第六話 その瞳の奥に居られたら
そして金曜日。
約束していた通り、俺と律と源太で飲みに行くことになり、先に夕方ごろアトリエで合流することになった。
「源太も行くだろ?」
「すぐにでも行きたいんですけど、今やってる作業、もう少し時間かかりそうなんで、すみませんが、梶井さん先に行っててもらってもいいですか?」
「ああ、わかった。じゃあまた後で」
「はい、終わったらすぐ向かいますね!」
「うん」
職場を出て、俺は先に律のアトリエに向かうことにした。
「祐馬、いらっしゃい。中入って」
「うん」
律の態度を見ると、この前のことが何もなかったかのように思えてしまう……。自分だけが律のことばかり考えているのだろうか。
「ここ座って」
俺は律に促された椅子に座ると、隣の椅子に律が座る。手にはタブレットを持っている。
「先にアトリエに来てもらったのは、祐馬から頼まれてる仕事の進捗確認させてもらいたくて」
「うん」
律は手に持っていた、iPadを俺に見せながら説明をする。
「今進捗としては、7割ぐらいなんだけど、このまま進めても大丈夫?」
「そうだな。イメージとすごく合ってると思う。ここの背景の部分の配色が特にいいと思う」
「よかった。そこの配色こだわったんだよね。気づいてくれて嬉しい」
律の声で俺は顔を見上げると、律と視線が混じる。瞳の奥にはお互いだけを映している。このまま律の瞳の奥に居られたらいいのに、そんなふうに思ってしまう。
「……祐馬?」
「ああ、ごめん」
俺は少し視線を逸らすと、律の顔に絵の具のような汚れがついていることに気づいた。
「ここ、汚れてる」
俺は自分の頬を指さして、それを律に伝える。
「ああ、さっきまで個展用のイラスト描いてたから絵の具ついたのかも」
律はそう言って、手で顔についた汚れを取ろうと頬を手で擦る。
「取れた?」
「いや、まだ」
俺はポケットからハンカチを出して、律の頬に手を伸ばすと、律は俺の手を受け入れるように目を閉じた。
「……このままだとキスできちゃうね」
律は、目を閉じながら唇の端だけを少し上げるようにいたずらっぽく笑っている。
律はただからかっただけだろうけど、律の言葉のせいか鼓動がうるさい。自分が自分じゃないみたいだ。
律の言葉一つ一つが俺の心を揺さぶる。こんな自分を律に知られたくはない。もう失望はしたくないからだ。
だから俺は、律に気づかれないように平然を装った。
「……俺達、友達なんだろ?もうそんなことしないから」
俺は、ハンカチで律の頬についている絵の具の汚れを拭き取った。
「ありがとう、とれた?」
「うん」
時計の音だけがする静かな空間の中で、その時、インターホンが鳴る。
タイミングが良かったのか悪かったのか……。
「もしかしたら、源太かも。後で来るって言ってたから……」
「そうなんだ。ちょっと見てくる」
そう言って、律は椅子から立ち上がり、入り口の方へ向かおうとする。
俺は、仕方ないと思いながらも、視線を手元に戻して、きゅっと唇を噛み締める。本当は律からのキスを期待していた自分が恥ずかしいからだ。
律はすぐに戻ってきて、俺が座っている椅子の近くにある、テーブルの引き出しを開けた。
「宅配便だったわ。印鑑忘れたから取りに来た」
「そっか」
「あと、これも忘れてた」
そう言って、律は俺の肩に手を置いて、頬にそっとキスをした。
それがあまりにも自然で、何が起きたのかすらわからないほどだった。
律は、戸惑っている俺を置いて、もう一度宅配便を取りに行くと、戻ってきた律の手には、小さめの段ボールを抱えていて、それをテーブルの上に置いた。
「さっきのって何?」
「え?荷物のこと?」
「話変えんなって。どうせ俺達ただの"友達"なんだろ?期待させることすんなよ」
「俺が祐馬のこと友達だって言ったこと覚えてたんだ」
「……別に覚えてないし、たまたま思い出しただけだから」
「そっか。じゃあ、前に話あるって言ってたことなんだけど、今話してもいい?」
「いいけど、何?」
「祐馬に、友達だって言ったこと撤回させてほしい」
「なんで……?」
もう友達だったことすら、律は嫌だったのだろうか……。
こういう時に悪い方向に考えてしまうところが俺の悪い癖でもある。
俺は、息が苦しくなるほど、胸が締め付けられる……。
「だって、友達じゃなくて、俺の恋人になってほしいから」
予期していなかった律の言葉に、頭が追いつかない。
「……え?」
「今更かもしれないけど、あの時できなかったこと、してもいい?」
向かい合わせに座っている律との視線が交わり、瞳の奥に光が差して揺れている。俺は、その瞳に捉えられて動けない。
「急に言われても……」
「そうだよな。返事は、いつでもいいから」
「……わかった」
その時、ズボンのポケットに入れていた、スマホが鳴る。
「出た方がいいんじゃない?」
「……ごめん、ちょっと電話してくる」
俺は、アトリエを出て電話を受けると、その声は源太だった。
近くまで来ているとの連絡で、俺達はアトリエの前で源太と合流した。




