第三話 青天の霹靂
Ritsuと何度かLINEのやり取りをしていると、こんな連絡が届いた。
『梶井さん、今度一度二人で会いませんか?』
「えっ……」
仕事中にも関わらず、びっくりして声が出てしまった。
「梶井さんどうしたんですか?」
その反応を見た後輩が驚いて話しかけてくる。普段あまり動揺しない俺が、動揺していたことに驚いたのだろう。
「いや、何もないから気にするな」
仕事先の人と二人で会うということはこれまで何度もあったのに、なぜこんなに動揺してしまうのだろう。
「そう言われるとめっちゃ気になりますよ」
「そうだよな……。いや、Ritsuと今度二人で会うことになったから」
「すごいじゃないですか!心開いてくれたってことじゃないですか。さすが梶井さん!その日なんかできることあったら言ってくださいね」
「ああ、ありがとう」
一週間後、俺はこの前のカフェではなく、Ritsuのアトリエに呼び出された。
「わざわざ来てもらってすみません」
Ritsuにアトリエの中に迎え入れられると、色々な画材があり、沢山の絵が飾られていた。
「いえ、こちらこそお招きいただいてありがとうございます」
「この前、梶井さんと会った時に、もっと自分の作品を見て欲しいと思ったんですよね」
「そう言っていただけて嬉しいです。僕、今の会社に入ってアートとかデザインとかを勉強するようになったんですけど、特にRitsuさんの作品を見て感銘を受けました。僕もまだまだ勉強不足だなって思いますし、素晴らしい作品って沢山あるんだなって改めて思います」
「俺、梶井さんに、仕事依頼してもらえて本当によかったです」
「こちらこそ光栄です」
アトリエの奥の方に案内されると、そこは作業部屋のようだった。
「それと依頼してもらった広告の進捗なんですけど、こんな感じで問題ないですか?」
iPadで説明しながら、依頼した広告のデザインの途中経過を見せてくれた。
「今回の広告のイメージとすごく合ってます。ありがとうございます」
「よかったです。では、このまま進めていきますね。もし何かあれば、都度相談させていただきます」
「はい、よろしくお願いします」
「じゃあ、仕事の話はこのぐらいにしておいて、梶井さんって少し時間ありますか?」
「時間はありますけど……」
「せっかくだし、絵を描く体験していきません?」
「ぜひ、やってみたいです」
「じゃあ、これ紙とペンです」
「ありがとうございます」
「まずは大きく丸を描いて、影をつけていきましょう」
俺は後ろから教えてもらいながら絵を描いていく。
「梶井さんって月好きですか?俺、月が好きなんですけど、この流れで描いてみます?」
後ろから聞こえる優しく心地よい声に、少し鼓動が早くなる気がした。
「月ですか……。僕も好きです」
「よかった」
そう話すと、静かで穏やかな空間が流れる。時計の針と鉛筆の音だけが部屋に響いている。
「梶井さん、そういえば俺達って過去に会ったことあるの覚えてます?」
「え……?」
「ペン止まってますよ。そのまま聞いててください」
「はい……」
「ここ、もう少しこうした方がいいかも」
そう言って、彼は俺の手の上から手を重ねて従うままにペンを動かしていく。
手の温度が暖かくて、さっきよりも近い距離と、耳の近くで低く響く声に、鼓動がさらに早くなる。
「もしかして、緊張してますか?」
「え、ああ……」
自分の心臓の音が聞こえてるんじゃないかと思って、それが恥ずかしくて曖昧な返事しかできなかった。
「緊張しなくて大丈夫。あとちょっとで完成しますよ」
数回ペンを動かした後、絵は完成して最後に名前を書いた。
〈Yuma Kajii,Ritsu Nakahara〉
描き終えた絵は、繊細でとても忠実に綺麗に描かれた月の絵だった。それと同時に目に留まったのは、彼の名前だった。
「なかはらりつ……?」
彼は新しく小さな紙をテーブルの引き出しから取り出して、俺が使っていたペンを取り、名前を書いた。
「これで、中原律」
「そんなことって……」
「だから会ったことあるって言ったじゃん。祐馬、思い出した?」
「……っ」
俺は言葉にならなかった。彼があの時の律だったなんて……。
名前を呼ばれて、感情が溢れ出しそうになるのを必死に抑えようとした。
俺達は高校を卒業してから、疎遠になってしまい、連絡も取らず顔も合わせることもなかったからだ。
俺は律の方を振り返ったけど、目を合わせられなかった。あれだけ会いたかった彼が目の前にいるのに、触れられないほど遠く感じた。
それは、お互い過ぎた時間を取り戻せる訳ではないからだ。もう彼は別の人生を歩んでいるし、今はもうただの仕事相手からだ。律はもうあの時の律ではない。
「どうした?」
「今日は帰るから」
律は心配そうな顔をしていたけど、それに気づかないふりをして俺は荷物を持って、アトリエを後にした。
最寄り駅までどう歩いたかすらわからなかった。頭の中で今の律とあの頃の律を重ね合わせてしまって、胸が締め付けられるほど苦しかった。
職場には直帰の連絡をして、家に帰ることにした。この状態では仕事が手につきそうになかったからだ。




