11 最初の町
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「ここにします」
隣国コルドの国境から離れて地方の小都市コルに入った所で、カロリーナが小さな声でカエリアンにつぶやいた。カロリーナがアントニエッタのようにトロバイリッツになると決めてから、いくつかの街を回った。だが、何となく治安が悪そうだったり、音楽に興味がなさそうな人が多い町だったりして、カロリーナはトロバイリッツとしての活動を始めることに二の足を踏んでいた。だが、ここコルの街に入った時、カロリーナは辻で拍手とともにフィドルを弾く男を見た。人はまばらだったがフィドルの音を楽しみ、終わると聴衆は投げ銭をバイオリンケースに入れていた。
ここには音楽を愛する文化がある。そう思ったカロリーナは、ここを「トロバイリッツとしての出発の地」にすると決めたのだ。
「よし、それなら商業ギルドに行って、外国人でも辻での音楽が許可されているか、確認しておこう」
商売目的で歌を歌う場合、許可が要る国がある。許可を必要とする興行の内容が国によって違うこともある。トラブルの防止のためには事前に確認するのが大切だとカエリアンが教えてくれた。邸の中から一歩も出たことがなかったカロリーナには、思いも寄らない情報だ。
「許可が要るんですね」
「辻で歌を歌うことは大道芸扱いだからな。場所が指定されていて、その場所以外で興行すると罰せられる国もある」
時間が経っているとは言え、さすがアントニエッタと何年も何カ国も旅して回ったカエリアンである。
「力も戻っているから、下位の精霊たちも助けてくれる」
「え、いるんですか?」
「俺の周りにたくさんいるよ。ああ、カロリーナには見えないのか」
カエリアンによると、カエリアンとカロリーナの周りには人型にはなれないほどの力の弱い精霊たちが群れているのだという。
「弱い精霊は強い精霊の保護を受けようとする。カロリーナの周りにいる奴らは、カロリーナの歌が聞きたいようだ」
「カエリアン様のような精霊ならともかく、私なんて……」
「そう卑下するな。それから、今からは俺のことを人として扱ってほしい。強い精霊を捉えて使役する『精霊術師』がいる国もあるし、精霊術師がその辺を歩いていることもある。精霊だと分かれば、奴らは問答無用で捕縛しようとするんだ。気づかれぬうちに間合いに入られてしまったら、カロリーナと一緒にいられなくなってしまう。約束してくれるか?」
「わかりました」
「それから、俺はお前の婚約者役になる。お前も俺の婚約者のように接するんだ」
「え、そ、それはどうしてですか?」
思わぬ言葉に赤くなり、しどろもどろしながらカロリーナが尋ねた。
「婚約者であれば宿で同室になれる。カロリーナを守るためにも無駄な出費を減らすためにも、部屋を別にしない方がいい」
「そ、そんなものなのでしょうか?」
「心配するな。手は出さないから」
「は、はあ……」
カエリアンはにこりと微笑む。通りを歩いていた女性たちから黄色い声が上がる。
「いいかい、お互いに愛称で呼ぼう。カロリーナ、俺はお前をリーナと呼ぼう。俺のことはリアンと呼ぶんだ。いいね? さあ、呼んでごらん、リーナ」
「リ、リアン?」
「そうだ。いいね?」
コクコクと真っ赤な顔をしたまま首を振る振るカロリーナは、まるで遠い国の赤い牛の首振り玩具のようだ。
「さあ、ギルドについた。いいかい、ガイヤルド家の名前を絶対に出してはいけないよ? 俺が折衝するから、リーナは黙ってニコニコしていてくれ。慣れてきたら任せるが、しばらくは俺がお手本になるから」
「お、お願いします、リ、リアン」
完全にカエリアンのペースに巻きこまれているが、カロリーナは典型的な箱入りお嬢様だ。身分の問題ではなく、ただの世間知らずなのだ。だからカエリアンはカロリーナのことが心配でならない。アントニエッタのように旅の音楽一座で育った娘なら世間のことで心配することはなかっただろうが、カロリーナは邸から出たことがなかったのだ。心配の上に心配して、守らねばならない。
「興行の申請なんだが、ここでいいかい?」
「この町は初めてかい?」
「そうなんだよ」
受付にいたのは、恰幅の良い中年男性だ。
「何の興行だい? 内容によっては他のギルドに申請しなければならないかもしれないが」
「辻で歌を歌うんだ」
「2人かい?」
「いや、歌うのは彼女だ」
カエリアンはカロリーナの肩に腕を回した。
「可愛いだろ? 俺の婚約者なんだ」
「おいおい、将来の妻に歌わせて、自分は歌わないのか?」
「彼女の歌声がいいんだ。俺たちは旅の一座から結婚を機に独立することにしたんだが、楽器は一座のものだったから持ち出せなかった。だから、ある程度稼いところでハープか携帯ピアノを買って、俺が伴奏する予定だよ」
「ああ、そういうことか。すまん、最近女を働かせて自分は遊んで暮らそうとする男が多くてなあ、お前さんもそういう奴なのかと疑っちまった」
「やめてくれよ、俺はそんな奴じゃないぜ!」
がはは、と中年男性が笑った。
「いいよ、俺はここのギルド長のヴィクトルだ。許可証を出すから、この申請書に名前を書いてくれ」
カエリアンは「リーナ、リアン」と2人分の名前を書いた。一般庶民に姓がないというのはこういう時に助かるのだな、などとカロリーナはぼんやり考えていた。
「ほらよ、これが許可証だ。それから、この地図を渡しておく。赤く印を付けた所なら興行してもらってもかまわん。他の音楽家が何かやっているようだったら、音が重ならないように配慮してくれ。騎士隊が巡回に来たら、許可証をすぐに見せること。すぐに出せないとしょっ引かれることがある。必ず許可証をすぐ出せる場所に用意しておくようにな」
「ありがとうよ。しばらくこの町で厄介になるよ」
「おい、リアンって言ったか。お前たち、宿は決めたのか?」
「いいや、これからだが」
「それなら、ギルドの上の階を使わねえか? お前たちのような興行者だと、この辺りの宿は1週間とか2週間分の前払いを要求するところが多い。ギルドならそんなこと言わねえし、流れ者どうしで情報共有もできる。正直に言えば、夜、みんなで食ったり飲んだりしながら他の町や国の情報を交換できるから、お前たちみたいな奴らには泊まってほしいんだ」
ギルドの許可証に書かれた「リアン」という名で呼ばれたカエリアンの目がじっとギルド長の目を見た。ギルド長は一瞬にして戦闘モ-ドに入ったが、カエリアンがぶわりと威圧すると力の差を見切ったのだろう、ギルド長は力を抜いた。
「リアン、あんたただ者じゃねえな。この町で一番強いって言われている俺が、尻尾を巻いた犬の気分にさせられたぜ」
「お前の言った言葉は嘘ではないと分かったが、俺たちをここに留めたい本当の理由を言え」
圧力を感じるその声に、ギルド長はやれやれといった様子で教えてくれた。
「ここ半年ほどのことなんだが……宿に客として入り、数日留まって宿の者が心を許し始めると、金が足りねえから働かせろって言い出す奴らがいてなあ。清掃のためにといって部屋のスペアキーを借りて他の客の部屋に入って盗みを働いた奴、宿の金をごっそり盗んでいった奴、挙げ句には夜に強盗を手引きして客や主人たちに大けがをさせた上で金品を奪って逃げた奴……そんな奴らが何組も出たんだ。
だから、宿の主人たちが、顔見知りや知り合いからの紹介状のない、飛び込みの客の宿泊を断るようになっちまった。ギルドに来る奴の半分は各地を渡り歩く流れ者だ。とはいえ、野宿できる強さがあるような奴ばかりじゃねえ。だから、うちのギルドに関わる連中だけでも空いている部屋に泊めてやれば、こちらに利益も出る。そういうことさ」
「それは……」
カロリーナは絶句した。話を聞く限り、窃盗は単独犯ではなく、大きな組織が動いているような気がした。
「そんなことが続いているのなら、町の皆さんは私たちのような流れの興行者にあまりいい感情を持っていないのではないかしら?」
「被害に遭った奴らは、相当排他的になっている。だが、町に商品や情報、それに外からの金を運んでくれるのは町の外から来る連中だ。理解しているほとんどの町の者は、用心しながらもうまく折り合いを付けているよ」
ギルド長はガシガシと頭をかいている。
「そんな訳だからさ」
「分かった。助かるよ」
カエリアンはそう言って、手を差し出した。
「しばらくの間、よろしく」
「ああ、こっちこそ。あんたみたいな強いのがいれば、ギルドに襲撃があっても守り切れそうだ」
「ん? 俺はリーナしか守らないぞ?」
「リーナちゃんにいいとこ見せたくないのか?」
カロリーナはカエリアンの力を一度見ている。カエリアンはジョアキーノたちを排除したあの時、泣き叫んで意識を失ったカロリーナのことを思い出したのか、気遣わしげにカロリーナの顔を見た。
「リアンはとっても強いの。でもね、それは優先順位をはっきりとつけているからよ。私が一番。余裕があったら周りの人もきっと助けてくれるわ」
カロリーナがそう言うと、ギルド長もカエリアンも驚いたような顔でカロリーナを見た。
「おい、リアン。お前信頼されているな」
「どうせなら愛されていると言ってくれ」
まるで古くからの友だちのように気安く話している2人を見て、カロリーナはふっと笑った。ガイヤルド家で見せていた作り笑いとは違う、心からの微笑みだ。
「……っ、リアン、こいつはまずい。お前しっかりリーナちゃんの手を握っていないと、かっ攫われるぞ!」
「心配するな。俺ほどの男はそうそういないから、リーナが目移りすることもない」
「くうっ、言ってくれるねえ」
ヴィクトルと名乗ったギルド長から部屋の鍵をもらうと、カロリーナとカエリアンは3階の一室に向かった。確かに宿のように部屋に番号が振られ、室内には簡素だが清潔感のある家具が並べられている。浴室とトイレは共用で一階に下りなければならないが、廊下の行き止まりに水場があり、朝の洗面などには重宝しそうだ。
3階には同じような部屋が5部屋あった。ギルドの建物の2階から4階に同様にあるならば、15部屋はあるのだろうか。
「4階は特別室かもしれないな」
「特別室?」
「ここのギルドは商業ギルドと言うことになっているが、商隊の護衛を手配したり商売のための情報をやりとりしたり……傭兵ギルドのような要素もありそうだ。そういう大きなギルドならば貴族や豪商との取引もあるだろう。特別な顧客のために、ワンフロア貸し切りにできるような部屋の作りをしているかもしれないってことさ」
「カエリアン様は」
「リアンと呼べ。呼び慣れないと何かあった時に俺たちの関係が露見しやすくなるんだ」
「は、はい……リ、リアンは、本当によく知っているのね。私1人だったらあのまま売られて……」
「リーナ。お前は外の世界をあまりにも知らなかった。だが、それはアントニオも同じだ。アントニオは今頃、リーナは歌劇団に入って歌っていると信じているだろう。グラツィアーナは、あの男と連絡が取れなくなって、さて、どうしているだろうな。騎士隊があの現場を発見すれば、当然ガイヤルド家にも調べは入るだろう。いつかは真実が明らかになるかもしれない。だが、リーナ、お前は結果的に自由を得た。お前を苛む者から解放された。だから、やりたいことをしろ。俺はお前が嫌だというまではずっとお前を見守ってやるから」
カエリアンはカエリアンなりに、罪滅ぼしの意があった。アントニエッタは大往生を遂げたが、歌うことを30年前にやめてしまっていた。子どもたち、孫たち、ひ孫たち、彼らに音楽の心を伝えようとしたが、彼らはそれが理解できなかった。技巧に走り、難曲を弾きこなす自分に酔いしれていた。アントニエッタの夫はアントニエッタに理解があったが、「難しい曲、誰でも演奏できるわけではない曲を演奏できる力だって素晴らしい」と言ってアントニエッタの心に寄り添わず、むしろ技巧に走ることを奨励した。
心が伴わない音楽ばかり聞かされるようになったアントニエッタは、子孫への愛情を失っていった。誰も理解してくれないと諦めた時、歌うことをやめた。全く歌わなかった訳ではないが、引退して家で思い出程度に少し歌うことがあるくらいで、アントニエッタは子孫たちの演奏すら聴こうとしなかった。
そんな歌では、精霊の力とて満たされない。少しずつ力を失い、やがて顕現できないほどに力を弱めてしまった。アントニエッタが死んで数年後、音楽を始めたカロリーナの音に「心」があることに気づき、カロリーナを守ってやりたいと思った。だが、カロリーナを守るどころか顕現するだけの力さえ残っていなかった。楽器庫の外に出る力さえ失い、下位精霊のように漂いながら、カロリーナの音を拾って少しずつ力をためた。
やがてカロリーナが楽器庫で歌を歌うようになると、急速に力は回復していった。フルチャージするまでに時間はかかったが、今の姿のカエリアンに戻れたのはカロリーナのおかげなのだ。カエリアンが何よりも大切にする音楽を心の底から愛するカロリーナのためなら、何でもしてやりたかった。
「リーナ、お前はもう自由だ」
カロリーナがうなずきながら笑っている。その微笑みがまぶしいとカエリアンは思った。
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