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私らしくあるために~カロリーナは愛の歌を歌う~  作者: 香田紗季
4 私らしくあるために

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25 コルの街2

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

「その歌……まさか、リーナちゃんなのか?」


 聞き覚えのある声がした。首をかしげて声の方に視線を送る。見えない目の代わりに、ますます鋭敏になった耳の記憶をつつく。カロリーナははっとした。


「もしかして、ヴィクトルさん? ギルド長の?」

「やっぱり、リーナちゃんじゃないか! って、髪の毛全部白髪じゃねえか、え、目もどうしたんだよ? ってか、リアンの奴はどうしたんだ?」

「ヴィクトルさん。許可証、発行していただけませんか?」

「は? まずはとにかく、ギルドで話を聞こう。こんな人混みの中じゃ、聞こえるものも聞こえねえ」


 5年前に2泊しかしなかったコルのギルドの宿。だが、何事も最初の頃の記憶というのは残っているもので、扉を開けた後、配置換えをしていなかったこともあって、テーブルや椅子はある程度避けることができた。カウンターや階段の位置も思い出せる。


「それで、何があった?」


 カロリーナはヴィクトルにこの5年のことを、自分の出自も含めて話した。クエルダの辺境伯にとらわれてからの話に、ヴィクトルは静かに怒ってくれた。グラツィアーナが無理矢理カエリアンにキスをしていたのを見て逆上し、クルーズ船を沈没させてしまったことを話すと、驚きながらも怒るのは当然だと言ってくれた。


「そんなことされたら、俺だって許せねえ」

「それでね、私とリアンの2人にとって大切な場所はどこだろうって考えたの。お母さんとグラツィアーナがいる以上、実家に戻るつもりはないし」

「グラツィアーナって、ピアニストのグラツィアーナ・ガイヤルドか? あの女は確か、クルーズ船の事故の後、唯一見つからなかった乗客だったはずだ」

「えっ」

「あの事故の唯一の推定死亡者ってことで、コルドの新聞にも名前が載ってたんだ。ほら、一応有名なピアニストだったから」


 知らなかった。トリトンも教えてくれなかった。唯一の死者が、グラツィアーナだったなんて。


「知らなかったの、1人だけ死んだとしか」

「そうか。だが、今の話の通りならよ、諸悪の根源がいなくなったんだからさ、実家に戻れるんじゃないのか?」

「ううん、戻れないわ。お母さんは、きっと自分のマスターピース(グラツィアーナ)がいなくなったことに、ショックを受けているはずだもの、私なんかが姿をあらわせば、それに私があの事故を起こしたんだって知れば、お母さんに本当に殺されるかもしれないから」


 そういうカロリーナの目に、5年前なら悲しみの色が見えたはずだが、今の白い瞳では何の表情も読み取れない。カロリーナの実家がガイヤルド家だったことを知ったヴィクトルは、その一言で複雑な親子関係だったのだろうと推測した。


「だからね、私とリアンにとって意味のある街っていったらやっぱりここだと思ったの。もしリアンが私に会いたいと思ってくれたなら、いつかきっと、私がおばあちゃんになった頃にでも、リアンがやってくるかもしれない。だから私はここで待とうと思うの。今までずっとここまで歌いながら来たけれど、リアンの気配は感じられなかった。ここなら、両替所にお金も預けてあるから、辻で歌いながらでも細々と生き行けるんじゃないかって……」

「そうか。それで許可証が欲しいって言ったのか」

「うん。許可証、出してもらえる?」


 5年前はじっと黙ってカエリアンの後ろに隠れていたカロリーナが、今は1人で何でもやっている。特にここ2年の厳しさが、カロリーナを変えたのだろう。成長した証ではあるが、ある程度できるようになるまでは相当苦労しただろうとヴィクトルはカロリーナの努力と苦労を思いやった。


「条件がある。今までは頼れる人がいなかったのだから仕方がないが、目が見えないってのは相当危険だ。コルに戻って来た以上、俺もクロードもいる。明日から、リーナちゃんにはラーレをつける」

「ラーレ?」

「俺の恋人だ。もうじき結婚することになっている」

「いつの間に?!」

「リーナちゃんたちが出て行った後だったかな、リュート弾きの旅の夫婦が来たんだ。だが、旦那の方が重い病気を抱えていてよ、なんとかコルまでたどり着いたんだが、この街で亡くなっちまった。リーナちゃんたちのことで俺も音楽に興味を持ったところだったからな、ラーレに興行許可証を発行してやって、あれこれ世話をしている内に、まあ、な」


 ヴィクトルは老人ではないが、若くもなかったはずだ。夫を病で亡くしたラーレという女性にとっても、落ち着いた年齢のヴィクトルの献身は支えになったはずだ。


「ラーレならリュートで伴奏もできる。2人で一緒にやるんだ。いいな?」

「ラーレさん次第よ。ラーレさんが嫌だって言ったらどうするの?」

「そん時は他の奴に護衛役をさせる。報酬はギルド持ちにしてやるよ」

「だめよ、そんなことをしたら……」

「じゃ、その日の投げ銭の10%。荒事があったら50%でどうだ?」


 カロリーナはこくんと頷いた。


「ラーレが帰ってきたら、まずは聞いてみよう」

 

 噂をすれば影が差す。ちょうどギルドに戻ってきたラーレは、ヴィクトルの話を聞いて、あっけらかんと「いいよ」と言った。カラリとした、晴れた秋のような女性だとカロリーナは思った。


「後でリーナの部屋に行くからさ、リーナのレパートリーを教えてくれる? あたしに伴奏できるかどうか、今晩ちょっと考えてみるから」


 ラーレは竹を割ったような性格だった。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、良いものは良い、悪いものは悪いとバッサリ切り捨てた。


 翌日、カロリーナとラーレはコルの街に辻に立った。


 5年前にコルの辻で歌われたのとは全く違う、切なく悲しげな声がコルの街に響く。カエリアンが力を失ったまま新たな力を補充できていなければ、もう二度と会えないかも知れない。だが、もしカエリアンがコルになんとかたどり着いてくれれば、いくらでもカエリアンを癒やしてあげたい。「隷属の首輪」の犠牲者となったカエリアンの傷ついた心を、1日も早く温めてあげたい。


 カエリアンに会いたい。その思いをただひたすらに込めて、カロリーナは愛の歌を歌い続けた。ラーレの弾くリュートも、夫を亡くしたラーレの心のままに悲しげな音を出す。2人が演奏するのは、引き裂かれた愛の曲ばかりだ。


 今のカロリーナなら、アントニエッタが挽歌などの悲しい歌をメインに歌い続けた訳が分かる。悲しみを心の内側に押し込めたままでは、人は壊れてしまう。だから、その悲しみを心の外に出さなければならないのだと。そして、カロリーナに関して言えばもう1つの理由……自分の存在を、全身全霊で愛する人に伝えるための手段なのだ。


 カロリーナの歌声には、成長と破壊の2つの力がある。適度な成長と破壊は再生をもたらす。カロリーナの悲恋歌を聴いて涙を流した人々は、自分自身の人間関係を見つめ直した。壊れかけた夫婦関係だけでなく、友人関係や取引先との関係、親子関係など、二度と戻らぬものになるまえに修復しようという人が増えた。コルはこの後、「人と人との絆が強い町」として知られるようになることになる。


 1つ、うれしいこともあった。演奏旅行をしながらカロリーナを探し続けていたニコロが偶然この街にやって来て、辻で歌うカロリーナに気づいたのだ。カロリーナに駆け寄ったニコロは、今ここには他の家族はいないと教えた。カロリーナはその言葉を聞いてから、安心してニコロにすがりついた。大泣きするカロリーナを見たコルの街の人たちはニコロがいじめたのかといきり立ったが、ニコロが実の兄でずっとカロリーナを探していたのだと知ると、「見つかって良かったな」と言ってくれた。


「キタッラに帰らないか」


 ニコロはそうと言ってくれた。だが、カロリーナはそれを丁重に断った。家出して失明した娘が帰ってくるなど、ガイヤルド家にとって醜聞でしかない。ただでさえグラツィアーナがクエルダでやらかした様々な事件のせいで、大変な状況のガイヤルド家なのだ。推定死亡の連絡でグラツィアーナとの離縁が成立したニコロだが、再婚を求める声に一切応じていないのだという。


「父さんも母さんも、僕に不幸な結婚をさせたって反省しているよ。母さんはまだ吹っ切れていなくて、グラツィアーナのいた部屋にこもっている日もあるんだ」


 そういえば、とニコロは言った。


「カロリーナがいなくなった後、父さんが母さんに、カロリーナは隣国に出て行ったって告げたんだ。グラツィアーナが正式に家族になった以上、2人でカロリーナをいじめるのを見ていられないからって。母さん、ショックを受けていたよ。自分がしたことを棚に上げて、カロリーナがかわいそうだってわんわん泣いていた。でも、あれは嘘だ。実の娘に見捨てられた自分がかわいそうだって、『悲劇のヒロイン』していただけだよ。

 グラツィアーナが演奏旅行の名の下に家にいなくなったのは僕が拒絶したのもあるけれど、母さんがカロリーナのことで泣いているのが気に入らなかったこともあったみたいだ。グラツィアーナも、強引に自分の居場所を作ってはみたものの、やっぱり水が合わなかったってことなんだろう。僕自身、グラツィアーナに対して取った行動に非がないとは言わないが、元々嫌われるような行動を取り始めたのはグラツィアーナだからね。自業自得ってことさ」


 クリツィアが自分を思って泣いたと聞いて、一瞬カロリーナの心が動いた。だが、実の娘に見捨てられた自分がかわいそうだと泣いていたと知れば、やはり自分の居場所はガイヤルド家にはないと思った。クリツィアの思い通りになる人形にはなれないし、なる気もない。


「父さんは、サルタレロ先生を頼ったことを、今でも後悔しているよ。人を見る目がないんだって、毎日ぼやいている。父さんに顔を見せてやってはもらえないだろうか?」


 また心が揺れた。自分は親不孝な娘だとカロリーナは思う。親よりも、優先したい者があるのだから。


「リアンがきっとここにいつかはたどりくわ。でもその時私がここにいなかったら、はぐれたままになっちゃうと思うの」


 ニコロは分かったとしか言えなかった。


 それ以来、ニコロはカロリーナの生活費にとそれなりの額のお金を定期的に送金してくれるようになった。クロードを紹介されたニコロは、クロードの両替所に送金するように手続きをしていったのだ。


 ヴィクトルの恋人ラーレがリュートで伴奏し、往復の道を一緒に歩いてくれる。投げ銭は話し合いの結果、ラーレとカロリーナで半分ずつの取り分にしている。カロリーナはひたすら歌いながら、カエリアンに会える日を待ち続けた。


読んでくださってありがとうございました。

次回はカエリアンの側で起きていたことになります。

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