八話:奈落の果てと地上へ
階段の先は――"明るかった"。
いや、正確には。"明るすぎた"。
「……目、痛っ」
思わず目を細める。奈落の闇に慣れた視界には、その光は暴力だった。
「……ここ、外か?」
「違うよ。まだ奈落の中」
「は?」
俺はもう一度周囲を見る。広い空間。天井は高い。だが――"空"はない。
代わりに、天井一面に埋め込まれた白い結晶。そこから光が降っている。
「……なんだよ、これ」
「光苔みたいなものだね。奈落の上層に多い」
「規模がおかしいだろ」
「奈落だし」
「便利な言葉だなそれ!」
だが、確かに。ここはさっきまでとは違う。空気が軽い。息がしやすい。
それだけで、かなり違う。
「……上に近いってことか」
「そうだね。ここからは"上層"」
上層。その言葉に、妙な現実感があった。
奈落にも、階層がある。そして今、俺は確実に"上"に来ている。進んでいる。
「……ちょっと安心した」
「へぇ。ユウでも安心とかするんだ」
「するに決まってるだろ」
「ずっとビビってると思ってた」
「ビビってるよ!」
「知ってる」
「知ってて言うな!」
ノアはくすくす笑った。
俺は周囲を見渡す。広い。さっきまでの通路とは違う。
床は整っている。壁には装飾がある。壊れてはいるが、かつてはちゃんとした建物だった。
「……遺跡、か」
「たぶんね。奈落って、ほんと何でもありだな」
「だから楽しいんだよ」
「お前だけな!」
俺は歩き出す。光がある分、視界はいい。その分――見えるものも増える。
「……」
床に、黒い塊が転がっていた。近づく。
「……魔物か」
死体。腐っている。だが、完全には崩れていない。
「……誰か倒したのか?」
「かもね。ここ、そこそこ強い魔物が出るはずだから」
「……ってことは、まだいるな」
「いるね。しかも、さっきのより強い」
「なんで分かるんだよ」
「気配」
「便利すぎるだろ……」
俺は息を整える。ここからが本番だ。上層。出口に近い。同時に――守りも強くなる。
「……来るぞ」
「うん」
次の瞬間。"影"が動いた。
床ではない。壁でもない。"光の中"に、影があった。
「……は?」
白い光の中。そこに、不自然な"黒"。それが、ゆらりと動く。
「……なんだ、あれ」
「影だね。でも、普通の影じゃない。"実体がある影"」
「意味わかんねぇ……!」
影が、床から浮かび上がる。立ち上がる。人の形になる。だが、顔はない。輪郭だけ。
黒い"何か"。
「……また面倒なの来たな」
「ユウ」
「なんだ」
「覚えてる? 泉のところの文章」
――光ではなく影を辿れ。
「……まさか」
「たぶん"これ"だね。光の中にいる影。壊すなら光を消せばいい」
「影を辿れって、こいつのことかよ……!」
影が動く。音がしない。だが、速い。
「――っ!」
横に飛ぶ。影が通過する。床が抉れる。
「攻撃力もあるのかよ!」
「あるね」
「最悪だな!」
俺は距離を取る。どうする。影。物理は効くのか。
「ユウ。これ"影"でしょ。光がないと存在できないよね」
「……!」
その瞬間。理解する。
光。天井の結晶。あれがあるから、影がある。なら。
「……壊せばいいのか」
「たぶんね」
「簡単に言うな!」
だが、やるしかない。俺は天井を見る。高い。普通じゃ届かない。でも――
「――その結晶、砕けろ!!」
――バキン!
砕けた。光が一部消える。その瞬間、影が揺れる。
「……効いてる!」
なら。続ける。
「――全部、砕けろ!!」
連続で言霊。頭が痛む。視界が揺れる。でも――
天井の結晶が次々と砕ける。光が減る。影が、歪む。薄くなる。
「今だ!」
「――消えろ!!」
影が、崩れる。霧のように。完全に、消えていく。
「……はぁ……はぁ……」
終わった。
「ナイス。発想いいね」
「……ヒントのおかげだろ」
「そうとも言う」
「自分で言うな!」
俺はポケットから、魔核と舌の石を確認する。まだある。よし。
◇
さらに進む。通路は、少しずつ変わっていく。石の質が違う。空気が違う。そして――
「……風?」
微かに、風が流れている。
「上が近いね」
「……マジか」
思わず、足が止まる。
風。つまり、外と繋がってる。完全な密閉じゃない。
「……」
胸が、ざわつく。ここまで来た。本当に。奈落の中で。死なずに。ここまで。
「ユウ」
「なんだ」
「今、ちょっと泣きそうでしょ」
「泣いてねぇ」
「顔がそんな感じ」
「見んな」
「照れてる?」
「照れてない」
「命令。泣いて」
「だから無理な命令やめろ!!」
ノアが笑う。うるさい。でも。その軽さが、少しだけ助かる。
「……行くぞ」
「うん」
俺は歩き出す。風の方へ。上へ。
◇
そして。最後の扉が、見えた。
「……」
でかい。今までの比じゃない。石の扉。閉ざされている。重そうだ。
「……これ、最後か?」
「たぶんね。"出口の門"」
「……」
俺は近づく。扉に手を触れる。冷たい。動かない。
「……鍵、必要か?」
「うん」
「どれだ」
「たぶん、全部」
「全部?」
ノアが指を折る。
「泉の魔核。声なき者の舌。あと」
少し間を置いて。
「ユウの"言葉"」
「……」
俺は、扉を見る。つまり。これまでの全部。そして最後は――
「……俺か」
「そう。主人公っぽいでしょ」
「うるせぇ」
俺はポケットから、魔核を取り出す。扉の窪みに嵌める。次に、舌の石。同じく嵌める。
そして。手を、扉に置く。
「……」
深呼吸。考える。何を言う。何を命じる。
これはただの扉じゃない。奈落そのもの。選別。封印。その"出口"。
なら。
「……開け」
違う。弱い。もっと。もっと、確信を持って。
俺は、目を閉じる。思い出す。
奈落に落とされた時。あの日記たち。女神の言葉。"不要"。"役に立たない"。"捨てる"。
「……ふざけんな」
小さく呟く。そして。目を開く。扉を睨む。
「――開けろ」
言霊。空気が震える。だが、足りない。動かない。
「……っ」
歯を食いしばる。もっとだ。もっと、強く。もっと、確信を。
「――これは俺の道だ」
声に、力を込める。
「――誰にも邪魔させない」
心臓が、強く鳴る。
「――ここで終わるつもりはねぇ。俺は上に行く」
拳を握る。血が滲む。
「――あいつを殺すために!!」
その瞬間。――ゴゴゴゴ……
扉が、震えた。動く。ゆっくりと。確かに。
「……開いた」
「開いたね。いい言葉だった」
「……疲れた」
「だろうね」
俺はその場に膝をつく。体が重い。でも。
見える。扉の向こう。光。
「……」
奈落の外。地上の光。まだ遠い。でも、確実に、そこにある。
「ユウ」
「なんだ」
「あとちょっとだよ」
「……ああ」
俺は立ち上がる。ふらつく。でも、倒れない。
「行くぞ」
「うん」
俺は一歩、踏み出す。奈落の出口へ。復讐のために。そして、その先の世界へ。
◇
扉の向こうは――"風の音"がした。
「……」
思わず、足が止まる。今まで聞いたことのない音。奈落にはなかった音。
流れる空気の音。
「……これ」
「外に繋がってるね」
ノアが言う。あっさりと。でも、その一言が、やけに重かった。
「……ほんとに、出られるのか」
「出られるよ」
俺は、ゆっくりと歩き出す。
通路は、上へ続いている。傾斜。そして、だんだんと――"明るく"なっていく。
「……」
目が慣れない。眩しい。でも、それでも。分かる。これは――
「……太陽、か?」
「たぶんね。久しぶりでしょ?」
「……ああ」
声が、少しだけ掠れる。
奈落の中では、ずっと暗かった。光はあった。でも、それは"作られた光"だった。
これは違う。自然の光。世界の光。"外"の光。
やがて。通路の先に、出口が見えた。岩の裂け目。その向こうに――空。
「……」
足が、止まる。あと一歩。それだけで、全部が変わる。奈落の底から、地上へ。
「ユウ」
「……なんだ」
「行かないの?」
「……行く」
小さく答える。そして。一歩、踏み出す。
◇
風が、吹いた。
強く。優しく。冷たいのに、温かい。
「……っ」
思わず、目を閉じる。風が、頬を撫でる。髪を揺らす。服をはためかせる。
「……」
ゆっくりと、目を開ける。
そこには――空があった。青い空。雲。遠くの山。広がる大地。
「……」
言葉が、出ない。ただ、立ち尽くす。
「どう?」
ノアが隣で言う。
「地上だよ」
「……ああ」
やっと、声が出る。
「……出たな」
「出たね」
ノアが笑う。
「クリア」
「ゲームみたいに言うな」
「ゲームみたいなものじゃん」
「……まぁな」
俺は空を見上げる。眩しい。でも、目を逸らさない。
ちゃんと見る。ちゃんと覚える。
「……」
奈落で見たもの。聞いたもの。感じたもの。全部、消えない。消えなくていい。
あれがあるから。俺は、ここにいる。
◇
「ユウ」
「なんだ」
「これからどうする?」
「……」
少しだけ、考える。でも、答えは決まっている。
「強くなる。金も集める。情報も集める」
そして。
「――女神を殺す」
はっきりと言う。迷いはない。もうない。
「いいね」
ノアが満足そうに笑う。
「やっと"スタートライン"だ」
「……長かったな」
「でも、まだ始まったばかり」
「分かってる」
俺は、一歩踏み出す。地上の土を踏む。奈落とは違う感触。軽い。確かな感触。
振り返る。奈落の入口。暗い裂け目。そこに続く闇。もう、戻らない。戻る理由もない。
「ユウ」
「なんだ」
「後悔してる?」
「……してない」
はっきりと言う。
「あれがなかったら、俺は、あのままだった。空気のまま。何もできないまま。何も変えられないまま。……今は違う」
「うん。いいね、その顔」
「だから見るなって」
「無理」
「無理言うな」
ノアは笑う。いつも通り。最悪で。でも、隣にいる。
「じゃあ行こっか」
「どこに」
「世界の方へ」
「ざっくりしすぎだろ」
「でも間違ってないよ」
「……まぁな」
俺は前を見る。広い世界。知らない世界。敵も、味方も、まだ分からない世界。
でも、やることは一つ。
「――あいつを殺す」
それだけ。それだけで、いい。
「ユウ」
「なんだよ」
「命令」
心臓が冷えた。日本にいた頃と同じ、最悪の響き。
ノアは楽しそうに笑った。
「生き残って」
その言葉だけは。なぜか、痛くなかった。
「……言われなくても」
俺は、空を見上げる。青い。広い。果てしない。
そして、前を向く。
「生き残ってやるよ」
◇ ◇ ◇
こうして。何も持たないはずだった一人の人間は。
奈落の底から、生きて帰った。
剣もない。魔法もない。仲間もいない。
あるのは、言葉と、怒りと、隣に立つ最悪の邪神だけ。
それでも。
黒瀬ユウは歩き出す。
神を許さないと、決めた日から。
世界に牙を剥くと、決めた場所から。
復讐は、まだ始まったばかりだ。
面白いと感じましたら、ブクマ、評価、コメント等をよろしくお願いします。
次話の投稿はだいぶ先になりますので楽しみにお待ち頂けたら幸いです。




