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第2話:10度目の春

 イージスが東の大陸に流れ着いて、もう10度目の春を迎える……西からの風は、いつも自分を振り返らせてきた。

 丘の上で地平線を見る。一日の最後に、己を燃え上がらせた太陽は、峻烈な輝きを放ちながら夜に溶けていく。この光景を美しいとは聞くけれど、やはりそうは思えない。

 

 冷たさの残る西風が頬を撫で、通り過ぎる。後には、薄い花の香と枯れた草木の混じった匂いが残され、季節が緑に変わり始めている事を知る。

 地面には、縫い留められた自分の長い影。ここから動いていないのに、春は来た。これから夏が来て、やがて秋も来るだろう。そうしてまた、冬を迎えるのだろうか。護るべきものなんか、どこにも無いというのに……。



「イージスさーん」

 自分を呼ぶ声に引き戻され、振り向くと、後輩のエドが馬(セル)に跨り、丘の上までやってきていた。

 馬(セル)の耳がエドの方を向きっぱなしだ。馬にまで心配してもらうとは……。次は17になるというのに、いまいち放っておけない。

 

「お前……何でここが?」

 誰に聞いたのかと、勝手に眉根が寄る。

「ギルベルトさんが『この時間は、ここにいる』って」

 エドの答えに片頬が緩み、軽く吐息が漏れる。

 あの2人には当分敵いそうにないな。

 

 自分の馬に跨り、夕陽を背に丘を下る。途中、1度だけ振り返って見てみたが、追い風が向かい風に変わり、なびく髪のせいで上手く前が見えない——本当に美しいのだろうか、これが。



 エドと共に「運び屋」であるダリア商会へ戻ると、女の格好をした男が待ち構えていた。豪奢な金髪の下の顔は、女みたいに整っているのに、自分より上背も厚みもある。

「遅い! 何してたのよ?」

 こちらに詰め寄ってくる会頭ダリアの声だけは大きかったが、眉尻は下がったままだった。

 

 自分の隣に立つエドをちらりと見る。俺のことまだ、コイツと同じくらいだと思っていないか……まったく。

「まあ、まあ。リオン」

 ダリアの横に控える長身のギルベルトが、両掌をダリアに向ける。ギルベルトが「リオン」と呼びかけると、いつものようにダリアの怒りが収まってきた。

 

「まあ、いいわ。座りなさいよ」

 どうやら機嫌は直ったらしいな。

 勧められて、どかりとソファに腰を下ろすと、ダリアの揺れる金髪を目で追う。

 見事な金髪……結構な加護だ。腕も立つし、風竜だろうか。赤毛のギルベルトは……。

 

「何よ?」

 ダリアの声で我に返る。また髪の色を見ていたようだ。東の大陸(ここ)では、無駄なのに。

「いや、べつに……」

 疑わしい目で見てくるダリアへ自嘲気味に答える。


 ダリアが両手を腰にあてて、座っている自分と同じ目の高さまで腰を折り曲げてきた。近いな。

「お願いがあるの」

 ダリアがこういう頼み方をしてくる時は……。

「明日、エドを連れて行ってちょうだい」

 

 組んでいた足を組み替え、肩を下ろすと、口からは吐息が漏れた。

「……俺、休みだけど」

「駄目よ。アンタしかいないの。アンタも好きそうなやつだから、今から依頼人に訊いてきてちょうだい」

 ダリアは口の端を吊り上げ、片目を瞑ってくる。これは、何かある。確かにエドは、まだ一人で都市の外には出せないし……仕方が無い。

 

「はあ、分かったよ。いつもの酒場で良いんだろ」

 引き受けると、ダリアは、うんうんと何度も頷いてきた。何でそんなに自信満々なんだか。

 

 あきらめて腰を上げると、ギルベルトが書類にサインをするよう声をかけてきた。立ったまま壁に書類を押し付ける。

「家名もお願いします」

「イージス……アルギュロス……っと」

 サインする手が、ほんの少し止まってしまった。

 

「アタシの付けた名前が、気に入らないのかしら」

 目を細くしたダリアが、頬に手を添えながら皮肉を言ってくる。目敏いな。

 壁の上で書いたせいか、歪んでしまったサイン。

 せっかくダリアが付けてくれたのに。

「……俺にはもったいないだけだよ」

 書類の上に乱暴にペンを重ね、ギルベルトの手にぐいっと押し込んだ。

 

「イージス……」

 ダリアの硬い声が、何かを続けようとするのを聞きたくなくて、急ぎ扉へ向かう。

 通りを歩くと、ガラスに映る自分の姿が嫌でも目に入ってきた——加護を失った茶色の髪が。

 なるべく足元を見ながら足を早めた。


 

 仕事終わりの酒場の扉を開けると、両手にジョッキを持った店員たちが、騒がしい客たちの間を忙しそうに行き来していた。

 商会指定の席に座り、汗の匂いと人いきれの中に身を沈める。

 時折ガッハッハと酔っ払いの大きな笑い声が聞こえてくるが、あの輪には加わりたくはない。

 

 でも、楽しそうに騒いでいる姿を少し離れたところから見ながら飲む酒も——たまには良いもんだな。

 手近な店員に手を挙げる。

「麦酒を1杯頼むよ」

 この隅の席なら店内を見渡せる。依頼人を待つ間、1杯やることにした。

 

 酔っ払いどもの間では、都市の警備を新たに任された「黒の団」の噂でもちきりだった。特に知りたいとは思わないが、雑音は嫌でも入ってくる。

「辺境の魔獣退治しかしてない田舎者だろう?」

「違法魔法薬なんかに対応できるかねえ」

 酔っ払いどもめ、好き勝手言ってやがるな。

 

「きれいな男がいるらしいぜ」

 雑音の中には時折、嘲笑も混じっていた。

 黒の団——ダリア達が昔いたところだ。

 テーブルの上のジョッキに目を落とし、苦い酒を一気に飲み干した。不味い。


 空のジョッキをテーブルに置くと、肩から鞄を下げた栗毛の男が、両手で包みを抱えながら店に入ってきた。誰かとすれ違うたびに、丁寧に頭を下げながらこちらへ歩いてくる。男へ向け手を挙げ、こちらへ座るよう椅子を示す。

 

「明日、都市の外のあんたの家まで馬車に乗せて行く。それで良いな?」

「ええ、娘の誕生日で……」

 向かいに座った男の言葉に肩が、ピクッと持ち上がった。男は照れているのか、汗をかいてもいないのに、何度も顔を拭っていた。

 

 男が大事そうにこちらに向けた包みには、かわいい薄紅色のリボンがかけてある。片目を瞑ったダリアの顔を思い出し、片頬だけが緩む。

 これは、確かに好きなやつかもしれないな。

 

 打ち合わせが終わると、依頼人は席を立ち、深く頭を下げてきた。

「では、明日お願いします」

「俺は、もう1杯だけ飲んで行くよ」

 片手をあげ、依頼人の背中を見送ると、底の見えるジョッキに目を落とす。

 男が店を出たら帰るとするか。

 

 突然、バンという大きな音を立てて扉が開くと、黒い騎士服の集団がなだれ込んできた。

「黒の団だ。違法魔法薬の捜査を行う」

 店内に大きな声が響き渡り、どこかで床に落ちた瓶の割れる音がした。急に大きくなった騒ぎのせいで、皆が一斉に出口へ向かう。

 

 何で、踏み込まれたのと同時に混乱が起きたんだ。おかしいだろう。

 しかもこれは、忘れられるはずもない——あの違和感。

 息の仕方が分からなくなりそうで、急ぎシャツの首元を緩める。首筋が汗ばんできた。

 

 出入口では、黒の団の団員たちが、酒場から出ようとする客たちを押しとどめている。

 あの男は、ちゃんと帰れたのか。上手く見つけられない。ああ、あれのせいだ……。

 栗毛……栗毛……栗毛。いた……まだ帰ってなかったんだ。

 

 声をかけようとしたが、女性が栗毛にぶつかってきた。女性のグラスからは、赤い液体が飛び出す。

「ちょっと! 何するのよ!」

 女性は、ヒステリックな抗議の声を上げながら、依頼人の鞄へと片手を差し込んだ。

 

「前を通してくれ」

 人をかき分け近づくと、赤い染みが付いた包みを大事そうに抱えた男と、空のグラスを持った女。

 自分の胸元を抑えた女が、ちらりと後ろに目をやった。女の視線を追うと、痩せた中年の男が何か頷いている。

 

「あの男が怪しいぞ!」

 女に頷いていた中年の男が、依頼人を指差し叫んだ。大声を受け、騒いでいた客たちの顔がそちらに向き始める。

 

「どうした?」

 団員が依頼人を調べると、鞄から何か出てきた——薬包紙だ。

 必死に否定する依頼人をよそに、ぶつかった女は、騒ぎを伺いながら輪の後ろに下がる。

 

 後ろに下がった女の腕を掴むと、ギョッとした女の顔が目に入ってきた。

「おい、この女も調べろよ。胸元になんか入れたぞ」

「離してよ!」

 捕まれた腕を振り払おうとする女は、必死になって髪を振り乱している。

 

「失礼……」

 横から小柄な団員が割って入ってきて、女の胸元に手を差し込んだ。

 自分が女の腕を掴んだままにしていると、団員が引き戻した指の間には、薬包紙。

 女の腕を離してやると、団員達が取り囲む。騒ぎを煽った男も取り押さえられた。

 

 小柄な団員が魔石を取り出し、その場の浄化を始める。

 魔石のぽうっとした青い光と共にあの違和感も軽くなっていき、汗が引いていく。

 

 楽になってきたが、まだ新鮮な空気が欲しくて、扉の方を見ていた。

 ギィーっというガタついた扉特有の不快な音で酒場の扉が開く。

 新しい風と共に、フードを深く被った一人の男が入ってきた。

 

「現状を報告しろ」

 男の声に動き回っていた団員たちが動きを止め、喧騒が収まっていく。

 淀んでいた空気が変わった——ああ、息ができる。止まっていた血液が一度に流れ出したかのように、自分の鼓動しか聞こえない。

 

 カツカツと硬い靴音だけが響き、団員達がさっと前を開ける。フードから覗く男の目の高さは、自分と同じくらいだが、体は若干自分の方が厚いように見える。男はこちらの数歩先で立ち止まった。

 

 男が両手を添えフードを取ったその瞬間。ぶわっと溢れ出た。

 ——漆黒の髪。初めて見た。綺麗だ……。

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