19 海神の審判
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気づいた時、カロリーナはこれまでいたのとは違う部屋のベッドに寝かされていた。
「おお、気づかれたか、聖女殿」
目覚めると同時に、辺境伯がカロリーナのそばに近づいた。
近づかないで。
そう言おうとしたが、声が出ない。声を無理に出そうとして咳き込んだカロリーナに、辺境伯はふむ、と唸った。
「まだ体調が優れぬようだ。しばらくここで休むとよい」
リアンはどこ、と聞きたかったが、その言葉も無音のまま空気に溶けてしまった。
メイドらしき女性が2人、扉のそばに控えている。起き上がりたかったが、力が入らない。なんとか手招きして、書くものが欲しい、というジェスチャーをしてみた。なんとか通じたようで、メモパッドと鉛筆を用意してくれた。ペンではベッドにインクがこぼれたら大変だと考えてくれたようだ。ありがたい。
カロリーナは早速「雨に打たれて風邪を引いたせいか、喉の調子が悪くて声が出せない」と伝えた。
「まあ! 歌声が命の聖女様ですのに、大変!」
メイドの言葉に、なんとなく嫌なものを感じたカロリーナは、そのメイドを見た。
「あ、いえ、グラツィアーナ様が、聖女様は歌以外無能だってお話しなさっていたので……」
グラツィアーナ? どうしてグラツィアーナが……
(グラツィアーナって、ガイヤルド家の?)
カロリーナのメモ書きに、メイドは首を縦に振った。
「そうです。ピアニストとして、辺境伯様がパトロンとして庇護していらっしゃいます」
はっとした。クエルダのパトロンは、愛人関係を強要するものだったはず。グラツィアーナはニコロと結婚してまだ3年しかたっていないのに、そんな契約をしてしまったというのだろうか。
ニコロの顔を思い出したカロリーナは、ニコロがどれほど落胆しているだろうかと思った。
(グラツィアーナが何を言っていたか、教えてもらえませんか?)
「あー、えーと……ガイヤルド家に生まれながら何にも楽器の演奏ができなかったとか、家族から疎外されていたとか、一日中暗くて埃っぽい倉庫に閉じこもっていたとか」
「あとは、本当の聖女か怪しいって言っていましたよ。聖女様は何も人なのに、家から出た途端に不思議な力を持つなんておかしい、奇跡は音楽の精霊の力かもしれないって。でも、声が出ないんじゃ聖女かどうかの証明もできませんね」
明らかにカロリーナを下に見ているのが分かる。グラツィアーナとこんなところで出会したことも、そしてこの状態がグラツィアーナが起こしたものだろうということ、両方が最低の出来事だ。
(私と一緒にいた男性は?)
「ああ、あの精霊? ラヤーリの精霊術師が『隷属の首輪だけでは力が足りないようだから』って言って、いろいろやって、ようやくおとなしくなったからグラツィアーナ様のアクセサリーになったのよね?」
「そうそう。見栄えもいいし、連れ歩くのに最高よね」
「グラツィアーナ様がうらやましいわ」
カロリーナは呆然とした。
あの強いカエリアンが捕縛された?
だが、以前精霊術師が精霊を拘束する話を教えてくれた時、それが怖いと怯えるようなそぶりを見せていたカエリアン。精霊にとってなにより恐ろしいのが精霊術なのだと言ったあの言葉を、忘れてはいない。
グラツィアーナは精霊術師と辺境伯に、カエリアンをねだったのだろう。そしてカロリーナは聖女として、この地を聖女の力で復活させるようという無謀な企みをしているのに違いない。聖女云々はどうでもいいが、カエリアンを奪われたことが辛かった。ガイヤルド家を出てからどんな時も常に隣にあり続けた恋人を、突然他の女に取り上げられたことが、悲しかった。
グラツィアーナは、自分が大切にしているものを次々に奪っていく。こんな遠くにまで来て、わざわざカエリアンまで奪うことはないではないか。ガイヤルド家から自分が出たのは何のためだったのか。これでは無意味だったということになるではないか。
カロリーナが泣き始めたのを見て、メイドは扉の所まで下がった。そして、泣いても声を出せないのを確認すると、1人がするりと廊下へ出て行った。
カロリーナが声を出せないという知らせは、すぐに辺境伯に届けられた。青い顔をして反応も薄いカロリーナに、さすがの辺境伯も食指が動かなかった。グラツィアーナは、精霊の力を試してくると言って演奏旅行に行ってしまっている。
辺境伯に命じられた騎士が、無理矢理カロリーナを立たせようとしたが、そのまま床にくずおれた。
「聖女よ。お前の力を、我が領民を救うために使って欲しい」
(この地にもう力は残っていません。私が呼びかけてもどうしようもないのです)
力の入らない手で書いた文字は、本来のカロリーナのものとはほど遠い、ひどく読みにくい字だ。
「だが、雨を降らせたではないか」
(偶然そこにいた水の精霊が、一回きりのイベントとして降らせてくださっただけです)
「ならば水の精霊を呼べば良い」
(水の精霊は、水と共に一つ所にとどまらずに動いていきます。彼ももうどこかに行ってしまったはずです)
「嘘をついているのではないだろうな?」
(私に雨を降らせる力があったなら、とっくに雨を降らせています)
力の戻らない聖女に対して、最初は親切だった騎士たちも冷たい目を向け始めた。使用人たちなど、カロリーナに聞こえるような大きい声で「いつお手つきになるのだろう」「いや捨てられるのでは?」などと下世話な話で盛り上がっている。
リアン、リアン、どこにいるの? さすがに1人ではどうしようもないよ?
ベッドに横たわったまま、格子が嵌められて脱走できないようにしてある窓の隙間から星を眺め、どこかにいるカエリアンに向かって言う。
返事はない。周りの雑音だけが妙に大きく聞こえる。
辺境伯はその後何度もカロリーナを歌わせようとしたが、声は戻らなかった。
「おそらく大きなショックを受けたことで心に大きな傷を負い、声が出せなくなったのでしょう。立つことさえできないのも同じだと思われます」
医師の診断に、辺境伯は眉間に皺を寄せた。
「つまり、聖女の力があったとしても歌えない以上は役立たずだと言うことだ」
クエルダに来てまで「役立たず」と罵られることになるとは思っていなかったカロリーナは、グラツィアーナの影がちらつくこの館で完全にお荷物になっていた。数日後には地下牢に移され、カロリーナが自分が犯罪者扱いされていることにようやく思い至った。
「審判を下す。カロリーナ・ガイヤルド。お前は実家から精霊を盗み出し、精霊に力を使わせておきながらそれを自分の功績だとして自らを聖女であると偽った罪は重い。よって、この者を処刑する。処刑方法は『海神の審判』とする」
貴族は領内の争いやトラブルに対しての裁判権を持つ。辺境伯は自分はカロリーナに聖女だとだまされたという体にして、使えないカロリーナを処分することにしたのだ。判決が出たのは、あの奇跡の雨の日からちょうど1ヶ月後のことだった。
話せないカロリーナが反対意見を述べようとしても、無視され、メモは破られた。こんな裁判は、キッタラでは絶対に許されない。この辺境伯は、よほど横暴な人のようだ。
歩けないカロリーナは後ろ手に縛られ、荷車に乗せられて、高い断崖絶壁の上に連れてこられた。眼下には海が広がっている。1年前にここに来た時、この崖の上から「イルカの歌」を歌ったこと、南の国の、砂浜が広がる穏やかな海にカエリアンと寝そべって、声を上げて子どものようにはしゃいだことを思い出す。昨日演奏旅行から戻ってきたグラツィアーナが、隷属の首輪を嵌め、鎖でつながれたカエリアンを連れてこの場に来ているのが見えた。
リアン、本当にとらわれてしまったのね。
カエリアンの目からは涙がこぼれているが、どれほど体を動かそうとしても動かないらしい。そういえばグラツィアーナが先ほど「この場で待機」と命じていたと、ぼんやり思い出す。誰かが何かを言っている。ああ、ちゃんと聞かないと。
「お前に罪があれば、お前は溺れ死ぬか海の何者かに食われて死ぬことになる。もしお前に罪がなければ、お前は助かるだろう」
あの雨の日以来の曇り空で、遠雷の音がする。海にむかって雷が落ちているのが見える。
「言い残すことはないか、と、そうか、何も言えないのだったな」
死刑執行人は気まずげにそう言うと、海に向かっておかれた椅子に、カロリーナを座らせた。そしてそのまま前に押し出した。絶壁の際のところで止めると、辺境伯の合図を待った。
「全く役にたたぬ女だった。アーナが戻ってきたかあの精霊を働かせて、この地を再び豊かな土地に戻してやる」
辺境伯の言葉に、カロリーナは力の入らない体から力を振り絞って後ろを振り返り、きっと辺境伯をにらみつけた。
「子猫が威嚇しているようだな」
辺境伯はすっかり興味を失った様子で、ただ一言「やれ」と言った。
その瞬間、カロリーナの体は絶壁から放り出された。一瞬だけ、カエリアンと目が合った。その目に絶望が宿っている。この高さから海に落ちたら、海水面に衝突した瞬間に体が砕けてしまうだろう。
さよなら、リアン。
カロリーナの体が海面に激しくたたきつけられた。大きな水柱が上がった。カロリーナの体は海水面でバラバラになることなく、そのまま海へと沈んでいった。
苦しい!
海水面と衝突した時に骨折した箇所があるのだろう、激しい痛みと、呼吸ができない苦しさの中で、カロリーナは幻覚を見た。
「大丈夫、助けるから」
それはカエリアンのようでもあり、カエリアンではないようにも思えた。ただ、薄れゆく意識の中で、誰かが手を差し伸べてくれたような気がした。
カロリーナが海面に吸い込まれると同時に、突然、激しい雨が降り始めた。雨は辺境伯たちをたたきのめすような強さで降ってくる。辺境伯たちは慌てて馬車に逃げ込んだ。グラツィアーナも馬車に乗ろうとしたが、カエリアンが動こうとせずに無理矢理命じて立ち上がらせた。
バリバリ、ドーン! という音が近くで聞こえたと思った瞬間、目を開けていられないほどの光と上からたたきつけられるような圧力に、その場の全員が伏せた。圧が消えて顔を上げた時、馬車が全て燃えているのに気づいた。
「落雷だ」
辺境伯が乗った馬車に雷が落ちて火が出たようで、それが周りの馬車にも飛んで燃え広がっている。
「閣下は?」
「どうやら直撃を受けたのでしょう、燃えている馬車の中に、動かない人影が見えます」
「ええっ、どうやって帰るのよ! ずぶ濡れのまま歩いて帰れってこと?」
「ここにある馬車は全て燃えてしまっていますので、それしか……」
「ねえ、カエリアン。あなた、私を運びなさい」
カエリアンが拒否しようとすると、首輪が光って痛みを与える。カエリアンは言いたくもない「承知しました」という言葉を口に出して、グラツィアーナを背負って館へと戻っていった。
カエリアンの涙は、雨と同化して大地へと落ちていく。誰一人、そんなことに気づかない。
リーナ、リーナ、どうか生きていてくれ。
カエリアンは歩きながら、そう祈り続けた。
読んでくださってありがとうございました。
次回から、「海の章」となります。
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