4 ガイヤルド家の始祖アントニエッタ
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今回は音楽一家の始祖と鳴った流浪の歌姫アントニエッタと、精霊カエリアンとの出会いの場面になります。
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アントニエッタは戦災孤児だった。赤子の時に旅の音楽一座に拾われ、楽器や歌声が響く中で成長した。文字と楽譜が読めるようになったのは、環境のおかげだろう。アントニエッタはいろいろな楽器に触れたが、自分の声が一番好きだった。だから、トロバイリッツになった。ボスは辛いことばかりの民には楽しく明るくなる曲を届けるのが一番だという考え方の人間だった。それも一理ある。実際に、ボスのフィドルと横笛吹きのお兄さんが民謡を演奏すると人々は楽しげに踊り出し、演奏が止むともう一度、とアンコールが続くこともあった。
だが、アントニエッタは、そうやって踊る人々を物陰からじっと見つめる多くの目を見つけた。それは、社会の最下層にいる者たち……夫に虐げられる妻、親を失って孤児となった子、辻で春を売る女、盗みの世界に入ってしまった者だった。彼ら彼女らは、自分たちには楽しむことが許されると思っていない。歯を食いしばって今日を生きるためにどうすればいいか必死なのだ。
アントニエッタは思った。人に必要なのは、気分が高揚する場よりも静かに涙を流せる時間ではないかと。
アントニエッタは反対するボスを振り切ってエレジーを歌い始めた。亡き人を偲ぶために歌われるエレジー。アントニエッタが選んだのは、結婚したばかりなのに夫が徴兵され、冷たくなって帰ってきたことを嘆く妻の歌だ。
私たちは幸せをつかんだと思っていたのに
あなたは風のようにに攫われて行ってしまった
あなたの「愛している」という言葉は、どこへ行ってしまったの?
帰ってきた人もたくさんいるのに
どうしてあなたはこんなに冷たい姿なの?
お願い、もう一度目を開いて
お願い、もう一度微笑んで
お願い、もう一度私の名を呼んで
あなたのいない世界で
これからどうやって生きていけばいいというの?
先ほどまで踊り、笑っていた人々がしんと静まりかえる。ボスは苦々しい顔をしている。だが、奥のほうからすすり泣く声が聞こえ始めると、一座の傍にいた人々もつられるように涙を流し始めた。激しい慟哭の声まで聞こえる。アントニエッタはまだ死に別れたことがない。それでも、愛する人と引き裂かれ、物言わぬ体で帰ってきたならばどれほど辛いだろうと、その思いを歌に込めた。
アントニエッタが歌い終わった時、周囲は大号泣だった。やがて拍手が起こり、我先にとアントニエッタの前に小銭を置いて行く。それは、ボスたちが楽しい踊りの曲で手にしたものよりも遙かに多かった。
「お嬢さん。あんたの歌声でやっと泣けたよ」
老婆が1人やって来て、銅貨を3枚アントニエッタの手に握らせた。
「少なくてごめんね。でも、今あたしが払えるのはこれだけなんだ。泣くとね、スッキリ眠れるって決まっている。だからこの村の者はみんな、今晩よく眠れるだろうよ」
老婆が握らせた銅貨3枚を、アントニエッタはぎゅっと握りしめた。これが自分のするべきことだという強い信念が持てた。
「アントニエッタ。お前がその道に進むというのなら、それでいい。だが、俺は楽しみを与えることこそが旅の音楽一座としての使命だと思っている。だから、お前がエレジーやバルカローラをこれから歌いたいと言うのであれば、ここに置いてやることはできない」
ボスにはボスの考え方がある。アントニエッタは捨てられていた自分を拾い、音楽の知識を付けてくれた礼を述べて一座から離れた。アントニエッタのことを恋人にしたいと思っていた若いメンバーの中にはアントニエッタについて行こうとする者もいたが、アントニエッタはそれを断った。
「私がこの先、私の歌で本当にやっているかどうか分からない。だから、あなたたちを巻きこみたくないの。その代わり、もしどこかで会ったら無視しないで」
寂しそうにアントニエッタは言った。
翌朝、一座が先に出発するのを、アントニエッタはじっと見送った。そして、西に向かった一座の荷馬車が見えなくなった所で、南に向かった。昨日の投げ銭は、全てアントニエッタに渡された。
「野宿はするな。危ないところへは行くな」
父親代わりだったボスは最後にそう言って、投げ銭の入った革袋をアントニエッタに渡していたのだ。
ただひたすら南に向かって歩いたが、次の町にたどり着く前に日が沈んでしまった。あれだけボスに野宿をするなと言われていたのに、初日からこれだ。
アントニエッタは岩場の陰に隠れて眠ることにした。フクロウのホーホーという声。夜行性の動物のギャギャギャという声。その一つ一つが恐ろしも興味深くもあり、アントニエッタは何の気になしに子守歌を口ずさんだ。それは、あのボスがアントニエッタに歌って聞かせてくれたものだった。
森が静まりかえる。先ほどまで聞こえた動物たちの声が聞こえないことに気づいたアントニエッタは、はっとして周りを見た。
遠くからキラキラと光るものが近づいてくる。
恐怖の余り叫ぶこともできず硬直しているアントニエッタの目の前で、キラキラと光るものはやがて人の形になった。
「歌っていたのは、お前か?」
「……」
恐怖の余り声が出ないアントニエッタに、人の形をしたものは首を傾げた。
「声は出るのだろう」
「あ……」
突然人の形をしたものはその手をアントニエッタの額に押し当てた。恐怖に固まるアントニエッタを見て、そして掌で何かを読み取ったのか、人の形をしたものが少し離れてくれた。
「そうか、俺が怖かったか。すまない。お前の声があまりにも美しかったので、もっと聞きたいと思ってやってきたのだ。私は美しいものに惹かれる、ありふれた精霊だ」
嘘だ。普通の人間サイズの人型になれる精霊は、高位精霊のはずだ。
「お前の歌声が聞きたい。先ほどの歌をそばで聴かせてくれないだろうか」
アントニエッタは、歌を聞きたいという言葉に緊張が解けるのを感じた。それに、この精霊は物腰も柔らかで、穏やかで、優しそうだ。アントニエッタはなんとか立ち上がると、あ、と声を出した。声が何とか出るようになってきたようだ。
「まだちょっと声が震えるかもしれないけれど、聞いてくださいますか?」
精霊は頷いた。アントニエッタは、先ほど歌った子守歌をもう一度歌った。
聞く者全てに安らかな眠りを。
子守歌を歌う者が小さき者を慈しむ心を思って、アントニエッタは歌った。
「素晴らしいな。人の声にこれほどの力があるとは、知らなかった」
精霊は満足したようだ。
「ありがとうございます。私、これで1人でも頑張れそうです」
「1人?」
「はい。独立したんです」
ポジティブなその表現に、精霊は目を見張り、そして声を上げて笑った。
「よかろう。俺の加護をやろう」
「加護、ですか?」
「ああ。旅の時は俺が人の姿で一緒にいればいい。お前が定住したら俺は精霊に戻ってお前の家を守ってやろう」
こんな美しい存在と一緒で大丈夫だろうか、とアントニエッタは気になったが、杞憂だった。
精霊は人外の美しさの精霊ではなく、ちょっと見栄えのいい若い男の姿でアントニエッタを守ってくれた。
やがてアントニエッタの名声が高まり、歌姫として都のホールでリサイタルや客演に呼ばれるようになった。精霊が守ってくれたのだろう、危険な目に遭うこともなく、順調に名声を高め、財を築いていった。
裕福な男性と恋に落ち、結婚し、やさしい夫の元で子どもたちにも恵まれた。そんなアントニエッタを、精霊は見守り続けた。アントニエッタが歌の練習をする時には必ず姿を現してアントニエッタの歌を楽しんでいた。夫にあらぬ疑いを持たれる可能性があるからと、わざわざ隠蔽の技まで掛けて、アントニエッタにしか自分の姿を見せなくなっていた。
アントニエッタが死ぬ時、精霊はようやく家族の前に姿を現した。
「我が名はカエリアン。お前たちの中で、アントニエッタと同じほど音楽を愛する者がいるならばオアントニエッタと同じ加護を授けよう」
ガイヤルド家に精霊の加護が引き継がれることになった瞬間だった。
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