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8 前夜

読みに来てくださってありがとうございます。

切れ目の関係で短めです。

よろしくお願いいたします。

「では、この計画で。よろしいですね?」

「はい、サルタレロ先生、ありがとうございます」

「いえいえ。あなたのような人はこの家の中で一生籠の鳥になるのは忍びない。もっと世の役に立てる人ですよ、カロリーナお嬢様は」


 カロリーナの成人する日まであと2週間となった日、ジョアキーノは今日もつまらないと途中でグラツィアーナが退席したのを確認すると、カロリーナに計画書を見せた。


「お父上にもお見せしてあります。これで良いとのことですので、あとはお母上とグラツィアーナ様に気づかれないようにしてくださいね」


 そう言ってジョアキーノが見せた説明書きには、目的地は隣国の地方都市、仕事は小さな劇団の歌い手、劇団の持つ寮に住めるよう手配もされている、というものだった。


「それにしても、カロリーナお嬢様の誕生日にニコロ様とグラツィアーナ様の結婚式を当ててくるとは、ひどい親もいたものです」

「いいんです。グラツィアーナのたっての希望だそうですから」


 カロリーナが招待されていない結婚式に、家族や上位使用人たちがかかりきりになる。家族が教会に出かけてしまえば、カロリーナが外に出てもクリツィアやグラツィアーナは気づかないだろう。アントニオはそこを狙うことにしたのだ。


「荷物はトランク2つまで。両手で持っていけるだけ、ということね」

「はい。たくさんあると盗まれることもありますからね、身軽ならトラブルに巻き込まれても失うものも少ないですし」

「そうですね。そもそも私、それほど荷物はありませんので問題ありません」

「分かりました。当日は私が馬車でカロリーナお嬢様の勉強のためという理由でこちらに参ります。皆さんが出発した後で、様子を見て馬車に乗りましょう」

「分かりました。それまで私は普段通りに生活するようにします」

「ええ、それがいいでしょう」


 ジョアキーノの背が扉の向こうに消えたのを確認して、カロリーナはふっと息を吐いた。ようやくこの家を出ていくための具体的な動きが見えてきた。


 グラツィアーナはクリツィアの許可を得て自分好みに邸の中を変え始めた。カロリーナがいる楽器庫にやって来て、かび臭いものは全て捨てろと言ったのだが、「決定権は当主にあるから勝手に処分できません」と言えば、やはり近場にあった楽器のケースを蹴って出ていった。あれは壊れやすいクラリネットだったから、おそらく再調整してももう二度と吹けないだろう。


 その日から、カロリーナは本当に価値のあるものを奥に移動し、印を付けた。目録にも同じ印を付け、これだけは絶対に処分してはいけない、もし処分するならオークションに出せば「ガイヤルド家の秘蔵品」として売れるはずだとメモを残した。ニコロが見ればすぐに分かるようになっている。楽譜も整理し、カエリアンが探していたアミルカレのバイオリンソナタの写譜も完成した。どうしても自分が持ち出したい楽曲の写譜をしながらあと2週間をやり過ごせばいい。カロリーナは緩みそうになる表情を引き締めた。クリツィアとグラツィアーナに気づかれないように、慎重にしなければならないのだ。


・・・・・・・・・・


 ニコロとグラツィアーナの結婚式前夜。心が浮かれるのを必死に隠して1日をやり過ごしたカロリーナが楽器庫に行こうと廊下に出ると、亡霊のように立っているニコロがいた。幽霊かとぞっとするほどやつれている。


「お兄ちゃん? どうしたの?」

「ああ、カロリーナ。待っていたんだ」

「それで、ご用は?」

「楽器庫で話せるか?」


 楽器庫の管理に一区切りついていることは、もちろんニコロも知っている。カロリーナは一度部屋に戻って鍵を取ってきたように見せかけて、ニコロと楽器庫に入った。カエリアンも見ているはずだ。


「カロリーナ。本当に行くのか?」

「うん。お兄ちゃんは彼女(グラツィアーナ)との結婚、まだ納得いかない?」

「当然だろう? 来た時からカロリーナを敵視していることには気づいていたし、あいつが僕の妻になるために母さんにも僕にも媚を売っているのにも気づいていた。本当はカロリーナを手の届く範囲において守ってやりたいが、僕の手に届くってことはあいつ(グラツィアーナ)らの手も届くってことになる。もどかしいよ」

「お兄ちゃん、ごめんね。でも、私がなければこの家は丸く収まるわ。これ以上迷惑は掛けたくないから」

「だが、あの女は何をしでかすか分からない。カロリーナを探し出そうとするかもしれない。それでもカロリーナの命や尊厳が踏みにじられるようなことからはカロリーナを守れる兄でありたい、そう思っているよ」

「お兄ちゃん……」

「だから、気をつけて。何かあったらすぐに連絡するんだよ? いいね?」


 ニコロが唇をかみしめている。


「お母さんの暴走のせいで、大変な奥さんをあてがわれてしまったのね」

「最近、母さんのリサイタルの集客が減っているんだ。だから、集客力のあるグラツィアーナを取り込みたかったんだろうよ」


 ニコロは明らかに疲れている。グラツィアーナのわがままに振り回されているからなのだろう。久しぶりに話ができたが、ニコロのことが不憫に思われた。


「お兄ちゃん。楽器庫のこと、よろしくお願いします。大切なものや売ればそれなりになるものは、奥に寄せて印を付けてあるわ。目録にも同じ印がついているから、直ぐに分かるはずよ」

「カロリーナ。すまない。もっとカロリーナにやさしくすべきだった」

「ううん、お兄ちゃんは十分私を守ってくれたよ? それにね、私には音楽の才能がなかった。どんな楽器も演奏できなかった私が『ガイヤルド家の恥』であるのは事実だもの」

「カロリーナ……」

「お兄ちゃん、明日早いんでしょう? もうお休みになって。私はここで少し心を落ち着けてから自分の部屋に戻るから」

「ああ。おやすみ、カロリーナ」

「おやすみなさい」


 よろよろとニコロが楽器庫から出ていった。それを待っていたかのように、カエリアンが姿を現した。


「今頃懺悔か」

「お兄ちゃんは、できる限り守ってくれたわ」

「お前がそう思うならそういうことにしておこう。それで、明日、あの男(ジョアキーノ)の計画に乗るんだな?」


 カロリーナは首を縦に振った。


「カエリアン様は、もう外に出るだけの力は戻ったんですよね?」

「ああ、今日のカロリーナの歌次第で、完全に復活できると思う」

「じゃあ、何を歌いましょうか?」

「そうだな。それでは、『祝勝歌』はどうだ?」

「前祝いとして?」

「そうだ」

「分かりました」


 戦争に勝って凱旋する軍隊を迎える人々が歌う「祝勝歌」は、ニ長調の勇ましいさと華やかさを存分に生かして作られた曲だ。アントニエッタが劇中で歌ったところ、人々の熱狂的な支持を受け、今では軍が戦いに勝って凱旋する時に必ず自然発生的に歌われるようになっている。


 歌い終わったカロリーナの前で、カエリアンが大きく呼吸した。


「あとほんの少しだけ足りないが、カロリーナも明日は疲れるだろうから早く寝なさい。明日の歌が楽しみだ」

「ええ、カエリアン様、おやすみなさい」


 ふと額に温かいものが触れた。


「お休みのキスだ」

「もうっ急にしないで!」


 カロリーナは真っ赤になって走って楽器庫を出た。カエリアンはそのカロリーナの様子を温かく見送った。



読んでくださってありがとうございました。

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