13 協力者を得る
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商業ギルドに戻った2人はカウンターにいたヴィクトルに、クロードに指定された店のことを聞いた。
「高級店だよ。個室しかなくて、貴族の内密の話し合いや商談にも使われる。もちろん貴族が家族連れで来ることもある店で、セキュリティーも味もサービスも文句ねえ。その分、一品一品の値段が目ん玉飛び出るくらいに高え所だ。目抜き通りの、夜でも明るい所にある店でな。俺も行ったことはあるが、この年でも片手に収まるくらいだよ」
ヴィクトルは5年ほど前に貴族に呼ばれた時に食べたという子羊のグリルを思い出して涎を垂らしそうになった。
「あんなに臭みのねえ子羊は、俺たちの手の届く店にはねえよ。はああ~、もう一度食いてえなあ。それにしても、興行初日にクロードと知り合いになれるなんて、ラッキーな奴らだなあ」
「やはりそう思うか?」
「会いたいって突撃したってそうそう会えない人だ。この人脈は絶対に大切にした方がいい。俺なんぞどうでもいいが、クロードだけはな絶対に敵に回しちゃいけない男だ」
「ヴィクトル。一つ教えてくれ」
「なんだ?」
「クロードに妻子はいるのか?」
「はあ?」
「妻子はいるのかと聞いている」
カエリアンの考えが分からず、カロリーナは「ねえ、失礼よ」とたしなめるが、カエリアンはカロリーナをちらと一瞥しただけでヴィクトルを真剣な目で見ている。
「リアン、あんたまさかそっちの」
「違う! リーナに色目を使われると困るからだ!」
「私?!」
カロリーナが驚いたようにカエリアンを見た。
「指輪をしていなかったから、あの男」
ぽつりと言ったカエリアンに、クロードはガハハと笑いながらカエリアンの肩をバシバシと叩いた。
「リアン、このコルド国では既婚者が指輪を付ける習慣はない。100年くらい前まではそういう習慣もあったようだが、今は揃いの耳飾りをつけるんだよ。だから、指輪で既婚未婚は見分けられないぜ?」
カエリアンが「えっ」とつぶやいた。そんなカエリアンを見たヴィクトルは、にやりとした。
「お前リーナちゃんを取られるんじゃないかって心配になったんだな? 心配するな、結婚して20年以上になる愛妻と、成人した息子2人、それに娘が3人いる。一番下の娘は、まだ5才だ」
「息子の方は?」
「上の息子は一昨年結婚したはずだ。弟の方には、見ているこっちが顔を赤くするくらいラブラブの婚約者がいるぜ」
「見ているこっちが顔を赤く……? らぶらぶ……?」
カエリアンの表情がぱっと輝いた。
「ヴィクトル、ありがとう!」
急に機嫌が良くなったカエリアンは、カロリーナの手を引いて部屋に戻った。
「ねえ、リアン、どういうこと?」
状況がよく飲み込めないカロリーナは、カエリアンに尋ねた。
「クロードがどうして俺たちに近づいたのかと考えた時、一番最初に思いついたのが、リーナに興味を持ったからだということだった。それが歌姫としてなのか1人の女としてなのか、それが分からなくて焦った」
「?」
首をかしげて考えていたカロリーナは、ようやく飲み込めた。
「クロードさんが私に恋愛感情を持つようなことがあったら困ると思ったって、そういうこと?」
「そうだ。クロードには金がある。リーナが安定した暮らしを送りたいと思うなら、クロードを選ぶのではないかと、まあそういうことだ」
「どうして? リアンは私と一緒に歌を歌いながら旅をしてくれるんでしょう?」
「そうだが、お前がやはり旅は嫌だと言い出したらと思うと、いても立ってもいられなかった」
そっとカエリアンの右手が、カロリーナの左頬を包んだ。
「お前の歌声は、俺を心の底から震わせる。まるで麻薬のように、俺の心を捉えて放さない。リーナの歌声が聞けなくなったら、俺は一体どうなってしまうんだろう……最近、夜にそんなことを考えて眠れなくなることもある」
「アントニエッタ様と旅をしている時もそうだったの?」
「いや、アントニエッタの時は、純粋に友だち感覚だった。どうしてだろう、リーナが俺の前からいなくなったらと思うと、すごく怖い」
カロリーナの耳が、顔が、赤くなる。これではまるでカエリアンがカロリーナに愛の告白をしているようではないか。
いやいや、この超絶美形の姿を少し人間レベルに落として、それでも町を歩けば娘たちがぼうっと頬を染めるようなカエリアンが、平凡なカロリーナを好きになるはずはない。
カロリーナは間違った方向に行こうとする自分の思考を必死になって引き留めた。
「リアン、私がと~っても世間に疎いことを、あなたはとてもよく知っているでしょう? だからね、私はリアンのそばを離れてはいけないと思っているのよ」
「俺のそばを離れない?」
「そうしないと、きっと私、すぐに悪い人に捕まって売り飛ばされるか野垂れ死にするか、どちらかだと思うわ」
「全面的に賛成する」
「悲しいけれど、それが事実よ。だから……」
カロリーナはにこりと笑った。
「私とリアンは、ずっと一緒。仲間よ」
「仲間……」
思うところがあるような表情をしているカエリアンだが、カロリーナがカエリアンのことを大切な「仲間」として認識しているのだということは伝わったはずだ。
「そうだな、仲間だな」
カエリアンの表情に、落ち着きが戻ってきた。きっとカエリアンも、いつもと違うことがあって動揺しただけだ。
「ね、リアン。夕食が楽しみね」
「ああ、クロードには迷惑料としてしっかり払ってもらうとしよう」
機嫌が良くなったカエリアンと出かけたカロリーナはクロードから再び丁寧な謝罪を受け、この街にいる間の支援を約束され、気兼ねなく豪華な食事を楽しんだ。飲んだことのないワインを勧められて、赤ワインの渋みに顔をしかめた。「まだまだ子どもの味覚だな」と男2人に笑われてプンプンしていたカロリーナは、一杯飲みきらぬうちに酔ってしまったらしい、うつらうつらし始めた。
「おやおや、どうやら歌姫はお眠のようだな」
「すまない、成人したばかりなんだ。初めてのワインの酒精に当てられたのだろう」
「いやいや、かわいらしい婚約者ではないか。私と妻もかつてはこんなふうだったのだろうかと、昔を懐かしく思いだしたよ」
「今でも仲が良い夫婦だと聞いたが?」
「ああ、間違いない。いつかは家にも来てくれるか? 家族を紹介したい」
「クロードと知り合いになれたこと、この幸運に感謝する」
「感謝するなら、歌姫に。彼女の才能は、おそらく世界レベルだ。最初のパトロンになるのも悪くないと思ったが、国によってパトロンの範囲は違うだろう?」
「よく知っているな」
「コルドでは活動のための資金を与える者。もちろん支援を受けた以上、画家なら画を、音楽家なら音楽を、パトロンに求められれば提供する義務はある。だがそれまでだ。これがラヤーリやクエルダでは、愛人関係まで含むことがあると聞いた。その話を聞いてから、私はパトロンになることをやめたんだ。この国で支援した者が外国で評価されそうになった時に、パトロンがいた、つまり愛人をしていたとその者が思われるのがどうしても許せなかったからな」
「賢明な判断だ」
「こうやって食事をしたり、『貸付』として資金を用意し、後日利息なしで返済してもらう、そういうやり方で支援することにしている。もしリアンたちに旅費やホールの使用料などといった形で資金が必要になった時は、必ず支援すると約束しよう」
「無利子で借りられるなら、助かる者も多いだろう。感謝する」
「それから……」
クロードは周囲を一度見回した。機密事項さえ話せる個室だと聞いているが、クロードはひどく用心している。
「リアン、君が気づいているかどうか分からなかいのだが……彼女の歌にはどうやら力があるようだ」
「どういうことだ?」
カエリアンはカロリーナの歌から力を得て高位精霊としての姿を取り戻した。だからカロリーナの歌に力があることは知っているし、アントニエッタのように人の心に働きかけるものであることも知っている。だが、クロードに言いたいことはそうではなかった。
「気づいていなかったか? 萎れた花束を持っていた花売りの女が歌にしばらく聴き惚れていた。歌が終わって花束を見たら、花束の花がシャキッとしていた。女は『見間違えたかな?』などと言いながらどこかへ立ち去ってしまった」
カエリアンの手に力が入った。
「それだけじゃない、腰を痛めて杖をついていたじいさんが、歌を聴いた後で『なんだか体が軽い』と言って、杖をつかずに真っ直ぐに立って歩いて帰った」
「……他に気づいた者は?」
「いるかもしれないし、いないかもしれない。私は人気のないところで君たちと接触しようとしたが、君たちが両替所に来ると言っていたのを聞いて、急いで戻って社長室から君たちが来るのを待っていた。そして、この場で君たちの気づいていないかもしれない危険性を伝えなければと考えたんだ」
カエリアンは天を仰いだ。精霊としての力に頼りすぎて、カロリーナの歌が周囲にどのような影響を与えているかにまで目が行っていなかったと気づいたからだ。
自分自身がこれほど回復したのだから、周囲の人間や物にも影響があると気づくべきだった。
「1カ所に長居しないほうがいいと言うことだな」
「そうだな。私としてはずっと聴いていたい歌声だが……歌姫の力を考えれば、1週間いたら気づかれるのではないかと思う」
「分かった。明日もう一度違う場所で歌ったら、この町を出よう」
「明日歌えるか? 初めての二日酔いで動けないかもしれないぞ?」
カエリアンはカロリーナを見た。すっかり冷めてしまったコーヒーのそばに、すやすやと眠るカロリーナの顔がある。
「明日、起きたところで考える。もう一度辻で歌って投げ銭を両替所に入金したら、すぐに出発する方向で動くよ」
「昼間も言ったが、コルド国内の両替所ならどこでも金を引き出せる。あの証書は国内共通のものだから、移動しても行った先で現金が調達できることを忘れるな」
「ああ、多額の現金を持ち歩かなくていいというのは助かるよ」
アントニエッタの時には、定住する前に定期的に1カ所の両替所にお金を預けに戻るか、国毎に両替所に口座を作るか2人で頭を悩ませた。結局アントニエッタの夫が紹介した両替所1カ所を利用するようになったことで、あのキタッラの国が「帰る場所」となった。キタッラに行くことは、もうない。コルドを「帰る場所」にするのもありかもしれない。
カロリーナが寝言で歌を歌い始めた。
「おやおや、歌姫は夢の中でも歌を歌うのか」
クロードは一番上の娘と同じ年頃のカロリーナのことが心配で、なんとかしてやりたいと思っているだけなのだということが分かったカエリアンにとって、これほど味方として頼もしい人はいない。
なにより、クロードはヴィクトル同様「嫌な匂いがしない」人間なのだ。
「では、帰ります」
「ああ、気を付けて」
カロリーナを大切そうに抱え上げて去って行ったカエリアンは、カロリーナの笑顔を守るために何ができるだろうか、ただそれを考えながら夜道を歩いた。
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