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私らしくあるために~カロリーナは愛の歌を歌う~  作者: 香田紗季
1 ガイヤルド家

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1 音楽家になれなかった音楽一家の娘 

読みに来てくださってありがとうございます。

自分らしさを見つけ、羽ばたいていく女の子の話です。

最初の数話は、主人公がちょっとかわいそうな状況にありますが、最後はハッピーになりますよ。

よろしくお願いいたします。

 今日もガイヤルド家の邸から、バイオリンやピアノの音が響いてくる。平民ながら代々受け継いだその音楽の才能を開花させてきたガイヤルド家の人々は、初代のアントニエッタの時に「ガイヤルド」姓を与えられて準貴族の扱いを受けている。大きな邸には個人練習用の音楽室が幾部屋もあり、リサイタルの練習用サロンには広めの舞台と最高級品のコンサートグランドピアノが鎮座している。


 カロリーナはそんな音楽一家ガイヤルド家の長女として誕生した。ガイヤルド家の始祖アントニエッタが亡くなってすぐにカロリーナがクリツィアのお腹の中にいることが分かったこともあり、悲しみに沈んでいた一族は喜びに包まれた。


「きっと曾御祖母(アントニエッタ)様がこの家にまた生まれ変わってきてくださるに違いない。伝説の歌姫と呼ばれた曾御祖母様の生まれ変わりなら、どれほどの音楽の才能を開花させるだろうか。ああ、今からもう楽しみでならないよ」


 父アントニオがそう吹聴して回ったから、音楽家仲間からも「ガイヤルドの次子に早く会いたいものだ」などと言われ、アントニオはまだ見ぬ我が子にたいそうな期待を掛けていた。


 生まれた子はアントニエッタと色は違うが、よく似た顔の娘だった。


 アントニオは驚喜した。


「でかした、クリツィア。きっとこの子はすごい音楽家になるぞ!」

「ええ、私たちの手で、すばらしい音楽家に育てましょう」


 カロリーナと名付けられた娘は、コロコロとよく笑うかわいらしい赤子だった。兄のニコロは小さな妹が可愛くて、レッスンの合間を見てはカロリーナをあやしに来た。カロリーナもニコロが来たと分かると花が咲くように笑い、キャッキャと声を上げて喜んだ。


 兄妹仲がよいことに、クリツィアは安心した。ニコロは4才。ずっと一人っ子状態でみんなの愛を一身に受けていたから、妹が生まれたことですねたりいじけたりするのではないか、赤ちゃん返りするのではないかとクリツィアはずっと気にしていたのだ。兄になったことを理解し喜ぶニコロが健気でもあり、そしてよくできた子だと誇らしくもあった。


 アントニオは、ニコロに自分と同じバイオリンを持たせた。他の楽器でも良かったのだが、自分が自信を持って教えられる楽器がバイオリンだったからだ。ニコロは、幼い頃からその才能を発揮した。技巧的な曲を弾きこなし、神童として6才から両親の演奏旅行に伴われ、10才で既に単独リサイタルを行えるほどであった。クリツィアはカロリーナには自分と同じピアノを弾いてほしいと望んだが、アントニオはカロリーナが興味を示した楽器から始めることにした。


 音楽の英才教育は、生まれて直ぐに音楽を聴かせることから始まる。子供用の楽器が玩具として与えられ、どんな楽器に興味を持つかを親が見極める。トイピアノに興味を持ったカロリーナにクリツィアは喜び、カロリーナには当然のようにピアノが与えられた。


 だが、カロリーナはピアノが弾けなかった。弾けなかったというと語弊があるかもしれない。カロリーナはどれほど努力しても「速い動き」ができなかったのだ。ピアノの演奏では素早い指の動き、体の動きが必要になる。おっとりしたその性格通りに全ての動きも緩慢だった。


 これだけ緩慢な上に早いパッセージが弾けないとなると、弾ける曲も限られる。クリツィアは焦った。天才と歌われたアントニエッタの生まれ変わりだと言われるカロリーナを一人前のピアニストに育て上げなければ、自分自身の指導力まで疑われることになる。そう思うと、クリツィアは発狂しそうになった。幼い子供を一日中ピアノの前に座らせて、間違えれば鬼の形相で叱って手を上げることもあった。速い動きができるようにと指ならしの練習曲をひたすら弾かせた。カロリーナは、弾けない自分が悪いのだと母に認められたい一心で必死にピアノにかじりついた。


「どうしてこの程度の曲さえ弾けないのよ!」


 カロリーナを罵倒するクリツィアの声が一日中邸の中に響き渡るようになった。アントニオはカロリーナの体にも心にも負担が大きいと考え、カロリーナにピアノ以外の楽器をやってみないかと声を掛けた。


「ううん、もう少しだけ頑張ってみる」


 そんなカロリーナの努力虚しく、カロリーナが素早く指を動かすことはなかった。うまく演奏できなくてもカロリーナはいつも笑顔で、一生懸命にピアノを練習した。カロリーナの努力を知っているからこそ、アントニオとニコロはカロリーナを応援した。


 カロリーナが7歳の時、アントニオは、カロリーナにピアノをやめさせることにした。クリツィアが日々精神的に追い詰められ、妻と娘の関係がこのままでは壊れてしまうと判断したからだ。


 他の楽器の可能性を試すことになった時、カロリーナはこう言った。


「今度こそ楽器を弾けるようになってみせるわ!」

「そうだ、その意気だよ。カロリーナならきっとできるようになるさ」


 ニコロはカロリーナがいじらしくてならない。「頑張る宣言」をしたカロリーナをぎゅっと抱きしめると「うまくいくようにお呪いをしよう」と言って額にキスをした。カロリーナは優しい兄が大好きで、頑張るから見ていてね! と微笑んだ。


 アントニオはカロリーナを楽器庫に連れて行った。子どもには危険だからとまだニコロもカロリーナも立ち入らせたことはなかった場所だ。


 楽器庫には一族が使った楽器や楽譜が山と積まれている。経年劣化で演奏できない楽器も多かったが、かつての名演奏者の楽器が収蔵されているということで、時々楽器の博物館などから貸出依頼を受けていた。その貸出料も莫大で、ガイヤルド家は平民でありながら貴族のように裕福な暮らしができるほどだ。


「カロリーナ。自分でやってみたい楽器を選んでみようか」


 アントニオに連れられて入った楽器庫は、独特の匂いと静謐な空気に満ちた不思議な空間だった。


「不思議ね。なんだか特別な場所にいるみたい」

「そうか? 埃っぽい上にかび臭いだけだと言って、お母さん(クリツィア)は入りたがらないんだが」


 カロリーナは目を輝かせて一つひとつ楽器の名を尋ね、どんな楽器かをアントニオに尋ねた。奥に積まれた楽譜の山に手を伸ばそうとしたので、アントニオは手で制した。


「きちんと整理されていないから、崩してしまうと楽譜の順番が分からなくなる可能性がある。だから、触ってはだめだよ」

「はい、お父さん」


 カロリーナはじっくり考え、アントニオやニコロと同じバイオリンを選んだ。アントニオは自分が指導できることを喜んだ。


 カロリーナは今度こそはとピアノ以上に熱心にバイオリンに取り組んだ。だが、カロリーナとアントニオの努力が実を結ぶことはなかった。


 バイオリンを持たせても、やはり指が素早く動かせない。不器用と言ってもいいほどで、肘を使って手首の位置を変え、押さえたい弦に指を持って行くのだが、その肘の動きもぎこちない。


 弓もうまく扱えなかった。弦に対して直角に弓を置いて動かすのだが、弓を目一杯下げ弓(弓を持った右手がバイオリンから離れていく方向の動き)をしても弓の半分ほどはバイオリンの左側に飛び出したまま、それ以上弓を下げることができなかったのだ。ボウイングできる範囲が狭ければ音量を出すことができない。その上ゆっくりした運指しかできなければ、弾ける曲は子ども向けの練習曲ばかりだ。


「やはりだめか」


 アントニオはクリツィアが打ちひしがれた気持ちがよく分かった。我が子なのにと思うと、余計になんとかしなければと焦るのだ。ただ、アントニオはクリツィアと一つだけ違った。カロリーナの奏でる音は、初心者とは思えないものであることに気づいたのだ。


「音色は悪くないのだがなあ」


 指を使わない開放弦の状態で弾く音になら、大きな喜怒哀楽がある。アントニオはそこにカロリーナの音楽の才を見いだしていた。特別な才能だと思うからこそ。カロリーナの音楽教育に熱を入れた。だが、10歳になった時、カロリーナにバイオリンを弾かせることをアントニオは諦めた。これ以上やっても緩やかな曲しか弾けないならば、プロの演奏家として生きていくことは無理だと判断したのだ。


 アントニオはカロリーナに、次々に新しい楽器に挑戦させた。


 ハープは運指も駄目だったが、何よりペダルが裁けなかった。ハープは手の動き以上に足で音を半音上げたり下げたりする動きが激しい楽器である。カロリーナは2つ以上の動きが同時にできないのだとアントニオは気づいた。


 ならばとフルートやオーボエなどに挑戦させたが、小指をうまく使えないだけでなく肺活量も少ないカロリーナに吹奏楽器は無理だった。ピッコロなら何とかなるだろうと思っていたアントニオだが、目論見が外れた。


 最後に与えたのがマリンバだった。これなら鍵盤をマレットで叩くだけだから大丈夫だろうと思ったアントニオだったが、ここでも問題が発覚した。


「カロリーナお嬢様は、マレットを4本同時にお持ちになることができません。これでは、ソロのマリンバ曲を演奏することは難しいかと」


 高名なマリンバ奏者を教師につけたが、2回目のレッスンの後でそのマリンバ奏者は申し訳なさそうにアントニオに報告した。


「そうか。せっかく来てもらったのに、申し訳なかったね」

「いえ、こちらこそお役に立てず。ですが」


 マリンバ奏者の女性はしくしくと部屋の隅で泣くカロリーナの方を見て言った。


「出す音は素晴らしいのです。何度も鍵盤を叩いて、叩く場所によって音が変わることにご自分で気づいて、柔らかい音、固い音、響かせたい時はどこにマレットを当てるか……それを、2回目のレッスンでもう習得なさったのです。音の出し方を掴むセンスは天才的なものをお持ちだと思います。ですから、ゆったりした曲が多い楽器を選べば、あるいは……」

「そうだな。『音』は確かにいいんだよ。だが、演奏できないなら諦めるほかないだろう」

「もったいない……」

「仕方がない。演奏家としては諦めよう。それでも、あの子から音楽を取り上げることだけはしたくないと思っているよ」


 アントニオの言葉に、マリンバ奏者は無念の音を聞き取っていた。音色についての才能がありながら、それを生かすだけの技術を持たないカロリーナのことを、心の底からもったいないと思っているのだとマリンバ奏者は思った。


 マリンバ奏者は、もう一つ報告しようと思っていたことがあったが、言うのをやめた。カロリーナが演奏すると、周囲がキラキラと光るのだ。まるで、ガイヤルド家の加護を与えているという音楽の精霊が喜んだ時に光らせたという伝説のように光ることを、マリンバ奏者は是非アントニオに伝えねばと思っていた。だが、アントニオにカロリーナを演奏家として教育する気がない分かった以上、それを伝えるのは無意味だと考えた。


 マリンバ奏者は去り際に、涙が止まらないカロリーナに言った。


「お嬢様の奏でる『音』は、本当に素晴らしいのです。ですから、情感のあるゆったりした曲をお選びなさい。そうすれば、あなたの『音』に気づいてくれる人がいるかもしれません」


 泣きながら頷くカロリーナの頭を撫でて、マリンバ奏者はガイヤルド家を離れた。


 13才の誕生日だったその日、カロリーナは演奏家としての将来を諦めさせられたのだった。


読んでくださってありがとうございました。

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