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私らしくあるために~カロリーナは愛の歌を歌う~  作者: 香田紗季
3 海とカロリーナ

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21 声が出た

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 セイレーンたちは、カロリーナの記憶を見た。そして、声が出ないのは機能的な問題ではなく、精神的な問題だと結論づけた。カロリーナにとって、歌うことはカエリアンという精霊の存在と大きく結びついている。カエリアンに捨てられたのではなくカエリアンを奪われたことへのショックであれば、カエリアンへの思いと歌を通して声を取り戻せるかもしれない。


 早速セイレーンたちは、歌はカエリアンともそれ以外のものともつながっているのだということを実感させることにした。


「あんたは歌わなくていい。歌いたくなったら歌えばいい。心の中で歌ってもいいよ。あたしたちは、歌が好きで歌っているだけなんだ。仕事でもなければ、歌が歌えなかったらセイレーンじゃないなんて言われることもない。歌はね、魂の言葉なんだ。だから、歌いたい時が歌うべき時さ。よそ様から強制されてするようなことじゃない。これだけはよく覚えておくんだよ」


 セイレーンたちの姿形はカロリーナと大差ないが、その実年齢は秘密である。ただ、その話しぶりや話す内容から、セイレーンたちがそれなりの年月を生きてきたのだと分かる。カロリーナは「お姉様方」と口の形を作った。


「お姉様方か。こりゃまた絶妙な所をついた言葉だねえ」


 セイレーンたちはコロコロと笑った。そしてよく歌った。それぞれがバラバラに歌っていることもあれば、誰かの歌に少しずつ飛び入り参加して、いつの間にか大合唱になっていることもある。


 カロリーナは、セイレーンたちの歌う様子を見てみんな楽しそうだな、と思った。歌うことが好きで好きで、楽しくて仕方がない、そんな気持ちが伝わってくる。


 果たして自分はどうだっただろうか、とカロリーナは考えてみる。聞く人に幸せをと願いながら、これまであちこちで歌ってきた。幸せとは人それぞれだ。健康になりたいと思う者、金持ちになりたいと思う者、愛を得たいと思う者、家族の無事を祈る者……数え切れないほどの「幸せ」がある。

 

 もし、カロリーナの思う「幸せ」と聞く人の「幸せ」が違うものだったら?


 カロリーナとカエリアンは、2~3日程度で次の街へと逃げるようにして移動していった。成長なのか回復なのか治癒なのかよく分からないままの力と、大きな破壊の力を、有力者に知られないようにするためだった。だが、結果的にあの辺境伯に捕らえられた。そしてカロリーナが声を失ったと分かると、カロリーナは無実の罪を着せられて海に突き落とされた。


 この人の腰の痛みを取りたい、そう思って歌えば、腰の痛みは取れたようだった。

 この大地をよみがえらせたい、そう思って歌ったときは、突然生まれた草原に目をしぱしぱさせたものだ。

 子どもを望む二人に子どもが生まれますように、そう願って歌った1年後に二人に再会した時、彼らの腕には生まれて一週間という新生児がいた。


 カロリーナは気づいた。具体的な願いを込めて歌った方が、よりはっきりと効果が出るのだということに。そして、漠然とした「幸せ」ではうまく届かないこともあるということに。 


 歌いたかった。カエリアンに、愛していると告げたかった。隷属の首輪の鎖の先にある手がグラツィアーナのものだということが、いや、隷属させることに罪悪感を持たない者がこの世に存在する箏がいやだった。


 歌いたい。誰かを幸せにするために歌うんじゃなくて、自分の思いをただ伝えたい。

 純粋に、歌うことを楽しみたい。


 聖女だとか、他人から目立ちしないようにしなければとか、そういうものを全て捨てて、ただ、声の限りに歌いたい。


 カロリーナは初めて、音楽を、歌を、心の底から渇望した。


 楽しげに歌うセイレーンたちの姿こそが、歌の原点だと思った。楽しいことを伝えるために、苦しいことをみんなで乗り越えるために、そう、歌は人と人とつなぐためのものなのだ。楽器演奏とは違い、音に言葉が直接載っている歌こそ思いが強く伝わるものなのだと理解した。まるで、目の前の靄が一瞬にして晴れ、曇り空から太陽が差し込んできたような爽快感の中、カロリーナは自然と涙がこぼれ落ちていた。


 うれしかった。生まれて初めて、音楽が理解できたと思った。


 カロリーナは大きく息を吸うと、口を「a」の形にして喉を震わせた。


「a~」


 ごく短く、小さな声ではあった。だが、声が出た。セイレーンたちが歌をやめて、カロリーナを見た。


「a~」「e~」


 カロリーナは、声を出すためにどう喉を震わせるか、口の形は、舌の形と位置は、と1つずつ確認しながら声を出している。


「i~」「o~」「u~」


 母音が全部出せた。できた。


 セイレーンたちがわらわらと飛んできて、カロリーナを囲んだ。


「急にどうしたんだい」

「声が出せたねえ」

「よかったねえ」

「頑張ったねえ」


 口々に褒められて、カロリーナは満面の笑みを浮かべた。そして、大きく口を開けて、まだ小さくかすれる声で言った。


「うたい たい」


 セイレーンたちは、その言葉にカロリーナの頭をくしゃくしゃして喜んだ。


「そうだね、歌おう。みんなで歌おうよ」


 「イルカの歌」をみんなで歌い終わった時、突然洞窟の入り口から拍手が聞こえた。


「カロリーナ、もう大丈夫なのか?」

「水の 精霊様?」


 カロリーナはティブルシオの名をまだ知らない。相手が「雨」の歌は雨乞いの歌だと教えてくれ、あの村に雨を降らせてくれた水の精霊であることは気づいたが、いつのまに自分の名を知ったのだろうと首をかしげた。


「ボクもあの馬鹿げた裁判の場にいたからね、ほら、曇っていただろう? 雲の中からお前の様子を見ていたから、お前の名前が呼ばれるのを聞いて、お前の名を知ったのさ」

「そう なの ね」


 ティブルシオはセイレーンたちの横を通り過ぎて、カロリーナの前に立った。


「陸で何があったか、あの後のことを知りたいかい?」


 カロリーナは頷いた。


「まず、あの辺境伯は死んだ。トリトンが力を貸してくれて、雷を落とした」


 雷を落とすという表現が比喩ではないこともあるのだ、いや、比喩ではなく雷を落とす人がいるのだ、そんなことを思いながら、カロリーナはティブルシオを見た。


「そう ですか」

「グラツィアーナとかいう女にも落としてやりたかったが、トリトンは1回分しか雷をくれなかった。それに、あの状態だとカエリアンまで巻き込まれると思ったから落とせなかった」


 それから、ようやく気がついたのだろう、あ、と言ってから頭をガシガシとかいた。


「ボクはティブルシオ。ルシーって呼べばいい」

「る しー?」


 ティブルシオは頷くとセイレーンたちの方を向いた。


「次に、カエリアンの状態を報告したいが、トリトンとここで待ち合わせているんだ。待たせてもらってもいい?」

「ああ、いいよ。カエリアンっていうのは、カロリーナのそばにいた精霊のことだね」

「そうだよ。そのカエリアンについても教えるよ」


 そういえば、カロリーナは精霊としてのカエリアンの役割を、ガイヤルド家の加護者としてしか知らないことに気づいた。カエリアンに再会できるかどうかも分からないが、せめてカエリアンを解放してほしいと強く思った。


「カロリーナ、お前はよく頑張ったよ。辛かったな」


 ティブルシオはそう言うと、カロリーナの頭を優しく撫でてくれた。それがカエリアンの手つきに似ていたから、カロリーナは思わず涙ぐんでしまった。


「おい、ティブルシオ! どうしてカロリーナを泣かせているんだ!」


 いつの間にかトリトンとジータが来ていた。トリトンは人魚の姿から人間の姿になると、怒りを隠せない様子でこちらに歩いて来た。


「泣かせたわけじゃない」

「だが泣いている」


 困ったカロリーナは、トリトンを見上げた。


「ルシーが あたま を なでて くれた の。リアン みたい に」


 かすれた小さな声に、訥々とした話し方ではあったが、カロリーナは自分の声で誤解を解こうと必死になって言葉を紡いだ。


「だから おこら ないで くだ さい」


 トリトンは驚いたようにカロリーナを見た。


「いつから声が出せるようになったんだい?」


 首をかしげるカロリーナの代わりに、ティブルシオが言った。


「ボクが来た時には、みんなで『イルカの歌』を歌っていたよ。かすれ声だったけど、歌に力が乗っていたからすぐ分かった」

「急にそんなに声を使っても大丈夫なのか?」

「どうだろうね、今日はこのくらいにしておいたほうがいいかもしれないね」


 セイレーンたちは思案顔で言った。


「今まで使っていなかった筋肉を使ったから、あんたじゃなくて筋肉が相当疲れているはずだ。明日声が出なくなったら大変だから、今日はこれでやめておきな。少しずつ慣らさないとかえって回復が遅くなるよ」


 物足りなかったが、カロリーナは受け入れるほかない。


「トリトンも来たから、カエリアンの現状について話そう」


 ティブルシオが手頃な岩に座ったので、それぞれ同じように座る。


「まず、カエリアンの『隷属の首輪』はまだ嵌められたままだ。あの『隷属の首輪』は、ラヤーリからきた精霊術師が作った特注のもので、大精霊さえ壊せない代物らしい」


 セイレーンたちがざわついた。


「カエリアンは食を絶っているが、グラツィアーナという女が命じると勝手に体が動いて食べることになる。だから死んではいない。だが、弱ってきている。理由はカロリーナなら分かるだろう」

(リアンの力の元になるような、小手先の技術だけではない音楽を聴いていないからね)

 

 近くの平らな岩に海水を指に付けてそう書けば、ティブルシオはそうだ、と言った。


「カエリアンは、元々から音楽の精霊だったわけではない、いや、そもそも音楽の精霊というものはいない。精霊は自然界から発生するものであって、音楽のような人の作ったモノからは生まれないからな」


 カロリーナは目が丸くなった。


「あいつは元々『壊し屋』だ。だから、カエリアンの加護を受けたカロリーナに最初に発現した力が『破壊』なんだ」


 どうしてジョアキーノたちを軽々と殺していったのか、ようやく理解した。カロリーナの中の加護も『破壊』なのだ。


「壊し屋というのは、壊すモノがないと壊せない。あいつがボクに近づいたのは、ボクが水の力を使って壊すのを見てからだった。大雨で川があふれ、山や人間の家を押し流すのを見て、こういう壊し方もあるんだなって言いながら、ボクに近づいてきたんだ」


 カロリーナはなんだか分かる気がした。


「ボクたちはたまたま出会せば挨拶する程度の関係だった。だが、あいつは100年ほど前、音楽に目覚めた。聞いているのが楽しいと最初は言っていたが、アントニエッタという人間に肩入れするようになったことで、アントニエッタの曲からエネルギーを吸収するようになった。アントニエッタは、人の心の壁や鍵を壊して涙を流させ、押さえ込んでいた悲しみのエネルギーを解放させる力があった。解放されたエネルギーを、カエリアンは自分の力にしていったんだ。もう一つ、歌そのものに込められた感情も、カエリアンのエネルギーだった」


 確かにカエリアンは、カロリーナが歌えば歌うほど力がたまると言っていた。グラツィアーナたちの思いが込められていない演奏では、力にならない、とも言っていた。


「だから、今、カエリアンは弱り始めている。グラツィアーナや精霊術師は、なんとかしてカエリアンに大地の豊穣や演奏技術の向上なんかをさせようとしているみたいだけど、元々カエリアンにはそんな力はないからね」


 ティブルシオの言葉に、ではどうすればいいのか、とカロリーナは唇をかんだ。


「まだ、下位精霊化するほど弱くなってはないよ。そこまで弱体化するのにまだあと数年はあるはずだ。だからね、カロリーナが元気になって歌を届ければ、カエリアンの力も戻るし、そうなればあの『壊し屋』が何らかの方法で『隷属の首輪』を切るかもしれない。あの首輪の鎖を持つ者が主になるから、首輪を付けたままカロリーナが主になってもいいとは思うよ。カエリアンも喜びそうだし」


 なぜカエリアンが喜ぶのか分からないカロリーナは首をかしげた。


「あんた、余計なことはどうでもいいから。とにかく、カロリーナが元気になって、カエリアンに歌を届ければいいんだね」

「そういうことさ」

「トリトン、これからどうするつもりだ?」


 考え込んでいたトリトンに、ティブルシオが尋ねた。


「ああ、どうやってカエリアンの所に連れて行くか、考えていた。そういえば、辺境伯には罰を下したが、その後どうなったか知っているか?」

「息子が爵位を継いだ。グラツィアーナのせいで父親が死んだと思っているから、辺境伯の邸からは追い出された。精霊術師も一緒に追い出されたんだが、グラツィアーナたちと一緒にいる。今は演奏旅行をしながら、各地を渡り歩いているよ」

「つまり、こちらの準備ができても、いつ捕まえられるか分からないと言うことだな」

「そこは、まあ……」

「そいつらが船に乗ればすぐにその情報を伝えるようにしておこう」

「さすがはトリトン」

「お前は河川や湖沼でそれをやれ。いや、雨でもいい」

「使いの荒い奴だなあ。まあ、今回はカロリーナのためだからな。カロリーナ?」

「……」


 深く考え込んでいる様子のカロリーナに、トリトンとティブルシオの会話が止まった。


「カロリーナ?」


 完全に思考モードに入っていたカロリーナは、肩を揺らされてはっとした。


(ごめんなさい……)


 カロリーナは岩場に書いた。


(船旅に出なければならない状況とか、海でも演奏……例えばクルーズ船とか、そういうものに誘い込めないかしらって、考えていて……)


 トリトンが手を打った。


「それだ! ティブルシオはまた水と世界を巡るだろう? カロリーナたちが以前、お前と出会うために、各地の下位精霊たちに伝言しながら旅をしていた。今度はお前が、各地の下位精霊たちに、あいつらが海に出たくなるようなことをするように願っていけばいいんだよ」

「嫌がらせとか、嫌がらせとか、嫌がらせとかをして、陸の上にいたくないと思わせるのか?」

「それでもいいが、あいつらは演奏の仕事があればすぐに行くだろう。そうだな、クエルダの中にもまだ人間化して紛れて生活しているやつらがいたな。あいつらに、クルーズ船での演奏を企画させよう。ついでに、屑な貴族や商人を客として乗せよう」

「トリトン、随分と海を汚す気のようだが?」

「サメたちも、たまには変わった餌が必要だろからな」


 なんだか怖い会話になってきている。カロリーナはそっと耳を両手で塞いだ。


(カロリーナが怯えているよ! 今日はもうここまでだよ!)


 ジータに叱られて、トリトンと ティブルシオは反省した。


「いずれにしても、カロリーナの歌が戻らない限り、オレたちは動けない。オレたちはできる限りのことをしてやる。カエリアンも助けたいし、精霊術師に罰を下さねばならん。だからな、カロリーナ。頑張れ。頑張って歌えるようになってくれ。オレはまだカロリーナの歌声を聞いたことがない。カロリーナの全力の歌を、ジータやティブルシオが好きだというお前の歌を、オレも聞いてみたいから」


 カロリーナは頷いた。


(頑張ります!)


 カエリアンを助けられるのは自分なのだ、そうカロリーナは自分を鼓舞した。

読んでくださってありがとうございました。

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