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17 雨の歌

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 領民に聴かせるという目的で辺境伯が手配した馬車に乗り、カロリーナとカエリアンは辺境伯領各地の農村地帯を回った。


 荒廃した畑。人々は痩せ細り、その目はうつろだ。辺境伯の姿を思い出せば、鍛えた結果の大きな体ではなかった。あれでは戦えないだろうと素人のカロリーナでさえ分かる。騎士たちも、他地域の者より明らかに痩せている。いわゆる「筋骨隆々とした」「鍛え上げられた」と言われるような体つきの騎士は、辺境伯の護衛と思われる集団だけだった。


 辺境伯は、実らない大地に餓え苦しむ領民に何の対策も施さず、税を搾り取っている。


 そう気づいたカロリーナは、次いで顔を青くした。馬車の隣に座るカエリアンを不安げに見れば、厳しい顔をして馬車の外を見ている。


「リアン、私たちもしかして……」

「それは後で話そう」


 カエリアンは意味ありげに周りに視線を飛ばした。おそらく聞き耳を立てられている、と言いたいのだろう。同時に、カエリアンもカロリーナと同じ結論に思い至ったのだと気づく。


「本日はこちらの村の者たちに歌を聴かせてやってください」


 馬車が止まり、扉が開かれる。カエリアンがまず下りて、カロリーナが馬車を降りるのを手伝ってくれる。ここ数日繰り返された流れと、同じように広がる景色に、カロリーナは小さくため息をついた。


「全てを吸い上げられてしまったのね」


 大地は水と養分を農作物に吸い上げられる。

 農作物は農民に刈り取られる。

 農民は税として領主に財産を差し出す。


 大地の力は、こうして領主など貴族に吸い上げられていく。だが、領主があれほど肥え太っているのは、この辺境伯領をおいて他にはなかった。つまり、この辺境伯領は搾取されているのだ。搾取の先にあるのは、己を含めた滅びしかないというのに。


「さあ、歌ってください」


 粗末な小屋のような家から無理矢理連れ出された村人たちは、勘弁してくれという目をしている。励ませばいいのだろうか、それとも涙を流した方がいいのだろうか。


 カロリーナはわずかにためらった後、決めた。そして、肺に息をたっぷりと含ませてから、朗々と歌い出した。


 父なる天は 空高くから 人の行動(ふるまひ) 見そなはす

 母なる大地は すぐ間近にて 人の(いたつき) 分きたまふ

 全てを知ろしめす神は 人を必ず救ひたまふ 人を必ず笑ませたまふ


 古語で書かれた歌はすんなりと理解できないこともある。だがこの歌は、キッタラでは毎週の祈りの集会でも歌われる、人々になじみ深い曲だった。クエルダが同じ神を信仰する国だと知ってから、カロリーナはキッタラの宗教曲を思い出しては楽譜にしていた。この曲も、そうやって思い出して楽譜にまとめた曲の一つだ。


「父なる神も、母なる神も、人が見ていないような遠くから、あるいはすぐそばで、あなたたちの行動や努力をしっかり見て、あなたという人を判断している。だから、正しく努力しているあなたたちのことを、必ずいつか神様たちは救ってくださる」


 間違いなく虐げられてきた人々と傷ついた大地に、どうしても呼びかけたかった。今の救いを求めている村人たちからは何の役にも立たないと言われそうだったが、それでも見ている人はいるのだと伝えたかった。


 村人たちから、すすり泣きの声が聞こえた。動揺している騎士もいる。カロリーナは続けて、歌い始めた。


 恵みの雨が降ってきた

 埃を落とした緑の山は

 娘の潤んだ瞳のよう

 

 恵みの雨が降ってきた

 泥濘(ぬかるみ)にはまり 泥んこになり

 子どものはしゃぐ声がする


 恵みの雨が降ってきた

 畑の葡萄もオリーブの木も

 小麦も大きく育つだろう


 たしかクエルダの民謡だったはずだ。覚えやすいメロディーのこの曲は、アントニエッタが各地を旅していた頃に聞いた曲を楽譜に書き残したものだ。カロリーナがまだガイヤルド家の楽器庫で整理をしていた時、写譜をした各国の民謡集があった。ニコロはある国で演奏会をすることになった時、アンコール曲の一つとして、その民謡集にあった曲をバイオリン用に編曲したのだが、その国の人たちは、あまり外国には知られていないはずの民謡を演奏したニコロに驚き、非常に評判が良かったと教えてくれたことがあった。


「バイオリンとフィドルは同じ楽器なのに、演奏する曲がクラシックならバイオリン、民族系・歌謡系だとフィドルって言うから、違う楽器だと思っている人がいるだろう? だから、演奏法や求める音が違うってことはあるけれど、バイオリンを妙に高尚なものだと思ってほしくなくてやってみたんだ」


 民謡は、その地域の文化に根ざした歌だ。だから、その地域の人にとってなじみがあり、心地よく、安心して聞くことができる。カロリーナも、この「雨」の歌がクエルダの人々の心に受け入れやすいのではないかと考えたのだ。


 村人たちの中で何人かが、驚いたような顔をしてカロリーナを見た。一定の年齢以上の老人ばかりだ。


「どうして、その歌を知っているんじゃ?」


 歌い終わったカロリーナに、1人の老人が声をかけた。


「それは、雨乞いの歌じゃ。わしらが子どもの頃にはよく歌われていたが、今となっては失われて、歌詞もようわからんようになってしまって、誰も歌わなくなった歌じゃ。どうして、あんたがそれを」 

「偶然ですね、以前この歌の楽譜を見たことがあったんです。誰かがきっと記録していたのでしょう」

「そんなことが……」


 小さな子どもたちは、このメロディーと歌詞が気に入ったらしい。後ろの方に集まって数人で歌っている。


 恵みの雨が降ってきた

 埃を落とした緑の山は

 娘の潤んだ瞳のよう

 

 恵みの雨が降ってきた

 泥濘にはまり 泥んこになり

 子どものはしゃぐ声がする


 恵みの雨が降ってきた

 畑の葡萄もオリーブの木も

 小麦も大きく育つだろう


 ほのかにまだ記憶に残っている老人たちが、子どもたちの歌の輪に入る。大人たちも1人、また1人と口ずさんでいく。気がつけば村人全員が一緒になって「雨」の歌を歌っていた。カロリーナもその中に入り、みんなで繰り返し繰り返し歌う。歌を知らなかった子どもたちが、楽しそうに歌っている。歌うことを忘れていた大人たちが、懐かしむように歌っている。カロリーナは、こんな大勢で一緒に歌うのは初めてだった。だが、不思議な一体感があり、カロリーナも村人の一人として迎え入れられたような、そんな不思議な気持ちになった。ふっと、目の前にキラリと光るものあらわれた。よく見る下位精霊の光の球のようなものとは色も動きも違う。ぴょんぴょんと飛び跳ねるように、光は人々の周りを飛び回っている。


「いいよ、お願い、聞いてあげる」


 突然聞こえた声に、その場の全員が上空を見上げた。白い下位精霊の光の玉が、少しずつ青く染まっていく。そして、空へ空へと上っていく。村人も騎士たちもみんなが驚いたように空を見上げる。やがて空が少しずつ暗くなってきた。灰色の雲が次第に色を濃くし、次第に重く垂れ下がってくるように感じられる。


 ぽつり、と上を向いていたカロリーナの顔に何かが当たった。


「ん? 雨?」


 ぽつり、ぽつりと雨は村人や騎士たちの顔に落ちていく。驚愕する騎士たちと対照的に村人たちの顔に歓喜の色が浮かぶ。


「雨だ!」

「雨だ!」

「10年ぶりの雨だ!」


 降り始めた雨は、やがてざあーっと本降りになった。村人たちは「雨」を歌いながら、ずぶ濡れになってはしゃいでいる。カエリアンはカロリーナを抱えると急いで馬車に戻った。


「あいつ、調子に乗りやがって」


 忌々しそうに睨む先には、青い髪に青い瞳の精霊が浮かんでいる。


「精霊なの?」

「そうだよ、君の名前は?」

「私はカ……」

「言わなくていい!」

「何だよ、本人が言おうとしているのに」

「いいか、精霊に名前を教えるということは、人間の挨拶とは違って互いに影響し合う存在になるということなんだ。だから、簡単に名前を教えてはだめだ」

「へえ、あんたは名を教え合ったのか?」

「彼女は俺の恋人だ」

「人間を恋人にしたの? って言いたいところだけど、確かに彼女ならありだよね。精霊に訴えかけることもできるし、人々の声を精霊に届けるための触媒にもなれる」


 青い精霊はカロリーナの前にやってきた。


「初めまして。ボクを探していたんだろう? あちこちで下位精霊たちからメッセージを聞いたよ。ボクが君の探していた水の精霊だ」

「水の精霊様……」

「精霊様だって、可愛いねえ」

「やめろ」

「それで、お嬢さん。あんたはボクに何をさせたいんだい?」

「雨を、降らせてほしかったんです」

「今、降らせたよ」

「いいえ、世界各地で雨の降り方が変わりつつあります。これまでより降るようになったり、全く降らなくなってしまったり、人も植物も動物もみんな困っています。雨を均等に降らせていただきたいのです」

「それは無理だね」


 水の精霊は事もなげに言った。


「ボクは水を司るからね、雨を降らせることはできるよ。でも、雨の振り方が変わったのは、ボクのせいじゃない」

「風の精霊様、ですか?」

「彼女の存在もあるけどね、一番大きな原因は人間だよ」

「人間、ですか?」

「そうだよ」


 水の精霊は馬車の反対側に腰を下ろした。


「人が森や草原を焼き払い、畑を作った。地下から水を吸い上げる木がなくなったことで水を得にくくなった。それに、山から木を切ったことで山が崩れやすくなり、山がなくなった所もある。そういう所では風の流れも変わる。風の流れが変われば、水の流れも変わる。必然的に雨の降る場所、降り方が変わる。そういうことさ」

「では、どうすればいいのでしょう?」

「壊したものは元には戻せない。だが、山に木を植えて山が崩れないようにしたり、森をこれ以上焼いて畑にしたりしなければ、これ以上ひどくなることは避けられるだろう」

「今のお話を、人間に教えてもいいですか?」

「いいよ。人間が忠告を受け入れて行動するとは思えないし」


 冷たいその目は精霊のそのものだ。だまされて売られそうになったあの日、カエリアンがジョアキーノたちに見せたのを同じ、酷薄な表情だ。


「それでも、いいのです。誰かが行動するかもしれない。私はそれを伝えなければ」

「できるかな?」

「どういうことだ?」

「お前たちは取り囲まれている。利用されるだけになるとボクは思うんだけどな」


 水の精霊はふわりと馬車の壁を通り抜けた。来た時と同じだ。


「ボクは行くよ。捕まりたくないからね」


 カエリアンは外の様子を見た。戻る準備ができたようだ。村人たちは相変わらず雨の中で飛び跳ねている。


「出発します」


 御者役の騎士が声をかけて、馬車が揺れ始めた。疲れたカロリーナはすぐに眠ってしまったが、カエリアンは今日起きたことを考え、今日中に辺境伯の邸を離れようと決めた。


「ついたよ、リーナ」


 辺境伯の館に到着したカロリーナは、雨に濡れて中途半端に乾いた状態のまま、辺境伯に報告をするようにと無理矢理連れて行かれた。もちろんカエリアンもついて行く。


「ご苦労だった。今日は雨まで降らせたらしいな」

「いえ、水の精霊様がちょうどいらしたのです」

「精霊と話せるとは、素晴らしい能力だな」

「ぐ、偶然です」

「我が領では日照りが続き、苗を植えても植えても農作物が実らない状況にある。だが、おまえがいれば雨が自在に降るようだな」

「違います! 降らせたのは精霊様です!」

「その精霊に頼めるのだから、同じだろう」


 理解されないもどかしさで、カロリーナは辺境伯にどう言ったら自分の力の範囲外だと理解してもらえるか、そればかりが気になって、隣にいるカエリアンや背後への注意がおろそかになっていた。


「ぐああっ」


 突然カエリアンが苦しみだした。首には知らぬ間に首輪が付けられている。その首輪は光り輝いており、カエリアンが全力ではずそうとしているが、カエリアンの力でもとれない。カロリーナも慌てて首輪に手をかけたが、バチッとはじかれた。


 床の上をのたうち回って苦しむカエリアンに取りすがろうとしたが、カロリーナは辺境伯の近くにいた騎士たちに拘束されて引き離された。


「リアン! しっかりして、リアン!」


 カエリアンの首輪の光がひときわ強く輝くと、人間の姿から妖精の姿に変わった。光が失われるのと、カエリアンの意識が途切れるのは同時だった。


「リアン! やめて、リアンに何もしないで!」


 狂ったように叫ぶカロリーナの目の前で、フードをかぶった灰色のローブ姿の男たちがカエリアンを運んでいく。


「ご苦労だった。精霊術師たちには、しかと褒美を取らせよう」


 あれが、カエリアンが恐れていた精霊術師なのか。


 カロリーナはカエリアンの力を知っているからこそ、精霊を捕らえてその自由を奪える精霊術師が恐ろしく思われた。


「リアン! リアン!」


 辺境伯に抗議しようと、カロリーナは辺境伯を見た。そして、その隣にいる、ここにはいるはずのない人物を見て言葉を失った。


「どうしてあなたがここにいるの……グラツィアーナ」


 騎士がカロリーナの首に手刀を当て、カロリーナの意識を奪った。カロリーナが最後に見たのは、辺境伯にしなだれかかるグラツィアーナの姿だった。

読んでくださってありがとうございました。

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