第四章:冷たい指先と、届かない動悸
「……っ、閣下? 痛いです、そんなに急がなくても……!」
リリアナは困惑していた。
つい数分前まで、庭の木漏れ日の中で子犬と戯れていたはずだった。それなのに、突如現れたゼノスは、見たこともないほど険しい表情で彼女の腕を掴み、一言も発さずに城内を引きずっていく。
廊下ですれ違う使用人たちが、恐怖で壁際に張り付き、道を開ける。
ゼノスの放つ殺気はそれほどまでに苛烈だった。
(……どうしよう。私、何か怒らせるようなことをした……?)
いつものリリアナなら「怒ったお顔も素敵!」とはしゃげたかもしれない。けれど、今、自分を引くゼノスの手の震えと、一切目が合わないその拒絶的な態度に、彼女の心は冷えていく。
「閣下、あの、ワンちゃんが……」
「黙れ」
低く、突き放すような声。
リリアナはそれ以上、何も言えなくなった。
自室の前まで来ると、ゼノスは乱暴に扉を開け、リリアナを中へと押し込んだ。
よろめきながら振り返ると、入り口に立つゼノスの赤い瞳が、昏い炎のように揺れている。
「……今日はもう、一歩もこの部屋から出るな。……顔も見せるなと言ったはずだ」
「……閣下?」
「……二度と、俺を苛立たせるな」
バタンッ、と重厚な扉が閉まり、外から鍵がかけられる音が響く。
それは、あまりにも一方的なものであり、彼女はただただ困惑を隠すことができなかった。
静まり返った部屋の中で、リリアナは立ち尽くす。
いつもなら「独占欲!? 監禁!? ご褒美すぎる!」とポジティブ変換できるはずなのに、今のゼノスの瞳に宿っていた「何か」が、彼女の胸をざわつかせる。
(……あんなに、嫌そうな顔……してたかな)
リリアナはベッドの端に腰を下ろし、自分の腕を抱きしめた。
掴まれていた手首には、うっすらと赤い指の跡が残っている。
(やっぱり、前世の知識だけで『好きだ』なんて思い込んで、調子に乗ってたのかな……。閣下にとって、私はただの不吉な贈り物で、邪魔な存在でしかないのに。……さっきの怒り方は、本当に私を嫌っている人の目だった……)
転生して初めて、リリアナは自分の「推しへの愛」が、相手にとってはただの苦痛やストレスでしかないのではないかという、耐え難い不安に襲われた。
一方、扉のすぐ外では。
ゼノスが拳を壁に打ち付け、荒い呼吸を繰り返していた。
(……何を、しているんだ、俺は)
本当は、彼女が子犬に向けていたあの柔らかな微笑みを、自分だけに向けてほしかった。
「閣下は優しい」と言ってくれたその唇を、物理的に塞いでしまいたかった。
だが、口から出たのは彼女を怯えさせる拒絶の言葉だけ。
「……あんな顔、させるつもりじゃ……」
扉越しに、リリアナが鼻を啜る微かな音が聞こえる。
彼女を傷つけたいわけではない。ただ、自分の制御できない感情が、彼女を壊してしまいそうで。
最強の男は、たった一枚の扉を隔てて、自分を嫌いになったのではないかという言い知れぬ恐怖に、ただ絶望的に立ち尽くすしかなかった。
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