具体的なあれこれ
しばらく身動きもしなかったビクターが、口を開いた。
「先ほど、婚約解消の傷を癒すとおっしゃいましたね。伯爵家は婚約解消する気なのでしょうか」
そこに気が付いたのね。状況把握が的確だわ。
「この半年の二人の様子とアンヌ嬢の憔悴ぶりから、両親がそう考えているらしいの。もうすぐ、体調不良での解消の申込みが来ると思うわ。
つまりね、チャールズの思惑通りに事が進んでしまっているのよ。彼の結婚式に出席するため領地に行ったら、アンヌ嬢は皇都には戻って来られないでしょう」
「もう時間が残り少ないということか。では婚約解消には応じないで、彼女を我が家に引き取って療養させます」
「それは無理よ。彼女はあなたに対して秘密と引け目があるうえに、無理を通そうとしたら、チャールズが黙っているはずがないの。
事が露見したら彼女は破滅よ。そして家門は没落でしょうね。だから表沙汰にできないし、騒ぎを起こすこともできない。たとえあなたが救おうとしても、その手を取ることができないでしょう」
ビクターは拳を握りしめ、黙り込んでしまった。
だが、しばらくして、強い眼差しでイリスを見つめた。
「その通りだ。事が露見するような騒ぎを起こすことは、絶対に避けなくてはいけない。だが、何か手があるはずだ。僕達にシャノワールの知恵と力を貸してもらえないだろうか」
絞りだすような声だった。イリスは伯母様達から知恵を授けてもらえてよかったと思った。
過激なプランではあるが。
「わかったわ。一つプランがあるの。あなたに犠牲を強いることになるのだけれど、それでもいいかしら」
「なんでもやるとは言えませんが、伺ってもいいですか」
「慎重ね」
やり手との噂は本当だなと思いながら言った。考えなしのおバカさんや、状況に酔って安請け合いするタイプではないようだ。
「アンヌ嬢と一夜を共にしていただき、既成事実婚に持ち込むというもの。あなたの犠牲とは、婚前に婚約者に手を出したという汚名を被ってもらうことです。どうでしょう、できますか?」
え、と言ったままビクターはポカンとしている。
しばらくして、ぷはっと笑って言った。
「そんなご褒美みたいなこと、出来ないはずがないじゃありませんか」
プランはシンプルで、二人が婚約していることと、愛し合っていることを前面に出して、強引に行くのよ、と言ってイリスが説明を始めた。
「アンヌ嬢が王宮から下がる時、侯爵邸に近い場所で物盗りを装って襲撃するから、あなたが助けに入って頂戴。そして候爵邸に連れて帰り、一夜を共にしたあと、そのまま彼女を屋敷から出さないこと」
ビクターは、やります、とはっきり言った。
「理由は、彼女が襲撃のショックで怯えて寝込んでいることにしてね。伯爵夫人不在の自宅より、侯爵邸で侯爵夫人の庇護下に彼女を置きたいとかが、いいんじゃないかしら。ついでに婚姻準備期間に婚家の家風や屋敷の采配を覚えてもらいたい、の2点ね」
ビクターは黙って聞いている。そして頷いた。
「そのことを領地にいる伯爵夫妻に伝え、なるべく早く許可を得ること。それまでは周囲から文句がでても耳をかさないで。純潔の証に関しては任せるわ。どさくさ紛れでなら何とかなるでしょ。更に伯爵夫人に、こちらに戻ってもらって、婚礼準備の采配を振るってもらえれば最高ね」
こうなればチャールズは全く手出しできないわ、という言葉でイリスは説明を締めくくった。
ビクターは、顔全体に喜びの色を滲ませて、叫ぶように言った。
「ああ、そのとおりだ。思っていたより簡単なんじゃないか」
コホン、と咳払いをしてから、イリスは切り出した。
「その際、アンヌ嬢の気持ちを救うために、ある提案があるの。アンヌ嬢は不本意な状況で乙女でなくなってしまったでしょ。それがどうしても引け目になっているのよね。だから、別の初めてをもらってあげて欲しいの」
「え、と。それはどういうことです」
「それは、……」
どんどん声が小さくなり、言葉も不明瞭になっていく。
「あの、え?」
「あの、ですね。コホン。あー、後ろ、は経験が無いそうなんです。だから、その初めてを、どうかと」
ちょっと横を向いて早口で説明する。
「えっ、…… 」
ビクターの顔が、白くなったあと、赤くなっていく。
そして真っ赤になった。良かったわ、どうにか伝わったようね。
目を上げ、無言で二人は見つめあった。
その目は、無茶な命令をされた時の愛犬バッカ゚ーとそっくりの、困惑と信頼の混ざったものだった。キューンと鳴き声が聞こえそうだ。
撫でたい。抱きしめてもふもふしたい。
思わずそう思ったが、いえ、これは人の男よ、色々な意味で、と自分にムチを入れた。
「それは彼女を驚かせて傷付けてしまうことになると思います」
という言葉に、ふらちな思いを反省しつつ
「大丈夫。彼女も望んでいるの。あなたに初めてだと思ってもらいたい一心なのよ。普通にしたら、初めてでないのはすぐわかってしまうでしょ。だからあなたに薬を盛って、ぼんやりさせた状態でそちらでの行為に導こうと考えたの」
そこまでは彼女に説明した内容だ。
「と、いう感じで彼女には言ってあるけど、あなたの協力無しで出来るはずがないのよ。この茶番に付き合ってくれないかしら」
「それは無茶だ。彼女を汚すようで、とてもできない」
イネスはなんとなくムカッとして言い放った。
「あのね、乙女にとっては、あんなものをあんなところにっていう括りで、どっちも一緒なの」
ビクターは声に押されるように、ソファにもたれかかり、ポカンとした顔になった。
ああ、こんなこと十八才の乙女に言わせないでよ、伯母様。
どうやるんだろう、という疑問は口にできなかったので、経験者? がそれがいいと言うのだからいいのだ、とフラットに受け止めておいた。
それでも、自分の口から出た言葉に少なからずショックを受けたイリスは、お茶を飲んで気持ちを落ち着かせようとした。
しばらくして、衝撃を吸収し終えたらしきビクターが聞いた。
「アンヌはやるつもりでいるのですか」
「ええ、あなたとこの先の人生を歩むために、今回のプランに賭ける気でいるわ。彼女、勇気があるわね」
「やります。なんでもやりますので、詳しい話を聞かせてください」
イリスから説明を受け(あの説明省く)、お互いにスケジュールやタイミングの微調整をして、大体の事が決まった。
「後は、危機を救った婚約者と二人きりの状況に盛り上がってしまい、一線を越えてしまったという流れね。通常は、そういう話は隠すものだけど、今回に限り、大っぴらにしてもいいわ」
「簡単に言ってくれますね。男だって不安なんですよ」
髪をぐしゃっと漉きながら、ビクターが言った。
誰かに、いや誰に聞いてもまずいか、パブリックスクールに行ってた奴なら.....と小声でぶつぶつ言っている。
何も無くても、未婚の男女が二人きりで一夜を過ごしたら、責任を取らなければならない。
婚約者なら、妊娠の可能性を考えて、結婚を早めることに、文句が出るはずもない。
こうして話はトントンと進んでいった。