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엄마, 고마워요(オンマ、カンサハンニダ)

 ありがとう。


 ―殺してくれて。



「あの娘が自分から死ぬわけないじゃない!」

 パク・ムヒョンは声を荒げて、食卓を強くたたいた。夕食に用意された冷凍チヂミやもやしナムルの皿がかすかに震えた。長女のジヒョンがお風呂場で自殺をしてから1カ月が経とうとしていた。その日から、夕食のラインナップは栄養管理された手作りの食事から、スーパーで買い溜めた惣菜や冷凍食品に代わっていた。


 ムヒョンのヒステリックは今までも時折発生したが、娘が亡くなってからさらに頻度を増していた。なんの脈絡もなく、いきなり怒り出し、泣きわめき、物に当たり散らす。そんな日常に弟イジュンや夫のミンホは、最初のうちこそなだめるような態度を取っていたものの、優しくするだけ暴力性が増すということが分かってきた。最近はそんな女は気にかけるだけ無駄だということがよくわかり、ただひたすら嵐が過ぎるのを待った。


 ムヒョンの自殺はこの世の虚しさを詰め込んだような死に方であった。その日、ソウルは最低気温を更新するほどの寒い日だった。お風呂場の窓を全開にし、バスタブには冷水が張られ、その中でムヒョンは名門高校の制服を着たまま、死んでいた。大量の睡眠薬を粉上にした梨ジュースを飲み込み、手首は剃刀で深く切られていた。低体温症、薬物、失血、溺死、そのどれかで死ねるように徹底的に計画されたものであった。その無惨な死体を見つけたのは、買い物から帰ってきたムヒョンであった。病院に救急搬送されたものの、蘇生行為は無意味であった。死体検案をした医師、遺体を清めた看護師、受付係の事務員そのすべてにムヒョンは怒鳴り散らし、蘇生行為をしなければ医療過誤で訴えると泣き叫んだ。当時は、若くして娘を失った母のやりきれない叫びだと周囲は許容していた。しかし、今ムヒョンの相手をするものは誰一人としていない。夫として妻を支える役割を放棄したミンホは、ムヒョンの両親に彼女を精神病院に入れるよう頼み込んだが、両親も実の娘には手を焼くような有様であった。


 ムヒョンもミンホも労働者階級の出身であった。ミンホは努力の末に、大韓航空の役員にまで昇りつめ、ムヒョンは仕事に明け暮れる夫を懸命に支えた。ムヒョンは良き妻であり、良き母であろうとしたのだ。家のなかはいつも整理されていて、食事はすべて手料理で無添加の食材を使っていた。長女ジヒョンと長男イジュンを設け、ジヒョンは韓国でも3本の指に入る名門女子中学、そこからエスカレーター式で名門女子高校にまで進学したのであった。成績も優秀で、バレエとピアノを得意とする自慢の娘。顔は中の下くらいであるが、それは整形手術を行えば何ら問題はないと母娘で話し合っていた。高校生ではまだ成長段階であるので、大規模な整形手術は大学生になってからのほうがよいと医師から言われ、その日を楽しみに待っていた。


「ジヒョンは大きくなったら何になりたいの」

 ジヒョンの15歳の誕生日に、通常の大きさの2倍のバースデーケーキを用意したムヒョンは思むろに尋ねた。

「ん-。まだ分からない」

「それでも、何か、こうなりたいな、とか、ああなりたいな、とかあるでしょう」

「そうだな、私は」

 ジヒョンが垂れていた髪を耳にかけて言う。

「お母さんみたいになりたいな」

 その時のムヒョンの喜びようはいかにも表現しがたい。ムヒョンは満面な笑みを隠すように真面目な顔をして、「私みたいにならないで、私やお父さんを超えていかなければ駄目よ」と娘をたしなめた。

 弟のイジュンは、そんな空っぽな会話を傍らで黙って聞いていた。イジュンには、姉がどうしてこんなにも母に媚びて生きているのか、全く理解ができなかった。


 ジヒョンの自殺後、ムヒョンは娘の自室で遺品整理といいながら、娘の死の理由を片っ端から探していた。思い出のアルバムや授業ノート、学校用タブレット。そのどれもに娘の努力の片鱗を見つけ、泣きながら内容を確認していた。嗚咽で過呼吸になりながらも、必死に探した。特に熱心に確認したのは、娘のアイフォンである。パスワードが分からず、携帯電話の会社に何度も電話をした。携帯会社は、携帯を見るには初期化するしかないと本末転倒なことを言うので、本社まで出向いて受付で半日粘った挙句、ようやくアイフォンを見ることができるようになった。


 その後行ったのは、ジヒョンの友達に電話をかけることだ。塾の友達、バレエやピアノの友達、全員に電話をかけ、何か知っていることはないかと問い詰めた。そんな必死の母親の態度に友人たちはふるえあがり、とうとう友人の両親や学校の先生が静止に入るほどであった。それでもムヒョンを止めることができるものは誰一人としていなかった。


 何度も見返した娘のアイフォンを隅々まで調べていた矢先。英会話アプリ集のフォルダのなかに会話フォルダを見つけ、そのファイルのさらに下のファイルにチャットアプリを見つけた。テレグラムには、友人の名前のほか「K.J」というイニシャルを持つ人物との会話を行った形跡があった。このアプリには一定期間になると会話が消滅する機能がついており、その機能がオンになっているようだった。すべての会話を見ることができない。しかし、ジヒョンの死んだ日に、彼女が送った最期のメッセージを見ることができた。そのメッセージには、短くこうあった。



「고마워요. 죽여줘서.

 사랑해



(ありがとう、殺してくれて。

 愛してる)」


 ムヒョンは震えあがった。そして何度もメッセージを見返した。この男だ。この男が愛しい娘を殺したに違いない。ムヒョンは、コートを羽織ることもせず、外履き用サンダルを急いではいて、家を飛び出し、警察署にかけこんだ。

「見てください、刑事さん、このメッセージを。こいつが娘を殺したんです」

 警察は自殺と処理した案件をそう簡単に蒸し返そうとしなかった。ムヒョンは再捜査を行うまで家に帰らないと言って、署の待合室のベンチから動こうとしなかった。

 迎えに来たミンホもイジュンも、ムヒョンの強情さには手を焼いた。時間は深夜になろうとしていた。

 イジュンが思いつめたように、学校用のリュックサックから1冊の日記帳を取り出した。ミンホは息子の行動を阻止しようと一瞬ためらったものの、諦めたかのように顔を下に向けてしまった。


「これは何、イジュン」

「姉ちゃんの日記。遺書も入ってるよ」

 その言葉を聞いた途端、ムヒョンはイジュンから日記を奪い取り、ページを乱暴にめくった。どのページにも、勉強がつらいこと、趣味がめんどくさいこと、顔が醜いこと、手の指が太いこと、何をどれだけやっても母が満足してくれないこと、死にたい、死にたいという言葉が書き連ねてあった。最期のページに、2017年12月18日の18時頃、人気アイドルグループ「SHINee」のジョンヒョンが亡くなったことが書いてあり、親しみを持っていたアイドルがどんなに昇りつめても死ぬのだから、自分も死ぬことを選ぶと書いてあった。1番最後のページには、殴り書きでこう書いてあった。

「私もお母さんのように自分を殺すことで幸せになります。ありがとう、殺してくれて」


 ムヒョンは叫んだ。

「なら、なら、このメッセージアプリは何なのよ!!」

 イジュンは冷静な言葉で答える。

「アイドルの人工会話BOTだよ」

「何よそれ、何の話をしているの」

 ムヒョンが家に帰るまでにさらに30分かかった。


 署内で暴れ、泣き叫んだムヒョンの様子は、警察署の事務員のなかで笑い話になって語り継がれている。



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