22 海で過ごす日々
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それから毎日、カロリーナはセイレーンたちと歌った。楽しそうに歌うセイレーンたちに1人だけ必死な歌声が混じる。力が入りすぎだとセイレーンたちにたしなめられたが、カロリーナは必死だった。歌う歌の数を1日に1曲ずつ増やす。普段の会話も初めは10分、次の日は20分という調子で少しずつ増やしていく。全てセイレーンたちの助言だ。
最初の1週間はひどい歌声だった。2週間目も余り変わらなかったが、少しだけ声が大きくなった。少しずつ、少しずつ、カロリーナは声を取り戻していった。
カロリーナが声を取り戻せたのは、カロリーナの努力とセイレーンたちの指導と見守りだけが原因ではない。カロリーナの心に余裕が生まれてきたからだ。
カロリーナの心をほぐしたのは、ジータの存在だった。最初はキュウキュウとしか聞こえなかったジータの鳴き声が、毎日一緒に過ごし、遊ぶうちに、言葉として理解できるようになったのだ。何かの拍子で持っていた貝殻を洞窟の入り口から海の中に落としてしまった時、カロリーナは、気に入っていたその貝殻を失ったことにがっかりしていた。気づいたジータはすぐさま戻って、その貝殻をカロリーナの元に持ち帰った。
「カロリーナ、貝殻だよ!」
「ジータ! あなた話せるの?」
「ん? いつも通りだよ?」
「ええっ?! じゃ、私がジータの話していることが分かるようになったってこと?」
「そうみたいだねえ」
「すごい、イルカと話せるなんて、夢みたい!」
「カロリーナ、うれしい?」
「うん、うれしいよ、ジータ!」
ジータを話をし、芸達者なジータがカロリーナの言うとおりに飛んだり跳ねたりするのを、カロリーナはキャッキャと声を上げて笑い、楽しんだ。ジータはいたずら好きなので、時々カロリーナを海に引きずり込んではその背に乗せ、他のイルカたちがいるところに連れて行ってくれた。
イルカや魚たちと一緒に泳ぐ海は気持ちよかった。風が冷たくて風邪を引くに違いないと思っていたけれども、風が直接当たることがない気がする。自分の感覚がおかしいのかと首をかしげていると、ジータや他のイルカたちがクツクツと笑った。
「え、何?」
「カロリーナ、精霊の加護がある、だから寒くない」
「そう、加護が2つある、だから寒くない」
「加護が2つ?」
「そうだよ。カエリアンとティブルシオの加護がある」
「加護がある!!」
他のイルカたちがジータの背に乗るカロリーナの周りを飛び跳ねる。
「精霊の加護、すごいね!」
「すごい、すごい!」
「1つでもすごいのに、2つもある」
「すごい!」
カロリーナはジータに尋ねた。
「2人の精霊から加護を受けるのって、すごいの?」
「普通の人は、加護、ないよ。1人もらうのも奇跡。2人もらった人は、多分初めて」
「初めて! 初めて!」
イルカたちが跳ねる。遠くにトリトンの姿が見えると、イルカたちはトリトンの方に向かって泳いでいく。ジータとカロリーナも、トリトンの方へ進んだ。
「こんにちは、トリトン」
「ああ、カロリーナ。大分声が出るようになったね」
「歌えるのは5曲くらいが限度だけど、話すのもう大丈夫みたい」
「5曲歌えるなら、そろそろ作戦を始めようか」
「本当に、おびき寄せられるかしら」
「それをやるのが精霊の力だよ」
群れの1頭が、トリトンに何か言われて陸の方へと泳いでいった。
「あいつはメッセンジャーなんだ。数日前にカエリアンたちがこっちに向かったという連絡が、ティブルシオから来た。あいつ、自分の水の中にメッセージを入れるんだ。器用な奴だよな」
どうやらティブルシオは自分だと分かるように水に印をつけ、それが他の水と混じらないように水で水のカプセルのようなものを作って、そこになんからのメッセージを入れるようだ。さすがは精霊、人間の思考では追いつけないようなことをする。
「少し前に陸にいる仲間を通して、船上の演奏会を企画させている。そこで船に乗り込んで、カエリアンに歌を聴かせる。まだしばらく時間はかかるだろうから、何を歌うか考えておくんだ。いいね」
「トリトン、どうして神様のあなたがそんなに私に親切にしてくれるの?」
「前にも言っただろう、ジータ絶賛の、カロリーナの本気の歌声を聞いてみたいからだ。カロリーナが本気で歌うには、カエリアンの存在が必要なんじゃないか?」
カロリーナの顔が赤く染まった。妹の恋を複雑に思う兄の心とはこういうものなのだろうかと、なんとも言えない気持ちになる。
「ありがとう、トリトン。いい歌が歌えるよう、頑張るわ」
・・・・・・・・・・
次の日からセイレーンたちは、カロリーナにセイレーンたちだけに伝わる歌を教え始めた。
「この歌はね、あたしたちみたいな人ならざるものに伝わるものだ。あたしたちは元々は精霊だったが、主を失ってこうやって半妖のような存在に落とされた。だが、歌うことだけは忘れなかった。力が弱いものだけだがあんたにも教えてあげるから、また歌い手として陸に上がったら、セイレーン仕込みの歌だと言って人間どもに聞かせておやり」
おどろおどろしい歌、羽が生えたように心が軽くなる歌、不思議な歌ばかりだった。全てに共通するのは、歌うと命を吸い取られたように疲れることだった。
「当然さ、神や精霊の歌なんだ。その代わり、その歌を聞いた者からは邪なものが取り払われる」
「もしかして、『隷属の首輪』にも効くの?」
「ひびを入れたことがあるという話を聞いた。あんたほどの歌い手なら、可能性があるんじゃないかと思ってね」
「ありがとう。頑張って私のものにするわ」
カロリーナは歌詞のないメロディーだけの歌を必死で覚えた。
「自分だけの歌詞を載せるといい。言葉じゃなくたっていい、伝えたい思いをただひたすらに込めるんだ。そうすることで、思いと音が一体化してエネルギーになる。それが人に届いた時、どんな影響を与えることになるのか、それはまだ分からない。だから、用心して使わなければいけないよ」
「わかったわ」
この歌を教えたことを、後にセイレーンたちは大いに後悔することになるのだが、それは誰にも分からぬことであった。
・・・・・・・・・・
夏になった。冷たかった海水も昼間に触れると体温と同じほどに感じる。カロリーナはジーナたちと遊んだり、セイレーンたちと歌ったりしながら、日々を過ごしていた。カロリーナが歌う愛の歌にはセイレーンたちでさえも息をのみ、涙をこぼすことがあった。カロリーナ自身も今までの愛の歌は愛がこもっていなかった、伝え切れていなかったと思うほど、感情が乗っていると分かる。
真夏の満月の夜、セイレーンたちと一緒に歌っていると、珊瑚が一斉に産卵を始めた。
「ごらん、カロリーナ。これがサンゴの産卵だよ」
まるで満月とセイレーンの歌声に招かれたように、珊瑚の卵が次々と生まれていく。その幻想的な光景を、カロリーナはうっとりと眺めていた。だが次の瞬間、その卵を魚たちがパクッと食べた。
「え? 食べるの?」
様々な魚たちが、ごちそうにありつけたとばかりに次々に捕食していく。
「だめ、食べちゃだめよ!」
「いや、これが自然界の掟さ」
ほとんどの卵が食い尽くされていくのを、カロリーナは呆然と見守るしかなかった。
カロリーナは、珊瑚や小魚は産卵しても一部の卵以外はすぐに食べられてしまうことを知らなかった。さらにその中のごく一部だけが珊瑚として大きく成長することを初めて知った。カロリーナは大きくため息をついた。
「生み出されても無駄になる命なの?」
それはまるでかつての自分のようで、カロリーナは悲しくなった。
「違うよ。一部の命を守るために、囮になっているのさ」
セイレーンたちは言った。
「それにね、他の生き物に食べられることで、他の生き物が生きるのに役に立つんだ。それに命は捕食した魚に合流する。捕食した魚を食べた魚に、また命が合流する。命は捕食者がそうと気づかないだけで捕食者の一部になるんだよ。そうやって最終捕食者は食べたものすべての命を抱きかかえて、神様の元に戻るのだから」
カロリーナは考えた。
自分という存在は、ガイヤルド家にとっては生み出されながらも珊瑚になれなずに捕食された卵のようなものだ。だが、珊瑚になれずとも他の魚の役に立ったならば、それでいいのかもしれないと思った。自分にも役割はあったのだ。人の心に染み入る歌を届けことこそが自分の役割だと気づいた。
無理矢理押し込めていた母との関係と同じだと思えた時、諦めはしたが心の底にこびりついて残っていたドロドロとした愛憎の感情がゆっくりと消えていったと感じた。
今はただ、カエリアンに会いたかった。
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