第二話 鉄屑と化した聖剣、あるいは偽りの栄光の終焉
翌朝、王都の空は抜けるような青空だった。
高級宿「銀の天馬亭」のロイヤルスイートルームで、ギルバートは最悪の気分で目を覚ました。
頭が割れるように痛い。体は鉛のように重く、指先一つ動かすのも億劫だ。
昨夜の祝勝会で飲み過ぎたせいだろうか。最高級のヴィンテージワインを何本空けたか覚えていない。
「……うう、水」
ギルバートは呻きながら、ベッドサイドの呼び鈴に手を伸ばそうとした。
だが、いつもなら枕元に控えているはずの「彼」がいないことに気づく。
そうだ、アレンはもういないんだった。
あの目障りな荷物持ちを追い出したんだった。
その事実を思い出すと、二日酔いの頭痛の中に、じわりと優越感が広がっていく。
「ふん、せいせいしたぜ。あいつの貧相な顔を見なくて済むと思うと、朝の空気も美味いな」
ギルバートはのろのろと上半身を起こした。
隣で寝ていたはずのエリスとミナの姿がない。
洗面所の方から、何やら騒がしい声が聞こえてくる。
「嘘でしょ!? なんでこんなに肌が荒れてるのよ! 昨日のエステ、偽物だったんじゃないの!?」
「私の髪もですわ……櫛が通りません。まるで藁束みたいにパサパサです。神聖力が落ちているのでしょうか……」
二人の悲鳴に近い声に、ギルバートは眉をひそめた。
女というのはこれだから面倒だ。少し肌の調子が悪いぐらいで大騒ぎする。
俺たちは選ばれし勇者パーティーだ。神の加護がある限り、老化も劣化も無縁のはずだ。
ギルバートは重い体を引きずって洗面所に向かった。
「朝からうるさいぞ。今日は国王陛下への謁見があるんだ。さっさと準備を……」
言葉は、鏡に映った自分の顔を見て途切れた。
目の下にはくっきりと隈が刻まれ、肌は土気色に濁っている。自慢の金髪は寝癖で爆発し、艶を失ってボサボサだ。
まるで、何日も野宿を続けた浮浪者のような顔がそこにあった。
「な、なんだこれは……?」
ギルバートは自分の頬をぺたぺたと触った。
指先に触れる感触は、いつもの陶器のような滑らかさではなく、ザラザラとした不快なものだった。
隣でエリスが、厚塗りの化粧で必死に肌荒れを隠そうとしている。
ミナに至っては、聖水を頭から被って祈りを捧げていたが、髪のパサつきは一向に治らない。
「ギ、ギルバート様……どうしましょう。こんな顔、誰にも見せられませんわ」
エリスが泣きそうな顔で訴えかけてくる。
ギルバートは動揺を押し殺し、努めて冷静に振る舞った。
「落ち着け。昨日の激闘の疲れが出ただけだ。黒竜討伐なんて偉業を成し遂げたんだ、多少の反動はあって当然だろう」
「そ、そうですわよね。きっと一時的なものですわ」
「ああ。王城へ行けば、宮廷魔導師に回復魔法をかけてもらえばいい。俺たちは英雄なんだからな」
ギルバートはそう自分に言い聞かせた。
そうだ、俺は勇者だ。この程度の不調、気合でどうにでもなる。
アレンがいなくなったせいで、細かいケアが行き届いていないだけだ。あいつが毎日せっせと用意していた特製ドリンクやマッサージが、多少は効果があったのかもしれない。
だが、そんなものは些末なことだ。
俺には聖剣がある。この世界最強の力さえあれば、見た目の不調など関係ない。
身支度を整え、宿を出る頃には日は高く昇っていた。
宿の前に停められた豪華な馬車に乗り込む。
御者が恭しく頭を下げるが、その視線がどこか怪訝そうに見えたのは気のせいだろうか。
「王城へ。急げよ」
ギルバートが命じると、馬車は王都の大通りを走り出した。
しかし、走り出してすぐに違和感を覚えた。
ガタン、ゴトン、と激しい振動が尻に伝わってくるのだ。
クッションの効いた高級シートのはずなのに、まるで荷馬車に乗っているかのような乗り心地の悪さだ。
「おい、揺れすぎだぞ! もっと丁寧に運転しろ!」
ギルバートは小窓を開けて怒鳴った。
「申し訳ございません! ですが、石畳の状態があまり良くなくて……」
御者の言い訳に舌打ちをする。
今までこんなに揺れたことなどなかった。
アレンが同乗していた時は、まるで空を飛んでいるかのように滑らかだったのに。
いや、違う。あいつは関係ない。きっと馬車のメンテナンス不足だ。後で宿にクレームを入れてやろう。
窓の外には、王都の賑わいが見える。
いつものように手を振って民衆に応えようとしたが、彼らの反応は鈍かった。
普段なら「キャー! ギルバート様よ!」「勇者様万歳!」という歓声が上がるはずなのに、今日は誰もこちらを見ようとしない。
たまに目が合った者も、すぐに興味なさそうに視線を逸らしてしまう。
「どうなっているんだ……? 俺たちの人気が落ちたのか?」
「まさか。黒竜を倒したばかりですもの。きっと、皆、私たちの輝きに圧倒されて声も出ないんですわ」
ミナがおっとりとした口調でフォローするが、その表情にも焦りが見え隠れしていた。
実は、彼らが纏っていた「勇者のカリスマ補正(魅了効果)」も、アレンのライセンスによって発動していた付随スキルだった。
それが切れた今、彼らはただの「少し派手な格好をした一般人」に過ぎない。
だが、プライドの高い彼らはその事実を認めることができなかった。
「……ふん、まあいい。王城に着けば、盛大なファンファーレが出迎えてくれるさ」
ギルバートは不機嫌そうに腕を組み、背もたれに深く体を預けた。
この後に待ち受ける本当の屈辱など、知る由もなく。
◇
王城の正門前には、既に長い行列ができていた。
地方からの陳情者や貴族の馬車が列をなして入場を待っている。
ギルバートたちの馬車は、その行列を無視して、勇者専用の優先レーンへと進んだ。
ここは選ばれた者だけが通れる特別な門だ。
いつもなら、顔パスで通過できるはずだった。
だが、門の前で衛兵が立ちはだかった。
「止まれ! ここから先は許可なき者の通行は禁止されている!」
槍を交差させ、行く手を阻む衛兵たち。
馬車が急停止し、ギルバートたちは前のめりになった。
「何事だ!?」
ギルバートは憤慨して馬車から飛び降りた。
エリスとミナも続く。
「おい、俺の顔を忘れたのか? 勇者ギルバートだぞ! 黒竜を倒した英雄を足止めするとは何事だ!」
ギルバートは衛兵の鼻先に指を突きつけて怒鳴った。
しかし、衛兵たちの反応は冷ややかだった。
彼らはギルバートの顔をじろじろと見回し、鼻で笑った。
「勇者ギルバート? 寝言は寝て言え。勇者様はもっと神々しいオーラを纏っておられる。お前のような薄汚れた男ではない」
「な、なんだと……!?」
ギルバートは耳を疑った。
薄汚れた男? この俺が?
確かに今日は体調が悪くて肌も荒れているが、それでもこの黄金の鎧と聖剣を見れば分かるはずだ。
「ふざけるな! この聖剣が見えないのか! それに、俺たちのパーティーメンバーも一緒だ!」
ギルバートはエリスとミナを指差した。
だが、衛兵は呆れたように首を振る。
「そっちの女たちも同様だ。魔力も神聖力も微塵も感じられん。ただのコスプレ集団だろう。最近多いんだよな、勇者様の偽物を語る詐欺師が」
「さ、詐欺師ですって!? 無礼な! 私は次期聖女候補のミナですわ!」
「私は大魔導師エリスよ! あんたたちなんか、魔法一つで黒焦げにできるんだから!」
二人の抗議も、衛兵たちには通じない。
それどころか、周囲にいた他の冒険者や貴族たちからも、クスクスという失笑が漏れ始めていた。
「おい見ろよ、あいつら。勇者のフリして優先レーンを通ろうとしたらしいぜ」
「バカだなぁ。王城の結界には『勇者認証システム』があるって知らないのか?」
「装備だけは一丁前だけど、中身がスッカラカンだぜ」
嘲笑の視線が突き刺さる。
ギルバートの顔が屈辱で真っ赤に染まった。
こいつら、全員許さない。王様に言いつけて処刑してやる。
だが、その前に実力を示して黙らせる必要がある。
「いいだろう。そこまで言うなら、証拠を見せてやる」
ギルバートは腰の聖剣に手をかけた。
この剣は、選ばれし勇者だけが抜くことを許された伝説の武器。
刀身からは常に神聖な光が溢れ、見る者をひれ伏させる力がある。
これを抜けば、衛兵たちも土下座して謝るはずだ。
「見よ! これが聖剣エクスカリ……ん?」
ギルバートは柄を握り、勢いよく引き抜こうとした。
しかし、剣は鞘から抜けなかった。
まるで接着剤で固定されているかのように、微動だにしない。
「ぬ、ぐぐぐ……!」
ギルバートは顔を真っ赤にして力を込める。
額に青筋が浮かび、脂汗が流れる。
だが、剣はうんともすんとも言わない。
「どうした? 芸人ならもっと面白い芸を見せろよ」
衛兵が野次を飛ばす。
焦りが頂点に達したギルバートは、足で鞘を押さえつけ、渾身の力で引き抜いた。
ガキッ! ジャリッ!
不快な金属音と共に、ついに剣が抜けた。
勢い余って尻餅をつくギルバート。
そして、彼の手にある「聖剣」を見た瞬間、周囲の笑い声がピタリと止まり、ざわめきに変わった。
「……なんだ、そのボロ切れは?」
ギルバートが握りしめていたのは、赤錆だらけの鉄の棒だった。
刃こぼれなどというレベルではない。刀身の半分は腐食して崩れ落ち、かつての輝きなど見る影もない。
ただの古びたスクラップだ。
「は、はあ……? な、なんだこれは……?」
ギルバートは震える手でその鉄屑を見つめた。
昨日の夜まで、青白く輝いていたはずだ。
黒竜の鱗すらバターのように切り裂いた最強の剣が、なぜこんな姿に?
「い、いや、違う! これは何かの間違いだ! そうだ、エリス! お前の魔法で証明してやれ!」
ギルバートは助けを求めるようにエリスを振り返った。
エリスは青ざめた顔で杖を構えていた。
「わ、分かったわ! 見てなさい! 《ファイアボール》!」
エリスが高らかに詠唱し、杖を振るう。
本来なら、巨大な火球が出現し、周囲を威圧するはずだった。
しかし。
ボッ。
杖の先から出たのは、ライターの種火のような、小さな炎だった。
それは風に吹かれて、一瞬で消えた。
「……え?」
エリスが呆然と杖を見つめる。
「う、嘘よ……私の魔力が……空っぽ……?」
「ミ、ミナ! お前なら!」
ギルバートがすがるような目でミナを見る。
ミナは震える手で聖印を結んだ。
「《ホーリー・ライト》!」
シーン……。
何も起きない。
ただの沈黙が流れるだけだった。
「神よ……なぜですか……なぜ私に応えてくださらないのですか……!」
ミナはその場に崩れ落ちた。
周囲の失笑は、もはや爆笑に変わっていた。
「おいおい、手品ショーかよ!」
「種火魔法とか、アカデミーの初等科レベルじゃねーか!」
「帰れ帰れ! 偽物ども!」
罵声と嘲笑の嵐。
ギルバートは混乱の極みにあった。
何が起きたのか全く理解できない。
なぜ力が使えない? なぜ聖剣が錆びた?
そうだ、ステータスだ。ステータスを見れば何かが分かるはずだ。
「ステータス・オープン……!」
ギルバートは震える声で唱えた。
空中に半透明のウィンドウが現れる。
そこには、無慈悲な真実が刻まれていた。
名前:ギルバート
職業:無職(元・村人)
Lv:5
HP:35/35
MP:0/0
スキル:なし
称号:偽りの英雄(効果:全ステータス大幅ダウン)
「な……ん……だ……これ……」
Lv5。
冒険者になりたての頃の数値だ。
いや、それ以下かもしれない。
今まで積み上げてきたはずのレベル99は? 勇者の称号は? 数々のレアスキルは?
全て消えていた。
まるで、最初から何も持っていなかったかのように。
「貴様ら、いい加減にしろ!」
衛兵隊長らしき男が怒鳴り声を上げ、部下たちに指示を出した。
「王城前で騒ぎを起こし、通行の妨げになっている! この不審者どもを拘束しろ!」
「はっ!」
数人の屈強な衛兵がギルバートたちに飛びかかった。
今の彼らに、抵抗する力など残っていなかった。
「は、離せ! 俺は勇者だ! 無礼者! 触るな!」
「いやぁぁぁ! 私のローブが汚れるぅぅ!」
「神よ! 罰が当たりますよ! 私たちは聖なる使徒なのです!」
無様な叫び声を上げながら、三人は地面にねじ伏せられ、荒縄で縛り上げられた。
かつての栄光は見る影もなく、ただの哀れな犯罪者として、彼らは王城前から引きずられていった。
その様子を遠くから見ていた民衆たちは、「ざまぁみろ」と言わんばかりの冷たい視線を送っていた。
ギルバートの視界の端に、昨日追い出したアレンの顔がちらついた気がした。
『俺がいなくなれば、これまでのようには戦えなくなるぞ』
あの時の警告が、呪いのように脳内で反響する。
「まさか……あいつの……?」
だが、思考はそこで途切れた。
衛兵に頭を殴られ、ギルバートの意識は暗闇へと沈んでいった。
◇
一方その頃。
王城前の騒ぎを遠く離れた路地裏で、アレンは壁に寄りかかりながら、涼しい顔でその一部始終を「管理画面」越しに眺めていた。
「……思ったより早かったな」
ウィンドウを閉じると、アレンは小さく息を吐いた。
彼らが連行されていく様子は、滑稽を通り越して哀れですらあった。
だが、同情はしない。
彼らは自らの意思で俺を切り捨て、その結果として「解約」されたのだ。
自業自得という言葉がこれほど似合う状況もないだろう。
「さて、と」
アレンは自分の掌を見つめた。
今、彼の体には信じられないほどの力が満ちている。
ギルバートたちが使っていた力に加え、これまで彼らに吸い取られていた分の「利子」まで含めて、全てのエネルギーが還元されているのだ。
ステータスを確認してみる。
名前:アレン
職業:真なる勇者(システム管理者)
Lv:測定不能(限界突破)
HP:∞
MP:∞
スキル:【全知全能】【創造】【破壊】【時空操作】……他多数
「……やりすぎだろ」
思わずツッコミを入れたくなるような数値だ。
HPが無限大ってどういうことだ。これじゃ死にたくても死ねないじゃないか。
だが、これが本来の「勇者ライセンス」のスペックなのだ。
世界を救うために神が用意した、過剰なまでの超常権限。
それを、今までは五人で分け合い、さらに出力制限をかけて運用していた。
一人に集約されれば、こうなるのも当然か。
「これなら、魔王なんてデコピン一発で倒せるんじゃないか?」
冗談半分に呟きながら、アレンは路地裏を出ようとした。
その時だった。
「――お待ちしておりました」
凛とした、鈴を転がすような美しい声が響いた。
アレンは足を止め、声のした方を振り向く。
そこには、純白の修道服に身を包んだ一人の少女が立っていた。
銀色の髪は月明かりのように輝き、深い蒼色の瞳は全てを見通すような静けさを湛えている。
その美しさは、人間離れしていた。
彼女はアレンの前に歩み寄ると、汚れた路地裏の地面に躊躇なく膝をつき、深く頭を下げた。
「えっ、ちょっ……?」
アレンが戸惑う間もなく、彼女は祈るように手を組み、アレンを見上げて言った。
「ようやく、全ての枷が外れましたね。アレン様」
「……君は?」
アレンは警戒しながら尋ねた。
彼女からは、強大な神聖力が感じられる。
先ほどのミナなど比較にならないほど、純粋で高潔な力だ。
少女は微笑んだ。その笑顔は、まるで迷子がようやく親を見つけた時のような、安堵と喜びに満ちていた。
「私はレナ。この世界の理を管理する教会の、しがない代行者です」
レナと名乗った少女は、アレンの手をそっと取り、自分の額に押し当てた。
「ずっと見ていました。偽りの勇者たちの陰で、貴方様がどれほど献身的に世界を支えていたかを。愚かな彼らは、真の太陽が誰であるかも知らずに、その恩恵だけを貪っていました」
彼女の言葉には、ギルバートたちへの静かな怒りと、アレンへの深い崇拝が込められていた。
「真なる勇者アレン様。どうか私に、貴方様のお傍に仕える許可をいただけないでしょうか? この身も、心も、教会の全権限も、全て貴方様のために捧げます」
アレンは呆気に取られた。
王城から追い出され、職を失った直後に、いきなり世界最高峰の聖女(と思われる人物)からプロポーズに近い忠誠を誓われるとは。
人生、何が起こるか分からないものだ。
「……仕えるって言われても、俺はただの元・荷物持ちだぞ?」
「いいえ。貴方様こそが、この世界で唯一無二の『王』となるべき方です」
レナは熱っぽい瞳でアレンを見つめ返す。
「さあ、参りましょう。まずは手始めに、貴方様を侮辱したあの愚か者たちに、本当の『絶望』というものを教えて差し上げなくては」
その笑顔は聖女のように美しく、同時に悪魔のように妖艶でもあった。
アレンは苦笑しながら、彼女の手を握り返した。
「……分かった。よろしく頼むよ、レナ」
こうして、最強の勇者と至高の聖女。
二人の運命的な出会いは、ひっそりとした路地裏で果たされた。
それは同時に、この国を、いや世界を揺るがす新たな伝説の幕開けでもあった。
そして、牢屋の中で目を覚まそうとしているギルバートたちにとっては、本当の地獄の始まりを意味していた。




