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第7話「鬣は祈り、夜を裂く」(サバンナの記憶)

サバンナの朝は、光が柔らかい。

まだ冷えた草原の上で、私は家族を見つめていた。

彼女は、二匹の子を毛づくろいしている。

彼女の腹の奥では、もう一つの命が息づいていた。


耳を近づけると、確かに微かな鼓動があった。

それは、何よりも守りたい音だった。

「この鼓動のためなら、何度でも立てる」と、私は思った。



太陽が真上に差しかかる頃、水場からの帰り道だった。

草むらの先で二つの影が揺れる。若い雄二頭――鬣はまだ浅く、目には獲物を狙う光。

その視線は、母子をまっすぐ射抜いていた。


私は一歩前に出る。

喉の奥から低い唸りが漏れ、サバンナの空気を震わせる。

咆哮が空を裂き、鳥たちが一斉に飛び立った。


最初の一頭が飛びかかる。牙と牙がぶつかり、骨を叩く鈍い音が響く。

土が跳ね、乾いた血の匂いが鼻を突く。

もう一頭が横から回り込む――尾で子を庇い、肩で受け止めた瞬間、焼けるような痛みが走る。


それでも前脚で相手の首を押さえ込み、地面に叩きつけた。

息を荒げる二頭は、やがて低く唸って後退し、草の影に消えた。

私の肩から、血が一筋垂れていた。



日が傾き、影が長く伸びる。風が湿った腐肉の匂いを運んできた。

笑い声のような鳴き声――ハイエナだ。

数える間もなく、二十を超える影が現れた。


私は立ち止まり、母と子を後ろに押しやった。

「走れ」という声は出せないが、目で伝える。


最前列の二匹が飛びかかる。

一匹を前脚で弾き飛ばし、もう一匹の喉元に牙を食い込ませる。

だがすぐに背後から噛みつかれ、後肢に鋭い痛みが走った。


血が滲み、脚が震える。

それでも吠えた。

その声は、群れの足を止め、母が子を咥えて遠くへ走る時間を作った。

やがて群れは追うのを諦め、笑い声を残して去っていった。



夜が来る前、風が変わった。

焦げた匂いが鼻を突き、地平線に赤い筋が走った。

野火だ――炎が風に乗って草原を飲み込んでいく。


逃げ道は一つ、岩場への細い道。

だが、その前に――昼に退けたはずの若い雄が、再び立ちはだかっていた。

その目には炎の光が宿り、恐怖よりも欲望が勝っていた。


迷いはなかった。

突進し、ぶつかり合い、牙を交えながら炎の縁へと押しやった。

相手が一瞬怯んだ隙に、肩で突き飛ばし、炎の向こうへと消した。


煙が視界を覆い、熱で鬣が焦げる匂いが広がる。

喉は焼けるように渇き、足はもう思うように動かない。

それでも立ち塞がった。


母と子が岩場へと消えるまで、炎の前から動かなかった。


彼女が振り返った。炎の向こう、私と視線が交わる。

その瞳は、もう迷いなく前へ向けられた。


星空が頭上に広がった頃、ようやく背後の安全を確信した。


胸の奥の力が、すっと抜けていく。

遠くから、子の鳴き声が聞こえた。


「この朝を、君たちに残せたなら、それでいい。」


私は静かに目を閉じた。

夜風が、焦げた鬣を優しく撫でた。


東の空が白み始め、草原を金色に染めていく。

その光の中で、彼女は何かを悟り――呟いた。


『……あなた、ちゃんと届いたわ……この子たちの朝は、あなたが守ったのよ……』


そして陽はまた昇る……

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