18 グラツィアーナの企み
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時はニコロとグラツィアーナの結婚が決まり、カロリーナが外に出るための準備を始めた3年ほど前に戻る。
グラツィアーナはクリツィアの弟子として忙しくも充実した日々を送っていた。ニコロとの婚約もクリツィアと共に秘密裏に動いて成立させ、これで音楽三昧、お金も自由に使えるようになるとほくそ笑んでいた。
誤算は2つだけ。1つは、ニコロに拒絶されたことだ。外堀を埋めていなかったら、婚約話は流れていたに違いないと確信できるほどに、ニコロはグラツィアーナとの結婚を嫌がった。妻として愛されるかどうか不安になったが、しばらくしおらしくすればカロリーナを殴ろうとしていたことなど忘れるはずだ。
もう1つは、カロリーナは嫁がずにガイヤルド家に居続けるという話だ。冗談じゃない、とグラツィアーナは思った。ようやくの思いでつかんだ「義娘」という立場を上回る「実娘」の存在。カロリーナがいたら、その分グラツィアーナが使えるお金が減ってしまうではないか。それに、楽器庫の管理という重要な仕事を任されたカロリーナでなければ分からない・できない仕事もあり、それはグラツィアーナが不得意とするようなことばかりだった。
ピアノの演奏なら誰にも負けない。容姿だってよほどの人でなければ負ける気はしない。だが、事務処理能力、文字や計算の正確さと早さ、できないことを認められる強さ。そういうものはグラツィアーナにはなかった。音楽の才能はないと聞いていたのに、簡単な曲を弾くカロリーナの出す音色は優しく、そして美しかった。感情も、そこには確かにあった。グラツィアーナには引き出せない、感情の乗った音。いや、怒りや恐怖は表現できるが、優しさや慈しみ、そういった音は全く出せなかった。それに曲もたくさん知っていた。グラツィアーナの劣等感が刺激される相手、それがカロリーナだった。
なんとか排除したいと思っていたある日、アントニオをカロリーナの話し声が聞こえてしまった。
「……もし私のことが心配なら、どこかで働けないか、お父さんの知り合いに聞いてみてくれない?」
「カロリーナ……お前とは、一生この家で一緒に暮らせると思っていたのに」
「お父さん、本来なら私は嫁ぐのではなかったのかしら? それに私は出来損ないだから外に出せないのだもの、ガイヤルドの家名を隠して、誰も知らない所に行った方がいいと思うの」
「ちがう、カロリーナは出来損ないなんかじゃない! 楽器庫をここまで整備してくれたじゃないか。これは誰にでもできるわけじゃないんだよ?」
カロリーナが出て行く?
廊下を歩きながら、グラツィアーナは口角がゆるゆると上がっていくのを押さえられなかった。カロリーナが自分から出て行くというのだ。それも嫁ぐのではなく、働きに。グラツィアーナは考え始めた。どうしたらカロリーナの里帰りを阻止できるだろうか。どうしたらカロリーナが「辛い」と泣くような仕事をさせられるだろうか。どうしたら、二度とガイヤルド家の敷居をまたがせずに済むだろうか……。
やがてひょんなことから、カロリーナがジョアキーノに仕事の紹介をしてもらうことになったことを知った。ジョアキーノは時々昏い目でカロリーナを見ていることに気づいていたグラツィアーナは、それをネタにジョアキーノを揺すぶった。
「今すぐにでも、ご当主様に告げ口したっていいのよ? そうすればあんたはすぐにクビになる。クビになった家庭教師に次の仕事なんてこないわよ」
「それは困る」
「そうよねえ、あんな後ろ暗い犯罪グループの斥候役なんだもの、家庭教師の仕事を失ったら斥候としては失格よね」
「どこまで知っている?」
「どうかしらね。でも私にも調べる伝も、手段もあるのだということは忘れないで」
巧妙に隠されてはいたが、グラツィアーナは自分の手下のように動く侍女を使ってジョアキーノについて調べ上げ、ジョアキーノが銀行口座を持っていることをつかんだ。グラツィアーナは疑問を持った。このキッタラでは、庶民には銀行など関係ない所だ。その口座に莫大な残高があることを突き止めた時、グラツィアーナはジョアキーノに後ろ暗いことがあると気づいた。
揺すれば言うことを聞かせられるかもしれない。
グラツィアーナの思った通り、ジョアキーノはグラツィアーナのの側に立った。そのつなぎと目にはそれなりの金が必要だったが、グラツィアーナに払えない額ではなかった。
「二人には、隣国の地方都市の劇団に入って歌い手として働くという話をしてある」
「それなら食いつくでしょうね。でも、悪い人たちよね。あなたたちは最初からカロリーナを売るつもりだったのでしょう?」
「家庭教師に入る家には条件がある。必ず娘がいること、その娘が何らかの形で家族との折り合いがうまくいっていないこと、この2つさ。優しい言葉をかけ続ければ、外に逃げる手引きをしてやると言えばホイホイついてくる。上位貴族の家であっても、庶子はひどい扱いを受けている者もいるから、目の付け所さえ間違えなければ簡単な話さ」
「2度とこの家に戻れない、そういう所に売ってちょうだい」
「今までオークションで売りさばいた娘は、誰も幸せになんかなっていないよ」
「そう、それでいいのよ」
グラツィアーナは元々貧しい家の娘として生まれた。商家の娘の将来の侍女として5才の時に親元から離され、まだ赤ん坊だった娘の世話を始めた。商家の夫人は習い事としてピアノを弾く人だった。グラツィアーナは、夫人の弾くピアノに目を輝かせ、聞き入った。グラツィアーナがあまりにもピアノに興味を示すので、娘が3才になってピアノを始める時、グラツィアーナにもレッスンを受けさせるようになった。
ピアノを弾きたいという思いが叶ったグラツィアーナは、仕事から解放されたあとの自分の時間、寝る間も惜しんでピアノを引き続けた。貧しかった自分がピアノを弾く。創造すらしていなかったことだった。
グラツィアーナのピアノの腕はぐんぐんと上がっていった。商家の夫妻はグラツィアーナを娘の侍女ではなく養女に迎えることに決めた。家を継ぐのは実子だが、将来美しくなるのが十分に予想できるグラツィアーナを他家に嫁がれば、自分たちの利となると考えたのだ。
ピアノの腕を磨くことで他の娘との差になると考えた商家の夫妻は、グラツィアーナがピアノに打ち込むのを応援した。そしてとうとう、あのガイヤルド家でレッスンを受ける所まで来たのだ。
養女にしてくれた商家には感謝しているが、実子との扱いの差は埋められるものではなかった。家族のために売られるようにして5才で実家を出たグラツィアーナは、自分を一番に考えてくれる人を欲していた。
クリツィアに出会った時、クリツィアが実子をピアニストにできなかったことで意気消沈していることを知った。そして、クリツィアが、実子が弟子)ほどに弾けたらどれほどよかっただろうとつぶやいていたのを聞いた。
それからはグラツィアーナは、ひたすらクリツィアに寄り添った。そして、カロリーナにできないことは自分が身代わりになると申し出た。
「ピアニストとしてだけでも、私がカロリーナの代わりになって、クリツィア先生をお支えしたい」
クリツィアはあっという間にグラツィアーナに陥落した。
「引っ込み思案で外に出て行かないカロリーナよりも、明るく華やかで外に出て行くのが大好きななグラツィアーナと外出したり買い物したりする方が楽しいわ」
クリツィアが、カフェでケーキをつつくグラツィアーナに微笑みながらそう言ったのを聞いた瞬間、グラツィアーナはカロリーナに勝った、と思った。クリツィアがカロリーナの前でグラツィアーナを優先するような態度を取るようになったことで、グラツィアーナはクリツィアの一番が自分になったと自信を持てた。グラツィアーナが一番なのだから、カロリーナのことを下に見ていいと思うようになった。グラツィアーナが多少傲慢な態度を取っても、クリツィアはニコニコと見ているだけだった。
ますます増長したグラツィアーナは、ニコロを手に入れることを画策した。挨拶のために最初に引き合わされたその瞬間に、グラツィアーナはニコロに一目惚れした。バイオリンを演奏するその立ち姿も、奏でる音も好きだった。グラツィアーナの美貌にも靡かず冷たい態度を取り続けるニコロと結婚できたら、ニコロにたくさんファンの鼻を明かすこともできるし、義理とは言えクリツィアの娘にもなれる。一挙両得だと思った。
クリツィアと2人で根回しをしてやっとニコロと婚約したのに、ニコロは相変わらず冷たい。それでも、結婚すれば少しずつ心を通わせることができるようになるに違いない、そう信じていた。結婚式が近づいてもニコロの心はかたくななまま。結婚式の前日も当日も、ニコロは死んだような目をしてただ隣にいるだけだった。誓いのキスもなかった。「誓います」という言葉も言わなかった。
ニコロがどれほどグラツィアーナを拒否しても、結婚式の日に出て行ったカロリーナは戻ってこないことを、グラツィアーナは知っている。ニコロとアントニオがカロリーナの行き先だと思っているとは全く違う国で、全く違うことをさせられるのだ。そう思うと少しだけ胸のすく思いがした。
誤算だったのは、ジョアキーノたちが惨殺死体となって、破壊され尽くした森の中の小屋から見つかったことだった。ジョアキーノの現在の勤め先であるガイヤルド家にも当然騎士団の調査が入った。ジョアキーノの隠し銀行口座のことも調べたようで、最近入金された、庶民としてはすぐに出せないような金額の金の出所の一つではないかと思われたようだ。
グラツィアーナは証拠を残さないために、ジョアキーノに支払う金はガイヤルド家の勉強部屋で手渡ししていた。言うことをよく聞く侍女が全て手配してくれた。騎士団もそれ以上追えなかったようで、ガイヤルド家は無関係ということになった。
何が起きたのかは分からない。死体の中にカロリーナはいなかったというから、どこかへ逃げたのかもしれない。戻ってくるのではないかとしばらくはビクビクしていたが、そのうちグラツィアーナはカロリーナはどこかへ逃げたか、先に出発して売り飛ばされたのだと思うことにした。
二ヶ月後、カロリーナに送った手紙が返送されてきたことで、アントニオとニコロはカロリーナがジョアキーノに紹介された劇団に行っていないことに気づいた。それからのアントニオとニコロの荒れようはすさまじかった。ニコロはグラツィアーナをいない者として扱った。夫婦であるということは書類上証明されたが、同じ邸に住んでいるというだけで、顔も合わせない日々が続いた。
それだけではない、グラツィアーナはガイヤルド家に加護を与えている音楽の精霊に会うこともできなかった。結婚式の後で音楽の精霊に会わせてもらえるとクリツィアから聞いていたグラツィアーナだったが、存在が感じられないというアントニオとニコロに言われてしまった。アントニオもニコロも、ガイヤルドの血が流れている。カロリーナが加護を受けていることを知らなかったが、2人は「存在を感じられる」だけでそれ以上のことはできない。
会えないと分かった時、グラツィアーナは「残念」と微笑んでみせた。だが、内心はガイヤルド家の一員として認められなかったような気がして腹が立ってならなかった。
ガイヤルド家の一員になったはずなのに、クリツィアと使用人の一部しか相手にしてくれない現実に、グラツィアーナは不満をもった。気分転換もかねて、グラツィアーナは頻繁に演奏旅行に出るようになった。演奏旅行が続いているのだから、ニコロと別行動をしてても不仲を疑われることはない。
そんなグラツィアーナが何度も訪れるようになったのは、クエルダの辺境伯領だった。パトロンになるという辺境伯の言葉に飛びついたグラツィアーナは、その夜、辺境伯の愛人にさせられた。クエルダは、パトロンになるということは、パトロンの愛人になることを了承したとみなされる国だったからだ。
グラツィアーナは最初抵抗した。クエルダの辺境伯のでっぷりと太った体に嫌悪を感じた。だが、辺境伯はグラツィアーナの言うことを何でも聞き入れ、贅沢もわがままも全てかなえた。次第に自分を愛さないニコロよりも、辺境伯の地位と財産を目当てに愛人の座にあることを受け入れられるようになった。ガイヤルド家の名を使いつつ、キッタラに戻ることもなく、辺境伯の元でピアニストとして活動しはじめたのだ。
そんな時だった。「聖女と護衛騎士が、歌で人々を癒やしている」という噂が流れてきたのは。辺境伯に頼み込んでその女をようやく辺境伯の館に呼び寄せた。そして、物陰から覗いたグラツィアーナは、一目見て噂の女がカロリーナだと気づいた。
あの能なしのカロリーナが、奇跡を起こす歌声を持つ聖女って、どういうことなの?
グラツィアーナの目は、次に隣でカロリーナを守るように歩く男を見た。騎士と言われると違和感があるが、その容貌に見とれた。ニコロなど比較にならないほどのいい男だ。そんな男を連れているカロリーナに、初めて嫉妬を感じた。グラツィアーナはガイヤルド家の嫁という立場にありながら、このクエルダの辺境伯にパトロンになってもらった。今はこの状況を籠の中の鳥のように感じている。辺境伯に男としての魅力を感じないグラツィアーナは、見目麗しい男を連れ、聖女とあがめられながら旅しているカロリーナをうらやんだ。
「ほお、こんな所にあんな精霊がいるとは」
「精霊?」
「あの男ですよ。人間になりすましているが、あれはそこそこ力のある精霊だよ」
辺境伯の元には、ラヤーリという国から客人として招かれた精霊術師がいる。辺境領の荒廃を止める目的で招いたのだが、到着後すぐに「聖女と護衛騎士」の噂が流れたため、様子見をしてもらっているところだった。
グラツィアーナは思い出した。結婚式の日に合わせてもらえるはずだったガイヤルド家の音楽の精霊は、結婚式の日からその存在を消していた。カロリーナがいなくなったのも、同じ日だ。
「カロリーナがガイヤルド家の音楽の精霊を連れ出したのね」
「へえ、あれはそんなたいそうな奴なのか」
精霊術師の手がうずうずしている。
「捕まえたい」
「え、捕まえられるの?」
「精霊を捕らえて『従属の首輪』を付ければ、主となって精霊を従属させることができる」
「彼が許可したら、私にくれる?」
「捕縛に代金は高いぞ?」
「そのくらい、彼なら出してくれるわ」
「命令は主から出してもらう。あんたの口からの依頼では受けられない」
「いいわ、お願いしておくから」
カロリーナたちが部屋を出て行く時、カロリーナは何かに気づいたように辺境伯の後ろを見た。だが、気づかなかったようでそのまま出て行った。
「アーナ。あれは本当に聖女なのだろうか?」
「実際に働かせればいいのです。そして、何が起きたのか報告させましょう。聖女さえ手に入れば、あの男は邪魔ではないかしら?」
グラツィアーナは、辺境伯が聖女を自分の女にした上で、この地でその力を使わせ用としているのに気づいていた。カロリーナが辺境伯の相手をしている内に、グラツィアーナはあの精霊を連れてここから出ればいい。辺境伯も、聖女にぴたりと寄り添う男がいるのは気に入らないだろうから、あの男をアクセサリーにしたいと言えば辺境伯は何も言わないはずだ。
「それに、そもそもガイヤルド家のものなのだし」
グラツィアーナは、始祖アントニエッタとカエリアンがどのような関係であったのかを知らない。教えてもらえない。だから、カエリアンのことはガイヤルド家に従属しているのだと思い込んでいる。カロリーナからあの精霊を取り上げて、代わりに辺境伯をあてがえばいい。
精霊術師とグラツィアーナの計画は順調に進んだ。そして、カロリーナが奇跡を起こしたその日、精霊術師はカエリアンを捕縛し、カロリーナと引き離すことに成功したのだった。
カエリアンを手に入れたグラツィアーナは、「隷属の首輪」を付けたまま眠らされているカエリアンの頬に触れた。
「私が新しい主よ。後で本当の名前を教えてね、精霊さん」
グラツィアーナの勝ち誇ったような笑いが聞こえた。廊下を通りかかった使用人や騎士たちは、薄気味悪そうに耳を塞いで急ぎ足で通り過ぎた。
万能感を回復したグラツィアーナは、明日から何をしようかと考え始めた。久しぶりに心が浮き立つのを感じた。
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