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第三章:孤独な王者の、未知なる鼓動

ゼノスは執務室の窓から、広大な庭園を見下ろしていた。

あの騒がしい女が、今日は妙に静かだ。……まさか、本当に「顔を見せるな」という言葉を気にして落ち込んでいるのではないか?


(……勝手にしろと言ったのは俺だ。あんな女、どうなろうと知ったことか)


そう思いながらも、彼は気づけば足早に庭園へと向かっていた。自分でも理由のわからない焦燥感に突き動かされて。


庭園の奥、手入れの行き届かない木陰。

そこには、城に迷い込んだのであろう、汚れを帯びた一匹の小さな子犬と、その横にしゃがみ込むリリアナの姿があった。

ゼノスは反射的に物陰に身を隠した。声をかけるつもりはなかった。ただ、彼女が何を考えているのか知りたかっただけだ。


「……あ、動いちゃダメだよ? 今、包帯を巻いてあげるからね」


聞こえてきたのは、いつもの狂熱的な叫び声ではない。

鈴を転がしたような、穏やかで、包み込むような優しい声。

リリアナは、怪我をした子犬の足を器用に手当していた。

ゼノスが驚いたのは、彼女の表情だ。

俺を崇める時のギラギラした瞳ではなく、心からの心配と慈しみに満ちた、聖母のような微笑み。


「よし、これで大丈夫。……痛かったよね。でも、もう怖くないよ。このお城にはね、世界で一番かっこよくて、強くて、優しい『魔王様』がいるんだから」


物陰で、ゼノスの心臓がドクンと大きく跳ねた。


「……みんなは閣下を『悪魔』なんて言うけど、あんなに綺麗な目をしている人が、悪い人なわけないもん。……あのお目々、本当にかっこいいんだよ? 君にも見せてあげたいな」


リリアナは子犬の頭を優しく撫でながら、ふふっと幸せそうに笑った。

その光景を見ていたゼノスは、突然、胸の奥をギュッと掴まれたような強い衝撃に襲われた。

「痛み」ではない。だが、焼けるように熱く、それでいて酷く切ない感覚。


(……なんだ、これは)


冷酷な公爵として、多くの命を奪い、誰からも忌み嫌われてきた。

胸が苦しくなるのは、死を覚悟した戦場か、呪われた瞳を呪う夜だけだったはずだ。

だというのに、彼女が子犬に向けるその眼差しを、その優しさを、**「自分だけのものにしたい」**という猛烈な欲望が、真っ黒な感情となって湧き上がってくる。


(あんな顔で、あんな声で、俺を見ろ。……犬ごときに、その温もりを与えるな)


「……っ」


ゼノスは思わず胸元を強く掴んだ。

鼓動がうるさすぎて、耳の奥までドクドクと響く。

彼は、自分がリリアナに「恋」をしているなどとは夢にも思っていない。ただ、この異常な胸の苦しさを、彼女が自分にかけた「未知の呪い」だと思い込み、激しく困惑していた。

リリアナが子犬を抱き上げようとしたその時、ゼノスは我慢できずに影から姿を現した。

その赤い瞳は、嫉妬と混乱でいつになく鋭く光っている。


「……リリアナ」

「あ、閣下! 見て下さい、可愛いワンちゃ——」


ゼノスは彼女の言葉を遮るように、無言でその腕を掴んだ。


子犬をひょいと地面に降ろさせ、そのままリリアナを自分の方へ強く引き寄せる。


「……か、閣下? どうされたんですか、そんなに怖い顔をして……」

「…………うるさい」


彼は言葉が見つからない。


「その顔を俺以外に向けるな」「俺を、その犬と同じように愛せ」


そんなあまりに情けない本心を、強者の彼が口にできるはずもなかった。


「……部屋に戻れ。……二度と、勝手に外へ出るな」


そう言い放ち、彼はリリアナの手を引いて、自分たちの住む塔へと連行し始めた。

彼の背中は、昨日よりもずっと強引で、それでいてどこか震えているように見えた。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

もし、よろしければ評価・ブックマーク等よろしくお願いします。

ではまた、次の話でお会いしましょう。

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