9話
「……ただいま」
聞き慣れた、少し疲れている低い声。
その声の人物は、私の部屋へ入ってきた。
「父さん……」
「……まだ、熱下がってないのか」
そこには、マネージャーさんよりも疲れた顔をしたパパの姿だった。
私は、布団の中でぎゅっと指を握る。
「愛姫、大丈夫か?」
「……うん。パパ……おかえり」
そう返事をすると、パパはそれだけで満足したみたいに頷いた。
「ごめんな。今日は仕事休めなかったんだ」
私に背中を見せ、マネージャーさんにも軽い会釈をする。
「……君にも申し訳ない事をしたね」
「いえ。お邪魔しています」
「お茶でも入れようか。なあ?累」
「……父さん」
累くんの声が、低く響いた。
こんな声、聞いたことがない。
「昨日も、一昨日も、父さんはいなかったよね」
「……仕事だから、仕方ないだろう」
「……」
累くんは、なにも言わずに立ち上がり、パパを睨みつけた。
マネージャーさんが何か言おうとしたが、口を閉じた。
「雨の日に、5歳の妹を連れて買い出しに行ったの、俺だよ」
「……」
「転んで、熱出して、夜中にうなされてたのも、俺が全部見てた」
パパは、何も言わない。
その沈黙が、累くんの怒りに油を注いだ。
「病院に連れていくって電話したら、なんて言ったか覚えてる?“任せる”って言ったよね?」
累くんの声が、震えていた。
それは、怒りだけじゃない。
きっと、悔しさと、怖さと、守れなかった恐怖。
全部、混ざっている。
「それ、親が言う言葉なの?」
「累……落ち着け」
「落ち着けない」
累くんは、マネージャーさんの静止を振り切りる。
「……もう、父さんには任せない」
空気が、凍った。
累くんは、私の方を一瞬だけ見て、すぐにパパへ視線を戻す。
「俺が、全部見る。学校も、仕事も、両立する。愛姫に、これ以上“ひとり”の時間を作らせない」
パパは、しばらく黙っていたけど、ため息をついた。
「……今日は、俺が病院に連れていく。その後、少し話そう」
パパはそう言うと部屋を出た。
累くんが、納得していないのは、誰の目にも明らかだった。
「……めごたん、ごめんね。怖かった?」
私は首を横に振る。
張り詰めた空気が、少しだけ緩んだ。
何に対しての謝罪か、分からない。
でも、その手は、“離さない”と言うように、私の手を強く握っていた。




