24 コルの街1
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コルの街で、トロバイリッツとして出発した日から5年の年月が経った。ここがコルの街だという確証はまだない。この2年、コルに向かった、コルに着いたと思った途端、そこがコルではないということばかりだった。騙されたことは数知れない。歌がなかったら、今頃カロリーナは野垂れ死んでいたことだろう。
「あの、ここはコルの街でしょうか」
人の気配に、カロリーナは尋ねた。
「そうだよ……っ、じゃ、じゃあな」
声を掛けた相手は男だったらしい。慌てて立ち去る気配があった。ようやく本当にコルに戻ってきたのだと思うと、カロリーナは2年かかった旅がようやく終わるのだ、ここからは待つのだ、と気持ちを新たにした。
カロリーナが女の一人旅でも娼館にに売られたり奴隷にされなかったのは、カロリーナの今の姿のおかげだった。
2年前、その声でクルーズ船を破壊し、多くの人に溺死の恐怖を与えたことで、海神の一族はカロリーナを「海の裁き」に掛けた。常に波に打ち付けられる檻の中に入れられ、3日3晩食べ物も飲み物も与えられずに過ごす。海が罪人だと認めれば命を絶たれ、無罪であれば何事もなく出てくることができるというのが「海の裁き」だ。
3日間、誰1人カロリーナのそばに近づかなかった。4日目の朝、トリトンの手で檻から出されたカロリーナの髪の毛は真っ白になり、その瞳も色を失っていた。失明したのだ。ただ、カロリーナは声を奪われなかった。完全な無罪ではないが、死ぬほどの罪ではないと海は判断したようだ。トリトンの父である海の神は静かに告げた。
「カロリーナ。お前は今後2度と海に近づいてはならぬ。もし近づけばこの三叉戟で津波を起こし、お前を海の底に沈めることになる」
「はい……」
震える声で、カロリーナは返事をした。
陸に追放される時、ジータが背に乗せてくれ、トリトンが付き添ってくれた。ジータは何も言わなかった。いや、イルカと話せるなんていう特別な時が過ぎたのだと思うことにした。
「セイレーンたちに最後の挨拶をしたいのだけれど」
「会いたくないそうだ」
トリトンの声色に、涙が混じっていたように感じたのは間違いではないだろう。カロリーナはただ一言「そう」と言っただけだった。セイレーンたちは、自分たちが教えた「歌」と「声」が暴力的に使われたことにショックを受けているのだという。自分の感情を抑えきれなかったことでセイレーンたちまで傷つけたのだ。謝罪さえ受けないことでセイレーンたちから罰せられているのだとカロリーナは両手をぎゅっと握りしめた。
2人と1頭は無言で海を進んでいく。陸が近づいてくる。ジータは砂浜に乗り上げると、キュウ、と一度だけ鳴いた。トリトンは握りしめられているカロリーナの手を、自分の手でそっと包むようにした。
「きっとティブルシオとその仲間が見守ってくれるとは思うが、父上は陸の上の水……例えば泉や地下水もその支配下に置いている。おおっぴらにカロリーナを助けることは、ティブルシオでもできないだろう。だが、本当に危なくなったら、あいつの名を呼ぶんだ」
「はい。今までありがとうございました」
「それから、最後に」
トリトンはカロリーナの手をぎゅっと握った。
「カエリアンは『隷属の首輪』の支配から逃れた。だが、力を失って下位精霊に落ちた。風に吹き飛ばされてどこにいるかは分からない。あと少しで保護できたんだが、あの風はは……いや、なんでもない」
「……つまり、リアンは下位精霊になってさまよっている可能性が高いということね」
「そうだ。人型でないということは、言葉が話せないということだ。今のカロリーナにとって、カエリアンを探すことは至難の業だと思う」
「いいの。1人だけとはいえ、死者がいたって聞いたから……これは海から私に与えられた罰。生かされたと言うことは、私にこの体で生きろ、それが罰だって、海が言っているって、ちゃんと理解しているよ」
死んだのが誰なのか、トリトンは言うつもりがない。グラツィアーナはおそらく推定死亡の形でガイヤルド家に通達されたことだろう。音楽そのものを愛するのではなく、音楽を贅沢な生活のための手段にしたグラツィアーナ。グラツィアーナの貧乏な幼少期や、ピアノを通して成り上がっていった、そのための努力を否定する気にはなれないが、他人を押しのけて、傷つけてまでしなければ得られない幸せなど、本当の幸せではないのだということをトリトン自身も胸に刻むことにしている。
キュウキュウとジータが鳴いている。話ができなくなったのもさみしいが、これも罰だと思わねばなるまい。
「トリトン、ジータ、本当にお世話になりました。私、コルドの国の、コルの街に向かいます」
「気を付けて」
それ以外にトリトンは言えないだろう。そっとトリトンから手を引き抜いた。そして、手探りでジータに触れると、お辞儀をして後ろを向いた。
トリトンから渡された杖は、あの真っ2つになったクルーズ船のマストの一部を削ってトリトンが作ってくれたものだった。幸運を祈るお守りとして、鯨のひげを編み込んだアンクレットも付けてもらった。
トリトンとジータがまだ見送ってくれているように感じて後ろを振り返りたかったが、振り返ってももう見えないのだと思い直し、前へ前へと歩みを進めた。
・・・・・・・・・・・・・・
あの日から2年、ようやくたどり着いたコルの街は、5年前同様に人の賑わいのある街だった。クエルダはあの事件の後、急速に崩壊していった。内乱状態にさえならず、流民が各国に押し寄せた。国民を失った国は貴族も王家も何もできずにいたようだ。
クエルダと国境を接する国は対応に追われた。その混乱に乗じてコルドに入ることはできたが、コルドの北に出てしまったカロリーナが、南西のコルにたどり着くまでが大変だった。
目の見えない女一人旅であれば、よからぬことを考える輩は当然いる。光を失った流れの歌姫ということで、歌を歌えば投げ銭は手に入ったが、その投げ銭を強奪されたこともあった。迷いながら、騙されながら、それでもカロリーナは歌いながら生き続けた。
カロリーナが歌ったのは、愛の歌だ。恋人との再会を願う歌。戦争から無事に帰ってきて欲しいと願う歌。引き裂かれた愛に苦しむ女の歌。カロリーナの実体験が、歌詞に、歌に、色濃くその影響を与えた。悲恋を歌い続ける盲目の歌姫の噂は、静かに広まっていった。そういえば少し前に「聖女と護衛騎士」って言われた流れの歌い手がいたねえ、そんなことを言われたこともあった。
カロリーナは騙されても裏切られても、ただひたすら前を向いて歩いた。カロリーナは辻で歌うだけでなく、歩きながら、馬車の中で、常に歌い続けた。歌うことで、自分の存在をカエリアンに示し続けたのだ。私はここにいるよ、と。
下位精霊となったカエリアンでは、嘗てガイヤルド家の楽器庫の中でくすぶっていたように、自分の力では1日にわずかな距離しか動くこともできないだろう。当然カロリーナを見つけることも難しいだろう。目の見えないカロリーナには、カエリアンを見つける手段はない。だからこそ、唯一、カロリーナであることをカエリアンに伝える「歌」を歌い続けたのだ。
歌っていれば、私がカロリーナだときっとリアンは気づいてくれる。下位精霊に落ちていたとしても、私の歌の力で、リアンをまた元の姿に戻してみせる。
ただその一念だった。そんなカロリーナの事情を知らない周囲の人にとっては、悲痛な愛の歌を歌い続けるカロリーナは異様でもあり、憐憫の対象でもあり、そしてうっとうしい存在でもあった。
だが、カロリーナはめげない。歌うことで悲しい思いもした。歌の、声の持つ力の恐ろしさも知った。使ってはいけない力を知ったからこそ、それを避けて歌うことができるのだと、カロリーナは前向きに考えた。そして、絶妙な力加減と、強烈な思いを込めて歌うようになったのだ。
歌うことだけが、私が私であるという証明だから。
私らしくあるためには、リアンのいない今、歌しかないのだから。
コルの街を、歌いながら歩いて行く。トリトンがくれた鯨のひげのアンクレットも、もうじき切れそうだ。ティブルシオに助けを求めねばならないほどのひどい目には遭わなかったが、知らないところで守られていた気配は感じることがあった。
今まで自分を生かしてくれた全てに、カロリーナは感謝したかった。
がやがやと人のざわめく声がする。
「あの、もしかして、ここって市場ですか?」
誰にともなく声を掛ければ、ああそうだよ、という声が聞こえた。
「ありがとう」
もしかしたら邪魔になっているのかも知れなかったが、カロリーナは雑踏の中、じっと立ち尽くした。初めて辻に立って歌ったあの日を思い出して、見えない目で空を見上げた。あの日と同じように、小鳥のさえずりが聞こえる。カロリーナは歌い始めた。
鳥になりたい
この窓から 翼を広げて
自分の力で飛び出して
あなたに会いに行けるから
鳥になりたい
言葉ではなく鳴き声ならば
愛の言葉を叫んでも
咎める者はいないから
たとえ鳥になれたとしても
鳥かごの中に囲われたなら
同じと人は笑うでしょう
たとえ鳥になれたとしても
飢えて凍えて地に倒れたなら
愚かと人は笑うでしょう
それでも私は鳥になって
あなたに思いを伝えたい
あの時は、「愛」を「自由」に置き換えて歌っていた。
カエリアンへの思いに気づき、慌ててその心が飛び出ないように蓋をした。
この街を出た時に、抑えきれずに自分の気持ちを告げ、カエリアンと恋人になった。
恋人になったカエリアンといろんな国の、いろんな街を巡りながら、歌を歌った。
カエリアンがそばにいるだけで勇気が出た。辛くても頑張れた。
その温かいゴツゴツとした手に、その柔らかな頬に、もう一度触れたい。
カロリーナは「愛」を「愛」として、「あなた」を「カエリアン」として、カエリアンに届いて欲しい、そう思いながら歌った。
「その歌……まさか、リーナちゃんなのか?」
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