あれまあ」
のんびりした声が聞こえた。
歳は二十代くらいだろうか。
自分とそう変わりなく、可愛い感じの女性だった。
その人はちまきをその場に落としてしまい、一生懸命、拾っている。
自殺を邪魔されて、「ち」っと思ったが、どうやら不器用なようで、何度も「すみません、すみません」と言って、ちまきを拾っている。
仕方がないので、栄仁は欄干から身を離し、女性に近づく。
「ーはい。ちゃんと籠に入れなきゃ駄目だよ」
「は、はい…!! 申し訳ありません」
彼女は顔を赤くしながら、ちまきを全部、回収する。
ほっとした息が聞こえ、栄仁に礼を言ってくる。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
生気のない声で言うと、女性は何を思ったのか、一つちまきを出してくる。
「落としたものですけど…食べますか?」
「はあ!?」
思わず大きな声を出し、栄仁はこの女、大丈夫かと思う。
見れば手には布が巻かれており、何だろうと凝視すると、ぱっと隠させる。
「あの、私、不器用なもので」
「そうだろうな」
あっさり言うと、この女に構っていられないとばかりに、橋の欄干へ戻ろうとする。
すると、ぎゅーっとお腹が鳴った。
あまりの大きな音に、自分でもびっくりする。
恥ずかしそうに腹を押さえると、女性が近づいてくる。
「やっぱり、お腹が空いていると思った」
「…それがどうしたって言うんだ? 俺に構うな!!」
強く吠えたのだが、女性は目を瞬かせたままでいる。
「あっちに行け。しっし」
手で追い払おうとするのだが、女性は動かない。
むしろ好意を持ったようだった。
「私、時雲蘭と申します」
「名前なんかどうでもいい」
雲蘭を睨みつけるのだが、彼女は平気なようで、少し微笑む。
「先に供養しましょうか?」
「おい、誰が一緒にやるって言った?」
低い声で脅すと、雲蘭は真剣な表情になり、硬い声で言ってくる。
「ちゃんと供養しないと。私も不器用だから分かるんです」
「何が?」
「人から裏切られるのが、どれほど辛いか。信じていた人から解雇されるのが、どれほど悲しいものか。私なんか比べものになりませんが、小規模の人間関係でも、よくあることですから」
「…。お前、どう思う? あの、その、川に身を投げた人のことを」
「哀れだと思います。悔しかったと思います。でも一番は皇帝に退けられたことだと思います。心から尽くしていたんだと思います。そうじゃなければ、死なんで選びませんから」
「死んで楽になったかな?」
「とんでもない!! 死後の世界だって、ちゃんとあるんですよ!! そこで苦労しないために、皆でちまきを投げるんです。ーそれ」
雲蘭が一つちまきを投げると、ぽちゃんと音がした。
川は深いらしく、浮かんでこない。
闇の中の更に闇に入ったようだった。
しかし雲蘭は川を眺めると、ぽつりと呟く。
「報われますように」
目をつむり、無言となる。
何か祈っているのだろうかと、興味が出そうだったので、栄仁は首を横に振る。
「じゃあな。俺、行くわ」
「駄目ですよ。ーはい、一つ」
ちまきを強引に渡され、栄仁はひどく驚く。
のんびりしていそうなのに、こういう時に力を発揮する人格かと、悔しがる。
「ほら、どうぞ」
「分かったよ」
一つ手に取ると、川へ流す。
川は暗く見え、大きな獣が口を開けたようだった。その口、めがけてちまきを投げるのだった。
その様子をぼんやりと眺めていると、雲蘭が言ってくる。
「ーはい。今度は食べてくださいね」
「いらないったら!!」
「いるんです!! 食べないと、生きられないんですよ?」
「…もうどうでもいいよ。こんな世界」
ぼそりと呟いた声は聞こえなかったようだった。
「せっかく大きく成長させてもらったんですから、食べてください」
また強引に手に握らされ、栄仁は思いっきり捨ててやろうとしたのだが、周りに少しずつ人が集まってきているし、雲蘭もじっと見つめてくるので、止める。
「後で食べる」
「嘘ですよね? 私、嘘には慣れているんです」
「ちっ。分かったよ」
どうとでもなれと半分、やけっぱちで、ちまきを食べようとする。
竹の葉の良い香りがし、落としたわりには、砂利などついていなかった。
ーこれで、さよならだ。
思いっきり噛みつくと、栄仁は口を開けたまま、固まってしまう。
「どうしました? お口に合いませんか?」
「…、黙っていろ」
そうすごむと、栄仁はちまきをどんどんと食べていく。
ー俺、まだ食べられるんだ…。
そう思ったら、泣けてきて、両目から涙をこぼす。
それを見て、雲蘭は笑うどころか、優しい眼差しを向けてくる。
ー美味しい、美味しい、美味しい…!!
涙は大粒になり、さすがに雲蘭が一声かけてくる。
「見ないようにしましょうか?」
「いや、いい。…ごちそう様」
涙を手で拭うと、手巾を差し出される。
朝顔の花開いた絵が描かれており、心が安らぐ。
「まだいりますか? どうします?」
「もういい。…あんたのお陰で、食欲を思い出した」
「…そうですか。それは良かったです」
心からにこやかに笑われて、神か何かかと思ってしまう。
ー俺に生きろってことだよな?
運命のいたずらで彼女に出会ったのだから、まだ自分できることがありそうだった。
少しだけ前向きになると、雲蘭が聞いてくる。
「もう死のうとしませんね?」
「!! 何で…!!」
「身なりを見れば分かります。あと黒い雰囲気でしょうか」
「黒い雰囲気…。そんなにひどかったか?」
「ひどかったです。もう見ていられないくらい」
雲蘭は真剣に言った後、照れくさそうに言う。
「ちまき、私の手作りなので、形が悪くてすみません」
「いや、形より味だろう。美味しかった」
「ー生きる気になりました?」
「…ああ。食べられるということは、力をつけるということだ。まだまだ俺はやれる、やれるんだ、俺は」
栄仁の決心に、雲蘭は軽く手を叩く。
「まだここにいますか?」
「いや、邸に帰ってやることがある。ありがとうな。恩に着る」
「いいえ。私は何もしていません。ただ不器用に行動しただけです」
「確かに不器用だな。あー、すっきりした。川へ飛び込むのはやめる。これからも一生懸命、働く」
「そのほうがいいですよ。全てはほどほどに。ゆっくり、ゆっくり」
「ゆっくり、ゆっくりか。意識したことがなかったな」
「私もですけど、焦らず事をなしましょう」
「ああ。じゃあ俺は帰るけど、あんたは…?」
「まだ残ります。どなたかが、戻って来ないように」
後半は冗談めいていて、思わず口元を緩める。
「じゃあな。助けてくれてありがとうな」
「いいえ!! また会えるといいですね」
「おう。じゃあまた」
そう言うと、栄仁は顔つきを険しくし、邸へ戻るのだった。




