12 初舞台
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コルの街の市場の入り口にある少し広いスペースを陣取ったカロリーナとカエリアンは、投げ銭を入れてもらうための箱を置き、ギルドの興行許可証が手元にあるのを確認した。人の流れは朝一番ほどではないが、それでもそれほど広くはない市場には人がまだたくさんいる。
「じゃ、始めるか」
緊張しているカロリーナの頭にポンポンと触れると、カエリアンはにこりと微笑んだ。「きゃっ、イケメンがいる!」という声は、聞こえなかったことにする。
「お前の好きなものでいい。まずは1曲歌ってみろ」
カロリーナはうなずくと、空を見上げた。小鳥たちのさえずりが聞こえる。カロリーナは1つ大きく深呼吸した。
鳥になりたい
この窓から 翼を広げて
自分の力で飛び出して
あなたに会いに行けるから
鳥になりたい
言葉ではなく鳴き声ならば
愛の言葉を叫んでも
咎める者はいないから
たとえ鳥になれたとしても
鳥かごの中に囲われたなら
同じと人は笑うでしょう
たとえ鳥になれたとしても
飢えて凍えて地に倒れたなら
愚かと人は笑うでしょう
それでも私は鳥になって
あなたに思いを伝えたい
アントニエッタの歌曲集の中にあった、愛の歌だ。片思い中なのか、高貴な姫君と市井の若者のような身分差の恋なのか、アントニエッタがどんなシチュエーションを想像して書いたのかは分からない。カロリーナは、相手を「自由」だと思って歌った。恋を知らないカロリーナには、まだよくわからない部分ではある。だが、自由を求め、それを手に入れた今、カロリーナには「あなた」が「自由」であるように感じられたのだ。
だが、今、それは違うと感じた。「あなた」を「自由」という言葉と概念に無理に置き換えなくても、「愛」が少しだけ分かるような気がし始めたのだ。まだ確証があるわけではないが。
歌い始めるとともに、人の流れがパタッと止んだ。市場で物を売っている人たちまで、こちらを見ている。カロリーナは目を閉じて歌っていたので気づかなかったが、カエリアンは地面に足を縫い止められたように動かずカロリーナの歌声に聞き惚れている人々を見て「そうだろう、そうだろう」と1人うなずいている。
歌い終わって目を開けたカロリーナは、人々がじっと自分を見ているのに気づいて驚き、後ろに転びそうになった。
「気を付けて、リーナ」
抱きとめられて目をのぞき込まれて思わず「ひっ」と小さく叫んだカロリーナに、カエリアンはクスクス笑う。若い女性の黄色い声が、再び響いた。
「さあ、今の曲の説明をするんだ。投げ銭もお願いしろよ?」
真っ赤な顔のカロリーナは、おずおずと周りの人々を見た。一斉に見られて緊張し、声が出ない。
「お嬢さん、すばらしいな! 今のはなんて曲だ?」
1番前にいた壮年の男性が声を掛けた。カロリーナが緊張して言葉が出ないでいることに気づき、助け船を出してくれたのだ。
「流浪の歌姫アントニエッタが作った、『鳥になりたい』という曲です」
「アントニエッタの曲か? 初めて聞いたぞ?」
「アントニエッタの曲はたくさんあるので……」
「なあ、もっと聞かせてくれよ!」
後ろの方からも声が飛んできた。あわあわするカロリーナを見かねたのだろう、カエリアンがすっと隣に出てきた。
「リーナはトロバイリッツだが、独立したばかりで今日が興行の初日だ。あんたたちついているぜ? さあ、俺の婚約者の歌が聴きたかったら、投げ銭よろしく!」
「兄ちゃんは何もしないのかよ?」
昨日ギルド長のヴィクトルに言われたのと同じ声が飛んできた。
「独立したばっかりで、伴奏楽器が買えないんだ。みんながたくさん投げ銭入れてくれれば、伴奏用の楽器が買えるんだけどなあ」
「おっしゃ、ならみんなも投げ銭入れてやれ! 一本東の通りに中古の楽器屋があるぜ?」
「ありがとうよ! 今日の帰りに寄ろうかな」
最初に声を掛けた壮年の男性が、1万クランの金貨を投げ入れた。すかさず、おお~っというどよめきが上がる。投げ銭で1万クランは破格と言うことか、とカロリーナは理解した。確かクリツィアの指導を受ける弟子は、1レッスン1万クランのレッスン料だと誰かが言っていたような記憶がある。グラツィアーナというピアニストを育て上げたという実績のある今なら、その金額は少し上がっているかも知れないが。
クリツィアのことを思い出した瞬間に胸にチクリと痛みが走った。どうしてもグラツィアーナのことまで思い出してしまう。カロリーナを人身売買にかけて他国から二度と戻ってくることができないようにとジョアキーノに命じたグラツィアーナ。そこまで憎まれていたのかと思うと、やはり胸が痛い。
「さあ、他に入れてくれる人はいないか? もう少し入らないと、うちのカナリアさんは歌えないなあ」
「金を持っている奴が入れろ! そうじゃない奴に聞かせてやるのも、貴族じゃねえが『ノブレス・オブリージュ』ってやつじゃないのか?」
「いいこと言うねえ、よっ、お金持ち様!」
「金持ちじゃないが、聞きたいから入れるよ!」
「あたしも、今日の売り上げの全部は無理だけど、一部入れるよ!」
バラバラと投げ銭が降ってくる。金貨も銀貨も白銅貨も青銅貨も黄銅貨も混じっている。黄銅貨が入っているということは、おそらく子どもがお小遣いを入れてくれたと考えるべきだろう。
「みなさん、ありがとうございます。それでは……」
カロリーナはその後、4曲歌った。これまでカロリーナは人前で、大きな声で歌ったことがない。緊張して力も入っていたのだろう、喉に違和感を持った。
「みんな、リーナはしばらく歌っていなかったんだ。また明日もこの町のどこかに立つから、よろしくな!」
また明日ね、とか、楽しみにしておるぞ、とか、好意的な声が返ってくる。呆然と聴衆を見送ったカロリーナは、カエリアンが箱からこぼれ落ちた貨幣を拾っているのに気づいた。
「これって、多いですよね?」
「数えてみないと分からないが、初日としてはいい売り上げになったんじゃないか?」
カエリアンは、箱一杯の貨幣を重そうに持ち上げた。
「両替所に行って、数えてもらうか」
よく分からないカロリーナは、カエリアンについて行く。両替所というのは、銀行のような所ではないかと想像した。カロリーナは銀行に行ったことはないが、お金を貸したり、預かったお金ををしっかり守ってくれたりする仕事をしている人たちだという程度の認識ならある。時々ガイヤルド家にも銀行員が来ていたが、カロリーナにはそれ以上のことは分からない。
両替所の窓口には、こぎれいな格好をした若い男が座っていた。
「今日の興行で手に入れた投げ銭なんだが、思いのほか多くて困っている。こちらで数えてもらえないか?」
「この町に在住の方ではないようですね。失礼ですが、興行の許可証を拝見できますか?」
カエリアンはすっと許可証を差し出した。
「歌の興行、ですか」
「市場の前で歌ったら、初日にこれだけの投げ銭が手に入ったんだ」
「もし時間が許すようでしたら、1曲お願いできませんか? ああ、ただでとは申しません。手数料を歌で払っていただくということでご理解いただければ」
カエリアンの目が険しくなった。
「手数料は50クラン程度ではなかったか? 1万クランの金貨を入れた人もいたのに?」
「人によって、価値観というものは違いますので」
カエリアンが怒っている。カロリーナの歌を聴いてもいないのに侮辱していると思ったのだ。
「リアン、落ち着いて。私が歌えば、彼は50クランで歌わせたことをきっと後悔するわ」
「だが、リーナ……」
カエリアンの背にそっと手を置いて、カロリーナはカエリアンを宥めた。ニコロがクリツィアやグラツィアーナのことで怒っていた時、こうやってよくニコロを宥めたものだ。
「何かご希望の歌はありますか?」
「そうですね、ではアントニエッタの『秋の歌』をお願いできますか?」
アントニエッタの「春の歌」は、町の子どもたちが通うような学校でも歌われる有名な曲だが「秋の歌」を知る人は少ない。いや、「春の歌」が「四季の歌」の1曲目であることさえ知らない人の方が多いだろう。つまり、この窓口の男性は、カロリーナたちが本当に歌のことを知っている人間なのかどうか、もっと言えば持ち込んだ金が盗んで得たものではないかと疑っているのだ。丁寧な言葉遣いだが、裏にあるのは疑惑の目だ。
「あら、マニアックね。でも『秋の歌』の良さを知っている方に敢えてうれしいわ」
カロリーナは「秋の歌」を歌い始めた。豊穣を感謝する1番。様々な色の木の実と紅葉の美しさを讃える2番。元々は神に祈りを捧げるために作った歌だと聞いている。人里の実りと美しい山の風景を歌い上げるこの曲が、カロリーナは「四季の歌」の中で一番好きな曲だ。
秋が好き。この曲が好き。
カロリーナは自分のこの思いを乗せて歌った。待合室には他の客もいる。カウンターの奥には他の従業員もいる。カロリーナはお構いなしに、ビブラートを響かせた。
歌い終わったカロリーナは、にこりと窓口の男性に微笑んだ。
「50クラン以上の価値はあると思うのですが」
口がまるで池の鯉のようにパクパクするだけで何も言えない男性の肩にぽんと手を置いた人物がいた。
「お前の用心深さに助けられたことは何度もあるが、今回ばかりは外したな」
「社長!」
社長と呼ばれた壮年の男性はニッと笑ってカロリーナとカエリアンを見た。
「あ、1万クラン金貨の……」
「覚えていてくれたかね。うちの従業員が失礼した」
「ここの社長さんだったんですか」
「ええ、それなりの収入がある職業でなければ、あなたの歌に投げ銭で1万クランは入れられないよ」
「えっ……」
窓口の男性の顔がみるみるうちに青くなっていく。
「プロの演奏に対して、50クランの価値しかないと言い切ったんだ。まずはお客様に謝罪したまえ」
「も、申し訳ありませんでした」
「1日でこんな投げ銭を持ち込むような興行者なんていないと思ったんだろう? だが、この方たちのように高い能力を持ち、それを各地で生かしている人たちはたくさんいるんだ。窓口の人間は様々な情報を総合的に勘案して客を判断しなければならないよ」
「肝に銘じます」
「それで、リアンとリーナだったかな? うちの社員が大変失礼した。お詫びに今日の夕食に招待したいんだが、お受けいただけるだろうか?」
「構わない。謝罪も受けた」
「ええ、是非」
「よし、ならお前たち、早くこの貨幣を数えるんだ。ネコババするなよ? あの歌をただで聴いたんだからな?」
手の空いている授業員たちが慌てた様子で数え始める。カロリーナ、カエリアン、社長と呼ばれた男から見える場所で、硬貨が次々に数えられていく。
「ついでに、口座を開設しておいてもらえないだろうか? この調子だと、全て宿に置いておくのも持ち歩くのも、どちらも不用心かと思うんだ」
「そうだなあ、結構な額が入っていたし、1万クラン金貨を入れたのは私だけではなかったからな。これからもいろんな所を回るのだろうが、このコルド国の正規の両替所なら、ここで預けたものも自由に引き出せる。口座を用意させよう。コルド内の両替所を、是非ともご贔屓に」
壮年の男性は、わざとらしい営業スマイルをした。そして耐えきれなくなったのだろう、ぷっと笑い出すと、カラカラと豪快に笑った。
「まあ、あんまり稼がれると両替所から銀行にもっていかれっちまうからな。上限の1000万クランは超えないようにしてくれよ」
両替所というと、貴金属を換金したり他国の通貨と交換したりする場所という国もあるが、この国では貴族や豪商など預金が最低1000万クランから扱う「銀行」と、庶民が利用する「両替所」に別れている。銀行が傘下に両替所を持ち、1000万クランを超えたら「自動的に移動する」システムを取る所もある。この壮年の男性クロードから、いろいろな話が聞けそうだとカロリーナは目を輝かせた。
「お待たせしました。およそ20万クランございました」
正確な金額が記入された証書が、クロード社長からカエリアンに手渡された。
「お嬢さんよりも、リアンの方が掏られそうにないからね」
「そうですね!」
大きく頷いたカロリーナに、クロードがまた「ふははは」と大きな声で笑った。
「リアン、お前、このお嬢さんの純粋さにつけ込んで迫ったとか、既成事実を作って無理矢理婚約したとか、そういうことはないだろうな?」
「ないよ。籍を入れていないから、お互いまだ身ぎれいなままだ」
「純情だな。心配にならないか?」
「心配だからどこへ行くにも手をつないで連れて行くのさ」
「おう、じゃ、夕食の時にな。ここのレストランに、19時に来てくれ」
「では19時に」
カエリアンは証書と興行許可証を大事そうにしまうと、メモに書かれたレストランを探しながら帰ろうと言ったカロリーナの手をぎゅっと握り、スタスタとギルドへ向かって歩く。
「ねえ、リアン! お店を確認しなくていいの?」
「ヴィクトルに聞けばいい」
「そう……」
なぜかカエリアンはカロリーナの手を強く握っている。本当に離すまいとしているかのようだ。子どもの頃から手を引いてくれたのは兄のニコロだけだったが、そのニコロとは違う手のぬくもりに、カロリーナはなぜか顔が熱くなるのを感じていた。
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