子供を産んだら後は自由って、どういうことかな?
婚約者に恋している伯爵子息は、彼女と恋したいのに,、彼女は結婚に恋愛を求めていない?
このすれ違いを何とかして欲しいとの依頼が舞い込み、調査に乗り出した。
様子を探るうちに、父親と幼馴染のおかしな関係が発覚し、しかも何でそんな拗れ方にという疑問がでてきて、そこに踏み込む羽目に。
16話で完結です。
剣が弾き飛ばされ、ガシャンと地面に落ちた。
は~っと溜息をつき、剣を拾うと地面に突き立て、息を整える。
「やっぱりミラにはかなわないわ。その馬鹿力、何?本当に女?」
「イリス様、負け惜しみ無しですよ。今日はここまでにしましょうか。シャノワールの準備をしなくては。汗臭いままではまずいでしょ」
ミラに促され、剣をきれいに拭いて片付けてから、訓練場を出た。早朝のこの時間帯は、イリス専用にしてもらっている。
大きな軍事力を持つ公爵家の娘として、子供の頃から当たり前のように、一般的な武術の訓練を受けていた。
弟が皇室の権力争いに巻き込まれて亡くなってからは、更に本格的な訓練を受けてきた。だが、周囲には力を隠すようにと言われていた。
ここでも、イリスと護衛兼侍女のミラの訓練は、ごく少数の人以外には秘密にしている。
途中、なんとなくミラの二の腕に触ったらコチコチだった。ほっそりして見えるのに、どこに筋肉を隠しているのだろう。
「ねえ、この腕、細いのにコチコチじゃないの。どうなっているの?」
「ちょっと、そのまま触っていてくださいね」
そう言うと、腕にぐっと力を入れた。ぐわっと腕が太くなり、筋肉が盛り上がる。
「鍛え方が違うのですよ。イリス様はそのままで充分です。侯爵令嬢がこれじゃまずいでしょ。ドレスを着ているときにこれをやったら……おもしろいですね」
「……やめとくわ」
今日はシャノワールと呼ばれる相談所にお客様が来る日だ。事情があって素顔を晒したくないため、簡単な変装をしなければならず、それの分時間がかかる。
二人は足早に王宮内のイリスの部屋を目指した。
3日前、伯母から新たな依頼の話を聞いた。
「今度の相談者は婚約者に愛されたい十八歳の伯爵家子息よ。婚約者は十六歳の伯爵令嬢」
「ということは、嫌われているんですか」
「いいえ、好きとか嫌いとかの話ではなくて、結婚相手に恋愛を求めていないようなの」
イリスがまず思ったのは、そういう結婚はよくあることなんだけどなあ、というもの。
その男性の片思いを成就させたらいいの?結婚が決まっているんだから成就も何もないと思うんだけど、と考え込んでいたら、伯母は、扇子を弄びながら
「彼女の結婚観に恋愛は含まれていないらしくてね。結婚は義務で、それをすませたら恋愛をしようと思っているのね。
だから結婚相手には、仕事仲間くらいの意識しか持っていないようなのよ。結婚に関する取り決めを話し合う中で、子供を2人産んだら、お互いに自由に暮らしましょうねって、嬉しそうに言われて初めて気付いたのですって」
意外な話にイリスは、口元に持っていったカップをソーサーに下ろし、伯母を見つめた。
「それは、相性が悪い場合の暗黙の了解で、結婚前から口にする話ではないですよね。大抵は良い関係を築こうと歩み寄ってみることから始めるものだし。実は引き裂かれた恋人がいるとかではないのですか」
「全く違うらしいわ。恋に憧れていて、その時が待ち遠しいって言っているそうよ」
「お気の毒ね、その男性。解消した方が傷が浅くて済むのじゃなくて」
「残念ながら、彼の方は彼女に恋しているの。可哀想にね」
何だかイライラしそうな案件だけど、男性が不憫でこの相談を受けてしまった。ただし、解決の方向は二人の人柄と様子を見てから決めることにした。
相談初日、現れたのはサラサラ金髪と澄んだ青い瞳の、きれいな王子様タイプの男性だった。これで婚約者に恋愛対象外の烙印を押されたとは、信じがたい。
婚約者は目が腐っているのかしら。いらないなら欲しいって手を挙げる女性が殺到して、争奪戦が起こりそうじゃない。
「はじめまして。イベリス伯爵家のアロンと申します。お手数をお掛けして申し訳ございません。でも、なんとかして婚約者に振り向いてもらいたくて、恥ずかしながらご相談に参りました」
「緊張されてますか。どうぞお気楽に。愚痴を言うだけでもいいんですよ」
「はい、実は友人達からは、ただの愚痴だとか、贅沢言うなとか言われています。可愛い婚約者でお前は気に入っていて、相手もお前を嫌いじゃないんだ。
相手の気持ちが望むほど盛り上がっていなくても、結婚すれば親密になっていくものだから充分なんじゃないか、と大抵はそんな風に言われてしまいます」
「まあ、それが一般的な答えよね。私も、話を聞いた時そう思ったわ。でも実際にあなたに会って、ちょっと普通じゃないなと思っているの。初恋に憧れる女の子が、あなたが相手で文句を言うなんて変よ」
アロンの顔が、ぼっと赤くなった。
「もてるでしょ」
追い打ちをかけると、そんなことは……ともごもごいう。
何、この可愛い子。前回のビクターに続き、ワンコだわ。何だか困らせたくなる。そして、思いっきり抱きしめてモフモフし倒したい。
もしかして欲求不満かしら。生まれてから十八年間、恋愛関係には縁が薄かった。婚約はしていたけど、幼い頃からだったので、ほぼ姉弟関係のまま、結局解消になってしまったし。なまじ婚約していたせいで、他の男性とそういう雰囲気になることもなかったのよね。
王太子の婚約者に近付く怖い物知らずはいないか。
ま、王太子に近づく勇者はいたわけだけど。
「ごめんなさい。からかったお詫びに特製のケーキをお出しするわね」
チョコレート細工やナッツで飾った豪華なホールケーキから、一切れ大きく切りとって差し出し、ふと疑問に思って聞いてみた。
「婚約者の方とのお茶会ではどんな話をするの。会話は弾む?」
「身近な出来事や友人のことや、行ってみたい場所のことなど、思いつくままに話しています。僕はいつも楽しく過ごしているし、彼女も楽しそうにしています」
「そう、それなら彼女からの子供を産んだ後は、の提案は晴天の霹靂よね」
「提案というか、当たり前のことを、ふと口にしたっていう感じで、冗談かと思って顔をまじまじと見てしまったのですが、何を勘違いしたのか、あ、子供は一人で良かったかしら、と慌てていました」
二ヶ月前、うまくいっていると思っていた関係の、ひび割れが見えた瞬間だった。